藤襲山の巫女鬼 きめつ隠れ里噺   作:chikuwabu

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煉獄家

「わあ。槇寿郎、これが明治の人里なのですね。建物も全然違いますし、上にかけられた大量の紐が『電線』というものですか」

 

「ああ、地面に突き立っているのが電柱、そこから伸びている紐が電線だ。明治の世は巫女鬼――いや、花枝が生きていた頃とは大きく変わっているのだろうな」

 

『ガア! アノ柱ノ上ハ見晴ラシガイイゾ!!』

 

 すでに皆が寝静まっている町の中を、槇寿郎と花枝(かえ)は並んで歩いていた。その頭上では、三本脚のヤタガラスがつかず離れず飛んでいる。

 ここは煉獄槇寿郎の住む屋敷のある町である。藤襲山(ふじかさねやま)からここまでは、花枝を詰め込んだ籠を背負った槇寿郎がものすごい速度で走ってきた。距離も相当なものだったはずだが、そこはさすが現役の炎柱である。汗こそ浮かべているものの、まだまだ元気そうだ。

 

 いかに人の多く住む町とはいえ、この時間に起きている者は少ない。

 大都市ならば街灯などで夜道が照らされている場合もあるだろうが、花枝たちのいる町はすでに夜の闇に包まれていた。

 声を潜めながらも。それでも花枝は好奇心が止まらず、興奮気味にあれこれと槇寿郎に質問を投げかけている。

 

「ねえ槇寿郎。明治の世には『自動車』という、馬を使わずに動く鉄の荷車があると読んだのですが、それは本当ですか? どこにも見当たりませんけど」

 

「自動車か。この辺りではまだ見ないが、東京市などの大きな街ならば最近は見かけるようになったぞ。どう動いているのかは俺もよくわからんがな」

 

「わあ、本当のことだったんですか。この国も、わたしの知る時代とは随分違ってしまったのですね……」

 

 花枝も新聞や読み本で知識を得てはいるので、江戸が『東京』という名に変わったことも、外国から様々な文化が入ってきていることも知っている。

 だがやはり、いざこうして実際に目にすると、まるで見知らぬ異国を訪れた気分になる。それこそ、江戸の時代から山の上で暮らしていた花枝にしてみれば、この人里はまるで別世界だった。

 花枝は星空を区切るように伸びた『電線』を見上げて、ほう、と小さく感嘆のため息をつきながら。

 槇寿郎の住む屋敷へと向けて、静寂に包まれた夜の町を通り過ぎていった。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

 そして。

 

 どれほど歩いただろうか、花枝の目の前には立派な武家屋敷の門がそびえ立っていた。この屋敷こそが、槇寿郎の家――つまり、今回の目的地である煉獄家だ。

 共にここまでやってきたヤタガラスは、花枝たちが屋敷に到着するのを見届けると、バサリと翼を翻して何処かへと飛んで行った。

 どこへ行くのだろうと花枝は少しだけ心配もしたが、そもそも彼はもともと日本中を飛び回っていた鎹鴉だ。ヤタガラスならば土地鑑は十分にあるのだろうと考え、このまま自由にさせておくことにした。

 

「ここが槇寿郎の家なのですね」

 

「ああ。代々煉獄家に伝わる屋敷だ。さあ、花枝も入ってくれ」

 

 槇寿郎は音を立てないよう静かに自宅の門を押し開き、花枝も中へ入るようにと促した。

 今は深夜、町の人々が眠っている時間である。常ならば大きな声ではっきりと話す槇寿郎も、さすがに夜の町のなかでは声色を下げ、静かなものだ。当然、門を開けてもそこには誰もいない。

 これが明るい時間ならば誰かしらが客人である花枝を出迎えに出てくるべきであろうが、丑三つ時に訪れる客人など普通はいないのだ。

 

 門を潜ると、正面にはすぐに屋敷の玄関が見える。そして左右に視線を向ければ、そこには手入れの行き届いた広い庭が広がっていた。

 一部、ただ土が剥き出しになっただけの場所が目をひくが、恐らくは訓練のための区画なのだろう。

 花枝は、庭先で訓練に明け暮れる若き日の槇寿郎の姿を想像し、ひとり、心のなかでなんとも言えぬ懐かしさを味わっていた。

 

「本来ならばこの後、家の者を紹介したいところだが、今は時刻が時刻なのでな」

 

「構いませんよ。わたしは――」

 

 槇寿郎に続いて花枝も声を殺しつつ敷石を進んだところで、しかし。

 花枝の言葉は少しの驚きと共に、途切れることになる。

 

 ガラリ。

 

 槇寿郎が扉に手をかけるよりも早く。音をたて、内側から玄関の戸が開かれた。

 

「お帰りなさいませ、槇寿郎さま。それに、巫女鬼様も」

 

「瑠火! お前、身体は……!! こんな時間になぜ……っ!?」

 

 視線の先。屋敷の玄関には、一人の女性が立っていた。

 艶やかな黒髪を結んだ、切れ長の瞳の美しい女性だった。

 さすがに時間が時間なために白襦袢の寝間着に羽織り物を重ねただけの姿だが、その凛とした立ち姿を見上げて、花枝は一瞬だけ呆けてしまう。

 

「槇寿郎様が何度も語ってくださった巫女鬼様とお会いできるのが楽しみで、このような時間に目が覚めてしまったのです。決して無理はしておりませんよ」

 

「そう……か。それなら、いいのだが」

 

 槇寿郎の慌てようから、彼が本気でこの女性を心配しているのが花枝にも伝わってくるやりとりだった。

 花枝がぼんやりと二人のやりとりを見つめていると、その視線に気付いた女性がすぐに花枝に向きなおる。

 

「失礼いたしました、巫女鬼様。煉獄槇寿郎の妻、煉獄瑠火と申します。ようこそお越し下さいました」

 

「あっ、え、えと……わたしは巫女鬼をしております、御霊矢花枝(みたまや かえ)と申します。ここでは花枝とお呼びください」

 

 花枝はとてとてと槇寿郎の横に出て、ぺこりと瑠火に頭をさげる。

 煉獄瑠火。花枝はずっと昔から、この女性のことを知っていた。なにせ、若かりし頃の槇寿郎が、これでもかというくらいに話題に上げてきたのだ。

 やれ、瑠火がどれだけ美しく、瑠火がどれだけ素晴らしく、自分が瑠火のためにどれだけ努力してきたか。瑠火という人物について世界で槇寿郎の次に詳しくなってしまったのではないかという程に、彼の話を聞いていた。

 その瑠火が目の前にいるのだから、感慨もひとしおだ。

 

「あ、あの、わたしも……瑠火さんのことは槇寿郎から何度も聞いていたので、会えるのを楽しみにしておりました」

 

「まあ。槇寿郎様が私のことを何度も? それはとても、興味深いお話ですね」

 

 すこし緊張気味の花枝に、瑠火は柔らかい微笑みを返してくれた。

 煉獄瑠火は凛として美しい女性だけれど、しかし幼い花枝に向ける表情は優しく、どこか母性を感じさせるそれだった。

 この数十年、花枝の身近にいた『女性』といえば、眼窩から花を咲かせた、妙に明るい百合鬼と、詩的な発言を多用する不思議系な風見鬼だけである。残念ながら、花枝はその二人に母性を感じたことはない。

 しかし。そんななかに現れた煉獄瑠火という女性は、花枝にとってはとても温かく、懐かしいものを感じさせてくれた。

 

 一方、二人を引き合わせた槇寿郎としては気が落ち着かない。

 槇寿郎は花枝がこれ以上妙なことを口走らぬよう、そしてなによりも瑠火の身体に負担がかからぬよう、とにかく今は屋敷内へと入るように提案する。

 

「二人とも、そういうのは今はいいだろう。こんな時間に表にずっと出ていては身体に触る、まずは中へあがってくれ。ほら花枝もだ」

 

「槇寿郎ったら、顔が赤いですよ?」

 

「ふふ。では……花枝様、行きましょう」

 

 槇寿郎に促されると、瑠火はさりげなく花枝に手を差し出してくれた。花枝は緊張気味にその手をとる。

 槇寿郎や手鬼のごつごつした手とは違う、とても柔らかい手だった。杏寿郎、千寿郎という、二人の子供たちを慈しんできた、優しい手だった。

 そして、それは。

 ずっと昔に忘れてしまったぬくもりと、途方もない寂しさを花枝に思い出させてくれる――母親の、手だった。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

 その後、挨拶もそこそこに瑠火は寝室へと戻された。

 瑠火はまだ花枝と話をしたそうにしていたけれど、時刻が時刻だ。普通の人間ならば眠りに落ちるべき時間なのだから仕方ないと、瑠火は花枝と挨拶を交わしてから寝室へと戻っていた。

 一方の花枝はといえば、四方を壁と廊下で囲まれた薄暗い部屋へと通される。

 本来の客間では昼間に光が差し込んでしまうため、この日のために日差しの入り込まない物置部屋を整理し、花枝の客間としてくれたのだそうだ。

 

「それで、槇寿郎。改めて聞かせてください」

 

 客間に敷かれた上等な布団の上に腰を下ろし、枕を抱いた花枝が槇寿郎に視線を向ける。槇寿郎は布団の脇に敷かれた座布団にあぐらをかいている。

 部屋の隅でちろちろと炎を灯し続けている『石油ランプ』とやらが目を引くが、今はまず槇寿郎の話からだ。

 どれだけ、江戸時代にはなかったからくりが気になろうとも、好奇心で心がうずうずしていようとも。姉として、弟である槇寿郎を優先するのは当然なのだ。

 

「わたしに会わせたいというのはどのような相手なんですか?」

 

「ああ、そうだな。実は先日、鬼に囚われていた少年を救助し、今はこの屋敷の別室にいるのだが――」

 

 

 

 それは、一人の少年の話だった。

 彼が生まれた一族は、数百年もの長い間、人喰いの鬼を祀り崇め繁栄してきたのだという。その少年は、その悍ましき一族に産まれた唯一の男児だった。

 その一族は、数多くの人間を、さらには自分たちの生んだ赤子までをも鬼の餌として差し出していた。少年もまたその鬼の餌となるべく、肉体にひどい傷を負わされながらも、座敷牢に閉じ込められていたという。

 しかしその日、少年は座敷牢を脱走した。一族に祀られていた鬼に追われ、あわやという所で少年を救い出し、彼を脅かしていた鬼の首を斬ったのが、槇寿郎だった。

 そうして。鬼はいなくなり、人々は救われたのである。

 

 ――が。めでたし、めでたしとはいかない。

 

 少年が逃げ出したことで、彼の一族は一人の少女を残して全員が鬼に殺されていた。

 そして。生き残った少女は、再会した少年にありったけの怨嗟を叩きつけた。

 それは理不尽で、勝手で、その場にいた槇寿郎すら耳を疑いたくなるほどの、呪いの言葉の数々だったらしい。

 

 そこには、生き残った親族同士が再会を喜び合う姿など、塵ほどもありはしなかった。

 そこにあったのは、鬼を崇め、鬼によって鬼畜の道へとはみ出してしまった、救いようのない一族の終焉だけだった。

 

 

 

「俺には呪いだとか、そういうものはわからん。だが、小芭内は……」

 

 そこまで語っていた槇寿郎の言葉が、止まる。

 槇寿郎も、少年――小芭内の状況をどう言葉にしたらいいのかわからないのだろう。

 呪いというものは目に見えるものではない。けれど、花枝の『浄化』の力を知る槇寿郎は、それと対をなす『呪い』という力が実在することを知っている。

 花枝はそんな、言葉に迷っている槇寿郎の横に座ると、ぐいと手を伸ばし。

 彼の背中を、ぽんぽん、ぽんぽんと優しく叩く。

 

「槇寿郎は優しいですね。わかりました。明日、わたしとその小芭内という少年を引き合わせてください。一族の呪いも、小芭内の自縛も、そういうのはわたしの得意分野ですからね」

 

「ああ、助かる。小芭内は……ただ生まれて、生きてきただけなんだ。だというのに、その一族によって呪われている。鬼は倒せても、人間の怨恨の呪いばかりは……俺にはどうにもならん」

 

 しかし、巫女鬼ならば。

 鬼舞辻無惨の呪いを打ち消すほどの力を持った少女ならば、小芭内を救うことができる。

 槇寿郎は御霊矢花枝という『祓いの巫女』を知っていた。彼女に頼るのが鬼殺隊としての枠組みを超えた行為だとしても、小芭内という不幸な少年をこのまま見捨てることを、彼はよしとしなかった。

 小芭内を救いたい。それもまた、槇寿郎という男の本心だ。

 

「ですが、槇寿郎――」

 

 花枝は槇寿郎の背中をたたく手を一度止めて。ジッと、槇寿郎の顔を見上げる。脳裏に過るのは先ほど出会った煉獄瑠火の様子と、彼女の前で見せた槇寿郎の表情だ。

 槇寿郎が隠していたその心の内を射貫くように、巫女鬼の濁った瞳が槇寿郎を見つめる。

 

 無音の室内に、石油ランプの炎が、パチパチと火花を飛ばす音がする。

 

「――あなたが本当に救いたいのは、瑠火さんですね?」

 

 沈黙。

 槇寿郎は口を開き、そして閉じ。

 言葉に迷った挙あげく、諦めたように口を開く。

 

「……敵わないな。巫女鬼には」

 

「けれど、わかっていますね? 祓いの力はあくまで呪いを浄化するだけ。苦しみの軽減くらいはできるかもしれませんが、病を治す力などではありません」

 

「わかっている、わかっているんだ。それでも――それだけでも、瑠火のためにできることがあるならば、俺は……」

 

 言葉を途切らせる槇寿郎の背中を、花枝はふたたびぽんぽんと優しく叩き始める。

 あの日、少年だった槇寿郎はもう、立派な大人になってしまった。様々なものを背負い、苦悩する大人になってしまった。永遠に子供の身体のままの花枝とは、全く違う時間を歩みはじめてしまった。

 けれど、花枝は可愛らしい弟へと向ける微笑みを絶やさない。

 

「大丈夫。優しい槇寿郎、わたしが力になってあげますからね」

 

 花枝は俯いたままの槇寿郎を優しく見つめながら、左手で自身の胸元に手をあてる。

 そこに、いざというときのために密かに隠しもっていたひとつの『実』があることを。花枝はそっと、確認するのだった。

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