狐面の少年を助けてから、更に五年余りの月日が流れた。
あれ以降、
具体的には、深手を受け生き延びるのが難しく、試験の不合格が確定している参加者を見つけた場合に限り、最低限の治療を施し藤の花の下まで逃がしてやることにした。これは善意半分、見返りへの思惑半分だ。
また、選別に狐面をつけた者――手鬼曰く『子狐』を見つけたときだけは、手鬼が意気揚々と参戦するようになった。
そこで手鬼が認めるだけの実力がなければ、ボコボコにして動けなくなったところで藤の花の下まで運んでやるという、人命に配慮した鬼畜方式だ。さすがは鬼である。
もっとも、鱗滝自身が水柱として活動しているうちは、彼ひとりで弟子を育てる時間など作りようもない。
狐面の子供たちは鱗滝の教えを受けてはいるものの、あくまで弟弟子や同門の若手でしかない。鱗滝自身の直接的な弟子と呼べる者はまだおらず、手鬼は実に残念そうだった。
しかし、なんにせよ。花枝たちがこの山に居着いてからは、鱗滝左近次ゆかりの者から死者こそでていないものの、誰ひとりとして最終選別を突破できていないことだけは間違いない。
鱗滝の一門の弟子育成能力にはケチがついていることだろうが、手鬼にしてみれば「鱗滝のやつ、ざまあねえぜ」とのことだった。
そして、この里の肝とも言える『トキジクの実』だが、やはりこれは数年に一度の頻度で結実することがわかった。
結実したトキジクの実を鬼に食わせることで里には新たな住民も増え、何もなかった里にも様々なものが増えてきた。
裏手の森を拓いて作られた大きな畑などは、その最たるものである。
◇ ◇ ◇
「モグラ鬼さーん、百合鬼さーん。畑のほうはいかがですかー?」
当初、菜花を育てていた小さな畑は、今やその範囲を広げ、いくつかの農作物を育てるに至っていた。
花枝がその様子を見に行くと、ちょうど畑を担当していた鬼たちが休息をとっているところだった。
「おお、巫女鬼さま。今はなかなか良さげな芋が出来てるっすよお。いやあ、畑もなかなかに様になってきたっすなあ」
「花も色々咲いていますね。蜂蜜はとれそうですか?」
「そっちも多分、順調だと思うっすよお。もう少ししたら、一度開けてみるっすかねえ」
「うふふ、楽しみです」
モグラ鬼は、もとは農業を営んでいた異形の鬼だ。彼は二足歩行で歩く大きなモグラのような姿をしている。
トキジクを食べさせたときにはどのような人物かはわからなかったのだが、彼は農業の知識があり、更にモグラらしく土に干渉する能力を得ていたために、この隠れ里の農業担当となった。
また、蜜蜂を箱で育てるやり方を教えてくれたのもモグラ鬼なので、花枝の中ではモグラ鬼の評価は抜群だ。
「菜種もいっぱい集まりました。また手鬼さんの馬鹿力で油を絞ってもらいましょうねっ」
「百合鬼、油もいいですが蜂蜜もお願いしますね! また蜂蜜大根を作りましょう!」
「あはは、巫女鬼様は蜂蜜好きですねー」
モグラ鬼と百合鬼は、今は菜花を始めとしたいくつかの草花や薬草に加えて、芋、大根、ほうれん草などを育てている。
これらは最終選別に持ち込まれていたものを回収し、百合鬼がその育成に成功させたものだ。感謝すべきは、一週間の最終選別に保存食ではなく生の野菜を持ち込んでいた、一風変わった選別参加者である。
なお、その選別参加者本人は途中で鬼に食われているが、さもありなんと花枝は思っている。
「今日は『お夜食の日』ですが、お芋を中心にしたお鍋にでもしましょうか。お味噌で煮込みましょう」
「おお、いいっすなあ。なら、よさげな芋を選んでおくっすよお」
「なら、私は食べられる草花も集めておきますね。豪勢にいきましょう!」
「ふふ、楽しみになってきましたね」
しかし、住民たちが人と同じ食事を取れるのはいいのだが、さすがに毎日ものを食べていけるほどに食料が豊富なわけではない。
なので今では、数日おきに皆で食卓を囲む『お夜食の日』というものが制定されていた。
娯楽の少ないこの隠れ里において、皆で集まる『お夜食の日』は、一番の楽しみなのであった。
花枝は裏手の畑に続いて、境内に立てられた木製の櫓――半鐘台へとやってきた。
この櫓に取り付けられているのは、里の仲間たちに現在時刻を知らせるための『鐘』である。もちろん本物の鐘など入手できなかったので、穴のあいた大鍋が吊るされているのはご愛敬だ。
そしてその櫓の上にいるのは、この里の『時間』を取り仕切っている鬼である。
「風見鬼さーん、外の様子はどうですかー?」
「……今日も、風に変化はないわ。しばらく最終選別も行われていないから、鬼の数が増えてきているわね」
花枝は半鐘台を下から見上げ、その鬼に声をかけた。
風見鬼のさらりとした黒髪が、ふわりと風に揺れている。彼女はその名の通り、風を読みとる力を持つ鬼だ。
彼女の読みとれる効果範囲は広く、この半鐘を中心にして里全体――それどころか、鳥居の外の
そして、彼女の能力はそれだけではない。
「なら、近い内にまた最終選別があるかもしれませんね。手鬼はどうしていますかー?」
「……彼はいま、獣――イノシシかしら? それを狙っているところね。話しかけたら『後にしろ』ですって」
「わあ。イノシシですか! 今日のお鍋は豪勢になりそうですね、皆さんに伝えておきましょうね!」
そう。彼女の能力は、風を介して遠くの相手と言葉を交わすことができるのだ。
吹く風自体は穏やかなそよ風なので、どうしてもそこにはそれなりの時間差が発生してしまう。けれど、それを差し引いてもなお、遠くの相手とやり取りができる利点は大きいのだ。
そのお陰で、今回のように手鬼が単独で藤襲山に狩りに出かけることも増えてきた。
「……夕刻になったら、鐘をならすわね。それまでは、風とともに、文字の世界を漂うわ」
「はーい、お願いしまーす」
風を読みとる風見鬼は外の世界の昼夜も読みとれるため、普段はこの半鐘台の上で定時に鐘をならす役目を担っている。
もっとも、風を読んでいる間も彼女自身は暇なので、もっぱらここで書物や新聞を読みながら過ごしていることが多い。最近は、新聞とともに包まれていた外の世界の読本がお気に入りらしい。
美人だけれど、なんだか随分と不思議な空気を纏っている鬼。それが、花枝からみた風見鬼という鬼の評価だった。
「あ、筆鬼さん。彫刻鬼さんは今日もまだ作業部屋ですかね?」
残りの鬼たちを探しに裏手の社家屋敷へと入ると、そこでは筆鬼が大きな紙と向かいあっていた。
彼は最近、文字だけではなく墨絵に挑戦しているようで、日々、様々な風景画を墨で描いている。
時間だけは有り余っている鬼たちなので、風景画もなかなかに上達していた。筆鬼曰く、将来的には満足いく絵を選んで本殿の壁に並べていきたいのだそうだ。
「彫刻鬼かね? しばらく見ていないが、今ごろは、巫女鬼様の像の仕上げに入っている頃ではないかのう」
「いくら鬼とは言え、彫刻鬼さんも休憩も挟まずによく続きますね……」
二人の話題に出てきた『彫刻鬼』もまた、この里に増えた新たな仲間だ。
彼は手先が器用なため、里で使用する様々な道具を作るときには、非常に力になる鬼である。
そしてその名の通り、彼は人間の頃から彫刻――とくに仏像を制作するという「仏師」を生業にしていたのだという。鬼となった今もなお、社家屋敷の一室を己専用の作業場として、様々な仏像や彫り物を制作し過ごしている。
お陰で、はじめは何もなかった境内や本殿には、至る所に彼の作った仏像や動物の像、果ては量産された花枝の像が並んでいたりする。
そして話題は、いま彫刻鬼が制作しているという大型の仏像――否、巫女鬼像に戻る。
「ところで、その像って本当に神社の本殿に置くつもりなんですかね? さすがに神社の巫女としては、御神体としてわたしの像を置くのは、本当の神様に申し訳なく思うんですけど……」
「ふぉふぉふぉ。儂らは神仏から見捨てられたようなものじゃからのう。儂らを救い出してくれた巫女鬼様こそ、信仰の対象なんじゃよ」
「えー……」
彫刻鬼がいま制作しているという巨大な巫女鬼像。
それはこのまま順調に行けば、この
「もっとも、儂としては本殿の奥に隠すのではなく、鳥居を入ってすぐの位置に巫女鬼様の像を飾っても良いのではないかと思っておるのじゃがな」
「わあ。それはふつうに嫌ですね」
鳥居を入ってすぐに、自分を模した立派な像が立っている様子を花枝は想像する。
それは普通にとても嫌だったので、本殿の奥に隠してもらった方がいくらか精神的に楽だなと。花枝は心の中で、渋々妥協した。
そして問題の彫刻鬼。彼は職人気質であり、常に一番離れた部屋――作業部屋で、休みなくとんてんかんと像を彫り進めるのが常だった。
花枝は彫刻鬼の作業部屋へと向かい、相変わらずとんてんかんの音がする木戸の外から遠慮なく声をかける。
「彫刻鬼さーん? 今日は久しぶりに皆でお夜食の日ですから、キリのいいところで手をとめてくださいねー?」
「おお、巫女鬼殿! ちょうどいいところに、ささ、お入りください!」
「え、入っていいんですか?」
花枝の声に気づき、扉がガラリと開く。
中から出てきたのは中肉中背で、血色はとても悪いが人の良さげな笑顔を浮かべた鬼である。
頭には布を巻き、手には作業用のノミと槌を持ったままだった。この道具は、彼の能力で生み出されたものである。
特に室内に用があったわけではない花枝だが、内心では彼の造る巫女鬼像が気になっていたのも確かだった。なので進められるままに中へと入ると、それは室内の中央で花枝を待ち構えていた。
それは。
驚くほどに美化された巫女鬼――花枝の像だった。
「わあ」
「見てください、この像はまもなく完成するのです! この慈愛の表情、すばらしいとは思いませんか!」
「い、いえちょっと、彫刻鬼さん?! これってわたしを美化しすぎていませんか? というか、明らかに年齢がわたしより上ですよね?! 偽物ですよこれ!」
そう。その像は、明らかに花枝よりも大きかった。
花枝は七歳で鬼舞辻無惨に血を注がれ鬼になったが、幸か不幸か、外見的には生前と変わらぬ姿を保っている。すでに人間として生きていた時期よりも鬼になってからのほうが長くなってしまったが、花枝の肉体は未だ七歳のままなのだ。
だが、目の前の木彫りの像はどうだろうか。
「これ、普通に十三、四歳くらいはありそうなんですが……?」
「ふははは、我らの目にはこのように映っているのですよ!」
「わあ、絶対嘘だ」
その花枝の像は、それこそ最終選別に参加している少女たちと同じくらいの身長と、体つきになっていた。
花枝の姿が本当にこのように見えているのだとしたら、それはそれで非常に由々しき問題だが、目の前で笑っている彫刻鬼からは本気の何かが窺えるので、花枝は身震いする思いである。
彼は善性のものであり、人から恨まれるようなことはしてこなかった人間だ。呪いの視える花枝には、それはよくわかっている。
けれど。
「善人だとしても、必ずしもまともなわけではないのですね……」
「ん? なにか言いましたかな?」
「いえ、なんでも! それよりも彫刻鬼さん、今日は『お夜食の日』ですから、鐘の音が聞こえたらきちんと出てきてくださいね? 今日は手鬼がイノシシを狩ってくれているみたいですから」
「なんと、イノシシですか? それはそれは……ううむ、ふふ、楽しみですなあ」
藤襲山の動物を狩りつくさぬよう、狩りは今日のような『お夜食の日』に限定しているのだが、人間と同じ味覚を持つここの住民たちにとって、肉というのは御馳走だ。
先ほどまで少しばかり正気でない顔をしていた彫刻鬼も、肉と聞けば心は浮き足立つらしく、今から嬉しげな表情を見せている。
「巫女鬼殿の像が完成した暁には、その横には狩人の神として手鬼殿の像も造らねばなりませんな」
「あ、それはわたしも見たいです」
そんなこんなで。
多少、相互理解の難しい相手もいたりはするけれど。花枝と隠れ里の住民たちの関係性は、基本的には良好な日々を送っているのだった。
なお、成長した花枝の像をこの神社の御神体として祀ることに関して。イノシシ鍋を食べながら全員に決を取ったところ。
無事、花枝を除く住民全員の賛同が得られたため、正式に御神体に決定した。
次話は明日、7月25日(土)20時に短めの閑話を投稿予定です。