――明治二十年。
「やはりこの里の野菜はべらぼうにうまいな! うまい! うまい!」
「わあ、嬉しい。今日はお漬物も沢山ありますから、たんと食べていってくださいね」
夕暮れに照らされた
声の主は、鬼殺隊士である煉獄槇寿郎。彼が最終選別でこの里を初めて訪れた日から、既に五年の年月が経過していた。
驚いたことに、あれから彼は頻繁にこの隠れ里を訪れるようになった。
その都度、彼は様々なものをこの里に持ち込んだ。
最初に持ってきたものは、風見鬼と約束をしていた新たな鐘だった。
穴あき鍋の代わりとして持ち込まれたそれがあまりに立派な青銅鐘だったものだから、風見鬼も気分が高揚し、しばらくの間は意味もなく突然鐘を鳴らして住民たちを困惑させたものである。
「鐘が、風に揺られて……勝手に……そう、勝手に歌ったのよ」とはその際の風見鬼の言い分だ。
次に、明治時代に新たに出版されるようになったという数多くの書物や読み物が持ち込まれた。これには筆鬼を始めとした、文字を読める鬼たちは皆が喜んでいた。
そして更に、この里の住民のための布団や着物を大量に背負ってやってきたこともあった。いい修行になると本人は笑っていたが、身体の何倍もある巨大な包みを背負った槇寿郎がやってきたときは、さすがの
しかも、彼は隠れ里から帰る際には、彫刻鬼や筆鬼が制作した木彫り像や墨絵の数々を大量に持ち帰るのだ。中でも巫女鬼像が好事家たちに好評とのことだったが、花枝はその話は聞かなかったことにした。
なんにしても。
はたして、そのように不審な素振りを隠そうともしない槇寿郎を、彼とともに居る鎹鴉たちはどのような目で見ているのだろうかと。藤襲山の上空を飛ぶ鴉を見つけるたびに、花枝は常々疑問に思っている。
そして、鎹鴉と言えば――。
『ガァ! ガァ! 槇寿郎、肉モ食エ! ハチミツデ、揉ミ込ンダ肉ダゾ!』
まさに今。食卓に躍り出て、槇寿郎の目の前の更にしっかりと火の通ったイノシシの肉を差し出したのは、黒く艶やかな羽根を持つ一羽の鎹鴉だった。
その鎹鴉には、脚が三本生えていた。
三本脚の鴉。その姿はまさに、日本神話に登場する『八咫烏』を彷彿とさせる姿である。
「む、すまないなヤタガラス! この肉もうまいな! うまい! うまい!」
「アァァァ! このクソ鴉、なんで俺の皿の肉を持ってったんだよ!! 槇寿郎も普通に食ってんじゃねえよ!!!」
『ガァ! ガァ! ソッチノ皿ノホウガ、近カッタ』
この三本脚のヤタガラスと呼ばれた鎹鴉は当然ながら普通の生物ではない。彼は、鬼――いや、あやかし化した鎹鴉である。
「おい巫女鬼、このアホ鴉は焼いて食っちまっていいか? いいよな?」
『ギャア! 鴉殺シィ!! 手鬼ノボケナスゥ!!』
「もう。手鬼もヤタガラスも食事中に騒いじゃ駄目ですよ。ほら、あっちで百合鬼さんと遊んで来て下さいね」
花枝がそう言うと、ヤタガラスは開かれた襖からバサバサと飛んで行く。
手鬼と罵り合ってはいるけれど、やはり彼も自身が花枝の力で救われたことを理解しているようで、花枝の言うことは素直に聞いている。
一方、いきなり肉を奪われた手鬼は額に分かりやすく青筋を浮かべている。
「まあまあ、手鬼も、そう怒らないでくださいね。こっちのお肉をあげますから。はい、あーん」
「……やめろやめろ、自分で食う」
「蜂蜜水も飲みますか? 一口だけならいいですよ?」
「いらねえよ」
相も変わらずのほほんとしている花枝の態度に毒気を抜かれたのか、手鬼は差し出された花枝の皿から自分の箸で肉を一枚つまむ。
イノシシを捕まえてきたのは手鬼だが、それをこうも美味しく調理してくれているのは炊事場で今も皆の食事を作っている包丁鬼だ。
餅は餅屋と言うように、やはり調理は調理人に任せるのが一番だ。なんだかんだ文句の多い手鬼も、料理に関しては満足げだ。
槇寿郎は相変わらず、勢いよく飯をかき込んでいる。
「うまい! うまい!」
「テメェもさっきから無視して食ってんじゃねえよ! あのクソ鴉をつれてきたのは槇寿郎、テメェだろうが!」
「おお、そうだったな!」
そして、そんな一連のやりとりにまったく動じることなく。槇寿郎は先程と変わらず、今もまだ、もりもりとご飯をお代わりしているのだった。この米も元をたどれば槇寿郎が運んできたものなので、彼は全く遠慮がない。
「それにしても、懐かしいですね」
花枝はそんな二人の姿をにこにこと眺めながら。ヤタガラスが新たな住民になったときの出来事を、鮮明に思いだしていた。
◆ ◆ ◆
それは、初めてこの隠れ里に煉獄槇寿郎が訪れた日から、数年が経った頃である。
年に何度かの頻度でこの里を訪れていた槇寿郎が、たまたま新たなトキジクの実の結実に居合わせた際に、何の気なしに聞いてきたのだ。
「疑問! もし鬼ではなく、生きているものたちがこのトキジクの実を食ったら、どうなる?」
この頃の槇寿郎は、既にトキジクの実についても聞かされていた。
最終選別のどさくさに、花枝が見繕った呪いの少ない鬼にこのトキジクの実を食べさせることで、彼らの魂が浄化され、この里の住民――すなわち『あやかし』となるのだ。
その話を聞いた際、外の世界に蔓延る強い鬼たちを知っている槇寿郎は考えた。
あるいは鬼ではなく、普通の生き物にトキジクの実を食わせた場合は、どうなってしまうのか。
「それは……どうなるのでしょうね。いつも藤襲山の鬼に食べさせていましたから、考えたことはありませんでしたね」
「そういやそうだな。やっぱり、俺等みたいな人を食わねえ鬼になるんじゃねえか? 最終選別に参加してる剣士にでも食わせてみるか?」
「やめてくださいよ。仮にそうだとしても、わたしは普通の人たちを鬼になんてしたくありませんからね」
手鬼が軽く述べた意見に、花枝は眉を顰めて首を振る。
人としての倫理観が相当に薄れてきている花枝であっても、生きている人間を自分たちと同じ存在にまで貶めるつもりはない。
「うむ、巫女鬼の言う通りだ!」
そして、花枝の言葉に強く同意を示したのは槇寿郎だ。
「万が一でもお前たちが人間の命を弄ぶような真似をしたならば、俺はお前たちの頸を斬らねばならなくなる。そのような話はやめた方がいいな!」
「アァ? 今のは話題はテメェが最初に言い出したことだろうがよ」
「それもそうだな! すまん!」
そのときには、それで会話が終了した。
目の前で結実したトキジクの実も、また次の最終選別のときに、新たな住民を生み出すために使われるのだろうと。この時の花枝はそう思っていた。
しかし――。
「巫女鬼。実験として、この鎹鴉にトキジクの実を食わせることはできるか!」
それは、次の週のことだった。
槇寿郎が一週間の短期間で再び里を訪れたことにも面食らったが、彼が連れてきた存在にも花枝は面食らった。
槇寿郎が優しく懐に抱いていたもの。それは、鬼の毒にやられて衰弱しきった、あとは死を待つだけという状態の鎹鴉だったのだ。
鬼以外の生き物にトキジクの実を与えたらどうなるのか。鎹鴉には悪いが、死を待つだけの彼はそのための実験台として持ち込まれたのだ。
「この子は、槇寿郎の鎹鴉なんですか?」
「いや、俺の鎹鴉はこの里に入るのを嫌がるから外で過ごしている! この鎹鴉が補助していた隊士はすでに毒で死んでいた! そして鬼は俺が斬った!」
「あら、まあ」
さらりと飛び出した名も知らぬ隊士の悲しい話はともかくとして、花枝たちはこの鎹鴉にトキジクの実を食べさせてみることにした。
その結果――。
『ガァ! ガァ! 脚ガ増エタ!』
「わあ、すごく元気」
鎹鴉の尽きかけていた命は長らえ、不死の存在となり、ついでに脚も一本増えていた。その世にも珍しい三本足の姿から、彼は「ヤタガラス」と新たに名付けられた。
そうして彼――ヤタガラスは。その日、御霊矢神社の新たなる住民として迎え入れられたのだ。
◆ ◆ ◆
「うまい! そんなこともあったな! うむ、懐かしいな! うまい!」
「米粒を飛ばすな! 食うか相づちをうつかどちらかにしろ!」
「槇寿郎は本当に美味しそうに食べますね」
花枝の語る思いで話を本当に聞いているのか怪しいが、槇寿郎は六回目のお代わりを食べながら大きく頷いている。
一方、米粒を飛ばされた手鬼は相変わらずツッコミ三昧だ。
「つーか、そもそもなんで鬼殺隊の柱がここで呑気に飯を食ってんだよ! お前、家に帰ればもう嫁がいただろ!」
「うむ。実はだな、柱としての仕事で遠方へ向かわねばならぬのだが、宿場に立ち寄るよりも、ここに立ち寄った方が距離が近かったのだ!」
「わあ。私たちの里を宿場代わりにしてますよこの人」
いま、目の前で飯をたらふく食べているこの男、煉獄槇寿郎。
彼の持つ日輪刀には『悪鬼滅殺』の四文字がはっきりと彫られている。これは、その所有者が鬼殺隊の最高戦力『柱』であることを示すものだ。
そう。槇寿郎は、今や鬼殺隊の柱となっていた。
数年前に炎柱に就任し、それ以降はさすがに柱としての役目が多く、彼はこの隠れ里に訪れる頻度もだいぶ下がってきたのだが、気づけばひょっこり訪れてこうして飯を食っていくのだ。
「それに、ここの『あやかし』たちは強い。彼らと手合わせをするだけでも、鬼と戦う上での学びが多いのだ!」
彼は箸を止め、花枝と手鬼に視線を向ける。
その目は相変わらず、すべてを射抜くようなぎらぎらした圧を帯びていた。
「柱として断言するが、キミたちは……いや、巫女鬼は貧弱なので論外だが、ここの鬼たちは少なくとも下弦の鬼に匹敵する実力は持っている」
そのまっすぐすぎる視線は、決してふざけてはいない。
彼は鬼殺隊の柱として、この土地に住む善良な鬼――あやかしたちとの手合わせに、大きな意味を見い出しているのだ。
だからこそ、槇寿郎はこの隠れ里を訪れることをやめない。
「手鬼や包丁鬼は単純に強い! そして筆鬼や百合鬼の血鬼術は、柱である俺でも初見では対応不可能だったほどだ! 無論、他のあやかしたちもだ!」
槇寿郎の言葉は、すでに燃え上がるような熱を帯びていた。
その熱に当てられたのか、手鬼もまた心が昂っていた。現役の炎柱に改めて「強い」と断言されることは、その胸に火をつけるには十分だったらしい。
もっとも、論外とされた花枝だけはしらけた顔である。そして、冷静である。この後の展開が読めてしまう。
「いい心がけだぜ、槇寿郎。飯食ったら表に出ろ、さっそくその『強い』俺様が相手をしてやるからよ」
「是非もなし! ならば、腹八分目で、早速今からはじめるとするか!」
そして、空になった皿をそのままに、二人して立ち上がると、闘争心を隠そうともせずにずんずんと表へと歩いていく。
まだ食事中の花枝と、食後の片づけにやってきた包丁鬼は、その「いつも通りの」二人の姿を室内から見送った。
「あれだけ元気なら、二人に森を拓く手伝いをしてもらっても良かったかもしれませんね」
「……森、メチャクチャニ、ナルゾ……」
「わあ、確かに。それもそうですね」
やる気に満ちあふれている槇寿郎たちに、戦いついでに森の開拓をお願いしようかと思ったが、やめた。
包丁鬼の言うとおり、予定地が二人の戦いでメチャクチャにされるのがオチである。力をつけたあの二人は、最近はもう、次元のおかしい戦いを繰り広げるのだ。
はたして、今日の被害は空き地がぼろぼろになるだけで足りるだろうか、と。
花枝は、さっそく明日からの後始末について考えはじめるのだった。
◆ ◆ ◆
この後の時代も、炎柱となった槇寿郎は定期的にこの隠れ里を訪れた。
彼は、花枝たちに様々な外の世界の出来事を教えてくれた。明治という世の中。人々の暮らしの変化。
また、槇寿郎の妻がどれだけ美しく素晴らしい女性かというのろけ話も多かったが、それもまた槇寿郎らしく、花枝たちにとっては微笑ましいものだった。
世の変化に合わせ、鬼殺隊の隊服が西洋風の詰め襟にボタンのついたものに変わった時は、さすがの花枝も面食らった。花枝たち江戸時代の人間にしてみれば、詰め襟というのは非常に珍妙な服装に見えた。
そして。
花枝たちは、鬼殺隊の変化についても。より深く知ることになる。
鱗滝左近次は花枝たちの知らぬ間に現役を引退しており、今はどこかの山に庵を建てて育手となったらしい。
つまり、以降の狐の子たちは鱗滝が手塩にかけて育て上げた弟子ということになる。手鬼はそれと出会う日が楽しみで仕方がないという顔をしていた。
また、鬼殺隊当主である産屋敷家について。
花枝が人間だったころの産屋敷94代目当主と、その跡継ぎであり、花枝が人として生きてさえいればその妻となっていたであろう産屋敷95代目当主は、とうの昔に『呪い』によって早逝していた。
花枝の力で救うことを願われた当主たちは、すでにこの世にはいなかった。
今、鬼殺隊の指揮をとっている96代目当主もまた、早逝の呪いを受けている。
その彼、96代目当主が。
御霊矢花枝への手紙を残し、自らこの世を去るのは。
この先、明治二十八年の出来事だった。