異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件   作:berunarudo

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第四十一話 裏の眼

 

 火龍の里には、戦士に守られるだけの民が存在しなかった。

 

 朝になれば子どもたちが広場で拳を振るい、昼になれば大人たちが魔物を狩り、日が沈んだ後も老人たちが巨大な岩を担いで坂道を往復している。

 武器を作る職人も、食事を用意する者も、怪我人の手当てをする者も、その役割を終えれば当たり前のように身体を鍛え始める。

 そのため、里で暮らしている者は例外なく戦士であり、最低でもBランク冒険者に匹敵する力を持っている。

 

 普通の国では、民を守るために兵士や騎士が必要になる。

 だが、この里には守られるだけの者がいない。

 

 山賊が襲ってきたところで、家から出てきた老人や主婦に返り討ちにされるだろうし、軍隊を送り込んだとしても、里全体を相手に戦わなければならない。

 人口こそ少ないものの、Bランク以上の戦士しか存在しない集落など、好き好んで襲おうとする者はいないはずだった。

 

 ただし、誰もが強いからといって、火龍の里が完璧な共同体というわけではない。

 この里には王も、軍を指揮する将軍もいなかった。

 里人たちは一人ひとりが優れた戦士である一方、集団で戦うための戦略を考えることは苦手であり、問題が起きれば拳で解決しようとする傾向がある。

 そんな彼らを導いてきたのが、里で唯一、戦士としての力を持たない女性――火龍の御子だった。

 未来を見通す火龍の眼によって危険を事前に察知し、魔物の襲来や噴火の時期を里人へ伝えることで、御子は強者ばかりの里を守り続けてきた。

 力を持たない者が、最も強い者たちを導く。

 それが火龍の里という共同体だった。

 

     ◇

 

「おいおい、タケル! また上腕二頭筋が大きくなったんじゃないか!」

「いや、見ろ。以前より大腿四頭筋の厚みが増している。まるで鋼鉄の柱だ!」

「大胸筋も忘れるんじゃないよ。もはや胸が歩いているようなものじゃないか!」

 

 里へ入ってから、タケルは瞬く間に大勢の男女へ囲まれていた。

 里人たちは再会を喜ぶよりも先にタケルの腕や胸、背中へ手を触れ、以前と比べてどの筋肉が成長しているのかを真剣な表情で語り合っている。

 タケルも止めるどころか、自分の筋肉を最も美しく見せる角度を探すように次々と姿勢を変え、両腕を持ち上げて上腕二頭筋を強調したかと思えば、今度は背中を向けて肩甲骨周辺の筋肉を盛り上げた。

 そのたびに里人たちから大きな歓声が上がる。

 前世のテレビで見たボディービルの大会によく似ていたが、違うのは観客側も全員、出場者と同じくらい鍛えられていることだろう。

 

「見ていたら身体が熱くなってきた! 俺も鍛えるぞ!」

「わしもまだ若い者には負けられん!」

「僕もお兄ちゃんみたいな筋肉になる!」

 

 タケルの筋肉に刺激された里人たちは、その場で一斉に腕立て伏せやスクワットを始めた。

 広場のあちこちで地面を踏みしめる音が響き、掛け声とともに筋肉が盛り上がり、さっきまで帰還を祝う場所だったはずの広場は、瞬く間に大規模な鍛錬場へ変わってしまった。

 これが一番恐ろしい。

 タケル一人なら、まだ距離を取れば済む。

 しかし、この里では一人が筋肉を見せると、周囲の者まで対抗心を刺激されて身体を鍛え始め、その様子を見た別の者がさらに参加するため、筋力鍛錬が病のように広がっていく。

 俺は騒ぎの中心から少しずつ後退した。

 

 先ほどは、タケルから共にレルギオンを倒した戦士だと紹介されたせいで、何人もの里人から手合わせを申し込まれた。

 怪我が完全に治っていないと説明しても、「ならば片腕だけで戦おう」「こちらも重りを背負えば公平だ」と妙な配慮をされ、最終的には全部タケルへ押しつけることで何とか逃げ出している。

 ここで目立てば、また思い出される。

 今はできるだけ、景色の一部になっていたかった。

 

「はっ! すまない、ルークス。俺の筋肉も、里の皆と別れて寂しかったようだ!」

「だ、大丈夫だよ。タケルはみんなとの再会を楽しんでくれ。俺のことは気にしなくていいから」

 

 筋肉に意思があるかのような発言へ突っ込む余裕はなかった。

 下手なことを言って注意を向けられれば、広場で鍛えている全員から歓迎の組手を申し込まれかねない。

 俺は視線を逸らし、鍛錬に夢中になっている里人たちの向こうへ逃げ道を探した。

 

「兄上。お戻りになったのですね」

 

 騒がしい掛け声の中へ、静かな女性の声が入り込んだ。

 不思議なことに、大声ではなかったにもかかわらず、その声は広場にいる全員の耳へ届いたらしい。

 腕立て伏せをしていた者も、岩を持ち上げていた者も、姿勢を変え続けていたタケルも動きを止め、同じ方向へ顔を向けた。

 そこに立っていたのは、周囲の戦士たちとは明らかに雰囲気の異なる女性だった。

 長い黒髪を背中へ流し、火山灰の舞う里には似つかわしくないほど綺麗な白い着物を身につけている。

 肌は日に焼けておらず、腕も脚も細い。タケルだけでなく、里の一般的な女性と比べても、身体を鍛えているようには見えなかった。

 何より目を引いたのは、その両目を覆っている白い布だった。

 視界を完全に塞いでいるはずなのに、女性は杖も使わず、足元を確かめることもなく、迷いのない足取りでこちらへ近づいてくる。

 

「おお、帰ったぞ、ヒミコ!」

 

 タケルが両腕を広げ、地面が揺れるほどの勢いで駆け出した。

 しかし、ヒミコと呼ばれた女性は、正面を見られないはずなのに、タケルが抱きつく直前に半歩だけ横へ移動した。

 行き場を失ったタケルは、そのまま地面へ飛び込み、両腕で土を抱きしめる。

 

「どうして避けるのだ、ヒミコ!」

「兄上の胸板は硬いのです。まともに抱きつかれれば、私の骨が折れてしまいます」

「むむ……筋肉が落ち込んでしまうではないか」

「兄上が落ち込んでいるのか、筋肉が落ち込んでいるのか、どちらなのでしょう」

 

 ヒミコの声音は穏やかだったが、兄に対する扱いには一切の容赦がなかった。

 タケルは残念そうに立ち上がると、胸を慰めるように両手で撫でている。

 これがタケルの妹なのか。

 同じ血を引いているとは思えないほど、二人の雰囲気は違っていた。

 タケルが燃え盛る炎なら、ヒミコは静かな水面のように見える。

 ただし、目を布で覆っているにもかかわらず、ヒミコの顔は正確に俺の方へ向けられていた。

 

「俺の名前は――」

「ルークスさんですね」

「え?」

 

 名乗ろうとした言葉を先に言われ、俺は口を開いたまま固まった。

 

「どうして俺の名前を知っているんだ?」

「ふふ。あなたの姿は、これまで何度も見てきましたから」

「俺を?」

 

 里中に響くほどタケルが名前を叫んでいたのかと思ったが、ヒミコは「聞いた」のではなく「見た」と言った。

 しかし、俺が火龍の里へ来たのは今日が初めてである。

 それ以前に、ヒミコは目を布で覆っていた。

 何を見たというのだろう。

 

「ああ、説明を忘れていたな!」

 

 地面の土を払ったタケルが、何でもないことのように口を挟む。

 

「俺の妹は、火龍の眼を持っているのだ」

「火龍の眼?」

「なんだ、ルークスは知らないのか。火龍の眼は、未来を見ることができる」

「だから俺の名前を知っていたのか?」

「兄上は、いつもすべてを話してしまうので面白くありません」

 

 ヒミコが不満そうに頬を膨らませる。

 

「すまない! ハハハハハ!」

「兄上は、謝りながら笑う癖を直した方がよいと思います」

 

 どうやらタケルは、俺と出会う前から妹に何度も迷惑をかけてきたらしい。

 短い会話だけでも、ヒミコの苦労が理解できた。

 俺もこの半年間、考えるより先に地面を壊したり、炎を纏ったまま雪山へ登ろうとしたりするタケルへ振り回されてきたので、他人とは思えないほど彼女の気持ちが分かる。

 それにしても、未来を見る目か。

 ヒミコが布で目を隠しているのは、単なる装飾ではないのだろう。

 布の下にある瞳が、本人の意思とは関係なく未来を映してしまうのかもしれない。そう考えると、周囲を見るための目を塞いでいるにもかかわらず、ヒミコが正確に歩ける理由にも説明がつく。

 未来の景色を見ながら、現在を歩いている。

 もしそうなら、それは便利な能力という言葉だけでは片づけられない。

 今を見たい時でさえ、これから起こる出来事が視界へ入り込んでくるとしたら、どれほど落ち着かないのだろう。

 

「そうだ、ヒミコ!」

 

 タケルが何かを思い出したように手を叩いた。

 

「俺は火龍様へ試練達成の報告をしたい。それに、ルークスを紹介したいのだ!」

 

 その言葉が発せられた瞬間、広場の空気が変わった。

 さっきまで筋肉を褒め合い、掛け声を上げながら鍛錬していた里人たちが、一斉に動きを止める。

 誰も声を上げない。

 視線を逸らす者や、気まずそうに頭をかく者までいる。

 火龍へ会いに行くというだけで、ここまで空気が重くなる理由が分からなかった。

 

「どうしたんだ?」

 

 タケルも異変に気づき、周囲を見回した。

 

 ヒミコは顔をわずかに伏せると、短い沈黙を置いてから静かに口を開く。

 

「現在、登龍山は噴火の周期に入っています。山頂付近では溶岩だけでなく、火龍様の魔力に反応した火柱も絶えず噴き上がっているため、通常の装備では近づくことができません」

「それは以前にもあっただろう。火龍の宝具を使えば、登龍山の結界と熱を越えられるはずだ」

「その火龍の宝具が……兄上のいない間に盗まれてしまったのです」

 

 広場にいた里人たちが、一斉に頭を下げた。

 何人かはすでに涙を流している。

 

「すまない、タケル!」

「俺たちが不甲斐ないばかりに!」

 

「一か月前の火龍祭で宝具を広場へ飾り、祭りが終わった後も元の保管場所へ戻さず、そのままにしてしまった!」

 

 次々と謝罪の声が上がる中、一人の男が大きな布袋を持ってきた。

 

 袋の中から取り出されたのは、金属製の輪や、腕や脚へ巻きつける帯、奇妙な形の棒など、用途の分からない道具だった。

 

「これは?」

 

 俺が尋ねると、男は悔しそうに歯を食いしばった。

 

「火龍祭の少し前に、外から来た魔導具商人が売っていた筋力鍛錬用の魔導具だ」

「筋力鍛錬用?」

「この里では昔から、自分の身体の重さだけを使って鍛えるのが基本だった。腕立て伏せ、逆立ち、岩場を走ることはあっても、魔導具を使って筋肉を鍛える者はいなかったのだ」

 

 火龍の里の者たちが普段行っているのは、自重を利用した鍛錬らしい。

 タケルが指一本で逆立ちし、巨大な岩を持って走る姿を思い出すと、十分に常識から外れている気もするが、彼らにとってはそれが普通なのだろう。

 

「だが、その商人が持ってきた魔導具は違った。腕や脚へ装着すると、身体から魔力を少しずつ吸い取り、その分だけ重さが増すように作られていた」

「魔力を吸い取る?」

「ああ。装着して動けば動くほど身体が重くなり、普段と同じ腕立て伏せでも、何倍もの負荷が筋肉へかかる。しかも、魔力を消耗した状態で身体を動かし続ければ、魔力炉まで鍛えられると言われた」

 

 里人たちが、悔しさと興奮の混ざった顔で魔導具を見つめる。

 彼らにとって、それは初めて見る筋力鍛錬の道具だった。

 自重だけでは得られない負荷を与え、魔力炉まで同時に鍛えられる。

 そんな説明を受ければ、筋肉に人生を捧げている里人たちが夢中になるのも理解できる。

 

「祭りの日は、里中の者が朝から魔導具を身につけて鍛えていた。誰が最も長く動き続けられるか競争まで始まり、日が沈んでも誰一人やめようとしなかった」

「それで、どうなったんだ?」

「夜になる頃には、全員の魔力がほとんど残っていなかった」

 

 別の女性が、恥じるように顔を伏せた。

 

「魔力炉まで空になるほど鍛えたせいで、夕食を終えた者から次々と眠り込み、普段なら交代で行う夜の見張りまで、誰も起きていられなかったのです」

 

 俺は袋から取り出された魔導具へ目を向けた。

 単なる筋トレ用品ではない。

 里人たちへ違和感を持たせず、里全体の魔力を消耗させ、夜には全員を深く眠らせるための道具。

 それが意図的に作られたものなら、火龍の宝具を盗むための準備だった可能性が高い。

 

「次の日の朝、広場に飾っていた宝具が消えていた。見張りの者も、周囲の住民も、夜中の物音を聞いた者は一人もいなかった」

「商人は?」

「同じ朝には、すでに里から姿を消していた。名前も店の場所も聞いていない。珍しい鍛錬道具を持ってきた者としか……」

「筋トレに夢中になって、何も確認しなかったということか」

 

 里人たちは揃って視線を逸らした。

 確かに、筋力鍛錬へ夢中になったことは彼らの落ち度だ。

 だが、単純に宝具を出したまま忘れていたわけではない。

 犯人は里人たちの性質を理解したうえで、最も警戒されない方法を使い、戦士しかいない里から戦う力を奪っていた。

 火龍の里を正面から襲えば、どれほど大きな組織でも無傷では済まない。

 だから戦わずに眠らせた。

 力ではなく、欲望を利用して無力化したのだ。

 

「いいのだ!」

 

 タケルが沈んだ里人たちへ向かって声を上げた。

 

「宝具が盗まれたという事実は、どれほど悔やんでも変わらない。ならば、俺たちがすることは一つだ。必ず見つけ出し、この里へ取り戻す!」

「タケル……!」

「やはり、お前こそ次の里長だ!」

 

 タケルと里人たちは涙を流しながら抱き合った。

 筋肉だらけの男たちが互いの背中を叩き、励まし合っている光景は暑苦しかったが、先ほどまでの話を聞いた後では、完全に笑う気にはなれなかった。

 むしろ気になるのは、未来を見ることができるヒミコがいながら、なぜこの盗難を防げなかったのかということだった。

 

「なあ、ヒミコさん」

「はい」

「失礼な質問だったら悪いんだけど、火龍の眼で宝具が盗まれる未来を見ることはできなかったのか?」

「そう思われますよね」

 

 ヒミコは責められたとは感じていないようで、静かに答えた。

 

「以前の私であれば、祭りの前に異変を見つけられたと思います。ですが、最近は未来の見え方が変わってしまったのです」

「変わった?」

「一つの出来事に対して、一つの未来だけが見えるのではありません。同じ時間、同じ場所でありながら、宝具が盗まれる未来、守られる未来、火龍祭そのものが開かれない未来など、無数の景色が重なって見えるようになりました」

 

 ヒミコは目元を覆う布へ、細い指を触れさせた。

 

「どれが本当に起こる未来なのか、私にはもう判断できません。正しいと思って選んだ道が、別の未来では里を滅ぼしていることもあります。未来を変えようとするほど、さらに新しい分岐が生まれ、そのすべてが同時に見えてしまうのです」

「いつから、そんな状態に?」

「十年ほど前から、少しずつ未来が不安定になり始めました。けれど、ここ一か月は特に酷く、目を閉じても、布で覆っても、未来の景色が消えなくなっています」

 

 十年前。

 俺がこの世界へ生まれた時期と近い。

 偶然だろうか。

 ヒミコが俺の存在を未来で何度も見てきたことと、未来の分岐が増え始めた時期。

 俺がこの世界へ現れたことが何か関係があるのだろうか。

 

「ヒミコさん?」

 

 返事がない。

 ヒミコは俺へ顔を向けたまま、微動だにしていなかった。

 目元を覆っている白い布の下で、何かが動いたように見えた。

 次の瞬間、ヒミコの身体が大きく揺れる。

 

「どうしたんだ?」

 

 俺が腕を伸ばすよりも早く、ヒミコが胸元へ飛び込んできた。

 細い両腕が俺の服を掴む。

 抱きついたというより、立っているための支えを求めたような動きだった。

 

「ど、どうしたんだ、ヒミコさん!」

「未来が……また、重なって……」

 

 布の下から涙が流れ落ちる。

 ヒミコの呼吸は浅く、俺の服を握る指は震えていた。

 

「兄上……駄目です……その道では、火が……」

「ヒミコ!」

「違う……こちらでも……海が黒く……空が割れて……」

 

 ヒミコは今ここにいる俺たちではなく、別の場所を見ているようだった。

 声をかけても反応せず、いくつもの景色を追いかけるように顔をわずかに動かしている。

 

「世界が……また……」

「落ち着くんだ、ヒミコさん!」

「兄上……世界が、また滅んでしまいました……」

 

 里人たちの間に動揺が広がる。

 さっきまで泣き合っていた者たちが慌てて駆け寄り、水を持ってくる者や、ヒミコの名を呼ぶ者が入り乱れた。

 だが、ヒミコは俺の服を離そうとしなかった。

 布の下から流れた涙が頬を伝い、白い着物へ落ちていく。

 

「ルークスさん……」

「俺?」

「あなたは……一体……何なのですか……?」

 

 俺へ向けられた声には、恐怖だけでなく、理解できないものを前にした困惑が混じっていた。

 その言葉を最後に、服を掴んでいた指から力が抜ける。

 ヒミコの身体が崩れ落ち、俺は慌てて両腕で受け止めた。

 

「ヒミコ!」

 

 タケルが駆け寄り、妹の首元へ指を当てた後、胸へ耳を近づける。

 普段の笑顔は消え、額には汗が浮かんでいた。

 

「……心臓は動いている。呼吸もしている。意識を失っただけだ」

「早く休ませた方がいい」

「ああ。俺の家へ運ぼう」

 

 ヒミコの言葉が頭に残る

 俺は一体何者なのだろうか?

 




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この世界には他にも特殊な眼を持つ者はいますが、未来を見れる力は強力である分、制御は困難になります。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。
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