――明治三十八年。
「巫女鬼様ぁ。そろそろ新しい鬼を仲間にしてもいいんじゃないですかー? トキジクの実って、まだいくつか保管してありますよね?」
「確かにありますけど、何かありましたか? 百合鬼」
「私、女性の鬼に増えてほしいんですよっ! 新聞によれば、街では女性が集まって食事をするのが流行しているそうなんです!」
「女性の鬼。子供でなくとも……大人でも、その母性は、かけがえのないものよ」
「えー、風見鬼まで。うーん、母性ですか? 今一つ、ぱっとしませんが……」
この池は、以前からあった小さな生け簀の池とは違い、鬼たちが総出で作り上げた広大なものだ。水深もかなり深くまで掘られており、中に屋敷を三つ四つ沈めたとしてもお釣りがくるほどの池である。
池の向かい側では、何人か鬼たちが釣り糸を垂らしている姿が見える。
その中でも三人。ここ数年で新しく里の住民となったものたちがいた。
「でも確かに、蟲鬼さん、河童鬼さん、田中鬼さん。新しく増えた皆さんも確かに男性ですしね」
「そうなんですよー。まあ、
体中に包帯を巻いている蟲鬼は、蟲を使役する力を持っており、いまでは蜂蜜や健全な土壌作りの要である。
見た目が河童そのものである河童鬼は、その見た目通りに水作業を得意としている。
最初にうっかり生前の名字で自己紹介をしてしまった田中鬼は、全体的に普通だが、気のいい鬼だ。
それぞれが今では里の仲間として共に暮らしているのだが、百合鬼たちの言うとおり、女性の鬼は長らく増えていないのだ。
ならば、その要望に応じて次は女性の鬼を探すべきか――と。
花枝が水面に映る魚の影を眺めながら考えていると、バサバサと、聞き慣れた鴉の羽音が近づいてきた。
『ガァ! ガァ! 槇寿郎ダ! 槇寿郎ガ山ヲ上ッテキテイルゾ!』
「わあ。随分久しぶりですね」
それは、鳥居の外の藤襲山を哨戒していたヤタガラスによる、実に久しぶりとなる客人の報告であった。
◇ ◇ ◇
「おお、巫女鬼! 皆も、久しぶりだな!」
花枝たちがヤタガラスに連れられ鳥居を出て少し先まで行けば、そこにいたのは月光に照らされた藤の花の道を登ってくる炎柱――煉獄槇寿郎の姿だった。
産屋敷当主の一件から、この山にあまり来られなくなってしまった槇寿郎の来訪に、花枝は微笑みを隠せない。
「久しぶりですね、槇寿郎。なんだか貫禄がつきましたか?」
「そういう巫女鬼は変わっていないな。だが……実に、数年ぶりといったところか」
「ええ。連絡もありませんし、心配していたんですよ?」
初めて出会った日は少年だった槇寿郎も、今では二人の息子をもつ立派な大人である。
花枝と槇寿郎。以前は兄と妹のように見えた二人が、今ではもう父と娘のようだ。若い頃はなにかと大声で騒がしかった槇寿郎が、今は静かに、穏やかな笑みを花枝へと向けている。
そんな、生きる時間の違う二人の姿を。花枝の護衛としてここまでやってきた百合鬼と風見鬼は、優しさと、少しの寂しさの混じった視線で見つめていた。
「ところで槇寿郎。随分と……疲れがたまっているようですが、とりあえずお食事でもどうですか?」
「ああ。ならば、頂くとするか」
「あ、じゃあ私たちは先に戻って、包丁鬼に食事の準備を頼んでおきますね!」
「手鬼にも……伝えておくわね。きっと、喜ぶわ……」
「ええ。では百合鬼と風見鬼は先に報告をお願いします。わたしたちは、ゆっくり行きますから」
花枝は、二人の鬼に指示を出すと、自分は槇寿郎の横に並んで歩き始める。槇寿郎の背に手をあてて、ゆっくりと、山道を歩く。
「槇寿郎は色々大変なのでしょうね。今日はせっかくですし、くつろいでいってくださいね」
「はは、そうだな。久しぶりに、世話になるとしよう」
花枝は、色々なものを背負う立場になってしまった槇寿郎を労るように。その小さな手をぐいと伸ばして、炎柱の大きな背中をぽんぽん、ぽんぽんと。
彼が木々の合間に、
◇ ◇ ◇
「こうしてみると、この隠れ里もずいぶんと豪勢になったものだな」
「うふふ、色々と増えましたからね」
「ほう、これはゆり根か? 前はなかったな」
「ふふ、どうぞどうぞ。食べてくださいね」
食卓には、包丁鬼と、その補助の田中鬼が作り上げた豪勢な食事が並んでいた。
白く輝く山盛り飯に、漬け物、汁、野菜の数々。そして焼き魚は先ほど釣り上げられたばかりのものであり、あげく明治の世ではまだ庶民的とは言えない生の卵や、小皿には直前まで冷やされていた小さな果実までもが添えられている。
米こそ産屋敷から提供されているものだが、今では食材の大半がこの里でとれたものだ。生卵も、境内で育った鶏のものである。
ゆり根だけは畑ではなく、百合鬼がぽこんと生みだしたものだが、食べる分にはきっと問題はないだろう。
「うまい。やはり包丁鬼の料理はうまいな。どこの料亭よりもうまいぞ」
生卵を垂らしたどんぶり飯をかき込んでいる槇寿郎の姿を、花枝は目を細めて眺めていた。
そして、彼が箸を止めたところで、静かに言葉を切り出す。
「……槇寿郎。わたしたちは、もう知り合ってから随分と長いですよね」
「む。そうだな」
「なら、もう遠慮はよしてください。あなたは、わたしたちにとっては間違いなく『仲間』なのですから」
「……」
花枝は――いや、槇寿郎を昔から知っている住民たちは皆、彼の異変に気がついていた。
年齢を重ねて落ち着いてきたとはいえ、それを差し引いても、今日の槇寿郎にはあまりに覇気がないのだ。
花枝が背を叩き、その呪いを浄化しなければ鳥居が見えなくなるほどに。槇寿郎は何かしらを抱え込み、自分自身を呪っていたのだ。
だからこそ――。
「わたしたちの助けが必要ならば、はっきりと助けを求めてください」
花枝は、槇寿郎の目を見つめて言った。
「わたしたちは、このような世界で生きてきたからこそ『仲間』を見捨てたりはしません」
「そうだぜ、槇寿郎。大声を出さねえテメェなんざ、気持ち悪くてかなわねえよ」
花枝に続き、手鬼もようやく口を開く。
周囲では、筆鬼や百合鬼といった、古くから槇寿郎を知る仲間たちがその言葉にうなずいている。
「ふぅ……まったく。ここの住民たちにはかなわんな!」
それはため息か、あるいは己を律する呼吸か。
ひとつの大きな呼吸とともに、槇寿郎はいつもの調子を取り戻し。その強い眼差しを、周囲の仲間たちへと、そして花枝へと向ける。
「俺は今回、巫女鬼に頼みがあって来た。だが、それは間違いなく、巫女鬼たちにとっては喜ばしい話ではないだろう。先に言っておくが、断ってもかまわない!」
花枝は槇寿郎の瞳をまっすぐに受け止める。
彼は鬼殺隊の炎柱だ。この里に住むものたちにとって、鬼狩りの柱という存在が手放しに受け入れられる立場でないのは間違いない。だからこそ、槇寿郎は花枝たちに頼ることを未だ、悩んでいるのかもしれない。
けれど、花枝は槇寿郎の瞳のなかに、どうしても、どうしても、花枝にすがらねばならぬほどの悲しみの色を見つけてしまった。
だから、本当はこれ以上の話を聞くまでもなく、花枝の答えはもう決まっていた。
「ケッ。俺らがテメェの助けにならないとでも思ってるのか? 舐められたもんだぜ」
「ふぉふぉ、手鬼の言う通りじゃぞ、槇寿郎」
「願いは……口にしないと、星に届かないわ……」
「まあまあ皆さん、落ち着きましょうよ。槇寿郎も。まずは、あなたの頼みとやらを聞いてみないことには、何も判断できませんから」
「……そうか、そうだな」
槇寿郎は、箸を置き。
今回ここを訪れたその『頼み』について、集まった住民たちに、語って聞かせていく。
――そして。
「駄目に決まってんだろ、帰れ帰れ! 誰かこいつを外に放り出せ!」
「わあ。見事なまでの手のひら返し」
槇寿郎の話を聞き終えた手鬼の反応は、見事なまでの前言撤回であった。
手鬼ほどではないにしろ、周囲で話を聞いていた住民たちも、槇寿郎の話にはなんとも言えぬ顔をしている。少なくとも、諸手をあげて賛同するものはいない。
というのも、その槇寿郎の頼みとはほかでもない『巫女鬼に人里まで来てほしい』という、彼らの長である花枝に大きな危険がつきまとう頼みだったからだ。
「手鬼だって、さっきまでは『仲間は助けるぜ』みたいな顔をしていたじゃないですか」
「それとこれとは話が別だろうが。俺にできることならやってやるが、巫女鬼を危険に晒すとは言ってねえ!」
「……すまないが、やはり手鬼の言う通りだな! 俺も自分の頼みが無茶だとはわかっている! 今のは聞かなかったことにしてくれ!」
「もう、槇寿郎も判断が早すぎます! 皆もわたしの話をちゃんと聞いて下さい。皆がなんと言おうと、わたしは行きますよ」
花枝の発言に、室内はしんと静まり返る。
手鬼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。だが、それでも、花枝を黙らせようとはしない。
住民たちは全員、自分たちが何を言おうが、花枝が言葉を撤回しないことを理解していた。彼らとて、危険な目にあうのが花枝でなく自分だったのなら、喜んで協力していたはずなのだから。
「それにです。槇寿郎はわたしにとっては弟のようなものですからね。弟に頼られて、それを断るほど落ちぶれた覚えはありません」
「……」
「……」
花枝の発言に、室内はしんと静まり返る。
手鬼は苦虫を噛み潰したような表情で眉間に皺を寄せ、何故だか目を伏せている。周囲にいた住民たちも皆が皆、意味深に視線を逸らしていた。
しばらくの沈黙の後、喉に米でも詰まったのか、槇寿郎が「ん、っんー」と謎の咳を発するので、花枝は慌てて茶を差し出した。
「いきなり咳き込んで、大丈夫ですか? 槇寿郎」
「あ、ああー……そうだな! 正直に白状すると、巫女鬼にこれまでずっと『弟』と思われていたのだという事実に驚き、言葉を失っていた!」
「何を言っているんですか。明治生まれの槇寿郎より、文久生まれのわたしのほうがお姉さんに決まっているではないですか」
花枝は、七歳児の姿で、ふんすと鼻を鳴らす。
良くも悪くも。室内に漂っていた不穏な空気は、花枝の「わたしがお姉さん」宣言で立ち消え。
それぞれに皆、冷静さを取り戻すことができたのだった。
◇ ◇ ◇
「巫女鬼。頼んだ俺が言うのもなんだが、藤襲山の外で鬼殺隊士に見つかれば頸を刎ねられるやもしれんのだぞ? 本当に構わないのか?」
「それは槇寿郎が守ってくださいよ。炎柱なんですから」
「それは無論、そのつもりだが」
槇寿郎の頼み。それは、鬼殺隊としての頼みではなく、煉獄槇寿郎個人としての頼み事だった。
具体的には、いま煉獄家にいる人間に、花枝の『浄化』を施してほしいのだという。それが鬼殺隊士ならば藤襲山に連れてくれば良いだけの話なので、その相手はきっと鬼殺隊士ではない、ほかの誰かなのだろう。
それが誰なのかまでは伝えられてはいないが、槇寿郎の目を覗き込んだ花枝には、なんとなくの予感があった。
「巫女鬼。テメェ、何があっても槇寿郎のそばから離れるんじゃねえぞ」
「大丈夫ですよ、手鬼。槇寿郎の家で少しばかり浄化の力を使って、明治の人里をのぞき見て、美味しいものを頂いて、美味しい蜂蜜を槇寿郎にいくつか買ってもらったらすぐに戻ってきますから」
「寄り道が多すぎるだろうが!」
準備は進み、出発は明日の日が暮れてからとなった。
それに伴い、花枝が太陽から隠れるための背負い箱が作られた。また、花枝の額にある角を隠せる程度のずきんも、余った布地に手を加えて制作された。
実のところ、槇寿郎が花枝を背負い走れば夜のうちには煉獄家に到着するはずだが、万が一のための対策があるに越したことはない。
煉獄家に向かうのは、当然ながら家主の煉獄槇寿郎。そして今回の渦中である御霊矢花枝。それに、もう一人――いや、もう一羽だけ、花枝に同行することになる住民がいた。
「おいヤタガラス。巫女鬼のことは頼んだぞ、テメェが頼りだからな」
『ガァ! ガァ! 煉獄家ノ場所ハ知ッテイル! 巫女鬼ガ迷子ニナッタトキハ任セロ!』
「あ、わたしが迷子になる前提なのですね」
そのように、里の住民たちの心配を一身に受けながらも。
花枝が鬼となってから、初めて人里へと下りる時刻が、刻一刻と、近づいてきたのだった。