異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
翌朝。
エドガーの紹介で泊まった宿の一室で目を覚ました俺は、柔らかなベッドへ身体を沈めたまま、しばらく何も考えず天井を見上げていた。
この一年近くの中で、まともな寝床へ身体を預けた回数がどれほどあっただろうか。
火龍の里では簡素な寝床で眠り、大迷宮へ入ってからは木の根や地面を枕代わりにしていたことを思えば、身体全体を包み込む布団の感触だけでも涙が出そうになるほどありがたく、窓から差し込む朝日まで妙に穏やかなものに見えた。
「……平和だ」
昨日手に入れたばかりの大金が、タケルとエドガーによって破壊された訓練場の修繕費へほとんど消えたことさえ考えなければ、本当に平和な朝だった。
「考えるな、俺。今日はいい日だ」
現実から目を逸らすように勢いよく身体を起こし、簡単に身支度を整えると、俺は宿を出て冒険者ギルドへ向かった。
◇
朝の冒険者ギルドは、昨日までの喧騒が嘘だったかのように静まり返っていた。
迷宮へ潜る冒険者の多くは早朝のうちに出発しているらしく、普段なら人で埋め尽くされている食堂にも空席が目立ち、その一角に俺、タケル、エドガー、ローラの四人が集まっている。
テーブルの上には、エドガーが用意した何枚もの地図と古びた本、それから細かい文字がびっしりと書き込まれた紙束が広げられており、軽く目を通しただけでも、これが一朝一夕で集めた情報ではないことくらい分かった。
「まず、大迷宮パラドリクスについて分かっていることを整理する」
エドガーはそう言いながら、最も大きな地図へ指を置いた。
「基本構造は森林、砂漠、海、雪原、火山。この五種類の環境が階層ごとに繰り返されている。ただし、百階層だけは例外で、既存のどの環境にも当てはまらないと記録されている」
「俺が飛ばされたのは?」
「五十階層だ」
「五十?」
思った以上に深い。
十階層から一気に四十階も飛ばされていたことになる。
「六十階層は火山、七十階層で再び雪原へ戻り、八十階層は海だ。ただし、百階層について正確な情報を持っているのは、そこへ到達した《明日への一杯》と冒険王バルド・アッセルくらいしかいない」
「冒険王も百階まで行ったのか?」
「そこが妙なんだ」
エドガーは机の上に置いていた古びた本を開いた。
昨日も見せてもらった、冒険王バルド・アッセルの冒険記だ。
「バルドは、自分が訪れた土地や戦った魔物をかなり細かく書き残している。だが、この大迷宮についてだけは六十階層を最後に記述が途切れている」
「六十階?」
「ああ」
俺は地図へ視線を落とした。
アレスたちは百階まで到達した。
だが、攻略できなかった。
一方、冒険王は完全攻略したと自分の本へ記しているにもかかわらず、最高到達記録の石碑には名前がなく、その冒険記も六十階層で途切れている。
「つまり」
俺は地図の六十階を指差した。
「百階へ進む以外の何かが、六十階層にある?」
「俺はそう考えた」
エドガーは頷く。
「そして十年間、その可能性を調べた」
その言葉通り、エドガーの資料は異常なほど細かかった。
何階にどんな魔物が出現し、階層主がどのような能力を持ち、それを倒すためにどんな手段が有効なのか。
過去の冒険者たちが残した証言だけでなく、自分自身で何度も階層へ潜って検証した結果まで細かく書き込まれている。
俺が死にかけながら倒した幻熊についても例外ではなかった。
「幻熊の弱点は光だ」
「……光?」
「あいつらは霊体化している間、魔力による感知ができない。その代わり、生物が発する熱を感知している。だから強い光や熱を周囲へ発生させれば感覚が乱れ、霊体化を維持できなくなる」
「そんな簡単な弱点あったのかよ……」
雪原で必死に殺気を読んでいた俺は、一体何だったんだ。
「魔術が使えるなら、光か火を上空へ放つだけでいい」
「先に知りたかった……」
「いや、坊主」
エドガーが俺を見る。
「お前のやり方ができるなら、普通は戦っている途中で気づく」
「え?」
「相手の感知方法まで考えていたなら、いずれ分かったはずだ」
「…………」
言われてみればそうだ。
見えない。
魔力も感じない。
それなのに正確にこちらの位置は把握していた。
なら、何を頼りに俺を見つけているのかまで考えれば、熱へ辿り着けた可能性はあった。
「くそ、まだ考えが足りなかったか」
「そこで反省するんだね……」
ローラが少し引いた顔をしている。
エドガーは気にする様子もなく、そのまま話を続けた。
「これまで調べた結果、大迷宮について俺が出した結論は三つある」
一本目の指を立てる。
「一つ。大迷宮に存在する階層主には、必ず攻略方法が用意されている。単純な力で倒す必要はない」
二本目。
「二つ。大迷宮そのものは、挑戦者を排除しようとしているわけではない」
「リクドーみたいなやつか」
「ああ。階層主を倒した者へ転移門を与える仕組みもそうだ。危険ではあるが、大迷宮は明確に先へ進むための手段を残している」
三本目。
「そして最後。大迷宮の完全攻略には、百階まで進むこととは別の条件がある」
俺とタケルは顔を見合わせた。
「その条件が六十階層にある?」
「可能性が高い」
エドガーは別の地図を取り出した。
「これが六十階層だ」
紙の上には火山を中心とした地形が細かく描かれており、その中央付近には巨大な円が記されている。
「六十階層の階層主は《マグマスライム》。こいつは火山から流れ続ける溶岩を取り込み続けるため、正面から戦えばほぼ無限に再生する」
「スライムか……」
やっぱり油断できないじゃないか。
「攻略方法はすでに分かっている。問題はその後だ」
エドガーの指が、火山の内部へ伸びている細い線をなぞった。
「マグマスライムを倒すと、それまで溶岩で塞がれていた場所へ進めるようになる。俺たちはそこから火山の地下へ入り、さらに奥で奇妙な場所を見つけた」
「奇妙な場所?」
「道はある。目の前にも空間が続いている。それなのに進めない」
「壁でもあるのか?」
「目には見えない壁だ」
ローラが補足するように口を開く。
「何度進もうとしても、同じ場所へ押し戻されちゃうんだよね」
「友人の魔導技師にも調べてもらった」
「魔導技師?」
「カイトという男だ。少し変わっているが、腕は確かだ」
魔導技師。
電球や魔導列車のようなものまで作れる技術者なのだろうか。
魔術回路を持たない俺としては、ぜひ一度会ってみたい。
「カイトの見立てでは、結界魔術の一種らしい。ただし普通の結界とは違い、一定以上の魔想をぶつけなければ突破できない」
「じゃあ、タケルが殴ればいいんじゃないか?」
「俺もそう思うぞ!」
「君たち二人とも同じこと言うんだね」
ローラが呆れたように笑う。
「もちろん試す価値はある。だが、必要量が分からない以上、保険は必要だ。そのためにカイトへ魔力を一時的に増幅させる魔導具の開発を頼んだ」
「それが完成してない?」
「ああ。素材が足りない」
エドガーは紙へ三つの名前を書いた。
「必要なのは幻熊の素材、魔力伝導率の高いミスリル、それから渦竜スクリームの魔想石だ」
「幻熊なら昨日売っちゃったぞ」
「必要な分は残してある」
「仕事が早いな」
あれだけ綺麗に解体していた時点で、最初から使うつもりだったのかもしれない。
「ミスリルも金さえあれば購入できる。一番の問題は渦竜スクリームだ」
「竜種か」
タケルの目が露骨に輝いた。
「嬉しそうにするな」
「渦竜スクリームは八十階層に生息している。しかも八十階層は海だ」
「海の中で竜と戦うのかよ」
「正確には海竜に近い。俺とローラだけでも戦えないわけではないが、討伐したうえで魔想石を確実に回収するには手が足りない」
「だから俺たちか」
「ああ」
エドガーが頷く。
「チーム申請をすれば、メンバー全員がそのチーム内で最も深い場所まで解放された転移門を共有できる。俺たちと組めば六十階層まではすぐに行ける」
「それって最大の記録が適用されるんだな?」
「そうだ」
「なら七十階まで行けるぞ」
タケルが当然のように言った。
エドガーの動きが止まる。
「……何?」
「俺は七十階層へ飛ばされた」
「階層主は?」
「レルギオンだったから倒したぞ」
「レルギオンを?」
珍しくエドガーが声を大きくした。
タケルは得意げに笑いながら、服のポケットから白銀の鱗を一枚取り出す。
「証拠だ」
「…………」
俺はその鱗を見た。
「お前、それ持ってたのかよ」
「もちろんだ。戦いの記念だからな」
「それ売れば修繕費払えただろうが!」
「嫌だ」
「即答するな!」
せっかく手に入った金が消えた原因の半分くらいはこいつだというのに、売れば相当な値段になるであろうSランク魔物の素材を平然と懐へ入れていたらしい。
「期待以上だ」
俺たちのやり取りを完全に無視したまま、エドガーは鱗を見つめる。
「七十階まで転移門が開くなら、作戦の安定度は大きく上がる」
「ならすぐ八十階へ行くのか?」
「いや」
エドガーは首を横へ振った。
「その前に確認したいことがある」
「何を?」
「チームワークだ」
エドガーは地図の三十階層を指差した。
「四人がそれぞれ強くても、連携できなければ渦竜相手では足手まといになる。まずは三十階層の階層主《デスワーム》を四人で倒す」
「腕試しか」
「ああ」
「面白そうだな!」
「お前は何でも楽しそうだな……」
◇
三十階層。
転移門を抜けた瞬間、乾いた熱気が全身へまとわりつき、俺は反射的に顔をしかめた。
「暑っ!」
見渡す限りの砂。
空から容赦なく照りつける光と、砂の上を這うように吹き抜ける熱風のせいで、立っているだけでも体力を削られていく。
「こんなところで長時間戦いたくないぞ」
「これを着けろ」
エドガーから渡されたのは、薄手の灰色のマントだった。
「いや、余計暑くならないか?」
「いいから着ろ」
半信半疑で肩へ掛けた瞬間、身体の周囲だけ空気が冷たくなった。
「おお?」
さっきまで肌へ張り付いていた熱気が消え、まるで日陰へ入ったように身体が楽になる。
「なんだこれ」
「冷却魔術を組み込んだ魔導具だ」
「これだけで魔術が使えるのか?」
「魔導具は、それ自身に刻まれた魔術式と魔想石に刻まれた魔術式を組み合わせることで発動する。術者本人がその魔術を習得している必要はない」
「便利すぎるだろ」
魔術回路を持たない俺からすれば、かなり羨ましい技術だった。
「それは、あのカイトって人が作ったもの?」
「ああ」
「へえ……」
俺もこういう魔導具を使えるようになれば、戦い方の幅はかなり広がるだろう。
今の俺は基本的に刺すか殴るかで、我ながら随分と原始的な戦い方しかしていない。
「雑談はそこまでだ」
エドガーが足を止めた。
「来るぞ」
次の瞬間、地面が大きく揺れた。
「うおっ!」
立っていることすら難しいほどの振動が足元から伝わり、砂が細かく跳ねながら周囲へ波紋のように広がっていく。
何かがいる。
しかも、かなり大きい。
「デスワームの最大の特徴は、その巨体だ」
エドガーが腰の剣へ手を掛ける。
「その代わり、身体が巨大すぎるせいで消耗も激しい。長時間動き続けることはできず、一定時間戦えば砂の中へ逃げる」
「逃げたらどうなる?」
「また探し直しだ」
「面倒だな」
「だから逃がさない」
「どうやって?」
俺が尋ねる。
「俺を信じろ」
それだけだった。
「作戦説明少なすぎない?」
「問題ない」
タケルが拳を構える。
「エドガーの覚悟は昨日拳で理解した」
「お前ら本当にそれで会話成立してるの?」
俺には一生理解できそうにない。
その時。
砂漠が割れた。
「――っ!」
地面を突き破りながら現れたものを見上げ、俺は思わず口を開けた。
巨大。
それ以外の言葉がすぐには出てこない。
太い胴体は小さな家など簡単に飲み込めそうなほど巨大で、口を開けば無数の鋭い牙が円状に並び、その身体の半分以上が砂の中に埋まっているにもかかわらず、見上げなければ全体が視界に入らなかった。
「馬鹿でけぇ!」
「確かに、これは想像以上だな」
タケルですら少し驚いたように見上げている。
「大きいよね~」
ローラだけ妙にのんびりしていた。
そして杖を持ち上げる。
「我が神よ。彼の者たちに、蝶のような軽さをその身に与えたまえ――第三階位《軽量の祝福(レヴィテイト)》」
淡い光が俺たち三人を包んだ。
「うお?」
身体が急に軽くなる。
試しに軽く地面を蹴っただけで、普段ならあり得ないほど高く身体が浮かび上がり、着地した足にもほとんど衝撃を感じない。
「すげえ……これが聖魔術か」
「感心するのは後!」
ローラの声と同時に、デスワームが身体を大きく反らした。
巨大な口がこちらへ向く。
「避けろ!」
砂を抉りながら突進してくる。
俺は地面を蹴った。
《軽量の祝福》によって身体は想像以上に高く跳び上がり、ほんの少し前まで立っていた場所をデスワームの巨体が通過していく。
「うおおお!」
空中から見ると、さらにでかい。
「ルークス、見てろ!」
タケルが落下する勢いをそのまま拳へ乗せた。
「《極》!」
拳がデスワームの背へ叩き込まれ、轟音とともに巨体が砂へ沈み込み、その周囲を中心に砂が大きく吹き飛んだ。
「硬いな!」
それでもデスワームは止まらず、身体を激しく捻りながら背中にいるタケルを振り落とそうとする。
「タケル、跳んで!」
ローラが杖を振る。
タケルは迷うことなく飛び上がった。
直後。
「――《聖光(ホーリーレイ)》!」
白い光がデスワームの頭部へ降り注ぎ、皮膚そのものを焼き切るほどの威力はないものの、目の近くへ直撃したことで巨大な身体が暴れ、砂の上を大きくのたうち回った。
「効いてる!」
「ルークス!」
エドガーの声。
「目を狙え!」
「了解!」
俺も跳ぶ。
ローラの祝福がある今なら、普段なら絶対に届かない高さまで簡単に上がれる。
暴れる巨体の横を抜け、そのまま顔の高さまで到達する。
「オーラ・ブレード!」
右腕へ魔想を集め、刃を形成する。
狙うのは巨大な目。
「そこだ!」
振り抜く。
魔想の刃が眼球へ突き刺さった。
「GUOOOOOOOO!」
デスワームの咆哮が砂漠全体を震わせる。
「うわっ!」
激しく頭を振られ、俺の身体が宙へ投げ出された。
だが《軽量の祝福》のおかげで落下速度は遅く、着地する前に体勢を整えることができた。
「いけるぞ!」
「ああ」
エドガーだけが、まだほとんど攻撃していない。
剣を抜いたまま何かを待つようにデスワームの動きを見つめており、片目を潰されたデスワームは激しく暴れ回っていたものの、時間が経つにつれて動きが明らかに鈍くなり始めていた。
「エドガーの言った通りだ」
「巨体を動かすために消耗が激しいんだよ」
ローラが答える。
「もうすぐ逃げるよ!」
その言葉通り、デスワームが身体を大きく曲げ、頭から砂の中へ潜ろうとする。
「ここからが本番だ」
それまで待っていたエドガーが動いた。
腰の袋から取り出したのは、手の平ほどの丸い魔導具だった。
中央へ小さな魔想石を差し込む。
「タケル!」
「分かった!」
デスワームが砂へ潜ろうとした瞬間、タケルが正面へ飛び込み、閉じかけていた巨大な口を両腕で強引に押し開いた。
「おおおおおお!」
「ちょ、お前それ力技すぎるだろ!」
「今だ、エドガー!」
「十分だ」
エドガーが魔導具を投げた。
小さな円盤が、開かれた口の奥へ消える。
「離れろ!」
タケルが跳ぶ。
直後。
デスワームの身体の内側から爆音が響き、巨大な口から炎が噴き出すと、潜りかけていた巨体が大きく仰け反った。
「今の何だ!?」
「爆発魔術を封じた使い捨て魔導具だ。外皮が硬いなら、内側から壊せばいい」
「なるほどな!」
エドガーは最初からこれを狙っていた。
巨体を動かし続けて消耗させ、逃げようとしたところを俺たちが阻止し、口を開かせた瞬間に内部へ直接攻撃を叩き込む。
単純に力で押し切るのではなく、相手の性質そのものを利用した攻略法だった。
「仕上げだ!」
タケルが走る。
俺も続いた。
デスワームはまだ動こうとしているが、すでに最初の勢いはなく、体内を焼かれたせいか巨体をまともに持ち上げることさえできていない。
「ルークス!」
「ああ!」
俺は《極》を右拳へ集中させた。
タケルも同じように拳を引く。
「せーの――」
「おおおおおおお!」
二人の拳が同時にデスワームの頭部へ叩き込まれ、砂が爆発したように舞い上がると、一瞬遅れて巨大な身体が地面へ沈み込み、そのまま動かなくなった。
「…………」
静かになった砂漠で、俺は肩で息をしながら倒れたデスワームを見る。
「倒した?」
「反応はない」
エドガーが近づき、剣先で軽く確認する。
「討伐完了だ」
「よっしゃ!」
思わず拳を握った。
幻熊との戦いと比べれば、身体への負担は遥かに少ない。
それなのに、こちらの方がずっと楽に戦えた。
理由は単純だ。
一人じゃなかったからだ。
ローラが全員の動きを支え、タケルが真正面からデスワームを引き付け、俺が弱点を潰し、最後にエドガーが逃走を封じる。
誰か一人が全部を片付けたわけではなく、それぞれが自分の役割を果たした結果、あれだけ巨大な階層主をほとんど危険なく倒すことができた。
「どうだ?」
エドガーがこちらを見る。
「十分だろ」
「ああ」
タケルも満足そうに頷いた。
「悪くない。いや、実にいい」
「昨日殴り合っただけで、もうそんな仲良くなるのかよ……」
「男ってそういうものなのかもね~」
ローラが笑う。
「俺を一緒にするな」
俺は断固として否定した。
◇
その日の夜。
俺たちは迷宮都市の酒場にいた。
デスワームの素材を売却したこともあり、昨日消し飛んだ分の金も多少は戻ってきたので、今度こそ修繕費に消えないことを願いながら、俺は久しぶりにまともな料理を口へ運んでいた。
「それで」
エドガーが飲み物を置く。
「明日、正式にチーム申請をする」
「そういえば、チームに名前が必要なんだよね」
ローラが言う。
「名前?」
「冒険者ギルドへ登録するなら必要だ」
そう言われて考える。
チーム名。
MMORPGなら何度もギルド名やパーティー名を考えたことはある。
「《筋肉団》」
「却下」
「まだ最後まで言ってないぞ」
「最後まで聞く必要がない」
タケルが残念そうな顔をした。
「じゃあ《ルークスと愉快な――》」
「ローラも却下」
「えー」
「エドガーは何かないのか?」
俺が尋ねると、エドガーは少しだけ黙ったあと、懐から例の冒険王の本を取り出した。
「一つある」
「どんな?」
ページを開く。
何度も読み返したのだろう。
迷うことなく、一番後ろに近い場所を開いた。
「冒険王バルド・アッセルの冒険記には、旅の終わりに仲間と飲んでいた酒について何度も書かれている」
エドガーの指が、一つの文章をなぞる。
「その酒の名は《黄金酒》」
「酒?」
「ああ」
エドガーは僅かに笑った。
「夕陽を受けると黄金色に輝く酒で、高価ではあるが、今でも旅立ちや帰還を祝う酒として飲まれている」
その話をする時だけ、やはり声に少しだけ熱が入る。
「バルドは旅を終えるたびに、その酒を仲間たちと飲みながら、今回の冒険について語り合った。そして、こう書いている」
エドガーは本へ視線を落とす。
「どれほど遠くへ旅をしても、最後に仲間と飲む一杯があるなら、また次の日も冒険へ出られる、と」
少しだけ静かになった。
周囲の酒場では冒険者たちが大声で騒ぎ、グラスがぶつかる音や笑い声が絶えず響いている。
俺とタケルは火龍の宝具を取り戻すためにここへ来て、エドガーは誰にも信じてもらえなかった冒険王の存在を証明するために十年間この迷宮を追い続け、ローラはそんな誰かの願いが叶う瞬間を見たいから彼の隣にいる。そして俺自身にも、まだ三人には話していない目的がある。
「《黄金の一杯》」
エドガーが言った。
「俺たちの名前は、それでどうだ」
「いいじゃん!」
ローラはすぐに笑った。
「俺も気に入ったぞ」
タケルも頷く。
「筋肉が入っていないが、それでも悪くない」
「入れなくていいんだよ」
三人の視線が俺へ向いた。
俺はテーブルに置かれたグラスを見る。
酒ではない。
俺はまだ子供なので、中身は果実水だ。
それでも店の明かりを受けた飲み物は、ほんの少しだけ黄金色に見えた。
「……俺もいいと思う」
アレスの《明日への一杯》と同じように「一杯」を冠していることには気づいたが、不思議と真似をしているような嫌な感じはなく、むしろ目的も性格もまるで違う四人が一緒に名乗る名前として、妙にしっくりきた。
「じゃあ決まりだね!」
ローラが自分の杯を持ち上げる。
「私たち《黄金の一杯》の結成を祝って!」
「乾杯だな!」
タケルが杯を掲げる。
エドガーも静かに持ち上げた。
俺も少し遅れて合わせる。
「乾杯!」
四つの杯が音を立ててぶつかった。
互いの目的も、考え方も、ここまで歩いてきた道もまるで違い、同じ夢を追いかけているわけでもなければ、この時点で互いのことを深く理解していたわけでもない。
それでも、一人では届かなかった場所へ進むために、俺たちは同じ迷宮へ挑むことを選んだ。
俺たちはまだ知らなかった。
この時何気なく決めた《黄金の一杯》という名前が、後に迷宮都市パラドで多くの冒険者たちへ知られることになることを。
そしてこの四人で挑む最初の冒険が、迷宮都市そのものを揺るがす大きな騒動の始まりになることも。
ただこの時の俺は、そんな未来のことなど知る由もなく。
「ところでタケル」
「なんだ、ルークス」
「そのレルギオンの鱗、やっぱり売らない?」
「断る!」
「少しくらいいいだろ!」
「これは俺の戦いの証だ!」
「お前のせいで金がないんだよ!」
「あはははは!」
ローラの笑い声と俺とタケルの言い争いが酒場の喧騒へ混ざっていく横で、エドガーは呆れたように杯を口元へ運んでいた。
こうして、目的も歩んできた道も違う四人の冒険者による《黄金の一杯》は、迷宮都市パラドで産声を上げた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
どうも、文字数を伸ばすことにためらいのない作者です。それはそれとして、黄金酒は高いけどまあ、買えるしうまい酒なので割とみんな飲んだことあるレベル。これもAZ財団が昔作りまくったからである。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。