手鬼と煉獄槇寿郎の二人が境内をめちゃくちゃにしてから、一日が経った。
境内では下手人である手鬼がひたすら木材を運び込み、完全に破壊された半鐘台の復旧作業に取りかかっている。
そして、その作業者は手鬼だけではない。炎の呼吸の剣士である煉獄槇寿郎もまた、ひたすらに木材を運び、半鐘台を組み上げ、贖罪の労働をこなしていた。
「塔が復元されたとて……かの暴虐によって、刻を奏でる鐘は還らぬものとなったのよ……」
半鐘台の復旧作業を眺めながら、風見鬼が詩を読んでいる。感情の読み取りづらい鬼であるが、詩の内容からして彼女は恨み言を言っているようだ。
彼女が恨み言を言うのも仕方がないことだろう。仮に、彼女の居場所だった半鐘台の櫓が新たに作られたとしても、そこには肝心の『鐘』――つまりは穴の空いた大鍋だが、それがもうないのだ。
これまで住民たちに時の訪れを伝えてくれた穴あき鍋は、手鬼たちの戦いに巻き込まれ、見るも無惨な姿で発見されたのである。実に悲しい事件だった。
「本当にすまん! 稀に見る強敵に出会い、剣士の血が騒いでしまったのだ! 最終選別が終わり次第、代わりの鐘を見繕って持ってくるから、どうかそれまで待っていてほしい!」
「新たな鐘との出会い……それは、はたして闇夜がいくつ巡ったときなのかしらね」
「槇寿郎! テメェは無駄話してないで作業すすめやがれ!」
「おう、すまん! では風見鬼どの、またあとでだ!」
そうしてまた、槇寿郎は手鬼と共に木材運びに戻っていき。
ところで。
そもそも、どうして槇寿郎が日を跨いで未だにここに居るのか。
答えは単純で、彼は手鬼との戦いで精根尽き果て、あの場で大の字になったまま眠ってしまったのだ。
鬼たちの棲まう隠れ里の中心で眠りに落ちるなど、いい度胸と言うべきか、それだけ信頼されていると考えるべきか、花枝にはなかなか判断のつかないことだった。
ちなみに結局、彼はその後は社家屋敷の空き部屋に寝かされ、成り行きでこの里における初の客人となったのだが、具体的に何を目的にここまでやってきたのかという話はきちんとは聞けていない。
だが、一つだけ言えることがある。
「巫女鬼さまー。あの男の子って、本当に呪いとか背負っていないんですか?」
「ええ。あの子の背中は本当に綺麗ですよ。鬼殺隊の志望者にも、あんな方がいるんですね」
眼窩から百合の花を生やした百合鬼が隣に立ち、花枝を見下ろして聞いてくる。
実はまさにいま花枝の言った通りで、煉獄槇寿郎という少年は、鬼殺隊士特有の強烈な『呪い』を背負っていないのである。
彼はつまり、復讐心や後悔の念で動いているわけではなく、本当に前向きな気持ちのみで『最終選別』に参加しているのだ。正直な気持ちを述べるならば、花枝には槇寿郎の精神性がまったく理解できなかった。
なお、木材を運び終えた彼に何故鬼殺隊の試験を受けているのかと問うてみたところ、「俺の家は先祖代々隊士として鬼と戦っているのだ!」との答えが返ってきた。
彼は鬼への恨みではなく、受け継がれてきた『誇り』や『使命感』を胸に選別を受けていた。
そして幸いなことに、槇寿郎はその受け継いだものに見合うだけの『強さ』を持っていた。
だからこそ彼は何の負い目もなく、純粋な気持ちでここまでやって来られたのだ。
まったく、強さとはずるいものだな、と。
鬼になってもなお貧弱な身体しか持たない花枝は。爽やかに笑う槇寿郎を、少しだけ、羨ましく思った。
◇ ◇ ◇
その日の『お夜食』は、槇寿郎を囲んでの鍋料理だった。
大鍋にはこの里で収穫できた野菜や豆、食用草の数々。そして更に、池で獲ってきたばかりの魚までもが味噌で煮込まれている。菜花ばかり食べていた初めの頃と違い、今では食生活もだいぶ豊かになってきた。
今日の食卓には花枝だけでなく、この里に住む鬼たちが勢揃いしていた。
皆の目的は当然ながら、この珍しい客人――煉獄槇寿郎が語る、外の世界の話である。
鬼殺隊士を恐れて隠れ里からあまり出ようとしない住民たちだが、彼らは全員が共通して、根が善良な者たちだ。槇寿郎が鬼に対して好意的ならば、わざわざ排斥しようという者などいなかった。
「まさか
「メシ……コメ、ナイ、ケド……ウレシイ」
「ふふっ。こちらの包丁鬼さんは、もともと料理人だったんですよ」
包丁鬼。彼は最近この里の住民になった新顔の鬼である。
獣のような顔つきの巨漢で、その手には常に巨大な包丁を携えている。はっきり言って外見的にはこの上なく凶悪なのだが、トキジクの実を食べてからは里の皆に料理を振る舞う穏やかな料理長となった。
彼は恐ろしい外見ながらも、槇寿郎がうまいうまいと鍋を食べている姿を見て、目元は嬉しそうに笑っている。
「しかし、改めて驚きだな! 噂のあやかしの巫女のみならず、これだけ多くのあやかしたちが住んでいるとはな!」
「わたしも驚きましたよ。私たちが鬼殺隊に『あやかし』なんていう名で呼ばれているだなんて」
「巫女鬼様ってば、あやかしの巫女なんていう格好いい異名が増えてたんですねー」
「あやかし。それは……人の心をあやかす、魅惑の巫女……」
鬼のようでいて、決して鬼とは違う存在『あやかし』。
槇寿郎が言うには、彼は前々から、藤襲山に現れる『あやかしの巫女』の噂を聞いており、ずっとその真偽を確かめたかったのだそうだ。
なので、最終選別で山に入った直後から、彼は巫女の居場所を探し始めたのだという。
まず最初に彼は考えた。巫女ならば、そこには何かしらの社があるに違いない。社があるならば、そこには何かしらの鳥居があるに違いない。つまり、探すべきは鳥居である、と。
そして試験の初日からひたすらに山を駆け、二日目の夜になってようやく、この神社の唯一の出入り口である明神鳥居を発見できたのだ。
尋常ではない体力と決して諦めない精神力の二つを支えにして、彼は『見つけるまで駆け回る』という力業により、この隠れ里を本当に見つけだした。
「『あやかしの巫女』は鬼殺隊の若い隠を中心に語られている噂話だな! 過去に何人もの隠が、最終選別にてあやかしの巫女に救われた、という話だ!」
「まあ、それは嘘ではありませんが……」
隠というのは、鬼殺隊の活動を補助する黒服たちのことだ。
花枝が助けてきたのは、すでに最終選別を乗り越えられそうにない重傷の者ばかりだったが、彼らは隊士になれずとも、『隠』として鬼殺隊の力となる道を選んだのだろう。
花枝がそんな風に、過去に救助してきた彼らを思い起こしている横で、この場に集まっている鬼たちもまた口々に感想を述べはじめる。
「チッ。あやかしだろうがなんだろうが、んな噂に意味なんかあるのかよ」
「ふぉふぉ、手鬼は相も変わらず短絡的でいかんのう」
「そうっすよお、手鬼くん。噂には、それなりの理由があったりするんすよお」
「あやかしたちは仲が良いのだな! やはり鬼とは違うな!」
ぼやく手鬼に、それを諫める年輩の筆鬼とモグラ鬼。これまたいつもの光景の一つだが、槇寿郎はそんな様子を実に楽しそうに眺めていた。
「俺の知る限り、意図的に君ら『あやかし』の噂を語り継いでいる者たちがいるのは間違いなさそうだ。君らは、人喰い鬼とは違う善良な存在なのだ、とな」
「意図的、ですか……」
意図的に、噂を流す隠たち。
花枝は口元に指をあててその理由を考える。そしてなんとなくだが、理由はすぐに察せられた。
「でも巫女鬼様ぁ。普通に考えれば、巫女鬼様がいままで救助してきた子たちが『隠』になって、わざわざ『あやかし』なんていう噂を広めているってことですよねー?」
「そうですね、百合鬼。きっとその噂は、彼らなりの恩返しなんじゃないでしょうか」
「恩返しなんですかー?」
「多分、きっと、恐らくは」
「自信なさげですねえ」
花枝が救ってきた彼らとは他言無用の約束はしていたけれど、人の口に戸は立てられないものだ。噂になってしまったのは仕方がないと、花枝はそこに思うところはない。
それよりも、彼らは彼らなりに、花枝にどうすれば恩を返せるのかを考えてくれたのだろう。そこで生まれたのが『あやかし』という新たな名称だ。
鬼として狩られる立場の花枝たちだが、もし「鬼ではない別なもの」として認められたならば、狩られることはなくなるのかもしれない。
「ちなみに、ひと昔前の鬼殺隊ならばそのような噂が広まることなどあり得なかったと、俺の父は嘆いていた! 父をはじめ、日輪刀を持つ隊士の大半はそのような噂を『弱者の妄想』だと毛嫌いし、否定しているのだ!」
「つまり、日輪刀を持った隊士の方々は今も、私たちを悪しき鬼と同様に見ているということですか。全然安全じゃないですね」
「そうだな! 隠のみならず隊士全員に認識を広めるには、五年や十年ではない、もっと長い年月が必要だろうな!」
残念ながら、花枝たちが安全に外にでられるようになった訳ではなさそうだ。噂はしょせんは噂。たかだか十年やそこらで鬼殺隊の本質が変わるわけがない。
『鬼はみな人を食うものであり、討伐すべき対象である』というのが鬼殺隊の常識だ。長年続いてきたその不動の常識を覆そうと言うのだから、それにはきっと長い時間が必要なのだ。
けれど、時間だけならば花枝たちにはいくらでもあった。
「ふぉふぉ、巫女鬼様。覚えておりますかな? あの言葉を」
「はい。『情けは人の為ならず、巡り巡って己がため』、ですよね?」
「あの日の巫女鬼様がかけた情けは、長い年月を経て。何時の日か、もしかしたら大きく芽吹くのかもしれませんな」
「……そうですね。そうなる日を、ゆっくりと待ち続けることにします」
過剰な期待はしない。
鬼殺隊にとって「人喰いでない鬼がいるかもしれない」などという発想は、害にしかならないのだから。本物の鬼を前にして「わかり合えるかもしれない」などと甘いことを考えていては、助けられる命も助けられなくなってしまう。
けれど。
いつか、この里の皆で。外の世界を見られる日がくるのならば、それはとても素敵なことだなと。
花枝は心の片隅で、つい、小さな希望を抱いてしまうのだった。
◇ ◇ ◇
「ちなみに、俺が聞いて回った限りでは、その噂はもともと水の呼吸を学んでいた隠たちを中心に広まっているようだぞ!」
「ケッ! 嫌な呼吸だぜ」
槇寿郎が付け加えたおまけの情報によって、とたんに手鬼が不機嫌になってしまったりもしたけれど。
この日の、初めての客人を迎えた夜食は。
この里の住民にとっては、とても、とても楽しい夜食となったのだった。
◇ ◇ ◇
四日後。
「では、俺はそろそろ帰らねばならん! 今日で選別は最終日だからな!」
嘘みたいな話だが、槇寿郎はあれからずっと、この隠れ里の中で過ごしていた。
最終選別はいいのかと尋ねたが、彼としてはこの場所で手鬼と手合わせをしていたほうが、藤襲山の弱い鬼を相手取るよりはるかに良い経験になるのだという。
それについては花枝も否定はできず、初日に壊した半鐘台や石畳の復旧作業を手伝うことを条件に宿泊の許可を出したのだ。
だが、そんな意味不明な客人とも別れのときが来た。
「槇寿郎さーん、お土産にこの珍しい色の彼岸花は要りませんかー? 恐らく何かしらの薬効成分もありますよ?」
「すまないが、いらん! 花の世話は苦手だ!」
百合鬼が、餞別にこの里に咲く不思議な色の彼岸花を差し出すが、あっさりと断られた。
「槇寿郎どの! いくつか、この巫女鬼像を持っていかんかね!」
「ありがたいが、いらん! さすがに最終選別で像を持ち帰っては不自然なことこの上ないからな。だが、また次に来るときにはありがたく受け取りたい!」
「あ、また来るつもりなんですね」
「無論だ!」
彫刻鬼が、自作したいくつかの仏像――ではなく、いくつかの花枝の像を槇寿郎に差し出すが、そちらもあっさりと断られてしまった。ただしこちらは、いつかまた来た時に受け取るつもりらしい。
自分を象った像を持ち帰ってどうするつもりなのかと花枝は疑問に思ったが、正直に言うと神社の中に『巫女鬼像』が増えすぎてしまったので、槇寿郎が持っていってくれるならば非常にありがたい。
「せいぜい外の世界の鬼に殺されねえようにするんだな。死んでもお前の墓に合わせる手はねえぞ」
「手鬼こそ、より一層の修行に励むといい! 俺もお前との修行が一番身になるからな、楽しみにしているぞ!」
「わあ、謎の友情」
最後に、少年姿の手鬼が、槇寿郎とがっしりと握手を交わす。花枝にはわからない謎の熱いノリである。
そして、嵐のようにやってきた男――煉獄槇寿郎は、外の世界へと続く鳥居を潜り、朝日の差し込む藤襲山へと帰っていった。
花枝は。手鬼は。この里の鬼たちは。
初めて迎え入れた客人の背中を、彼が鳥居の向こうに消えていく最後の瞬間まで、ずっと、見つめていた。
いつかまた、再会できる日を祈りながら。
なお。
皆でしんみりと見送った槇寿郎は、数ヶ月後には本当に再びやってきて皆を驚かせることとなり。それ以降も頻繁に訪れる顔なじみとなっていくのだが。
この日の花枝たちには、そのような未来は知る由もないことだった。