「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」
黄昏に照らされた小川のほとり。そこでは彼岸花が揺れ、いくつもの石が、まるで墓石のように積まれていた。
その彼岸を思わせる川辺では。幼い少女――
口ずさむは『地蔵和讃』。江戸の世でも広く知られた歌だ。
親より先に死んだ子供は、三途の川のほとり『賽の河原』へと行き、石を積み上げては手を合わせ、現世の人々への祈りを捧げることになる。
けれど夜になるとそこには鬼が現れ、親を悲しませた罪として、子供たちが積み上げた石を崩してしまうのだ。
そのような、仏教の教えのひとつが歌になったものである。
そして今。七歳にして人としての命を失った御霊矢花枝もまた、石を積みながら地蔵和讃を口ずさんでいた。
「三つ積んではふるさとの、兄弟我が身と――」
「やめろやめろ! テメェがそういうことをしてると笑えねえんだよ」
「わあ。本当に鬼に崩された」
花枝が積み上げた石をガラガラと崩したのは、地獄の鬼――ではなく、花枝の兄貴分の手鬼である。相変わらず眉毛がなく、釣り上がった目の真ん中にはバッテンがついていて人相が悪い。
そう、ここは三途の川でも賽の河原でもなく、花枝の生み出した隠れ里の森の奥を流れている小川のほとりだ。
石を積み上げながら地蔵和讃を口ずさんでいたのは、ただの雰囲気作りだ。
「ほら、この河原。彼岸花も咲いていますし、なんとなく賽の河原っぽくありませんか?」
「三途の川ってのはもっとでかい川だろ。こんな小川じゃ渡し船もいらねえじゃねえか」
「それもそうですね」
三途の川といえば渡し船。だが、目の前にあるのはあくまで森の中を流れている小川であり、鬼の身体能力ならば跳躍一つで越えられる程度である。もちろん鬼の割に貧弱な花枝は例外だが。
花枝が今日ここに訪れていたのは、ただの森の散策ついでだった。
「あっちの岩は? あれもお前がやったのか?」
「ええ。先日、百合鬼たちと一緒に」
「辛気くせえ風景だなぁ」
手鬼が川沿いの風景を見回す。
そこにはやはり、いくつかの岩が積まれていた。黄昏の空と周囲で揺れる彼岸花も相まって、その風景はまさに彼岸の墓地の姿だった。
◇ ◇ ◇
手鬼と花枝はゆっくりと小川に沿って歩きながら、鬼たちが並べていった岩を眺めていた。
それは、墓石だ。
「
「まぁな」
歩きながら、誰かが積んだ岩の並びに視線を向ける。
石というほど小さくもなく、しかし岩と言われて連想するほど大きくもない。鏡餅のような形の岩が、彼岸花の横に並んでいた。
「それに、頸を斬られた鬼たちもそうです。鬼殺隊の正義は理解できますが、鬼たちだって本当は、人喰い鬼になりたかったわけでも、親しい人を手にかけたかったわけでもないと思うんです」
「ああ。それは……知ってる」
手鬼も立ち止まり、並ぶ岩を見つめる。
黄昏に照らされた長い影が、川辺に伸びる。
「だから、なんとなく、気分ですけど。彼らのために石を積んでいるんです。可哀想なみんなのために、せめてもの供養になるかな、って」
長く伸びた花枝の影が、積み上げられた岩の影に重なるようにして、その手を伸ばす。
岩はひんやりと冷たく、何も語ってはくれない。
「なあ。巫女鬼は、助けたいのか? 鬼も、見習いの剣士たちも」
「どうでしょう。それぞれに同情はしますが、進んで手を伸ばそうとは思いません」
花枝の淀んでしまった瞳は、生前ほどの光を伴わない。
可哀想に思う気持ちはある。やるせない気持ちはある。剣士も、鬼も、全員が悲しい被害者なのだと頭では理解している。
けれど、今ある全てをなげうってまで彼らを救うかと問われれば、答えは決まっている。否だ。
「わたしは、この里のみんなを守るので精一杯ですよ」
「……そうだな」
鬼狩りは、怖い。
人喰いの鬼は、怖い。
だから。鬼も人も狩らないでいてくれる、この里の仲間だけが。
今の花枝にとっては大切なものだった。
◇ ◇ ◇
「地獄や極楽が本当にあったとして――いつかきっとわたしは地獄に落ちるのでしょうね。わたしはこれからもきっと、色々な人たちを見捨てます」
これから先、何年も。もしかすれば何十年も。花枝は藤襲山で散っていく多くの命を見捨てることになる。
花枝の淀んだ瞳は、自身が極楽へと行くことを――あの日亡くなった家族と再会することを、もう諦めている。
けれど、そんな花枝の手に、強く、優しい手が重なる。
「お前は地獄になんか落ちねえよ」
手鬼はそれだけ言うと、花枝の手を引いて歩き出した。
遠くで鐘の――いや、穴あき鍋が叩かれる音がする。神社に戻ればきっと、皆が温かい汁を作って花枝の帰りを待っていてくれるのだろう。
しばらくの間、花枝と手鬼は何も言わずに。夕焼けを反射する小川のふちを歩き続けた。
「ねえ、手鬼。あの世には、蜂蜜はありますかね」
「知るか。だいたいお前は神社の巫女だろうが、仏教の話ばかりしてんじゃねえよ」
「もう鬼になってしまった身で、神も仏もないじゃないですか」
「チッ。お前はせいぜい、この里で蜂蜜に溺れてやがれ」
「わあ。溺れるほどの蜂蜜を集めるのは時間がかかりそうですね」
どれだけ花畑を広げれば、それだけの蜂蜜が集められるのだろうか。
どれだけの月日を超えれば、蜂蜜に溺れられる日が訪れるだろうか。
花枝は、手鬼の温かい手の感触に笑みを零しながら。
仲間たちとともに好きなだけ蜂蜜を舐めて過ごせる、そんなずっと先の未来へと。
静かに、想いを馳せるのだった。
一章
次章『煉獄』
7月27日(月)23時公開予定です。