異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
目を開けると、視界の左右を二つの巨大な筋肉が塞いでいた。
「目が覚めたか、ルークス」
「よかったわ、ルークスちゃん。本当に心配したんだから」
片方は見慣れたタケルの顔で、もう片方は濃い化粧と分厚い胸板を持つバーボンだった。
つい数日前までなら、目覚めた瞬間にこの二人へ囲まれている光景など悪夢以外の何物でもなかったはずなのに、今の俺はその異様な圧迫感に、わずかな安心を覚えてしまっている。
いつから俺の異世界生活は、これほど筋肉の濃度が高くなってしまったのだろう。
「……おはよう、二人とも」
「まったく、無茶ばかりするんだから。あなたが急に倒れた時は、あたしの心臓まで止まるかと思ったわよ」
バーボンは大げさに胸元を押さえながら言ったが、その目に浮かんでいる安堵は演技ではなさそうだった。
俺は身体を起こそうと肘へ力を込めたものの、腕は自分のものではないように震えるだけで、上半身を持ち上げることすらできなかった。
特に両腕は、骨の奥まで鉛を流し込まれたように重く、指を曲げようとするだけでも鈍い痛みが走る。
「あれ……まだ寝ぼけているのか?」
「寝ぼけているんじゃないわ。あなた、三日間も眠り続けていたのよ」
「み、三日!?」
驚いて無理に身体を起こそうとした瞬間、地下空洞の静けさを壊すように、俺の腹が場違いなほど大きな音を鳴らした。
タケルが豪快に笑い、バーボンも口元へ手を当てながら肩を揺らす。
「身体は正直ね。先に何か食べた方がよさそうだわ」
「……お願いします」
恥ずかしさはあったが、腹が空いているのは事実だった。
バーボンが差し出した器の中には、薄く切った肉と細かな野草の入ったスープが注がれていた。
味はかなり薄かったものの、冷え切った身体の奥へ熱が染み込んでいく感覚があり、一口飲むたびに、止まっていた身体が少しずつ動き始めるようだった。
しばらく黙ってスープを口へ運んだ後、俺は最初に確認しなければならないことを尋ねた。
「レルギオンは?」
タケルとバーボンの表情から、わずかに笑みが消えた。
目を閉じる直前に見た光景が、頭の中へ蘇る。
怒りに染まっていた瞳から殺意が薄れ、地下空洞の天井を見上げていたレルギオン。
あの時の瞳には、俺たちへの憎しみではなく、自分がどこにいるのかすら分からないような困惑が浮かんでいた。
「死んだよ」
タケルは、いつもの豪快さを少し抑えた声で答えた。
「龍脈とのつながりが切れた後、再び起き上がることはなかった。ルークスは、あの竜の暴走を確かに止めたんだ」
「そうか……」
討伐できたことを喜ぶべきなのかもしれない。
レルギオンを放置していれば、俺たちだけでなく、いずれ山を下りた先の人々まで被害を受けていた可能性がある。
龍脈の防衛本能と怒りが混ざり合ったあの状態では、話し合うことも、逃がすこともできなかった。
それでも、レルギオンが最初から人間を憎んでいたわけではないことを、俺はあの戦いの中で何となく感じていた。
自分の領域を守り、奪われることへ怒り、死を拒んだ結果として龍脈に利用された。
俺がしたことは正しかったのだと思う。
だが、正しいことをしたからといって、何も感じずにいられるわけではなかった。
「龍脈の方はどうなった?」
「落ち着いているわ」
バーボンがスープの入っていた器を受け取りながら答えた。
「あなたが壊したのは龍脈そのものじゃなくて、レルギオンとの間にできていた異常な接続よ。あの竜へ集中していた魔粒子は、今では地下全体へ分散している。しばらくはこの辺りの魔物も活発になるでしょうけど、少なくとも、さっきみたいな暴走がすぐ起きることはないわ」
「よかった」
俺は小さく息を吐き、背中を岩壁へ預けた。
タケルが俺の顔を見ながら、満足そうに頷く。
「それにしても見事だったぞ、ルークス。まさか龍脈から流れ込む魔力を利用し、レルギオンの器を内側から崩すとはな」
「俺一人じゃ無理だったよ。タケルが尾を止めて、バーボンが翼を縛ってくれなかったら、刃を刺すことすらできなかった」
「それでも、最後に答えを見つけたのは君だ」
タケルの大きな手が俺の頭へ置かれ、髪を乱すように何度も撫で回した。
加減はしているのだろうが、弱った身体では首ごと揺らされる。
「やめろ、頭が揺れる」
「ハハハハハ! それだけ話せるなら、もう心配はいらないな!」
「まだ長時間立つこともできないんだけど」
「謙遜するな、ルークス。君は強いぞ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は反射的に否定しそうになった。
実際、俺一人ではレルギオンに勝てなかった。
タケルやバーボンと比べれば、戦士としての技量も経験も足りていないし、刃纏も偶然に近い形で完成しただけで、今すぐもう一度使えと言われても成功する自信はない。
けれど、あの時レルギオンへ刃を突き刺し、最後まで魔想を流し続けたのは、間違いなく俺だった。
誰かの力を借りたからといって、俺が何もしていないことにはならない。
以前の俺なら、他人に支えられた勝利を自分のものとして認めることに、妙な抵抗を感じていただろう。
だが、一人では届かないものを、誰かと一緒に乗り越えることも強さなのかもしれない。
「……ありがとう」
俺が素直に答えると、タケルは一瞬だけ目を丸くした後、さらに嬉しそうに笑った。
「あらあら、少し見ない間に素直になったじゃない」
「余計なことを言うな」
「でも、本当に驚いたわよ」
バーボンは腕を組み、俺を観察するように目を細めた。
「龍脈によってレルギオンが強化されていたのは分かっていたけれど、あの場所では、あたしたちの魔想の生成量も普段より増えていたの。空洞全体の魔粒子濃度が高かったから、魔力炉が普段以上に魔粒子を取り込めたのよ」
「そうだったのか」
「まさか、気づかずにやっていたの?」
バーボンは目を見開いた。
「俺はただ、魔想が尽きるまで流し込むつもりだった」
「本当に無茶な子ね。普通の人間なら、増えた魔粒子を処理しきれずに魔力炉を壊しているところよ。あなたの魔力炉が異常に鍛えられていたから耐えられたけど、それでも三日間眠るほど消耗しているんだから、次も同じことができると思わない方がいいわ」
言われて、自分の胸へ意識を向ける。
魔想を生成しようとすると、胸の奥にある魔力炉が鈍く痛んだ。空になった器へ無理に水を流し込もうとしているような感覚があり、今は少量の魔想さえ思うように動かせない。
「あの技は、しばらく禁止ね」
「俺もそう思う」
タケルと話していると、バーボンが自分の分厚い胸板の間へ手を差し入れ、何かを探るように指を動かした。
何をしているのかと見ていると、やがて一枚の黒いカードを取り出す。
そもそも、なぜそこへ物を収納できるのか。
異世界の魔術よりも、今はその構造の方が気になった。
「はい、ルークスちゃん。今回のお礼よ」
「これは?」
差し出されたカードを受け取る。
手のひらほどの大きさで、表面にはバーボンの鎖を模した紋章が刻まれ、裏側には細かな魔術式らしき線が幾重にも重なっていた。触れているだけで、カードの内部にわずかな魔力が流れているのが分かる。
「AZ財団が作った、一度きりの召喚札よ。割るか、魔想を流しながらあたしの名前を呼べば、登録された転移術式が発動して、あたしへ合図が届くわ」
「バーボンを召喚できるのか?」
「正確には、あたしが応じられる状態なら、その場所へ転移できるカードね。別の任務中だったり、転移を妨害する結界の中だったりすれば使えないし、転移できても長時間は残れないけれど、それでもSランク冒険者を一度だけ呼べる権利なんて、お金をいくら積んでも簡単には買えないわよ」
かなり条件はあるようだが、それでも価値が高いことに変わりはない。
バーボンほどの戦力を必要とする状況など、できれば二度と経験したくない。だが、ノアーク教団やミシェルと再び戦うことを考えれば、これほど心強い切り札もなかった。
「どうして、これを俺に?」
「あたし、借りを作ったままにするのが嫌いなのよ」
バーボンは軽く肩をすくめた。
「今回の依頼はレルギオンの確保だったけれど、あのまま暴走していたら、死体すら回収できなかったでしょうね。あなたが止めたおかげで、財団としても十分な成果を得られたわ」
「死体は財団が持っていったのか?」
「ええ。あなたが眠っている間に回収班を呼んで、すでに運ばせたわ」
「何に使うんだ?」
俺が尋ねると、バーボンは一瞬だけ口を閉ざした。
「詳しいことは、あたしの担当じゃないわ。龍脈と融合した竜種なんて滅多に手に入らないから、研究価値はかなり高いでしょうね」
「研究……」
何となく、胸の奥へ小さな違和感が残った。
龍脈と融合したレルギオンの死体を、財団が何に使うのか。
バーボン自身に悪意があるとは思わないが、組織全体まで信用できるかは別の問題だった。
俺の表情から考えていることを察したのか、バーボンはわずかに目を細める。
「心配しなくても、今のところはただの研究資料よ」
「今のところは?」
「あら。言葉の綾よ」
笑ってごまかされたが、完全に気にしないというわけにはいかなかった。
それでも、今の俺には財団の研究へ口を出す立場も力もない。
カードを握りしめ、俺はバーボンへ視線を戻した。
「ありがたく使わせてもらうよ」
「いつでも待っているわ。とはいっても、できれば少しは平和な場所へ呼んでちょうだいね」
「戦闘以外で呼んでも来るのか?」
「あなたが大人になってからなら、喜んで」
「やっぱり戦闘の時だけにする」
バーボンは楽しそうに笑い、俺の頭を乱暴に撫でた。
「それと、そのカードはあなたの身分証明にもなるわ。この洞窟の出口は財団が封鎖しているけれど、見せれば止められないはずよ」
「何から何まで悪いな」
「あたしの方こそ、レルギオンの素材だけじゃなく、あなたたちみたいな面白い男に出会えたんだもの。今回の依頼は大当たりよ」
バーボンは立ち上がり、身体へ巻きついていた鎖を軽く鳴らした。
「それじゃあ、あたしは回収班と合流して報告へ戻るわ」
「もう行くのか?」
「仕事が残っているもの。それに、あたしがずっといたら、タケルちゃんが寂しくて泣いちゃうでしょう?」
「君との戦いは楽しかった。また拳を交えたいものだ」
「あら、そっち?」
少し不満そうに頬を膨らませた後、バーボンは俺たちが進むべき出口とは反対側の道へ足を向けた。
「ルークスちゃん。次に会う時まで、もっといい男になっていなさい」
「当然だ」
バーボンは足を止めたものの、こちらを振り返らなかった。
「生きて会うの。次もね」
それだけ言うと、片手を高く上げて振りながら、暗い通路の奥へ歩いていった。
黒い鎖が地面へ触れる音が徐々に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなる。
「あはは……本当に嵐みたいな人だったな」
「実に愉快な戦士だった」
タケルは心から名残惜しそうに頷いた。
「また会いたいか?」
「戦うだけなら」
「俺も同じだ」
意外なところで意見が一致した。
◇
目を覚ました後も、すぐに出発することはできなかった。
両脚へ力が戻るまでに一日かかり、自力で立てるようになってからも、数歩進むだけで目眩がして座り込んでしまった。
特に両腕は損傷がひどく、魔想を流そうとすると、刃纏(オーラ・ブレード)を維持していた筋肉や骨の奥が焼けるように痛んだ。
タケルは俺が少しでも修行を再開しようとすると、普段では考えられないほど厳しい顔で止めた。
「鍛錬とは、壊れた身体をさらに壊すことではない。休むべき時に休むのも修行だ」
「タケルから、そんな常識的な言葉を聞くとは思わなかった」
「俺を何だと思っている?」
「全身筋肉男」
「間違ってはいないな!」
胸を張るタケルを見て、少しだけ安心した。
結局、俺たちはその場所でさらに三日間休み、俺が一人で歩ける程度まで回復してから、バーボンに教えられた道を進んだ。
地下洞窟は、不自然なほど静かだった。
以前はレルギオンの冷気と龍脈の力に引き寄せられた魔物がいたのかもしれないが、今は気配すら感じられない。
壁を覆う青白い結晶も、戦いの時のような激しい輝きを失い、わずかな光で足元を照らしているだけだった。
数時間ほど歩いたところで、前方に人工的な柵と門が見え、その奥には同じ紋章を付けた数人の男たちが立っていた。
「おや?」
俺たちに気づいた一人が、警戒するように手を上げた。
「この先はAZ財団の管理区域です。内部へ立ち入れるのは、許可を受けた者だけのはずですが、あなた方はどちらの所属ですか?」
「俺たちはバーボンの知り合いだ」
俺が黒いカードを見せると、男の表情が一変した。
カードの紋章へ小型の魔導具を近づけ、内部の魔力を確認すると、慌てたように姿勢を正す。
「失礼いたしました。バーボン様のお知り合いでしたか」
男は後ろの職員へ目配せし、門を開かせた。
「どうぞ、お通りください。外へ出た後も、しばらくは財団の調査区域となっていますので、道を外れないようお気をつけください」
「分かった。ありがとう」
門を抜け、長い斜面を上っていく。
先へ進むほど空気が変わっていき、湿った岩と魔想石の臭いに混じって、草木や土の匂いが少しずつ強くなった。
やがて通路の先に白い光が見える。
俺は無意識に歩調を速めた。
一週間以上ぶりに外へ出た瞬間、冷たい風が顔へ吹きつけ、眩しい日差しが目の奥まで差し込んできた。
「まぶしい……」
目を細めながら、それでも空を見上げる。
地下空洞で見ていた青白い光とは違う、どこまでも続く青空が広がっていた。
胸いっぱいに空気を吸い込む。
冷たく、少し土と草の臭いが混ざっただけの空気なのに、これまで口にしたどんな食事よりも美味しく感じられた。
「外の空気って、こんなに美味かったんだな」
「うむ。山の空気は格別だ!」
タケルは山の向こうへ目を向けてから、俺の前へ立った。
「ルークス」
「なんだ?」
「君のおかげで、俺は三年間達成できなかった試練を終えることができた」
タケルは拳を胸元へ当て、いつもの軽さを消した真剣な表情で頭を下げた。
豪快で、自信に満ち、どれほど強い相手にも笑って立ち向かうタケルが、俺へ対して深く頭を下げている。
「改めて礼を言う。ありがとう」
「俺の方こそ、助けてもらったし、極心流まで教えてもらった。タケルがいなければ、ここまで来られなかったよ」
「だからこそ、君を俺の故郷へ招待したい」
タケルは顔を上げ、山脈のさらに先を指した。
「火龍の里へ来い、ルークス。火龍様へ試練達成の報告をした後、君を里の戦士たちへ紹介したい」
「それは助かる。正直、今の俺には行く当てもないし、ここがゴルゴン王国からどれくらい離れているのかも分からないからな」
「なら決まりだ!」
タケルは満面の笑みを浮かべ、俺の背中を強く叩いた。
傷が完全に治っていない身体へ衝撃が走り、俺はその場で膝をついた。
「今の状態で叩くな!」
「すまん! 喜びが腕へ出てしまった!」
「その腕を少し制御しろ!」
こうして、俺たちは火龍の里を目指すことになった。
◇
タケルの話では、火龍の里まで本来なら二週間ほどで到着するはずだった。
だが、実際にかかった時間は二か月だった。
理由はいくつかある。
俺の身体が完全に回復しておらず、一日に進める距離が短かったこと。
火山活動の影響で普段使っていた道が塞がり、何度も大きく迂回したこと。そして何より、タケルが自分で思っていた以上に方向音痴だったことだ。
「この岩は昨日も見た気がするんだけど」
「山には似た岩が多いからな!」
「この岩、俺が昨日傷をつけたんだけど」
「偶然だろう!」
「偶然で同じ傷のある岩が二つも存在するか!」
本来の道へ戻るまでに三日かかった時、タケルは最後まで自分が迷ったことを認めなかった。
とはいえ、二か月の旅は悪いことばかりではなかった。
俺は身体の回復を確認しながら、
レルギオン戦で使った時は、両腕を壁で強化し、その表面へ膨大な魔想を無理やり押しつけ、刃の形を保っていた。そのため消耗が激しく、腕への負担も大きかった。
今は、必要な場所だけを壁で補強し、薄い刃を作ることで、以前より少ない魔想でも形を維持できるようになっていた。
最初は数秒で崩れていた刃も、旅の終わり頃には一分程度なら維持できる。
「刃纏(オーラ・ブレード)!」
両腕へ薄い刃を作り、襲ってきた狼型の魔物の爪を受け流す。
そのまま懐へ入り、刃で肩口を切り裂いた。
深追いせず距離を取ると、タケルが満足そうに腕を組んでいた。
「以前より、ずいぶん滑らかになったな」
「まだ攻撃を受けると形が崩れるけどな」
「最初から完璧である必要はない。自分の力として使い続ければ、やがて身体の一部になる」
タケルの言葉を聞きながら、俺は消えかけた刃を見つめた。
魔術回路がないことを、俺はずっと欠点だと思っていた。
けれど、極心流を学び、自分の魔想だけで作ったこの刃は、俺にしか使えない技になりつつある。
まだ誰かに誇れるほど完成してはいない。
それでも、何も持たないと思っていた俺が、自分だけの戦い方を見つけ始めている。
その事実は、以前よりも少しだけ、自分を信じさせてくれた。
山を下り、森を抜け、川を渡り、何度も魔物と戦いながら進む。
途中で小さな集落や街に立ち寄ることはなく、外の情報を得ることもできなかった。
家族は今頃、俺が死んだと思っているかもしれない。
レンやサラも、王都へ向かったのだろうか。
師匠は本当に、あの滝の上で死んだのか。
考え始めると、今すぐにでもゴルゴン王国へ戻りたくなる。
だが、道も分からず、身体も完全ではない状態で一人動いても、途中で力尽きるだけだ。
まずは火龍の里へ行き、外へ連絡を取る方法を探す。
焦って無謀に動くのではなく、帰るために必要な道を確かめる。
それが、今の俺にできる最善だった。
◇
二か月目の終わり。
森を抜けた瞬間、前方を歩いていたタケルが足を止めた。
吹きつける風には、かすかに硫黄と灰の臭いが混じっている。
地面も、それまでの柔らかな土ではなく、黒く焼けた岩へ変わっていた。
タケルは遠くを見つめたまま、懐かしそうに目を細める。
「ようやく戻ってきた」
その声に導かれるように視線を上げる。
森の向こうには、空を押し上げるほど巨大な火山がそびえていた。
山頂付近は黒い煙に覆われ、赤い光を帯びた雲がゆっくりと渦を巻いている。山肌の一部には溶岩が細い川のように流れ、その熱によって周囲の空気が歪んでいた。
火山の麓には、黒い岩を積み上げて作られた家々が並んでいる。
それほど大きな集落ではない。
だが、里の中からは絶えず地面を叩くような音と、男たちの掛け声が響いていた。
巨大な岩を一人で運ぶ男。
自分の背丈ほどもある剣を振るう女性。
素手で魔物の骨を割っている老人。
広場では、まだ幼い子どもたちが互いの拳をぶつけ合い、倒された方も泣くどころか笑いながら立ち上がっていた。
男性の多くは上半身を晒し、女性も動きを妨げない薄い衣服を身につけている。誰もが鍛えられた肉体を持ち、里全体が巨大な修練場のようだった。
タケル一人がおかしいのではない。
タケルは、この里では普通だったのだ。
「ここが……火龍の里」
俺が呆然と呟くと、近くで巨大な岩を持ち上げていた老人がこちらへ振り返った。
老人はタケルの姿を見つけた瞬間、岩を放り投げるように地面へ置き、里中へ響き渡る声を上げた。
「タケルが帰ってきたぞ!」
その一声で、里のあちこちから人々が顔を出した。
「試練はどうなった!」
「三年も何をしていた!」
「隣の細い少年は誰だ!」
里人たちが集まり、タケルの身体を叩き、腕を掴み、試練の結果を尋ねる。その歓迎は殴り合いにしか見えず、俺は巻き込まれないように少しずつ後ろへ下がった。
そんな俺の肩へ、タケルの大きな手が置かれる。
「皆、聞いてくれ!」
タケルが声を張り上げると、騒がしかった里人たちが一斉にこちらへ顔を向けた。
「俺は凍竜レルギオンを討ち、火龍様の試練を達成した!」
大きな歓声が上がる。
タケルはその中で、俺を前へ押し出した。
「そして、それを成し遂げられたのは、この男がいたからだ!」
数十人の筋肉質な男女から、一斉に視線を向けられる。
逃げ出したい。
だが、タケルは誇らしそうに笑っていた。
「名はルークス! 俺の友にして、共に竜を倒した戦士だ!」
一瞬の静寂が訪れた。
次の瞬間、里人たちの目が一斉に輝いた。
「竜を倒しただと!」
「その細い身体でか!」
「ならば実力を見せてもらおう!」
「まずは俺と戦え!」
「いや、私が先だ!」
周囲から次々と拳が上がる。
俺は背後にそびえる火山と、目の前に集まった戦士たちを見比べた。
ようやくたどり着いた場所だというのに、安息とは程遠い気配しかしない。
「なあ、タケル」
「なんだ、ルークス」
「俺、まだ怪我人なんだけど」
「安心しろ。里の者も加減くらいはできる!」
「その言葉、今まで一度も安心できたことがないぞ!」
俺の叫びに、里中から大きな笑い声が上がった。
こうして俺は、火龍の里へ足を踏み入れた。
静かな休息を得られる場所ではなく、身体がいくつあっても足りなさそうな、戦士たちの故郷へ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
筋肉の里到着!
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。