「はぁっ! いきますっ! 肆ノ型 紅花衣!」
「あらー、綺麗な技! でもでもっ、花の美しさが表現しきれてないよーっ? では私も――出でよ、百合根牢!」
社家屋敷の裏手の森を抜けた先にある、槇寿郎が手鬼たちと戦うために作られた空き地にて、この地を訪れた隊士候補の少女――胡蝶カナエの力試しが始まった。彼女に立ち塞がるのはこの里でも古株にあたる鬼、百合鬼だ。
カナエの呼吸は『花の呼吸』という、歴史こそあるものの使い手は決して多くない、それなりに稀少な呼吸だった。
その名の通り、その呼吸と合わせた型は可憐な花を思わせる美しい剣技であり、使い手次第ではそこに色とりどりの花々の姿を幻視するという。
今も、百合鬼と戦うカナエの剣技には、見るものが見ればうっすらと咲き乱れる花々の幻が見えたかもしれない。
しかし、相対している百合鬼もまた花を操る鬼である。しかも百合鬼のそれは幻などではなく、実体を持つ本物の花としてカナエを襲う。
百合根牢。地面から幾つもの百合の根が真っ直ぐにカナエに伸び、その身を拘束しようとする。
「くっ、ならば――伍ノ型 徒の芍薬!!」
「いいねいいね、花弁が舞い散ってるみたいで綺麗だねえ。じゃあ私は、百合花吹雪! そおれ!」
空を舞う帯衣のような軌跡を残す『紅花衣』に続き、花弁のような軌道で幾度も切りつける『徒の芍薬』で百合鬼の操る草花の根を退け、そのままカナエは百合鬼に肉薄する。
だが、百合鬼とてこの数十年間で随分と強くなった鬼の一人だ。少なくとも、カナエのような子供の力でどうにかできるほど弱い存在ではない。
百合鬼は、舞い踊るように。ひらりひらりと、カナエの刃をすれすれで交わしていく。
そして、百合鬼が両腕を大きく広げた瞬間。いつの間に咲き乱れていた周囲の花々が一斉に花弁を散らし、空中に渦巻く小さな刃の集まりと化した。
周辺には更なる花が咲き乱れ、同時に花の香りも漂いはじめる。それは戦いの技でもあり、一つの芸術のようでもあった。
「しまっ……!」
百合鬼に肉薄していたカナエはこの花吹雪に対応が遅れ、すかさず飛び退き距離をあける。肌が何カ所か切り裂かれ、その白い肌にいくつもの赤い線が刻まれていく。
二人の攻防はさすがに百合鬼の方が余裕があるが、しかしカナエもまた、最終選別の参加者としては思えぬほどの鋭い動きを見せていた。
カナエが必死に戦っている一方で。
ぞろぞろと集まってきた里の住民たちは、皆でカナエたちの戦いを楽しげに観戦していた。もちろんその中には手鬼と花枝の姿もある。
「ケッ、百合鬼のやつ遊んでやがるな。やる気のねえ見せ技ばかり使いやがって」
「いいじゃないですか、綺麗ですし。本気で戦ったらさすがに百合鬼の圧勝になってしまいますから」
「ふん。まあしかし、あのカナエってのは、悪くはねえな」
「そうですね。膂力こそ弱いですが、それを補って余りある判断力と技の正確性ですね」
彼らから見ても、カナエはかなりの才能を秘めた剣士だった。過去に手鬼が合格を出した真菰が『流れるような速さ』で戦うならば、カナエは『技の緻密さ』で戦う剣士といったところだろうか。
大自然の中で形作られた、計算されたかの如き美しさを持つ、花。カナエの日輪刀が描くその繊細な軌跡は、まさにそんな花々の持つ美しさを伴うものだった。
そんなカナエの完成度の高い剣技に影響されてか、相手取る百合鬼もまた実に楽しげに花々を咲かせ、甘い香りとともに、無数の花びらを周囲にまき散らしている。
「なっ、花びらが……こんなにっ」
カナエがどれだけ才ある少女だったとしても、さすがに現段階での力の差は大きかった。
もとより、百合鬼は煉獄槇寿郎に言わせれば「十二鬼月に匹敵する強さの鬼」なのだ。隊士にすらなっていないカナエでは、勝負にならないのは仕方がない。
カナエの扱う花の呼吸の型が、一通り出尽くした頃。
百合鬼の操る術が――音もなく、本当の開花を始めていた。
「はぁ、はぁ……この百合の花は……まさか……」
二人の美しい剣舞は続く。けれど、長引けば長引くほどに、カナエの動きは重くなり、百合鬼は軽やかになっていく。
戦いの中で、胡蝶カナエは大きく息切れをしていた。呼吸が苦しく、手足が重い。百合鬼は、にこにこ笑顔でその姿を眺めている。
鬼殺隊に伝わる『呼吸』は、未熟な者が使うとすぐに肺に限界が訪れ、呼吸もままならなくなってしまう危険を伴うものだ。けれど、カナエを襲うこの重さは、かならずしも『呼吸』のせいだけではない。
「この香りと……花粉……が……罠……」
「ふっふ、百合地獄はどうだったかな? って、もう聞こえてないかなあ?」
カナエはどうにか、百合鬼の使ったカラクリに気づくことができた。百合鬼の真の攻撃は『香り』であり『花粉』だった。
その香りはカナエの脳に幻惑を与え、その花粉はカナエの体内を蝕んでいく。手合わせでは後の影響が残らない程度の微弱な範疇に留めているが、これがもし命をかけた殺し合いだったならば、カナエの肺はとうに花粉に汚染され、呼吸すら難しくなっていただろう。
そんな百合鬼の能力にカナエが気付いたときには、すでに遅かった。
彼女は力なく地面に倒れ伏し、そして、すとんと。その場で静かに、眠りに落ちた。
「勝者は百合鬼です。おつかれさまでした」
「はーい、お疲れ様でしたっ! カナエちゃん、すごかったよー! でも、見えない攻撃に気付けなかったのは減点かなっ! 鬼相手に、油断しすぎ!」
はたして、百合鬼の言葉はカナエに届いているのか、いないのか。最終的には百合鬼が怪我一つなく、カナエに圧勝してみせた。
だが、手合わせを観戦していた住民たちは全員がカナエを褒め称え、カナエは無事『合格』となった。
◇ ◇ ◇
「私が習得したのは花の呼吸ですが、百合鬼さんの技を見ていて、そこから更になにか一つ、先に進めるような気がしました」
「あら、嬉しいなあ。聞きましたか巫女鬼様! 私の術から何かを掴んでくれたようですよ!」
手合わせ後には、剣士ごとの性格が出るものだ。
槇寿郎の場合だと、手鬼をはじめとした住民たちと大暴れをしたあとは、だいたい内風呂で汗を流すか、包丁鬼が用意してくれた食事をもりもり食べるか、あるいはそのまま爆睡するかだった。
一方でカナエはといえば、百合鬼と共に先の戦いを振り返り、自己研鑽に充てている。戦い終えた今もなお、百合鬼の技から何かをつかみ取ろうとしている。
見た目やその佇まいからして、初めはもっと夢見がちでのんびりした少女なのかと思ったが、その内面は非常に頑固で、向上心も強い。
「鬼とわかり合いたい」という話を聞いたときこそ心配が先立ったけれど、花枝はカナエの評を改めた。
カナエと百合鬼の研究会は続いている。
「花の呼吸の型は、自然の花々から動きや摂理を学んだ型なんです。そこに、百合鬼さんの術の摂理を取り入れられれば……」
「なら、いっそ最終選別の最終日までに、私がつきっきりで百合の真髄を叩き込んであげるよ。花繋がりだし、カナエちゃんはなんかさ、他人のような気がしないんだよねっ」
「ふふっ、そう言って頂けると嬉しいです。お願いします、百合鬼さん」
そうしていつのまにか、最終日まで百合鬼がつきっきりで特訓に付き合う流れになっていた。
右目をキラキラと輝かせた百合鬼がカナエの手をとり、二人は至近距離で見つめ合っている。ここに新たな師弟関係が生まれたのだ。
まだ子供から抜け出せていないカナエと、永遠の妙齢の百合鬼。見た目だけならば師弟というより姉妹のようだ。
更に、その副産物として――。
「おおお! 創作意欲が沸き立ってきましたぞお!!」
「わあ。彫刻鬼まで元気になっちゃいました」
今まで様々なポーズの巫女鬼像を制作してきた彫刻鬼が、いま。新たな何かに目覚めてしまった。
創作意欲に目覚めた彼は、この日からまた作業場に閉じこもり、その名も『百合姉妹の像』の制作に取りかかることとなる。
いつの日か。
この明治時代に制作された『百合姉妹の像』が世間で大きく注目される日が訪れるのだが。それは『百合』という言葉が別な意味を持った、ずっと先の未来の話だった。
◇ ◇ ◇
それから数日は、過去の槇寿郎や真菰と同様に、カナエもまたこの隠れ里で選別最終日まで過ごすことになった。
その数日の間、花枝たちはカナエから色々な話を聞いた。
残念ながらカナエは鬼殺隊の内部事情には詳しくはなく、槇寿郎や真菰の近況は聞けなかった。けれど、彼女の話はそれはそれで興味深いものだった。
家族が襲われたときに救ってくれたという、現岩柱のこと。
今は別々の育手のもとで暮らしている、三歳下の妹がいること。
花の呼吸の使い手である師が管理する『蝶屋敷』と呼ばれる場所に住まわせてもらっていること。
そして、蝶屋敷では剣術だけでなく、医療も学んでいること。
「へぇー、私も山で採れる範疇の薬草にはかなり詳しい自信があるけど、最近の医療ってのはなんだか凄そうだねえ!」
「でしたら、私が明治の医療について、百合鬼さんにお話してあげますね」
「やったね!」
医療の話は、百合鬼の興味をおおきくひいたようだった。
また、花枝たちが話を聞くばかりではない。
カナエもまたこの里に興味があるようで、貪欲に様々なことを質問してきた。
人喰い鬼の生態についてや、花枝の浄化の力について。そしてなにより、トキジクの実に非常に興味を持っていた。
それもそうだろう。トキジクの実はいわば「鬼が人と分かり合えるようになる奇跡の実」なのだ。カナエとしては夢そのものが形になったような代物だ。
それこそ実際に、それを譲ってもらえないかとカナエが頭を下げにきたこともあった。
「巫女鬼様。鬼と人間の垣根を崩すため、トキジクの実を研究させて頂きたいのです。私は、どうすればそれを譲っていただけますか」
「わあ、まだその夢を諦めてないんですか? もう、カナエは強情ですね」
花枝としても、今のカナエが決して軽い気持ちなどではなく、真剣に考えていることくらいはわかっている。
けれど、さすがにトキジクの実は出会って数日のカナエに渡せるものではないし、そうでなくとも本来はそう気軽に他者に渡していいものではないのだ。
なので花枝は少しだけ考えて、述べた。
「カナエが柱になれたならば、譲っても構いませんよ」
「私が、鬼殺隊の柱に……」
普通に考えれば、これは殆ど無茶な条件だ。柱というのは、なろうと思ってなれるほどに簡単な地位ではない。
花枝はただ、カナエがこれで危険な夢を諦めてくれるだろうと、そう考えていたのだ。
まさか、たった数年で本当にこの少女が柱になるなど、夢にも思わずに――。
◇ ◇ ◇
そうして。
最終選別の七日目。この里において三人目の客人との別れの時がやってきた。
鳥居の前にカナエが立ち、周囲には里の住民たちが総出で見送りにやってきている。
「数日間の間、ありがとうございました。巫女鬼様、皆さん」
「ええ。あなたならきっと、立派な隊士になれますよ。でも、くれぐれも……」
「はい、わかっています。気軽に『鬼とわかり合いたい』などとは言いません。ただ――」
住民の代表として、花枝がカナエと最後の挨拶を交わす。最終選別が終わりさえすれば、カナエがこの山にやってくるようなことはなくなるのだ。だから、文字通りの『最後』となる可能性も少なくはない。
槇寿郎のように高頻度でこの地を訪れるという特異な例もあるが、あれは今思えば槇寿郎がおかしかっただけである。
しかし。カナエの瞳は、違っていた。
「私はいつか必ず柱になって、トキジクの実をいただきにあがります」
「わあ、大胆予告。あなたは本当、顔に似合わず強情な子なんですから」
柱になればトキジクの実を譲ってもいい。それはあくまで、カナエが危険な夢を諦めることを願って、適当に無理難題をけしかけただけである。
だが、花枝にとっては適当に発した言葉でも、カナエにとっては何よりも重要な約束だった。むしろ、その執念に火を付けてしまったのかもしれない。
こればかりは、花枝がカナエの信念を甘く見ていたと言わざるを得ない。
なので、花枝は苦笑混じりの笑みを浮かべながら、「うん。その時が来たらその時に考えましょう」と。
判断をまるっと、未来の自分へと丸投げしたのだった。
「カナエちゃん!」
そして。挨拶の最後は百合鬼だ。百合鬼は正面からカナエに抱きつき、ほんのりと涙ぐんでいる。
数日間とはいえ師弟の契りを交わし、カナエと一番長い時間を過ごしていたのは百合鬼だ。
この里で四十年近く人間から離れて暮らしてきた百合鬼にとって、人間の少女につきっきりで様々なことを伝授していったこの数日間は、かけがえのないものだった。
「私の教えたこと、絶対に役に立ててね! 花の気持ち、理解してね!」
「はい。百合鬼さんのお陰で、私も更にひとつ上に手を届かせられた気がするんです。ですから――」
黄昏の光に照らされて、二人は抱擁しあう。一つとなったカナエと百合鬼の影が長く伸びる。
カナエは至近距離で百合鬼の瞳を見つめた。今はまだ百合鬼の方が背が高いため、カナエが見上げる形になる。
「いつか。柱となった私の新たな『呼吸』を、百合鬼さんに披露させてくださいね」
「うん、約束だよ、カナエちゃん」
こうして。
槇寿郎、真菰に続き、三人目の客人である胡蝶カナエは。
花枝や百合鬼との約束を胸に明神鳥居を越えて、最終選別の最終日を迎える藤襲山へと帰っていくのだった。
なお。
これからしばらく先の未来に、胡蝶カナエは自分の学んだ『花の呼吸』を更に進化させた『百合の呼吸』を修得する日が訪れるのだが。
百合鬼たちがその呼吸を目にするのは、これから更に数年後のこととなる。