煉獄瑠火の葬儀は、しめやかに行われた。
瑠火は、最後まで。
子供たちの前では弱いところなど見せず、凛とした、強く優しい母として。
安らかに、眠るように逝ったという。
◇ ◇ ◇
瑠火の葬儀を終え、しばらくした後。
さんさんと差し込む太陽の下で、槇寿郎は一人、舗装もされていない山道を歩いていた。
藤の咲き乱れる山の斜面を進みながら。彼は亡くなる前に交わした、妻の言葉を思い出していた。
――槇寿郎様。鬼殺の隊士として、人々を救うあなたは私の誇りでした。
瑠火はトキジクの実を食べることは選ばず、妻として、母として、最期まで家族と共にいることを選んだ。
苦しむこともなく、安らかに眠るように逝ったのが、槇寿郎にとっての救いだった。
「瑠火。お前は、最後まで鬼殺隊士の妻だったのだな……」
槇寿郎は、今もなお、悩み続けている。悔やみ続けている。
もしかしたら、無理にでもトキジクの実を食べさせていれば、彼女とともに笑ってこの道を歩めたのではないか。
もしかしたら、鬼殺隊士である自分の立場が彼女の選択に影響を与えてしまったのではないか。
もしかしたら、炎柱の身内から『人ならざるもの』を出すわけにはいかないと、彼女は考えたのではないか。
考えても、考えても、答えは出ない。
自分が鬼殺隊でなければ良かったのではないか。
鬼殺隊が『あやかし』を大々的に認めていれば、結果は変わっていたのではないか。
瑠火は、
延々と、考えるべきではない妄想ばかりが槇寿郎の脳裏を過る。
わかっている。これは妄想であり、理不尽な言いがかりだ。槇寿郎とて、それくらいは理解できている。
けれど、それでも。
一つの疑念が、何倍にも、何倍にも膨れ上がっていくのを止められない。妄想だろうと、言いがかりだろうと、あらゆる疑念が槇寿郎の心を蝕んでいく。
「いや……考えるのはよそう。お館様にはお考えがあるはずなのだ。瑠火は、杏寿郎たちと共にいることを選んだだけなんだ。それだけだ」
自分に言い聞かせるようにして、槇寿郎は歩き慣れた
この日、改めて。瑠火の訃報を、花枝に伝えるために。
けれど――。
「そんな……馬鹿な……」
槇寿郎が森をいくら探しても、そこには鳥居の影が見当たらない。
若い頃から、何度も、何度も訪れた鳥居だ。あの日、花枝を迎えにやってきた場所だ。
それが、槇寿郎の瞳には映らなくなっていた。
「ははっ、はははは……」
自然と。槇寿郎の口から、乾いた笑い声が零れ始める。
「そうか、俺も……鳥居が見えなくなるほどに、呪いを背負ってしまったわけか……」
槇寿郎は知っている。あの鳥居は、その背に呪いを背負わぬ者のみが知覚できるものなのだと。
そして、それが見えなくなったことが、何を意味するのか。
「あぁ、そうか! そうか! 俺は、俺は……巫女鬼たちまでも、失ってしまったわけか……! はは、ははははははは!!」
槇寿郎はまるで狂ったように笑い声をあげ、力に任せ、目の前にあった木の幹を殴りつけた。斜面の岩肌を殴りつけた。目に映るものを手当たり次第に、何度も、何度も、彼は殴りつけた。
炎柱の膂力で殴りつけられた木々はミシリと音をたて、その場でゆっくりと折れていく。岩肌には大きなひびが入る。
拳には己の血がこびりつく。じんじんとした熱い痛みとともに、心を覆う闇が幾重にも重なっていく。
もし、このとき。
今がヤタガラスが藤襲山の外を巡回できる夜間だったならば。
風見鬼が外の世界の風を読み取っている時刻だったならば。
もしかしたら、違った未来が待っていたかもしれない。
「ははは……すまない、すまない……瑠火。すまない、花枝。俺は……俺は……」
槇寿郎は気付いてしまった。
鬼は討伐すべきだと思うが、自身は決して、他の隊士ほどに鬼を憎んでいるわけではない。
ならば、いまの自分が呪っているものはなんだ。いまの自分が憎んでしまったものは誰だ。
全てを把握した上で、その全てを見捨ててきたのは誰なのか。
それはきっと――。
長らく産屋敷家に仕え、鬼殺隊最強とまで言われた煉獄槇寿郎が、己の忠誠心に疑問を抱き。
隊士であることを辞め、産屋敷家との関わりを断ったのは、それから間もなくのことであった。
そして、その槇寿郎の選んだ道こそが、皮肉にも、とある柱の誕生へと繋がるのは。
この先に訪れる、大正という時代でのことである。
◆ ◆ ◆
「巫女鬼さまは今日も読書ですかー? そんな文字ばかりみて、よく飽きませんねえ」
月日は過ぎていく。
花枝が藤襲山に戻ってから、槇寿郎からの連絡もないままに、季節は移り変わっていく。
そんな中で、図書室で本を読んでいる花枝に声をかけたのは、薬草の本を返却しにきた百合鬼だ。
「ほら、見てください百合鬼」
「えー? なんですかこれ、また随分と分厚い読み物ですね」
「これは辞典という、様々な言葉を説明する本です。それで――ほら、『煉獄』という言葉は、海外の宗教の言葉でもあるそうですよ?」
「へー。槇寿郎たちって、ずいぶんな苗字を名乗っていたんですね」
花枝が読んでいたのは小説でも学術書でもなく、ただただ数多くの言葉の意味を羅列するだけの、非常に厚みのある本だった。
そして、花枝が見せつけた頁には『煉獄』という文字が書かれている。
百合鬼とて、煉獄家で何があったのかは聞いているし、花枝が煉獄瑠火という女性に非常に懐いた上で、恐らくは死別となったらしきことも把握している。
けれど、そんなことは存ぜぬとばかりに百合鬼は、いつもの調子で花枝に問いかけた。
これは百合鬼の優しさであり、強さでもある。
「この本の作者によれば、『地獄に墜ちるほどの罪はないけれど、天国にも入れない魂が、『浄化の苦罰』で罪を清められる世界』という意味合いなんだそうです」
「へぇー。天国って、極楽のことですよね。でもなんか、それって……」
「ふふ、わたしたちみたいですよね」
鬼となり、罪を犯したこの里の『あやかし』たち。
けれど、彼らは今、花枝の造り出した『浄化の苦罰』にて。己の罪を記憶に焼き付け、苦しみながらも生き続けている。清められ続けている。
「きっと、わたしたちがいるこの場所は『煉獄』なんですよ。皆で罪を背負って、報われることを諦めて。それでも極楽に憧れてしまう、苦罰の隠れ里です」
そのとき。花枝の淀んだ瞳が、何もない空間を見つめた。ここにはいない誰かをふと、見つめていた。
百合鬼は知っている。この巫女の淀んだ瞳は、様々なものを諦めてきた瞳なのだと。
自由に生きることも、家族と過ごすことも、鬼を救うことも、剣士を救うことも諦めて。そして今回また、花枝は新たな望みを諦めた。それがきっと、巫女鬼にとっての『苦罰』なのだ。
だから、百合鬼は空気など読まずに、いつもの調子を守り続けた。
「でも、それって嬉しいですね。私たちは、いつかは極楽に行けるっていうことじゃないですか!」
「そうですね。この『苦罰』がいつの日か、終わったなら……」
「巫女鬼さまっ」
百合鬼は過去、江戸の街に住む娘だった。
しかし、彼女は鬼にされたその夜、将来を誓い合った男を殺し――食らった。
その罪は、何十年経っても消えることなどない。どれだけ呪いが浄化されようと、その出来事はどうしようもなく、真実なのだ。
けれど。
それでも百合鬼は、声を大にして訴える。今から語ることもまた、百合鬼自身の真実なのだ。
「聞いて下さい、巫女鬼さま! 私はね、人間だった頃は幸せに暮らしていましたし、大切な人もいました。あの人を殺してしまったことを、今でも悔やんでいます。……でも、でもね!」
ダン、と。百合鬼が卓を強く叩き、花枝がびくりと百合鬼を見上げる。
「私は、『あやかし』となった今だって――大切な人たちが多くて、幸せなんです!」
「え……?」
「だから、巫女鬼さまは、私に幸せをくださったんです! 私たちは、苦罰をうけているつもりなどありません!」
百合鬼は花枝の背に両手を回し、抱き寄せる。
ふわりと、花の薫りが花枝の鼻孔をくすぐる。
「だから! 巫女鬼さまも、苦しむ必要なんてありません! もし寂しいなら、私が巫女鬼様の……花枝様の、お母さんになりますから!」
花枝が開いていた辞書の頁が、ぱたりと閉じる。
花枝は少しだけ目を丸くして、理解した。瑠火を――母を求める自分の気持ちに、百合鬼はとうに気がついていたのだ。それを思うと、少しの嬉しさと大きな羞恥が、ほぼ同時にこみ上げてくる。
だが、百合鬼はそんな花枝の様子など無視し、さらに胸を張って宣言した。
「おっぱいは出ませんけど、ほら、風見鬼よりはありますから!」
「……ふふ」
少しだけの沈黙の後、花枝がくすくすと笑い声をあげた。
「あはっ、あははっ、もう……今のは風見鬼が聞いたら怒りますからね、知りませんよ?」
「えー、そこは一緒に内緒にしてくださいよーっ」
図書室ではしゃぐ花枝と百合鬼。
いつもならば図書室で騒いでいると筆鬼が説教をしにやってくるのだが、この日だけは。花枝が浮かべた久しぶりの笑顔に免じて、筆鬼も見て見ぬふりで許してくれたのだった。
◇ ◇ ◇
様々なものを諦めて。色々なものを手放して。煉獄の炎で灼かれ続けて。
それでもいつの日か、愛した人たちの待つ極楽へ逝ける日を夢見ながら。
花枝は、瑠火の面影を心の奥底に留めて。今日もまた、生きていく。
そして。
間もなく行われる最終選別で、新たな『蝶』との出会いが待っていることは。
そしてそこに、鬼と人間とのかけがえのない『絆』が生まれることは。
今の彼女たちはまだ、知らない。
二章 煉獄 了
次章『胡蝶の夢』 8月10日(月)23時更新予定です。