異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
凍竜レルギオンは、空気が薄く、一年を通して雪の消えない高山を好む魔物だった。
地を歩く獣は少なく、吹雪が荒れれば空を飛べない生物は巣穴から出ることさえできなくなるが、強靭な翼と冷気に耐える肉体を持つレルギオンにとって、その静けさはむしろ好ましいものだった。
誰にも邪魔されない山と、地下から絶えず染み出す濃密な魔力さえあれば、それ以上を望むことはなかった。
争いを好んでいたわけではない。
腹が減れば山を歩く獣を狩り、自らの領域へ踏み込む魔物がいれば追い払い、それでも向かってくる相手だけを返り討ちにする。
人間にとっては恐るべきSランクの魔物であっても、レルギオン自身はただ、自らが生きるために必要な場所を守っていただけだった。
その日も、いつもと変わらない一日になるはずだった。
雪原を歩いていた獣を捕らえ、肉を腹へ収めたレルギオンが巣へ戻ろうとした時、冷たい風の中に嗅ぎ慣れない臭いが混じった。
獣とも魔物とも違う臭いに気づいたレルギオンは翼を広げ、一度の羽ばたきで雪煙を巻き上げると、白い山肌を見渡せる高さまで上昇した。
眼下には、二本の脚で歩く小さな生き物が何体も集まり、吹雪に身体を揺らされながら地面へ道具を突き立てていた。
鱗もなく、牙も爪も弱く、彼らの肉体から感じられる魔力も微々たるものだったが、その小さな生き物たちが雪の下から掘り起こしていた物を見た瞬間、レルギオンの瞳が鋭く細められた。
青白い光を放つ魔想石。長い年月をかけて周囲へ魔力を放ち、凍てついたレルギオンの肉体を維持してきた、この山の一部ともいえるものだった。
二足歩行の生き物たちは、掘り出した魔想石を次々と箱へ詰め込んでいる。
レルギオンの喉の奥から、低い唸り声が漏れた。
山へ足を踏み入れただけなら、見逃していたかもしれない。食料を探していただけなら、追い払うだけで済ませていた。
しかし、自らの命を支えている石を持ち去ることだけは許せなかった。
レルギオンは翼をたたみ、白い山肌へ向かって急降下した。
「来たぞ!」
頭上から迫る巨体に気づいた人間たちが声を上げ、それぞれ武器を構えたが、レルギオンは彼らを警戒しなかった。
これまで食らってきた魔物と比べれば、感じられる魔力はあまりにも弱く、爪を一度振り下ろせば終わる存在にしか見えなかった。
「下がっておれ」
群れの奥から、一人の老人が前へ出た。
白い髭を垂らした細身の男で、手には自らの身体を支えるための物にしか見えない杖を持っている。
ほかの人間と比べても、肉体から感じられる魔力に大きな違いはなかったが、老人だけは逃げようともせず、迫りくるレルギオンを見上げて笑っていた。
「ちょうどよい。実験相手を探す手間が省けたわい」
老人が杖を向けた直後、レルギオンの視界が白く染まり、痛みを感じた時には、全身の至るところがすでに切り裂かれていた。
硬い鱗の隙間が開き、傷口から噴き出した血が、身体を伝い落ちるよりも早く凍りついていく。爪も牙も冷気も届いていないにもかかわらず、老人が杖をわずかに動かすたび、新たな傷だけが次々と刻まれていった。
レルギオンは翼を広げて上空へ逃れようとしたが、どれだけ羽ばたいても身体は持ち上がらず、周囲を囲む透明な壁へ激突するだけだった。
「ふぉふぉ。実験は成功じゃの。Sランクの魔物ですら、赤子のようじゃ」
「グルァァァァァッ!」
怒りに任せて吐き出した冷気の奔流も、透明な壁へぶつかって砕けるだけで、傷一つつけられない。
爪を叩きつけ、尾を振り回し、巨体そのものをぶつけても結界は揺らがず、暴れるほどにレルギオンの傷口だけが広がっていった。
「そう暴れるでない。今、楽にしてやろう」
老人が杖の先で雪面を叩くと、結界の内側に無数の光が生まれ、前後左右と頭上から、逃げ場を奪うようにレルギオンへ狙いを定めた。
次の一撃を受ければ死ぬ。
何をされているのか理解できるだけの知識はなくても、本能だけはその事実を正確に感じ取っていた。
レルギオンは必死に周囲を見回し、唯一光の存在しない場所が足元であることに気づくと、残されていた魔力をすべて雪へ流し込んだ。
積み重なった雪が流砂のように崩れ、巨大な身体を飲み込んでいく。
「む?」
光が降り注ぎ、雪へ沈みきれなかったレルギオンの背中を貫いた。
鱗が砕け、肉が焼け、翼の一部が裂けても、レルギオンは止まらなかった。
「ふぉふぉ。滑稽じゃ。
背後から老人の笑い声が聞こえたが、振り返る余裕などなかった。
雪を押し分け、氷を砕き、岩へ爪を立て、あの恐ろしい気配から少しでも遠ざかることだけを求めて下へ進み続けた。
どれほど深く潜ったのかは分からない。
やがて前脚をかけた岩盤が崩れ、レルギオンの巨体は暗い地下空洞へ投げ出された。
翼を動かす力は残されておらず、地面へ激突した衝撃で、傷口を覆っていた凍った血が砕け散った。
顔を上げると、暗闇の中に無数の青白い光が浮かんでいた。
壁や地面から突き出した魔想石が、鼓動するように淡い光を放っている。
先ほど人間たちが持ち去ろうとしていた物とは比べものにならないほど、空洞全体が濃密な魔力に満たされていた。
レルギオンは石へ近づこうとしたが、すでに脚は動かず、肺へ空気を取り込むことさえできなくなっていた。
あと少し。
あの石へ触れることができれば、生き延びられるかもしれない。
残された力を振り絞って伸ばした爪の先が、青白い魔想石へ触れた。
冷気を操るレルギオンが温かいと錯覚するほど、そこからは膨大な魔力が溢れていた。
身体から力が抜け、レルギオンは石へもたれかかるように倒れ込む。その意識が深い闇へ沈み始めた瞬間、死を拒む本能が肉体を動かした。
心臓の鼓動が急激に遅くなり、最後に大きく脈打つと、その表面が内側から凍り始める。
それは凍竜が死の間際にだけ使う、最後の生存能力だった。
心臓を氷の中へ閉じ込め、生命活動を極限まで低下させることで、外敵が去り、傷が癒えるまで命をつなぎ止める。
凍てついた繭の中へ命を包むような性質から、人間たちはそれを《氷繭》と呼んでいた。
心臓が完全に凍りつくと、レルギオンの意識は深い眠りへ落ちていった。
本来なら、長い時間をかけて肉体の傷が癒えた後、心臓を覆う氷も自然に解け、レルギオンは再び目を覚ますはずだった。
しかし、その場所は、ただ魔想石が多く存在する地下空洞ではなかった。
山脈の地下を流れる巨大な龍脈、その一部へレルギオンは直接触れてしまっていた。
魔想石から溢れた魔粒子が傷口へ流れ込み、裂けた肉を満たし、砕けた鱗を塞ぎ、折れた骨や翼を修復していく。
だが、それは治療でも救済でもなかった。
侵入者を排除するための器を求めていた龍脈と、死を拒むために意識を閉ざしながら肉体だけを残した凍竜。
その二つの性質が、偶然に噛み合ってしまっただけだった。
龍脈はレルギオンの肉体を再生した。
心臓が凍りついたまま、意識を持たない身体だけを作り直し、山へ踏み込む者を拒絶するための防衛装置として動かし始めた。
やがて前脚が地面を掴み、翼が広がり、巨大な身体がゆっくりと起き上がったが、凍りついた心臓は鼓動せず、閉じられた瞼の奥にレルギオン自身の意志も存在していなかった。
その肉体を動かしていたのは、侵入者を排除し、山を守ろうとする龍脈の防衛本能だけだった。
◇
長い眠りは、頭蓋を揺らすほどの衝撃によって終わった。
タケルの蹴りによって地面へ叩きつけられたレルギオンの胸の奥で、心臓を覆っていた氷に細い亀裂が走る。
亀裂は一本から二本、二本から無数へと広がり、やがて凍りついていた心臓を包み込むと、甲高い音を立てて砕け散った。
止まっていた心臓が、一度、二度と脈打つ。
長く閉ざされていた意識が、深い闇の底から浮かび上がってきた。
レルギオンが瞼を開き、最初に視界へ捉えたのは、自らを地面へ叩き伏せた男だった。
筋肉に覆われた人間の姿へ、遠い過去の記憶が重なる。
自分を傷つけた者。領域へ踏み込み、命を支える石を奪おうとした者。
人間という生物に向けた激しい怒りが胸の奥から湧き上がり、それと同時に、長い年月をかけて肉体へ染みついていた龍脈の防衛本能も目を覚ました。
レルギオン自身の怒りと、龍脈が持つ原始的な拒絶が混ざり合い、互いを増幅していく。
どこまでがレルギオン本人の意志で、どこからが龍脈の衝動なのか、もはや区別することはできなかった。
「GAAAAAAAAAAAAA!」
咆哮が地下空洞を揺らし、それに応えるように周囲を覆う結晶が一斉に青白く輝いた。
空洞のさらに下を流れる龍脈から、膨大な魔粒子がレルギオンの肉体へ流れ込む。
砕けた鱗は元の形へ戻り、傷ついた頭部が再生し、折れかけていた翼も大きく広がって空気を打ちつけた。
先ほどまでとは比べものにならないほど濃密な冷気が溢れ出し、空洞の壁や地面を瞬く間に凍らせていく。
「どうする、タケル! さっきよりも魔力が膨れ上がっているぞ!」
俺は足元を覆う氷を砕きながら叫んだ。
「分かっている。だが、恩寵が戻らない!」
「どういうことだ?」
「火龍様から与えられた試練は、先ほどの一撃で達成されたらしい。世界は、俺が一度レルギオンを討伐したと判断している」
「同じレルギオンが、目の前で立っているのにか?」
「本人の意識は戻っているわ」
バーボンが軽く舌打ちをしながら、レルギオンの足元へ視線を向けた。
地面を覆う結晶から伸びた青白い魔力の筋が、脈打つようにレルギオンの肉体へ流れ込んでいる。
「でも、あれはもうレルギオンだけじゃない。長い間、あの肉体は龍脈の防衛装置として使われていた。そこへ本人の意識が戻り、自分を傷つけられた怒りと、侵入者を排除しようとする龍脈の衝動が混ざったのよ」
「つまり、今のあいつは……」
「レルギオンの怒りで暴走している、龍脈の一部ということね」
レルギオンが翼を振るうと、無数の氷の羽が生み出され、弾丸のような速度で俺たちへ降り注いだ。
「伏せなさい!」
バーボンが両手を広げると、地面から噴き出した黒い鎖が何重にも重なり、俺たちの前へ壁を作った。
氷の羽が次々と鎖へ激突し、金属音とともに砕けた氷片が飛び散る。攻撃を受けるたび、黒かった鎖の表面が白く凍りつき、徐々に動きを鈍らせていった。
「鎖で支配できないのか!」
「あれほどの魔力を持つ相手を支配できるなら、とっくにやっているわよ。鎖を巻きつけても、あたしの魔想ごと龍脈の力に押し流されるわ」
「なら、逃げるしか――」
言葉を口にした瞬間、背後から凄まじい冷気が吹きつけた。
振り返ると、俺たちが落ちてきた穴は、光すら通さないほど分厚い氷によって完全に塞がれていた。
「……言わなければよかった」
「あら、ルークスちゃん。こういう時は、無駄なことは言わない方が身のためよ」
「次から気をつけるよ!」
レルギオンの口元へ、空洞中の魔粒子が渦を巻きながら集まり始めた。
「来るぞ!」
タケルは恩寵を使えない状態であるにもかかわらず、迷うことなく地面を蹴り、青白く輝く口元から放たれたブレスを横へ跳んでかわすと、そのままレルギオンの懐へ潜り込んだ。
「極!」
拳が胸部へ叩き込まれ、分厚い鱗が砕け、その下にある肉が大きくへこんだ。
「GRAAAA!」
レルギオンの巨体がわずかに揺れる。
だが、砕けた鱗の隙間から青白い光が溢れ、へこんでいた肉が内側から盛り上がると、破壊された鱗まで新しいものへ置き換わり、数秒も経たないうちに傷は消えていた。
「なに――」
その一瞬の動揺を逃さず、レルギオンの翼がタケルの身体を捉えた。
「タケル!」
鈍い音とともにタケルは岩壁まで吹き飛ばされ、背中から結晶へ激突すると、何本もの結晶をまとめてへし折った。
「楽しそうな戦いを、一人占めしないでほしいわね!」
バーボンが鞭のように鎖を振るう。
黒い鎖がレルギオンの顔面へ直撃し、目元の鱗を切り裂いた。さらに地面を蹴って跳び上がると、両手から生み出した鎖を何重にも束ね、巨大な剣の形へ変える。
「
身体を回転させながら振り下ろされた鎖剣がレルギオンの首へ食い込み、鱗と肉をまとめて切り裂いた。
「GRAAAA!」
レルギオンが激しく首を振り、バーボンの巨体を振り落とした。
地面へ叩きつけられたバーボンが立ち上がる間にも、首から流れていた血は止まり、裂けた肉と鱗が青白い光に包まれながら再生していく。
「なんなのよ、あの再生力。どれだけ傷つけても、すぐ元通りじゃない!」
砕けた結晶の中から起き上がったタケルは、口元から流れた血を腕で拭いながら、それでも楽しそうに笑っていた。
「これほどの相手と、己の力だけで戦えるとはな」
「喜んでいる場合じゃないだろ!」
「そうか?」
タケルは首を傾げ、それから自分の頬を強く叩いた。
乾いた音が鳴り響き、頬に赤い手形が残る。
「ルークス、考えることは君の強さだ。だが、答えが見つかるまで立ち止まるのは悪い癖だぞ」
「考えないと勝てないだろ!」
「ならば、考えながら動けばいい。時には、動かなければ見えないものもある!」
タケルは再び地面を蹴り、レルギオンへ向かっていった。
「あたしも、そういう戦い方は嫌いじゃないわ」
バーボンも鎖を鳴らしながら続く。
二人は傷を負っていた。タケルの肩には氷の羽によって裂かれた傷があり、バーボンの腕や額からも血が流れている。
それでも二人の目から戦意は失われず、むしろ追い詰められるほど、強く輝いているように見えた。
タケルがレルギオンの尾を拳で受け止め、その衝撃によって足元の岩盤が砕ける。バーボンの鎖が翼へ巻きつき、動きを止めた一瞬に、タケルの拳が腹部へ突き刺さる。
鱗が砕け、肉が裂け、血が飛び散る。
だが、次の瞬間には青白い光が傷を覆い、何もなかったかのように元の姿へ戻っていく。
傷が増えていくのは、タケルとバーボンだけだった。
それなのに、二人は止まろうとしない。なぜ、こんな状況で笑えるのだろう。
師匠もそうだった。ピンチであればあるほど、口元を上げていた。
俺が前世で読んできた物語の主人公たちも、追い詰められた時ほど笑い、自分の限界へ挑んでいた。
俺はずっと、それを死を恐れない者だけが持つ勇気なのだと思っていた。
けれど、自分が一度死んだからこそ分かる。
死は怖い。
何が起きるのかも分からず、それまで積み上げてきたものも、自分という存在も、すべて途切れてしまう。
もう一度経験したいとは思わない。
死を前にして、楽しさが恐怖を上回ることなど、俺にはない。
それでもタケルとバーボンは戦っている。
死ぬことを望んでいるわけではない。恐怖を感じていないわけでもない。
二人がしているのは、死ぬ覚悟ではなく、自分で選んだ行動の先にどのような結末が待っていようと、それを受け入れる覚悟なのだ。
だから迷わず、勝てるかどうかではなく、勝つために何をするかだけを考え続けられる。
「俺は……まだ死ぬことを受け入れたくない」
レルギオンの爪がタケルの肩を切り裂き、鮮血が飛び散る。
バーボンの鎖も何本か噛み砕かれ、黒い破片が宙を舞った。
それでも二人は立ち上がる。
「もう一度死ぬなんて、しばらくはごめんだ」
家族に会いたい。
レンやサラにも、俺が生きていると伝えたい。
師匠が本当に死んだのかも、まだ確かめられていない。
ここで終わるわけにはいかなかった。
「死ぬことまで受け入れる覚悟はできない。でも、戦う覚悟ならできる」
両腕へ魔想を集める。
以前、魔想を剣の形へ固定しようとしたことがある。
けれど、俺の魔想には形を維持するための魔術がないから、身体から離した瞬間に輪郭を失い、空気中へ散ってしまった。
ならば、身体から離さなければいい。
魔想だけで剣を作るのではなく、壁によって強化した腕を芯にし、その表面へ魔想を沿わせ、刃の形へ整える。
俺は両腕の皮膚、筋肉、骨へ均等に魔想を馴染ませ、黒鉄のような性質へ変えると、その表面からさらに魔想を放出した。
外へ逃げようとする魔想を押さえ込み、腕に沿うように鋭く引き延ばしていく。
透明だった輪郭が徐々に密度を増し、両手から肘にかけて、青白く輝く刃が生まれた。
完全な剣ではなく、俺の身体から離すこともできない。
それでも、この刃ならレルギオンの鱗を貫き、その内部へ直接魔想を流し込める。
「
両腕を構え、レルギオンを見据える。
「行くぞ、レルギオン!」
俺は地面を蹴った。
怒りに染まったレルギオンの瞳が俺を捉え、翼を振るう。
弾丸のような氷の羽が降り注いだが、横から伸びたバーボンの鎖が次々と打ち落とし、砕けた氷が視界を白く染めた。
「ルークスちゃんに触れさせると思って?」
氷片の中を突き進む俺へ、レルギオンが前脚を振り上げる。
「極心三絶――
タケルの拳が前脚へぶつかり、その軌道を外へ逸らした。
巨大な爪が頭上を通過する。
「行け、ルークス!」
「ああ!」
レルギオンの懐へ潜り込み、先ほどタケルが拳を当てた胸部へ狙いを定めると、再生した鱗の隙間へ右腕の刃を突き刺した。
「うおおおおおっ!」
硬い感触が腕を伝い、青白い刃が鱗を割り、その下の肉へ深く食い込んでいく。
「GRAAAA!」
レルギオンが身体を大きくひねり、俺を振り落とそうとした。
俺は左腕の刃も突き刺し、身体ごとしがみつく。
傷口から青白い光が溢れ、裂けた肉が盛り上がりながら、俺の刃を押し出そうとした。
再生が始まっている。刃を刺すこと自体が目的ではない。
この刃は、俺の魔想をレルギオンの内部へ届けるための道だ。
「転!」
両腕から、レルギオンの体内へ魔想を流し込む。
本来なら、相手の内部を巡る魔想と衝突させ、内側から破壊する技だった。
しかし、異変はすぐに起きた。傷が深くならない。
それどころか、俺が刺した部分の肉が急速に盛り上がり、先ほどよりも速く傷を塞ぎ始めた。
「なんだ……?」
俺が流し込んだ魔想は弾かれず、消えてもいない。
レルギオンの体内へ吸収され、そのまま再生のために使われている。
傷が塞がった瞬間、足元にある結晶が強く輝き、地面の奥から新たな魔力がレルギオンへ流れ込んだ。
タケルが尾を殴り、鱗を砕く。その直後、結晶が脈打ち、傷が塞がる。
バーボンの鎖が翼を切り裂けば、再び地面が輝き、裂けた翼が元へ戻る。
違う。
レルギオン自身が再生しているのではない。
この山が、レルギオンを再生させている。
龍脈が傷ついた肉体へ魔力を送り続け、絶えず修復している。
だが、いくら龍脈に膨大な力があっても、それを受け止めるレルギオンの身体は一つしかない。
器には限界がある。
今は攻撃と再生を繰り返し、送られてくる魔力を消費することで、かろうじて肉体の均衡を保っている。
もし、龍脈から送られる魔力に加え、俺が外からさらに大量の魔想を流し込んだらどうなる。
レルギオンの肉体が一度に処理できる量を超えたなら。
「そうか……」
龍脈から送られる魔力を止めることはできない。
ならば、逆に溢れさせればいい。
この身体が受け止められないところまで、さらに魔想を流し込む。
「タケル! バーボン! レルギオンの動きを止めてくれ!」
「策があるのか!」
「ある。俺を信じてくれ!」
レルギオンの尾が振るわれ、人体など簡単に潰せる巨大な棘が俺の眼前へ迫った。
「壁!」
タケルが間へ割り込み、両腕を交差させて尾を正面から受け止めた。
衝撃によって足元の岩盤が砕け、両腕から血が噴き出しても、タケルは尾を離さなかった。
「やれ、ルークス!」
レルギオンが翼を大きく広げる。
「あたしも混ぜなさいよ!」
バーボンの鎖が翼と胴体へ何重にも巻きついた。
一本、二本では足りず、数十本もの鎖が巨大な身体を縛りつける。
バーボンの足が地面を滑り、鎖を握る両腕の筋肉が膨れ上がった。
「長くは持たないわよ!」
「十分だ!」
俺は両腕から流し込む魔想を一気に増やした。
レルギオンの身体が大きく震え、傷口が異常な速度で再生していく。
盛り上がった肉が刃を押し出そうとするたび、さらに魔想を足し、押し返されるよりも早く深く内部へ流し込む。
龍脈から魔力が送られ、俺も魔想を流す。
二つの力が、レルギオンという一つの器へ押し込まれていく。
「GAAAAAAAAAAAA!」
苦しげな咆哮とともに、身体の内側から青白い光が漏れ始めた。
鱗と鱗の隙間、傷口、口元、瞳の端から、行き場を失った魔力が噴き出している。
再生したはずの胸部が内側から膨れ上がり、皮膚が裂ける。裂けた場所を塞ぐため新たな肉が作られるが、それも溜まり続ける魔力に耐えきれず、別の場所から破裂した。
再生すればするほど身体の中へ魔力が溜まり、溜まった魔力を消費して再生すると、龍脈が失われた分を補うようにさらに魔力を送り込んでくる。
循環は止まらない。
俺が魔想を流し込むほど、その速度は増していく。
「もっとだ……!」
肺が焼けるように痛み、両腕の感覚が薄れていく。
魔力炉が悲鳴を上げていたが、魔想の生成を止めるわけにはいかなかった。
「まだ足りない!」
レルギオンが激しく暴れ、尾を押さえているタケルの足が地面から浮き、バーボンの鎖も一本、また一本と引きちぎられていく。
「ルークス!」
「止めるな! こいつが溢れるまで、全部流し込む!」
胸部の奥、凍りついていた心臓の周囲から、ひときわ強い光が漏れた。
龍脈から送られる魔力が、そこへ集中している。
おそらく、レルギオンと龍脈が最も深くつながっている場所。
俺は右腕の刃をさらに深く突き込み、残された魔想をすべて流し込んだ。
「うおおおおおおおおおおっ!」
胸の奥で、何かが小さく弾けた。
直後、レルギオンの全身を走っていた青白い光が一斉に強くなり、鱗が浮き上がり、肉体が内側から膨張していく。
次の瞬間、胸部が破裂した。
青白い光と血が地下空洞へ噴き上がり、レルギオンの絶叫が周囲を揺らす。
胸部から生まれた亀裂は背中、翼、尾へと広がり、龍脈から送り込まれた魔力が、行き場を失って全身の至るところから噴き出した。
地面からレルギオンへ伸びていた魔力の筋が、一本ずつ断ち切られていく。
龍脈との接続が切れ、それまで傷を修復していた青白い光が急速に薄れていった。
レルギオンの巨体から力が抜ける。
怒りに染まっていた瞳が、わずかに揺れた。
そこに浮かんでいた殺意が消え、代わりに現れたのは、長い眠りから目覚め、自分の身体すら思うように動かせなかった一匹の竜の困惑だった。
レルギオンはゆっくりと顔を上げ、地下空洞の天井を見つめた。
その向こうにある、雪に覆われた空を探すように。
口から細い息が漏れる。
それが最後だった。
巨大な身体が地面へ崩れ落ち、空洞全体が大きく揺れた。
周囲の結晶が遅れて砕け落ちたが、龍脈からレルギオンへ魔力が流れることはもうなく、空間を満たしていた冷気も少しずつ薄れていった。
「終わった……」
そう呟いた瞬間、両腕を覆っていた魔想の刃が消えた。
魔想を使い切った身体から力が抜け、糸の切れた人形のように前へ倒れる。
地面へぶつかる直前、誰かの腕が俺の身体を受け止めた。
「見事だったぞ、ルークス」
タケルの声が聞こえる。
その向こうから、バーボンのため息も聞こえた。
「まったく。無茶をする子ね」
返事をしようとしたが、口を動かす力さえ残されていなかった。
視界が暗くなっていく。
最後に見えたのは、光を失ったレルギオンの瞳だった。
もう、そこに怒りは残っていなかった。
俺はそれを確かめると、静かに目を閉じた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
過去一長い回。流石に疲れました。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。