「くんくん。百合鬼、こっちにも美味しそうなきのこの香りが漂ってるっすよお」
「おー、さすがモグラ鬼さん! どんどん採っていっちゃいましょう!」
日の暮れたばかりの
ずんずんと先を進むのは、二足歩行の巨大なモグラの姿をした鬼。その名もモグラ鬼。
彼は土に干渉する能力と、さらに人間だった頃の農業知識もあわさって、今では
そんな彼の後ろでふらふら周囲を眺めながら歩くのは、身体の所々に植物の茎や葉が巻き付き、左の眼窩に百合の花を咲かせている若い女性の鬼――百合鬼だ。
「百合鬼も、見てるだけじゃなくしっかり探すっすよお?」
「はーい」
彼らは隠れ里の食糧を管理するものとして、この日は鳥居の外の藤襲山まで足を運び、食べられるきのこを探しに来ていた。
いくら彼らが異能を使い畑を充実させたとしても、どうしても畑では育てられない食糧というものもある。そのうちの一つが、山で採れるきのこである。
この夜の藤襲山は、彼らにとっては絶好のきのこ狩り日和なのだった。
日の暮れた藤襲山を歩いている『あやかし』は、モグラ鬼たちだけではない。
「静かだわ……まるで、静寂の神が訪れたかのように……」
「本当にそうですね。こんな風に夜の山をみんなで散歩できるだなんて、後にも先にも、きっと今回きりですよ」
長い髪を風に揺らしながら歩くのは風見鬼。そして、風見鬼と離れてしまわぬよう手を繋いでいるのは巫女鬼こと花枝である。
彼女らはモグラ鬼たちのように何かしらの目的があるわけではなく、ただ景色を楽しむためだけに歩いていた。いわば、夜の散歩だ。
そして、ずらずらと歩いているのは花枝と風見鬼だけではない。その後ろを歩くは筆鬼や包丁鬼といった、普段は隠れ里から出ることのない面々だ。
夜の星を見上げ、あるいは静かな森を眺め。仲間との談笑を楽しみ。
普段は隠れ里にいるはずの面々が、この夜だけは皆で鳥居をくぐり、藤襲山へと訪れていた。
「あんなに嫌いだった藤襲山が……まるで、星空の下の舞台のよう……」
「ふぉふぉ。墨絵で描くためにも、しっかりとこの景色を記憶に焼き付けておかねばなりませんなあ」
「わあ、墨で星空を描くんですか? 真っ黒な絵になっちゃいそう」
モグラ鬼と百合鬼はひたすらきのこを集め。花枝たちは夜空を眺めながら談笑に浸っている。
少し後ろでは、手鬼と他の鬼たちが、隠れ里の新たな施設についてあれやこれやと意見を出し合いつつ、暗い森の中を楽しげに歩いているのが見える。
いったい何故、このような状況に至ったのか。
それは偏に、つい先日の最終選別で出会った狐の子――錆兎のお陰であり、同時に錆兎のせいでもあった。
◇ ◇ ◇
大きく伸びた木の上に上れば、そこには広大な星空が広がっている。花枝はこの星空を眺めるのが好きだった。
花枝の横には、籠に大量のきのこを入れた百合鬼が並んで座り、ともに星空を眺めている。
他の仲間たちはすでに隠れ里に帰っている。今ここにいるのは花枝と、その護衛も兼ねている百合鬼だけだ。
「あー、でも残念です! 藤襲山に鬼がいないのは素敵ですけど、しばらくは私たちも仲間を増やせませんねー」
「そうですね。最終選別をきちんと実施させるためにも、わたしたちが鬼を減らすわけにはいきませんからね」
そう。この日、どうして隠れ里の面々が呑気に夜の散歩などに興じることができたのか。
それは至極単純な話で、なんといまの藤襲山には『鬼』がいないのだ。
原因は錆兎である。最終選別に訪れた錆兎は、手鬼に遭遇する前の時点ですでに、この山の鬼を粗方刈り尽くしていたのだ。残された鬼も、他の子供たちの集団に出くわし、あっさりと刈られたらしい。
花枝とて長らくこの藤襲山を見てきたけれど、覚えている限りでは今までこんな事件が起きた試しなどない。
「くっそー。錆兎め、やることが滅茶苦茶すぎません? あの子、物静かな義勇をもう少し見習えばいいんですよ。巫女鬼様もそう思いませんか?」
「うーん、義勇は義勇で、ちょっと言葉足らずすぎるところはありましたけどね」
「あははっ、確かに。でもそういえば、あの『俺は石を拾って過ごす』って、どういう意味だったんでしょうねー」
「きっと、彼なりの意味があったんでしょう。全然わからないですけどね」
星を眺めながら、百合鬼と語り合うのは錆兎と義勇の二人について。
特に、百合鬼は治療のために彼らと接する機会が多かったので、義勇と言葉を交わす機会も多かったのだ。
同じ『言動が難しい』でも、何かと詩を読み上げる風見鬼の言葉は理解できるのだが、義勇の言葉足らずはそれとはまたちがう、異質なものだ。
花枝と百合鬼は、少年たちの不思議な会話を思い出しながら、二人揃って頭の横に疑問符を浮かべていた。
なお、彼の『俺は石を拾って過ごす』という言葉は。
『初日で鬼にやられた自分は死んだも同然。親同然の鱗滝さんより先に死ぬなど、賽の河原で石を拾い続ける子供のように、罪を背負って生きていくしかない』という彼なりの贖罪の台詞だったのだが、その事実を花枝が知ることは永遠にないのだった。
「ま、二人とも無事に合格できてよかったですね! カナエちゃんといい、錆兎に義勇といい、最近の子たちは筋がいいですねー」
「カナエも今頃は、隊士として頑張っているのでしょうか」
ふと出てきた名前に、花枝もその姿を思い返す。
胡蝶カナエ。彼女は百合鬼と手合わせをしてから里を出るまでの間、随分仲良くしていたはずだ。
お嬢様然とした風貌はとてもではないが鬼と戦う剣士には見えず、その内面もまた、手鬼曰く『頭に花が咲いた女』だった。しかしそれでも、彼女の実力は本物だ。
いかに死と隣り合わせの鬼殺隊だとしても。カナエならばきっと、今もどこかで無事に過ごしているに違いないと、花枝はそう信じている。
「真菰が水柱になったようですし、カナエもいつか本当に、柱となって再びやってくる日がくるかもしれませんね」
「きっと、その時には私よりもっと強くなってるんですかね。私も少し、新しい術とか修行したほうがいいですかねー」
「いいですね、応援していますよ。私としては、蜂蜜を大量に生み出す術を覚えてくれると助かります」
「それって、巫女鬼様が蜂蜜を舐めたいだけですよね?」
そんな風に、百合鬼と冗談を交えながら、花枝は静かな星の光を眺め続ける。
どこか遠くで、彼らもまた同じ星空を眺めているのではないか、と。
新たな世代の若者たちに思いを馳せながら。
◆ ◆ ◆
そんな、花枝たちの記憶に刻みつけられた最終選別から、しばらく後の出来事だ。
藤襲山から遠く離れたとある武家屋敷の前に、その少年は立っていた。
宍色の髪に、口から頬にかけて大きな傷跡。黒い詰め襟に袴を合わせた独自の制服と、頭には持ち主と同様の傷跡が描かれた狐面。
彼こそは、花枝たちに噂をされていた狐の子――錆兎である。
錆兎はいま、藤襲山の隠れ里にて押しつけられた煉獄槇寿郎宛の包みを手に、煉獄家へと訪れていた。
「失礼する。こちらに、元炎柱の煉獄槇寿郎殿がいらっしゃると聞いたのだが」
「む、その衣装は鬼殺隊の隊士か! 鬼殺隊の人間は家に入れるなと言われている! 父上はいま、鬼殺隊に不信感を持っているのだ!」
錆兎を出迎えてくれたのは、年の頃は錆兎とほぼ変わらないであろう、黄色と赤の目を引く髪色をした少年だ。
少年は真っ直ぐな瞳を錆兎に向け、いやにはっきりと、錆兎にとっては残酷とも言える台詞を言い放った。「鬼殺隊の人間を入れるな」などと、元炎柱の言葉とは思えぬその内容に、錆兎は怪訝な表情を浮かべる。
が、すぐに気を取り直した。
「すまないが、それでも俺は引き下がるわけにはいかないんだ。取り次ぎを頼む」
「そうは言ってもな! 父上は強情で頑固なので、隊服を着た君の話など聞かないぞ!」
煉獄家を尋ねるのは、錆兎にとっては大きな決断だった。藤襲山から戻ってから、師である鱗滝、そして姉弟子である真菰ともじっくりと話し合った。
手鬼たちには炎の呼吸を学ぶことを薦められたものの、錆兎はそれでもやはり、水の呼吸だけで戦うつもりだったのだ。そんな錆兎の背を押してくれたのはほかでもない、師である鱗滝左近次だった。
強くなる機会が目の前にあるならば、貪欲にそれに手を伸ばして良いのだと。
決して水の呼吸ひとつにこだわる必要などないのだと。
そして、別な呼吸を覚えたとしても、錆兎が自分の大切な弟子であることには変わりないのだと。
鱗滝は、そう言ってくれた。
なればこそ。錆兎はここでおめおめと引き下がるわけにはいかないのだ。
「ならば、これを槇寿郎殿に届けてもらえないだろうか。藤襲山に住む巫女からの品だと言ってくれればわかるはずだ。俺は煉獄槇寿郎殿と話をするまで、引き下がるわけにはいかない」
「なんと、伯母上からの品物か! わかった、すぐに父上に知らせてくる!」
「伯母上? なんのことだ……?」
少年の言葉に錆兎は再び怪訝な表情を浮かべるが、しかし目の前にいた少年はもう、気付けば屋敷の奥へと駆けていってしまった。
日常生活の中でも、いまの少年の動きは研ぎ澄まされていた。
なるほどあれが炎柱の血族なのかと心の中で納得しつつ、錆兎は少年が戻ってくるのを一人、門の下で待つことになるのだった。
◇ ◇ ◇
「お前が錆兎か。なるほど、確かに素質は申し分ない子狐だな」
門の先に見える玄関から出てきたのは、先程の少年とそっくりの髪色をした男性だ。手には一枚の紙――おそらく花枝からの手紙を持ち、そこに書かれた文と錆兎の顔を見比べていた。
どこかやさぐれたような荒々しい雰囲気。鬼殺隊の衣装ではなく一般的な着流しを崩して着ており、顎には無精髭が生えている。そしてその腰には驚いたことに、昼間だというのに『酒』の瓢箪がかかっている。
この立派な屋敷の家長とは思えぬほどの、だらしない姿である。どう見ても、堕落した大人にしか見えない。
だが。
「あ、あなたが煉獄槇寿郎さんか。俺は――」
「お前。どんな修行でもついてくる自信はあるか?」
挨拶など不要とばかりに、ビリビリと、錆兎へと強烈な覇気が叩きつけられる。
このだらしない姿の男は、強い。今まで錆兎が出会ってきた誰よりも、圧倒的に強い。
錆兎の本能が警報を鳴らす。この目の前の男を、決して侮ってはいけない。
「ある! 俺は水の呼吸の使い手で、あなたの炎の呼吸を覚えられる保障はない。それでも、強くなるために学べるものは全て吸収していきたい!」
「ふん、呼吸など水も炎も変わらん。よし子狐、今から鬼狩りに行くぞ。杏寿郎、いつもの準備を頼む!」
「はい! 父上!」
「……は?」
どうやら、錆兎がここで追い返される心配はなさそうだった。
が、さらりと槇寿郎が述べた言葉に、錆兎は気の抜けた声で反応してしまう。
槇寿郎は錆兎のそんな態度も気にした様子はなく、横で会話を聞いていた少年――杏寿郎に何かしらを伝え、それを受けた杏寿郎は手慣れた様子で屋敷の奥へと駆けていく。
「あ、いや、どういうことですか?! 俺はまだ、鬼狩りの指令なんて受けては――」
「指令などどうでもいい! いいか、今から貴様は鬼殺隊を辞めろ!」
「そ、んな……無茶だろ!」
無茶苦茶だった。
鬼殺隊の選別に合格し、錆兎は晴れて鬼殺隊の隊士として認められた。隊服を支給されて、つい昨日、己の日輪刀を手にしたばかりだ。
それでいきなり「鬼殺隊を辞めろ」と言われても、流石に頷けるわけがない。
錆兎は助けを求めるように自分の『鎹鴉』に視線を向けるが、瞬時にさっと視線を逸らされた。鴉は卑怯者だった。
だが、錆兎が言葉を失っている間にも、杏寿郎が奥の部屋から一振りの刀と肩掛けの荷入れを持ってきて、父である槇寿郎に渡している。
「杏寿郎。一週間以内には戻る。指示した修行を怠るなよ。それと家のことは頼んだぞ!」
「わかりました、父上! 修行は怠りません! それに狐面の君も、健闘を祈るぞ!」
「お前も普通に健闘を祈らないでくれ。槇寿郎さん、あんた一体どういうことなんだ!」
話がトントン拍子に進んでいき、何故だか今すぐに錆兎はこの槇寿郎と鬼狩りに出ることになってしまった。
あまりの滅茶苦茶な展開に錆兎は素が出てしまい、もはや、敬語もどこかへ消えている。
だが、槇寿郎はそんな錆兎に対してにやりと口角を上げ、その首根っこをつかまえる。錆兎も抵抗をするが、元炎柱の膂力で捕まれては何の抵抗も意味を成さない。錆兎と槇寿郎の圧倒的な力の差が、そこにあった。
「鬼がいなければ熊や猪でもいいが、それもいなければ俺が手合わせをしてやろう! 実戦はどのような修行にも勝るものだ! 安心してついてこい、子狐!」
「子狐じゃない、錆兎だ! そして何も安心出来ない!」
そうして、有無を言わさず。理不尽に。
錆兎は槇寿郎に誘拐され「藤襲山の最終選別など楽なものだったのだ」と思い知るほどの。熾烈で過酷な、槇寿郎主導の実戦の日々に放り込まれることとなる。
遠く、藤襲山で平和に過ごしている花枝たちには。
悲しいかな、自分たちのせいで大変な目に遭っている錆兎の絶叫などは、全く聞こえていないのだった。