異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
三つの殺意が、壊れた広場の中心で重なっていた。
一つは、魔族の力を取り込んだミシェルのもの。
一つは、レンの身体を使っている何かのもの。
そしてもう一つは、空から舞い降りた男――今代の勇者ベルナードのものだった。
広場はすでに、元の形をほとんど失っていた。
石畳は割れ、噴水は砕け、建物の壁には竜の爪痕が刻まれている。
瓦礫の隙間からは黒い煙が立ち上り、負傷した騎士たちの呻き声と、逃げ遅れた民衆の泣き声があちこちから聞こえていた。
その中心で、三人だけが異様に静かだった。
誰も動かない。
誰かが一歩でも踏み出せば、その瞬間に広場ごと吹き飛ぶ。
そんな緊張感が、空気を張りつめさせていた。
その空気を割るように、ミシェルが片手を上げた。
「降参です」
あまりにもあっさりとした言葉だった。
白々しいほど穏やかで、戦意など最初からありませんと言わんばかりの声。
だが、その場にいた誰も、その言葉を信じなかった。
「私としても、あなたとやり合うほど驕ってはいません」
ミシェルはベルナードを見て、丁寧に頭を下げた。
その姿だけ見れば、礼儀正しい紳士にすら見える。
けれど、その身体には魔族の鱗が生え、背後には棘の並んだ尾が揺れていた。
何より、その手にはロンギヌスの槍が握られている。
あの槍だけは渡してはいけない。
そう思った瞬間、ベルナードの姿が消えた。
「へえ」
声が聞こえた時には、ベルナードの剣がミシェルの首元に迫っていた。
速い。
目で追えた者は、ほとんどいなかったと思う。
騎士たちはもちろん、サラも、エリシアも、息を呑むことしかできなかった。
ベルナードは、剣をミシェルの喉元に当てたまま、軽く首を傾げる。
「僕がそれで逃がすとでも?」
「おお、怖い」
ミシェルは動じなかった。
いや、正確には違う。首筋にはわずかに汗が浮かんでいた。
それでも、彼は笑っていた。
「ですが、影渡りの術はすでに発動済みです」
その言葉と同時に、ミシェルの足元の影が大きく広がった。
黒い水たまりのような影が、彼の足を、膝を、腰を飲み込んでいく。
ベルナードの剣がわずかに動く。
だが、間に合わない。
「槍はいただいていきます」
ミシェルは最後まで丁寧に微笑んだ。
「では、またいずれ」
そのまま、彼の身体は影の中へ沈んでいった。
ロンギヌスの槍を握ったまま。
完全に姿が消えたあと、広場には沈黙が残った。
「はー……」
ベルナードは剣を肩に担ぎ直し、大きくため息をついた。
「面倒くさいやつらだなあ」
その声は軽かった。
けれど、広場の誰も笑えなかった。
ミシェルは逃げた。ロンギヌスの槍も奪われた。
エリシアは変わり果て、街は壊れ、騎士も民衆も傷ついている。
何一つ、終わってなどいなかった。
その時、ベルナードの視線がレンへ向いた。
「それで」
ベルナードは剣を軽く回した。
「あなた……いや、君はどうする?」
レンの形をした何かは唇の端を吊り上げた。
人を見下し、世界を退屈そうに眺め、それでいて目の前の強者だけは楽しそうに見る。
そんな、古い獣のような笑み。
「わしはただ、貴様と殺し合いたいだけだ」
「駄目だよ」
ベルナードは即答した。
「街が壊れちゃうでしょ」
「だからなんだ」
「これ以上怒られるのは嫌なんでね」
ベルナードは面倒そうに言いながらも、剣をゆっくりと構え直した。
その瞬間、彼の持つ質素な剣が淡い光を放った。
派手な光ではない。ミシェルのマギアのような神々しさもない。
けれど、確かにそこにあるものを正しい形に戻そうとするような、静かな光だった。
「さて」
ベルナードは、俺の身体を見据えた。
「そろそろ起きてきな、少年」
「何を――ぐっ」
何かが、初めて苦しそうに顔を歪めた。
膝が崩れる。
剣を地面に突き立てなければ、立っていられないほどだった。
「貴様……何をした」
「君はまだ、この身体に定着していないからね」
ベルナードは淡々と言った。
「表に出てこられたのは、少年の心が折れた一瞬だけだ。なら、奥にいる本人を呼び起こせばいい」
「小僧を呼び起こすつもりか」
「そういうこと」
「ふざけた力だ」
「それが僕なんでね」
ベルナードの剣の光が、さらに強くなる。
レンの身体が震えた。
内側で何かが引き剥がされていくような感覚があった。
暗い場所に沈んでいた意識が、遠くから引っ張り上げられる。
誰かが怒鳴っている。誰かが笑っている。
その声が、少しずつ遠のいていく。
「覚えていろ」
何かはそう宣言した。
「貴様は必ず殺してやろう」
「楽しみに待っておくよ」
ベルナードは軽く笑った。
「最悪の男、グランさん」
「忘れるな、小僧」
それはレンに向けられた声だった。
「お前が折れれば、次はもっと深く潜るぞ」
その言葉を最後に、意識の奥で何かが沈んでいく。
瞳に、光が戻った。力が抜ける。
身体が前のめりに倒れかけたところを、ベルナードが片手で支えた。
「さあ、起きたかな、少年」
「あん……?」
俺は瞬きをした。
目の前に、知らない男がいる。
長身で、どこか気の抜けた雰囲気の男。
質素な剣を肩に担ぎ、俺を見下ろしている。
そのくせ、まとっている気配は異常だった。
俺は思わず飛び退いた。
「って、あんた誰だ!?」
「ふふ」
男は笑った。
「僕かい? 僕の名前はベルナード」
ベルナード。
その名を聞いた瞬間、思考が止まった。
「王国が認める、正真正銘の勇者だよ」
「う……」
「う?」
「うぇええええええええええ!?」
「わっ、急に大きな声を出さないでよ。びっくりするじゃないか」
ベルナードさんは本当に驚いたように、片耳を押さえた。
「あ、す、すいません!」
俺は慌てて頭を下げた。
勇者ベルナード。王国の英雄。今代の勇者。
俺が絵本や噂で何度も聞いてきた、本物の勇者。
まさか、自分以外の勇者に会えるとは思っていなかった。
それも、王国の英雄であるベルナード本人だなんて、夢にも思っていなかった。
だが、そこでようやく現実が戻ってきた。
「あ、そうだ!」
俺は顔を上げる。
「ミシェルは!? あいつはどうなったんだ!」
「彼は残念ながら逃げちゃった」
「逃げた……」
「うん。槍も持っていかれた」
ベルナードさんの声は軽かった。
でも、その目は笑っていなかった。
「ただ、君たちがいなければ、街の被害はもっと大きくなっていた」
彼は俺を見た。
「感謝するよ、勇者君」
感謝。
その言葉は、胸にうまく入ってこなかった。
俺は街を守れたのだろうか。エリシアは助けられたのだろうか。
でも、ミシェルは逃げた。槍も奪われた。騎士たちは倒れ、街は壊れた。
そして。
「ああ、そうだ!」
俺はベルナードさんの腕を掴んだ。
「俺の友達のこと、知らないか!? ルークスだ! あと師匠も! 滝に落ちたって、ミシェルが……それに、師匠もやられたって……!」
言葉がまとまらない。
自分でも何を言っているのか分からなかった。
でも、聞かずにはいられなかった。
ベルナードさんは、静かに首を振った。
「分からない」
その一言で、喉が詰まった。
「ここに来るまでに、森の方へも向かった。魔物の死骸が何体もあった。大きな戦闘の跡もあった」
「じゃあ……」
「でも、そこには誰もいなかった」
誰も。
その言葉が、頭の中で繰り返された。
「そ、そんな……」
足元が揺れる。
「あいつ……死んだのか……?」
ルークスが。 あのルークスが。
いつも俺に文句を言って、呆れた顔をして、でも最後には一緒にいてくれたあいつが。
俺が勝ちたいと思い続けていたあいつが。
俺の前を歩いているようで、でも隣にいてくれたあいつが。
死んだ。
「くそ……」
拳を握る。
「くそ、くそ、くそっ……!」
怒りを抑えようとした。
でも、抑えきれなかった。
胸の奥が熱い。
さっきまで眠っていたはずの勇者の痣が、また痛む。
でも、その熱は希望ではなかった。
怒りだった。悔しさだった。自分への憎しみだった。
サラは、声を殺して泣いていた。
いつもなら、俺に「落ち着いて」と言うはずのサラが。
俺の隣で、肩を震わせていた。それを見て、余計に胸が苦しくなった。
エリシアは何も言えずに、ただ震えていた。
自分のせいだと思っているのかもしれない。
でも、違う。
違うはずなのに、今の俺には、それをちゃんと言葉にする余裕もなかった。
ベルナードさんは、しばらく黙って俺たちを見ていた。
そして、静かに言った。
「悔しいなら、強くなりな」
俺は顔を上げた。
「泣いてもいい。折れてもいい。でも、そこで終わるな」
ベルナードさんは、俺に手を差し出した。
「守りたかったなら、次は守れるように。届かなかったなら、次は届くように。戦うんだ」
「戦う……」
「敵はノアーク教団だ」
「ノアーク、教団……」
「君が本気で追うなら、僕が鍛える」
ベルナードさんの手は、静かにそこにあった。
「僕の手を取れ、勇者君」
俺はその手を見た。
涙が視界を滲ませていた。でも、こぼすものかと思った。
ここで泣いたら、何かが崩れてしまう気がした。
俺は歯を食いしばり、その手を掴んだ。
「必ず……」
声が震えた。
「必ず、あいつを倒す」
「うん」
ベルナードさんは頷いた。
「その想い、僕が預かるよ」
勇者の痣が、強く光った。
◇
それから、キャンウィング領には王国の支援が入った。
勇者ベルナードの存在は大きかった。
彼が街にいるだけで、混乱していた民衆は少しずつ落ち着きを取り戻した。
騎士たちは再編され、負傷者は治療され、崩れた建物の撤去が始まった。
空を覆っていた異常な闇も、時間とともに薄れていった。
ようやく朝日が差し込んだ時、街のあちこちで泣き声が上がった。
それは喜びの声でもあり、失ったものを思い出す声でもあった。
エリシアは、ベルナードさんが預かることになった。
彼女の身体は、もう完全な人間とは言えなくなっていた。
白く変わった髪。 角。尾。魔族因子。
このままキャンウィング領に残れば、彼女を見る民衆の目は必ず変わる。
ベルナードさんは言った。
「彼女を守るには、王都に連れていく方がいい」
エリシアは何も言わなかった。
ただ、父を失い、母を失いかけ、マリーを失った少女の目で、静かに頷いた。
俺とサラの力も、正式に認められた。
勇者の痣を持つ俺。聖女としての力を示したサラ。
そして、ノアーク教団という敵。
俺たちは王都にあるゴルゴン国立学園へ通うことになった。
そこで学びながら、ベルナードさんが直接修行をつけてくれるという。
普通なら、喜ぶべきことだった。
勇者ベルナードに鍛えてもらえる。
王都へ行ける。もっと強くなれる。
昔の俺なら、飛び跳ねて喜んだはずだ。
でも、その時の俺は笑えなかった。
ルークスがいない。師匠がいない。
その事実だけが、胸に重く残っていた。
◇
故郷のゼケルは、ガードナーさんが知らせに走ってくれたおかげで守られていた。
魔物の群れは逸れ、街道も完全には潰されなかった。
俺たちの家も、サラの家も、ルークスの家も、無事だった。
無事だったからこそ、つらかった。
ルークスの家へ向かった時、俺は何度も足を止めた。
扉を叩くのが怖かった。
ミリアさんの顔を見るのが怖かった。ガレンさんに、ルークスのことを伝えるのが怖かった。
ルーシーに、兄が帰らないと伝えるのが怖かった。
それでも、俺は行かなければならなかった。
ルークスは、俺の友達だったから。
扉を開けたミリアさんは、俺とサラの顔を見て、すぐに何かを察したようだった。
「ルークスは?」
その声は、いつも通り優しかった。
だから、余計に言葉が出なかった。
サラが隣で泣きそうな顔をしている。
俺は拳を握りしめた。
「ルークスは……」
言葉が喉に引っかかる。
死んだかもしれない。滝に落ちた。見つからなかった。
どれを言えばいいのか分からなかった。
けれど、結局、何を言っても同じだった。
「帰って……きませんでした」
ミリアさんの顔から、色が消えた。
奥にいたガレンさんが、ゆっくりと立ち上がる。
その手には、まだ仕事帰りの手袋が握られていた。
「どういうことだ」
低い声だった。
怒っているわけではなかった。
ただ、理解できないことを聞いた人の声だった。
俺は全部話した。
話している間、ミリアさんは一度も声を出さなかった。
ただ、途中で膝から崩れ落ちた。
「嘘……」
ミリアさんの手が、床を掴む。
「あの子が……そんな……」
ガレンさんは、何も言わなかった。
ただ、拳を握りしめていた。握りしめすぎて、爪が掌に食い込んでいた。
それでも、彼は泣かなかった。泣かないように、必死に耐えている顔だった。
そして、ルーシーが奥から出てきた。
「お兄ちゃんは?」
小さな声だった。
誰も答えられなかった。
「ねえ、お兄ちゃんは?」
ルーシーは俺を見る。
「レン兄ちゃん、ルーク兄ちゃんは?」
胸が裂けそうだった。
「ごめん……」
それしか言えなかった。
ルーシーはしばらく俺を見つめていた。
そして、首を振った。
「なんで?」
声が震える。
「なんで、お兄ちゃん帰ってこないの?」
何度も、何度も聞かれた。
そのたびに、俺は拳を握った。
答えなんてなかった。
俺が弱かったから。俺が守れなかったから。
俺が勇者なのに、何もできなかったから。
喉の奥が熱くなった。
泣くな。俺が泣く資格なんてない。
ルークス。
俺がまだ勝っていないのに、死にやがって。
俺を置いて行くなよ。
お前はいつも俺の前にいて、俺が追いかける相手だっただろ。
ルークスお前の仇は俺が討つ。
その日、俺は心の中で誓った。
◇
それから一年が過ぎた。
一年は、長いようで短かった。
俺は笑う回数が減った。剣を振る時間が増えた。
朝起きれば素振りをし、昼は魔想を練り、夜はベルナードさんから送られてきた課題をこなした。
身体は少し大きくなった。剣も、前より速く振れるようになった。
でも、どれだけ強くなっても、胸の奥に空いた穴は埋まらなかった。
サラも変わった。
前より静かになった。笑う時は笑う。
けれど、ふとした時に遠くを見るようになった。
ルークスの家の前を通るたび、少しだけ歩く速度が遅くなる。
ルーシーは、俺を見ると泣きそうな顔をした。
ミリアさんは少しずつ日常に戻ろうとしていた。
ガレンさんも仕事へ戻った。でも、家の中からルークスの声がしない。
その空白だけは、どうしても埋まらなかった。
そして今日。
俺たちは王都へ向かう。
出発の前に、俺はルークスの墓へ来ていた。
墓と言っても、遺体はない。
滝の下流を何度探しても、ルークスは見つからなかった。
だからそこにあるのは、名前を刻んだ石だけだった。
ルークス・ガレン。
その名前を見るたびに、胸が痛んだ。
「ルークス」
俺は墓の前で手を合わせた。
「俺は、お前より何倍も強くなって帰ってくる」
風が吹いた。
墓の周りに植えられた小さな花が揺れる。
ルーシーが置いた花冠も、少しだけ揺れていた。
「だから、見てろよ」
俺は拳を握る。
「俺がミシェルを倒す。ノアーク教団を潰す。お前の分まで、俺が強くなる」
そう言ってから、少しだけ黙った。
本当は、言いたいことはもっとあった。
勝ち逃げするな。俺より先に死ぬな。
サラを泣かせるな。ルーシーを泣かせるな。
でも、それを言えば、また涙が出そうだった。
「行くよ、レン」
後ろからサラの声が聞こえた。
「間に合わなくなっちゃうよ」
「ああ」
俺は立ち上がった。
「今行く」
振り返ると、サラが待っていた。
彼女の髪が、朝の光を受けて淡く光っている。
その目には、まだ悲しみが残っている。でも、前を向こうとしていた。
俺も、前を向かなければならない。
ルークスの墓に背を向ける。
そして俺たちは、王都へ向かって走り出した。
◇
熱を感じた。温かい。
ぱち、ぱち、と火花が散る音が聞こえる。
どこかで聞いたことのある音だった。
雷が弾ける音。
師匠が矢を番える時、空気の中に走っていた音。
まぶたが重い。身体が動かない。
喉が乾いている。胸の奥が痛む。
でも、意識は少しずつ浮かび上がっていく。
師匠。
そこにいるのか。
「し……しょう……」
掠れた声が漏れた。
「師匠?」
返ってきた声は、知らない男のものだった。
「大丈夫か?」
俺はゆっくりと目を開けた。
視界がぼやけている。
目の前には焚火か?
そして、俺を覗き込んでいる上裸のおっさん。
「ぎゃあああああああ!」
「うわあああああああ!」
俺が叫び、おっさんも叫んだ。
身体に痛みが走り、俺は思わず咳き込む。
けれど、その痛みすら、どこか現実味があった。
つまり、俺は、生きている。
だが、俺が死んだことになっているなんて、この時の俺はまだ知らなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
一章完結!いやーレンとルークスどっちが主人公なのか分からないですね(笑)
ちなみに、シナリオに存在する。とあるルートの場合はもっと悲惨な状況なので、まだまだハッピーエンドですね!さてさて、上裸のおっさんとは誰なのか。気になる二章はお楽しみに!
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。