異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
「この街を、守り切れなかった」
迷宮都市パラドの中心部には、周囲の建物より僅かに高い位置へ建てられた古い屋敷が存在している。
巨大な商業施設や冒険者向けの宿が次々と建てられ、街そのものが大迷宮へ挑む者たちに合わせて姿を変え続けてきた中でも、その屋敷は長い年月を経た石壁と木造の意匠を残したまま、まるで過去から取り残されたように街を見下ろしていた。
その屋敷の一室。
開かれた窓の前に、一人の男が立っている。
「ああ、神よ」
男は祈るように両手を組んだ。
「どうか、愚かな私をお許しください」
窓の向こうには迷宮都市が広がっている。
無数の冒険者や商人。
そして、その間へ急速に増えつつある金色の看板。
「悪魔と契約した、この私を」
彼の名はウォルト・ブランドー。
迷宮都市パラドの市長である。
◇
迷宮都市には王がいない。
そもそも、この街は一つの国家として成立した都市ではなく、大迷宮へ挑む冒険者たちが集まり、彼らへ物を売る商人が集まり、その商人を相手にする宿屋や酒場が増え、やがて巨大な街へ成長した場所だった。
だからこそ、一般的な国に存在する「国民」という概念も薄い。
今日この街へ来た冒険者が明日には別の土地へ向かうことも珍しくなく、何十年も店を続ける者がいる一方で、大迷宮で一財産を築いて突然街を去る者もいる。
そんな流動的な都市を長年まとめてきたのが、ブランドー家だった。
まだ迷宮都市が小さかった時代から、大迷宮周辺の土地を管理し、街道を整備し、冒険者たちの争いを仲裁しながら、少しずつ現在の街を形作ってきた一族。
しかし、市長がいなくなったからといって、迷宮都市そのものが止まるわけではない。
冒険者は大迷宮へ潜る。
商人は物を売る。
ギルドは依頼を管理する。
迷宮都市の心臓は、市長ではない。
大迷宮そのものだった。
「ウォルト様。どうか落ち着いてください」
背後から声を掛けたのは、ブランドー家へ長く仕えてきた老執事だった。
「落ち着いていられるか!」
ウォルトは振り返る。
その顔には、睡眠不足だけでは説明できないほど深い疲労が刻まれていた。
「見ろ!」
再び窓へ向き直り、眼下の街を指差す。
「あの男は、この街そのものを自分の所有物へ変えようとしている」
彼が指し示した先。
かつて小さな商店が並んでいた通りには、統一された新しい看板がいくつも並んでいる。
ゴルド商会、ゴルド宿、ゴルド武具店。
名前まで変えられた店も少なくなかった。
「しかし」
執事は慎重に言葉を選ぶ。
「ゴルド様へ正面から反抗すれば、今度はウォルト様ご自身が危険になります」
「私の命などどうでもいい!」
声が部屋へ響いた。
すぐにウォルトは自分の言葉を悔いるように額へ手を当てた。
「……いや」
小さく息を吐く。
「すまない」
彼も理解している。
感情だけでどうにかなる状況ではない。
「そもそも」
ウォルトは窓際の机に置かれた一枚の古い地図へ視線を落とした。
「こうなった原因は、ゴルドだけではない」
地図の西側。
ガラガラ砂漠へ続く街道沿い。
「自由都市フリード……」
その名を呟く。
◇
自由都市フリードは、ガラガラ砂漠へ入る直前に位置する巨大な交易都市である。
砂漠都市ガランから運ばれてくる品。海上国から届く海産物。
エルフの森から流れてくる薬草や工芸品。
西側で手に入る多種多様な商品が集まることで、もともと商業都市として強い力を持っていた。
しかし、数十年前。
街を取り仕切っていた者が争いに敗れたことで、その運営へAZ財団が深く入り込んだ。
そこから状況は大きく変化した。
巨大な娯楽施設、商業区域。
そして何より、多額の金を持つ権力者たち。
彼らは護衛として冒険者を高待遇で雇い始めた。
危険な大迷宮へ潜らなくても金が稼げる。
それも、命を賭ける必要がない。
冒険者が流れるのは当然だった。
迷宮都市に残る理由が、「大迷宮へ挑みたい」という一点しかなくなりつつあった。
ウォルトは、それを何年も見てきた。
「この十年で、どれだけ冒険者が減ったと思っている」
拳を握る。
大会が始まる以前の迷宮都市は確実に衰退していた。
「ゴルドの提案は……魅力的だった」
それを認めることが今でも苦しい。
「大迷宮を利用した大会を開く。世界中から冒険者を集める。賞品を用意し、迷宮都市をもう一度冒険者の街へ戻す」
願っていた。そんな方法があるのなら。
何度も夢見た。
かつてのように世界中の冒険者が、この街へ集まる光景を。
「だから」
ウォルトは目を閉じた。
「私は契約書へ署名した」
市長として。
ブランドー家の当主として。
街を救うために。
「ですが」
執事が言う。
「大会によって街へ人が戻ったことも事実でございます」
「ああ」
ウォルトは否定しなかった。
「そこが一番厄介なのだ」
ゴルドの大会によって確かに街は蘇った。
宿は埋まった。酒場は客で溢れた。
武器も防具も売れた。大迷宮へ挑む冒険者も増えた。
結果だけを見ればゴルドは迷宮都市を救った。
「だが」
窓から見える景色。
ひときわ大きな空き地がある。
そこには以前。
ブランドー家の祖先が建てた劇場があった。
「奴は、大会だけでは止まらなかった」
街の店を買い、土地も買い始めた。
拒否した者へ圧力を掛けた。
そして歴史ある建物を壊し自分の施設へ置き換えていった。
「契約で与えたのは、大会運営に関する権限だけだ」
ウォルトの手が震える。
「奴は『大会運営に必要だから』と言って街を買っている」
「しかし契約書には」
「止める条項がない」
そこだった。
ブランドー家とゴルドの間で結ばれた契約にはいくつもの穴があった。
今なら分かる。
もっと慎重に読むべきだった。
専門家を増やすべきだった。
権限を制限する条文を入れるべきだった。
だが当時のウォルトにそんな余裕はなかった。
街が死んでいく、店が閉まる。
そして冒険者が去る。
先祖から受け継いだ都市が少しずつ衰えていく。
その最中にゴルドは手を差し伸べてきた。
だから掴んだ。
その手が街そのものを奪おうとしていることに気づかないまま。
「後から考えれば」
ウォルトは苦々しく笑った。
「すべて繋がっていた」
大会、土地、商業施設。
そして。
「《理想郷》」
現在九十階層へ到達している。
Sランク冒険者だけで構成された強力なパーティー。
「ゴルドは彼らへ大量の資金を出している」
「存じております」
「もし」
ウォルトは机の上にある大迷宮の地図へ手を置いた。
「彼らが完全攻略すれば」
そこで言葉が止まる。
「ゴルドは言うだろう」
自分が大会を開いた。自分が資金を出した。自分が攻略者を生み出した。
自分こそ大迷宮を管理するに相応しいと。
「街の商業を押さえ」
一本。
指を折る。
「土地を押さえ」
二本。
「大会を押さえ」
三本。
「最後に大迷宮まで押さえる」
拳になる。
「その時」
ウォルトは自分の手を見た。
「私など必要なくなる」
沈黙が落ちる。
「私は」
絞り出すように言った。
「何もできない」
「ウォルト様……」
「今の私に残されているのは」
窓の外。
巨大な大迷宮の入口を見る。
「願うことだけだ」
《理想郷》より先に誰かが完全攻略する。
「……随分と都合の良い願いだな」
自嘲する。
それでも願わずにはいられなかった。
◇
その願いが奇妙な形で動き始めたのはそれからそう長く経たない頃だった。
「市長!」
扉が勢いよく開く。
一人の職員が飛び込んできた。
「最高到達記録に変化がありました!」
ウォルトは顔を上げる。
「……理想郷か」
「いえ」
「なら」
少し考える。
「王国の勇者一行か?」
勇者ダン・クロニクル。
彼についても調査していた。
「彼はゴルゴン国立大学から逃げるように離れた男だったはずだ。蛇眼は厄介だが、本人の実力はそこまで高くない」
「彼らでもありません」
「なら誰だ?」
「《黄金の一杯》です」
聞いたことのある名前。
「エドガーか?」
「はい」
資料が机へ置かれる。
「現在、八十階層へ到達しております」
「……八十?」
ウォルトの顔が変わった。
「待て」
資料を見る。
「エドガーはBランクだったはずだ」
「はい」
「ローラも高ランクではない」
「その通りです」
「なら」
ページをめくる。
「どうして突然」
「新しい仲間が二人増えております」
名前はタケル。
Aランク冒険者。
「彼は知っている」
火龍の里出身。
実力者。
そこまでは理解できる。
「もう一人は?」
「ルークス」
「ランクは」
職員が少し困った顔をする。
「登録記録ではDランクです」
「……D?」
ウォルトが眉を寄せた。
「なぜエドガーがDランクを入れた」
「不明です」
そこが逆に気になった。
エドガーという男。
長年、常識外れの方法で迷宮攻略を続けてきた。
周囲からは変人と呼ばれている。
だがウォルトは彼を影ながら応援していた。
何年失敗しても調査を止めない。
攻略法を試し続ける。
そんな男が意味もなく仲間を増やすとは思えない。
「調べろ」
ウォルトは即座に言った。
「黄金の一杯について」
「はい」
「可能な限りすべてだ」
久しぶりに胸の奥小さな灯がともった。
「もしかすると」
その灯を消さないように静かに呟く。
「彼らは」
希望になるかもしれない。
◇
そしてすぐにその灯は一気に燃え上がった。
「市長!」
「今度は何だ」
「大問題です!」
「理想郷が動いたか?」
「違います!」
息を切らした職員が言った。
「《黄金の一杯》が」
言葉を飲み込む。
「一位になりました」
「…………」
ウォルトの手からコーヒーカップが落ちた。
陶器の割れる音が響く。
「何?」
「一位です」
「嘘をつくな」
「本当です!」
職員も混乱していた。
「石碑が」
「……!」
ウォルトは上着すらまともに整えず部屋を飛び出した。
◇
広場は既に大混乱だった。
何百人もの冒険者が巨大な石碑を見上げている。
その最上段。
一位 六十階層《黄金の一杯》
「……本当に」
ウォルトは言葉を失った。
ブランドー家には代々の市長が残した記録がある。
その中でも最高到達記録の最上位は二百年以上変わっていなかった。
「二百年以上だぞ……」
祖父の時代にも、《明日への一杯》。
その名前が最上段にあった。
それが今日動いた。
「だが」
喜びより先に疑問が浮かぶ。
「なぜ六十階層なんだ」
百階層より六十階層が上というのは理解できない。
どれだけ思考しても思いつくことはなかった。
その時。
「私の名は勇者ダン・クロニクル!」
広場へ大きな声が響いた。
「……王国の勇者か」
ダンは《黄金の一杯》を卑怯者と呼んでいた。
ウォルト自身、その主張そのものには共感できない。
しかし説明を求めたい気持ちはあった。
そして人混みの中から一人の男が歩き出す。
「俺が《黄金の一杯》の責任者だ」
ウォルトの目が僅かに見開かれる。
「あれが」
長年。
名前だけは知っていた男。
「エドガー……」
◇
騒動は瞬く間に大きくなった。
勇者との小競り合い。
そこへ現れた二人の冒険者。
大柄な男。
そしてまだ若い少年。
「あの少年が」
資料で見た名前。
もっとも実際に見ればただの低ランク冒険者には見えなかった。
そして勇者ダンが噴水へ叩き込まれた後。
エドガーが冒険者たちへ向き直る。
「俺たち《黄金の一杯》は!」
その声が広場へ響く。
「大迷宮の完全攻略を目指す!」
ウォルトは。
その言葉を聞いた。
そして冒険者たちの目が変わっていく。
「なんだと!」
「俺たちだって!」
「やってやる!」
「六十階だ!」
火がついた。
何十人以上が、大迷宮を諦めかけていた者たちへもう一度火がつく。
「……」
ウォルトはただ見ていた。
何年も迷宮都市へ冒険者を戻そうとしてきた。
それでもウォルトにはできなかった。
だが目の前の男はたった一度冒険者を煽っただけで彼らへもう一度大迷宮へ挑む理由を与えた。
「彼らなら」
ウォルトの中に小さかった灯が大きくなる。
「もしかすると」
街を変えられるかもしれない。
ゴルドではなく、冒険者自身がもう一度迷宮都市を動かす。
「彼らと」
ウォルトは決めた。
「話をしなければ」
◇
「《黄金の一杯》へ伝えてくれ」
屋敷へ戻ったウォルトは。
一人の職員へ命じた。
「市長が会いたがっていると」
「承知しました」
職員は丁寧に頭を下げる。
「必ずお伝えいたします」
扉を閉める。
一人で廊下を歩く。その足音は一定だった。
そして角を曲がり、誰もいなくなった瞬間。
「くく」
口元が僅かに上がる。
「これは」
それまでの丁寧な態度が消える。
「面白くなってきたでござるな」
「《黄金の一杯》」
歩きながら小さく呟く。
「エドガー」
「ローラ」
「タケル」
「ルークス」
指折り。
名前を確認する。
「それに」
様々な人間が一つの大迷宮を中心に動き始めている。
「会長に」
笑う。
「いい土産話ができそうでござる」
◇
そして広場にはもう一人騒動を眺めていた者がいた。
深くフードを被った男。
人混みから少し離れた場所で壁へ背を預け石碑を見ていた。
一位六十階層《黄金の一杯》
「はは」
小さな笑い。
「予測以上だ」
フードの下で眼鏡が僅かに光る。
「エドガー」
十年間。
誰も見つけられなかったものを追い続けた男。
「君は」
予測よりさらに先へ進み始めている。
だがカイトの視線はすぐに別の人物へ移った。
ルークス。
魔力増幅器を渡した男。
「そして」
カイトの笑みが深くなる。
「君は」
計算するたび予想から外れる。
世界に存在する多くの事象はある程度数字へ置き換えられる。
ダルドラならその無数の情報から未来を予測できる。
だが、予測とは未来そのものではない。
「いいね」
カイトは静かに呟いた。
「私も」
壁から身体を離す。
「負けてはいられない」
昨日まで別々の方向を向いていた歯車が少しずつ一つの場所へ集まり始めている。
そして、その中心付近へルークスという予定になかった歯車が入り込んだ。
「さあ」
フードを深く被り直す。
「私の予想を」
人混みへ姿を消す。
「もっと超えてみろ」
最後に振り返る。
「ルークス君」
その日。
迷宮都市パラドではたった一つの順位が変わった。
それだけだった。
小さな火種だった。
だが、同じ《黄金の一杯》を見ながら誰一人、同じものを見てはいなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
動き出した者たちの視点を描いてみました!
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。