「というわけで、わたしたちはここで何十年も暮らしてきたんです」
無事――と言うべきかどうかはともかく、錆兎は気絶するまで手鬼との戦いを強いられて、最後には合格を言い渡された。
そして今は隠れ里の社家屋敷にて。意識を取り戻した錆兎が、これまでの様々な出来事について
「信じられない……が、真実なんだろうな」
「あと、手鬼は毎回あなたの兄弟子たちをボコボコにしてきた犯人ですが、決して命はとらなかったので、わたしに免じて許してくれると嬉しいです」
「わかった。いや、手鬼にはむかつくが、兄弟子たちが無事なのは事実だからな……」
花枝の浄化の力もあるけれど、錆兎は思いの外すんなりと『あやかし』たちについて受け入れてくれた。
やはり、彼自身、鬼との遭遇がまだ少ないことと、そして事前に水柱である姉弟子――真菰から花枝の像とともに『あやかし』の話を聞いていたことが大きく影響しているのだろう。
花枝は内心で安堵の息をつきつつ、言葉を続けていく。
「さて、あなたには選択肢があります。最終選別の最終日までここで修行をしていきますか? それとも、藤襲山に戻りますか?」
「……実は、最終選別に、共に鱗滝さんの元で修行を受けた親友がいるんだ。そいつにも、できれば治療を施したい」
「わあ。厄介ごとが飛び出てきた」
残念ながら、安堵の息をつくのは早急だったようだ。
この後、錆兎の口から『藤襲山にいる、もう一人の狐の子』についての詳細な情報が伝えられることで。
静かだった里は、また慌ただしくなっていく。
◇ ◇ ◇
「オイオイオイオイ! まさか、このあんぽんたんな子狐までここで保護するとは言わねえよなァ!!」
「わあ。予想はしてましたけど、本当にうるさい」
社家屋敷の一室で、手鬼が大声で騒いでいる。
手鬼が騒ぐ原因。それは、いま目の前で頭に包帯を巻かれ寝かされている狐の子――冨岡義勇という少年が原因だ。
錆兎の頼みを聞く形で、花枝たちは藤襲山からこの少年を連れてきた。百合鬼の異能を使って他の参加者たちの認識を誤魔化し、眠っているところを拉致してきたとも言う。
そして今はその義勇の治療を施していたのだが、それが問題だった。
手鬼の主張はこうである。
「藤襲山の雑魚鬼を相手に不覚を取るような狐を、最終選別が終わるまで保護するなんざ俺は認めねえ! 実力がねえひよっ子狐は、今すぐ山を下りな!」
それは、花枝からしても「ごもっとも」と言わざるを得ない主張である。
鬼をほぼ全て錆兎が倒してしまったので、力が足りぬものも、怪我で戦えなくなったものも、今年の参加者はこのままいけばその全員が合格となる。だが、それは試験としてどうなのかと、花枝も内心で疑問に思っていたのだ。
運の良さも実力の一つだとは思うが、それにも限度というものがある。
なにより、これが許されてしまったら、いままでの試験で鬼と戦い亡くなっていった数多の子供たちが、あまりにも酬われない。
特に、こと狐の子からそのような合格者を出すことだけは、手鬼にとって絶対に許されざることだった。
「違うんだ、手鬼! 義勇は確かに怪我をしてしまったが、こいつの素質は本物なんだ! 義勇の力はいつか、鬼舞辻無惨を倒すための一助になるはずなんだ!」
なにも、手鬼は義勇を殺すと言っているわけではない。山を下りろと言っているだけである。
だが、錆兎は頑なに義勇が不合格となることを認めない。彼は言う。義勇の力は鬼舞辻無惨の討伐に必要である、と。
錆兎が嘘をついているとは思わない。そして、彼は真剣だ。鬼舞辻無惨の名を出すということがどれだけ重い意味を持つのか、錆兎を含めて、この場の全員が理解しているのだ。
「俺はあんぽんたんだ」
「義勇、今は黙っていてくれ!」
なお、渦中の少年、冨岡義勇は口を開く度に妙なことを口走るので、頭を打った影響を心配した百合鬼が『今は絶対安静』を言い聞かせていた。
「あんぽんたん野郎、テメェは明日にでも藤の花を抜けてさっさと帰りやがれ!」
「俺は石を拾って過ごす」
「義勇、頼むから本当に今は黙っててくれ!」
「こらー! 怪我人は騒がずに安静にしてなさーい!」
手鬼は義勇を追い出そうとし、錆兎は手鬼を止めようとし、百合鬼は少年たちに安静にしろと怒りだし、義勇は言っている意味がわからない。
それを離れて見ている花枝は、なんだかもう、考えるのが面倒くさくなってしまった。
『ガァ! 巫女鬼、随分ト大変ナ状況ニナッテルナ!』
「ああ、ヤタガラス。わたし、この人たちを放って露天風呂にでも行こうと思うんですけど、ヤタガラスも行きますか?」
『ガァ! 巫女鬼! 目ノ前ノ惨状カラ逃ゲルナ! 卑怯者ォ!』
「えー……」
残念ながら、この隠れ里の『あやかし』たちの長として。
花枝がこの惨状から逃げることは、決して許されないのだった。
◇ ◇ ◇
結局。
義勇は六日目までは治療に専念し、六日目の夜が来たらそこで改めて里の誰かと手合わせをして、そこで合否を判断する流れでまとまった。
一方で錆兎は最終選別の間、『あやかし』たちを相手に修行を重ねることとなった。
幸運にもこの隠れ里は、丸一日、ずっと黄昏時で刻が止まっており、昼も夜もない。つまり、丸一日修行を続けられるというわけだ。
これを伝えたときの錆兎はなかなかに面白い顔をしていたのを、花枝ははっきりと覚えている。
「ところで、錆兎。テメェの呼吸だがよ」
そんな修行の中で。
疲労困憊で動けなくなっている錆兎に対し、手鬼がこのようなことを言い出した。
「テメェ……水の呼吸が合ってねえんじゃねえか?」
「はぁ、はぁ……なん、だと?」
「手鬼ったら、頭がおかしくなっちゃったんですか? 錆兎は十分すぎるくらいに水の呼吸を使いこなしてるじゃないですか」
くたくたになった錆兎に手鬼が言い放った言葉。それは「錆兎に水の呼吸が合っていないのではないか」という、元も子もない内容である。
呼吸の相性というものは、どうしても存在する。
育手のもとで教えを受けたはいいものの、学んだ呼吸と身体との相性が悪く、泣く泣く別な呼吸を学び直すという話も聞かないわけではないのだ。
だが、花枝が錆兎の修行風景を見た限り、彼は水の呼吸を使いこなしている。
むしろ、事実として錆兎は、最終選別時の真菰すら上回る実力だ。これだけ結果を出しておいて、合うも合わないもない。
しかし、続く手鬼の言葉には、花枝も納得せざるを得なかった。
「いいから聞け。俺が言っているのは体質じゃなくて、心持ちのことだ。こいつは水の呼吸の剣士としては、攻める意思が強すぎる。心が熱を持ちすぎてんだよ」
心が熱を持ちすぎる。
その言葉で花枝の脳裏によぎったのは、煉獄槇寿郎の姿だ。炎のように熱く、そして真っ直ぐだった弟分を花枝は思い出し、そして納得する。
藤襲山中を駆け回り、選別時の鬼を全滅させた。義勇の処遇については手鬼に真っ正面から反対意見で立ち向かった。
思い返せば返すほどに、彼の熾烈な精神性は間違いなく『攻め』であり、水の呼吸の特徴である『受け』の姿勢とはほど遠かった。
そう、錆兎は攻めなのだ。彼の持つ熱い精神は、どちらかといえば炎の呼吸寄りなのだ。
「なるほど。そう言われると、手鬼の言葉も一理ありますね」
「ま……まて、二人とも、どういうことだよ」
「よし、錆兎。テメェは試しに一度『炎の呼吸』も学んでみたらどうだ?」
「そうですね。槇寿郎が鬼殺隊を辞めてふらふらしているようですし、ちょうどいいですね。槇寿郎だって、わたしたちの紹介なら無下には扱わないでしょう」
「くそ……まて、おい、勝手に進めるな。俺の師は……鱗滝さんだけだ」
錆兎が息も絶え絶えに反論を口にするが、悲しいかな、この場ではへばって動けない少年には意見を述べる権利など残されていないのだ。
花枝たちは勝手に話し合い、最終日になったら槇寿郎への手紙と、ついでに手土産を錆兎に持たせる方向で話をまとめはじめた。
「はぁ……くそ、なんで俺のことをお前たちが勝手に決めてるんだ!」
「まあまあ、錆兎。槇寿郎は元炎柱で、その実力は本物です。教えを乞うことは、あなたにも損はないと思いますよ?」
「いや、だからって――」
そこで、錆兎の声を遮るようにして、一人の少年が口を挟む。
冨岡義勇。実は彼は最初から錆兎たちの修行風景を眺めており、今もずっと黙ってやりとりを聞いていたのだ。その手に、包丁鬼が焼いたあんぱんを持ったまま。
「錆兎。お前は俺とは違う。元炎柱にあんぱんを渡してこい」
「義勇。頼むから、お前はもっとわかるように会話をしてくれ……」
真面目な顔で言い放った兄弟弟子の腰砕けな言葉が決め手となり、錆兎は、花枝たちに刃向かう気力が完全に萎えた。恐るべしは冨岡義勇である。
そうして、成り行きで。最終選別が終わり次第、錆兎は煉獄槇寿郎へ会いに行く予定が組み込まれてしまうのだった。
◆ ◆ ◆
「勝負あり! 義勇の勝利です!」
最終選別、六日目。
この日、社家屋敷の裏手にある訓練用の空き地にて、二人目の狐面の少年――義勇の力を測るための試合が行われた。
対戦したのは田中鬼だ。本当は手鬼がやる気を出していたのだが、明日が最終日だというのにここで大怪我をさせてしまっては元も子もないという理由により、満場一致で却下となった。
田中鬼は地味で、その血鬼術も「波ぁ!」という叫びとともに正面に強い力を放つという、決して弱いわけではないのだが、なんだか普通の技である。
とはいえ。それでも彼はトキジクの実によって進化を促された『あやかし』の端くれだ。彼はむしろ、鬼としては強い存在なのだ。
そんな彼らの戦いは、それなりに見応えのあるものだった。
義勇は田中鬼の攻撃に合わせるようにして受け流し、そこから自然な力の流れで反撃にでる。錆兎の熾烈な攻めの型とは違い、水の呼吸の見本のような受けの動きである。
田中鬼も堅実に、無理をせずに相手を見て戦っていたが、最終的には義勇の技術が上回り、見事田中鬼の頸は刎ねられた。
もちろん使っている刀は模擬戦用の通常の刀なので、田中鬼の頭は断面をぐいぐい押し込んだらきちんとくっついた。これには皆、にっこり安心だ。
「田中鬼ィ、お前なに負けてんだ、明日から特訓だなぁオイ」
「うひい、待ってください、本当に彼は強かったんですって!」
これからしばらくは田中鬼の特訓が増えてしまうのは少しばかり不憫だが、負けてしまったのだから仕方がない。
特訓で死ぬことはないので、これを機に田中鬼にはもっと強くなってもらおうと、花枝は騒ぐ二人をあっさりと無視して義勇に向き直る。
義勇がここで認められたことで、いま藤襲山にいる少年少女を含めて、今回の最終選別は参加者全員が合格となる。
鬼と戦う機会もなかった多くの子供たちが合格となる状況には、花枝もそれなりに思うところはある。けれど、今は考えないことにする。今は、祝うべきなのだ。
「お疲れさまです、義勇。手鬼はあんな風ですけど、約束を反故にするような人ではありませんから、あなたは合格ですよ」
「俺は……隊士を名乗っていいのか? 石を拾わなくとも……」
石とはなんだろうか。花枝は頭の隅で疑問に思いつつも「まあいいや」で済ませた。
とりあえずわからないけれど、隊士を名乗れるのは間違いないので、義勇の言葉にこくりと頷いて見せる。
「ええと、はい。石はよくわかりませんけど、明日になれば最終選別も合格となるでしょう。おめでとうございます」
「やったな、義勇! これで二人揃って鱗滝さんに報告ができるぞ!」
「錆兎。そうか、よかった」
満面の笑みを浮かべた錆兎と、ぼんやりとした義勇。そんな二人の姿を、花枝は少し離れて見守った。
彼らにとって、鬼狩りという修羅の道に進むことが本当に幸せなのかどうかはわからない。けれど、この二人が自身の願いに一歩近づけたのならば。それはきっと素敵なことなのだと、花枝は信じることにした。
そうして、二人の少年の未来を応援する意味も兼ねて。
その日の夜食は、肉あり魚あり野菜ありと、かなり豪華な鍋料理を皆で囲むことになるのだった。
◇ ◇ ◇
あけて、最終選別七日目の朝。
朝とは言ってもこの隠れ里はまる一日中が黄昏時なので時間がわかりにくいが、日の出にあわせて風見鬼が鐘を鳴らしているので、それが彼らにとっての合図となった。
錆兎と義勇が帰る時間がやってきた。
「ケッ、あんぽんたん。巫女鬼に免じて今回は合格だが……次また不甲斐ない顔を見せてみろ、ただじゃおかねえ」
「お前はもう、あんぽんたんを見ることはない」
「あ? ……いや、いい。もういい、お前と話すのは疲れた」
結局最後まで、冨岡義勇という少年の言葉は難解だったが、それはそれ、これはこれ。
里の住民たちは、義勇にそれぞれ言葉をかけていく。それに対する義勇の返答は明らかに言葉足らずだったようだが、それはまた別の話だ。
そして、錆兎は――。
「では錆兎。槇寿郎と、鱗滝さん、それに真菰にも会う機会があれば、どうぞよろしくお願いしますね」
「わかった。しかし……現水柱に、元炎柱、元水柱。巫女鬼の顔の広さには呆れるな」
「ふふ、わたしも驚きです。でも、関わりのあった子たちが柱になるのは、嬉しいものですよ」
「ところで巫女鬼。この……
「はい?」
「……いや、何でもない。そろそろ行くか」
花枝は錆兎の手にしっかりと荷物を持たせた。
それは槇寿郎へ宛てた錆兎の紹介の手紙と、適当に包んだお土産品。そしてもう一つ。鱗滝への、自分と手鬼の無事を知らせる簡素な手紙だ。
鬼となって藤襲山に放り込まれた立場で無事を知らせるのも変な話だが、事実として鱗滝が自分たちの首を斬らずにこの山に連れてきてくれたことで、今がある。
そのことへの感謝を綴った短い文面だ。
錆兎はそれを受け取ると、まるで小さい子供を相手するように、花枝の頭に手をあてて優しく撫でる。
花枝としては自分のほうが随分年輩なので、子供のように頭を撫でるのはやめてほしいのだが、お別れのときくらいはいいだろうと大目に見てあげることにした。
「俺たちも、強くなる。その時はまた、よろしくな」
「ええ。いつかまた、あなた方の武勇伝を聞く日を楽しみにしていますね」
そうして。
二人の狐の子たちは、里の皆に見送られ。
全員合格という伝説を引っ提げて、最終選別の藤襲山へと帰っていくのだった。
次話は8月17日(月) 23時公開予定です