角姫様
これは、年号が『大正』になって最初に行われた最終選別でのことだ。
手鬼と
けれど、それと引き換えに受けた傷は大きく、このまま山に籠もったとしても、もはや最終選別の最終日まで生き残る見込みはなくなっていた。いや、最終日どころか明日の朝まで持つかどうかも怪しいところだ。
「おいテメェ。選べ。ここで傷の治療を受けてさっさと山を下りるか。このままのたれ死ぬか」
「あ、ああ、あああ……」
既に日輪刀を持つ力もなくしてしまったのか、斜面に身体を預けるようにして倒れかかっている少年は、ただ。
手鬼と花枝の姿を見て、涙を流し、身体を震わせていた。
「もう、手鬼ったら、手負いの子供を泣かせてどうするんですか。あなたは手が沢山生えてて不気味なんですから、そんな威圧的に近づいたら自害されてしまいますよ?」
「ったく、いつもながら手間のかかる作業だな」
これは、花枝たちがこの四十年前から続けてきた救助作業である。
怪我を負い、最終日までの生存が絶望的になった子供たちを見つけ次第、手当をしてから鬼の危険のない藤の花の下へと放り出す。あとはそのまま山を下ってもいいし、もう一度山に入り、死に場所にしてもいい。
いま目の前にいるこの少年も、このままでは今夜が峠だろう。手鬼が地面から生やした腕で、少年の足元に落ちた日輪刀を奪い取る。これでもう、手鬼や花枝が危害を加えられることはない。
あとは花枝が浄化を施しつつ、百合鬼が見繕った薬草で傷口を塞ぎ、最後に包帯できつく締めたら藤の花のもとまで運び出せばいい。
それがいつもの手順だが、しかし今回は少しだけ、想定外の出来事が発生した。
「あ……ああ……そんな、本当に……」
息も絶え絶えだった少年が、ふらつきながらも動き、そしてまるで四つん這いになるようにして、地面に顔を伏せた。
花枝は最初、少年が手鬼に刃向かおうとして、しかしすぐに力尽きて倒れたのだと思った。
けれど、違っていた。
「角姫様、角姫様が……本当にいらした……!」
「え?」
「おらが死ぬ前に、角姫様のご尊顔を、拝めるだなんて……あぁ……ありがてえ、ありがてえ……!」
「ええ?!」
彼は、顔を涙でぐしゃぐしゃにした状態で、ひれ伏していた。
何に? それは当然、彼の言葉の通り『角姫様』にである。
ただし。彼がひれ伏すその正面にいるのは角姫様ではなく、巫女鬼様である。
「おい巫女鬼。テメェ、いつから『角姫様』になりやがった」
「い、いえ、さすがに覚えがありませんよ?!」
「お、おらの村では……ずっと、角姫様を守り神として……鬼狩り様、が……村を……」
「え、ええ?」
「角姫……様……」
「え? わあ?! そこで気絶しないでくださいよおっ」
息も絶え絶えな少年が、その状態でもなお、熱心に語った言葉。角姫様。守り神。そして、鬼狩り様。
しかし、少年はそれだけ言うと。
花枝に向けて、涙ながらにひれ伏したままで、かくりと意識を失ってしまうのだった。
――そんな出来事があってから、数日後。
結局、気絶してしまった少年はその後きちんと応急処置を施し、藤の花の下に寝かせておいた。
巡回していた鎹鴉に花枝たちが合図を送っておいたので、彼は無事に隠の手で山から降ろされたはずだ。
本音を言えば、彼には『角姫様』とやらについて詳しく聞きたくもあったが、意識を失ってしまったものは仕方がない。
なので。
花枝たちは、別のツテを使い『角姫様』について調べることにした。
◆ ◆ ◆
脚が三本生えた、世にも奇妙なあやかし鴉。その名もヤタガラス。
外へと出ていた彼が戻ってきたのは、件の最終選別からおよそ一週間後のことである。
『ガア! 手紙を預カッテキタゾ! 受ケ取レ! 読メ!!』
彼が外の人里から持ち帰ってきたのは、とある人物からの手紙である。
手紙の主は、胡蝶カナエ。
花枝たちは『角姫様』についての情報収集を、元柱であるカナエに依頼していたのだ。
「ヤタガラスもお疲れさまでした。カナエは元気でしたか?」
『ガァ! ガァ! ツイデニ俺ノ血ヲ採取サレタゾ! 研究スルラシイナ!』
「カナエったらちゃっかりしてますね」
『注射ハ、意外ト痛クナカッタゾ!』
「そうなんですか? あれって針を肌にさして血を抜くんですよね、怖くありません?」
肺に傷を受けてしまった彼女はすでに隊士を引退している。今は蝶屋敷の代表として医療チームの指揮をとり、熱心に『あやかし』に関わる薬の研究を続けているようだ。
ついでとばかりにヤタガラスの血液を採取されてしまったようだが、ヤタガラスも気にしていないし、さしずめ今回の迷惑料といったところだろう。
「おい花枝。カラスと遊んでねえでさっさと中身を確認しやがれ」
「そうですよ花枝様! カナエちゃんのお手紙を読みましょうよ!」
「わあ、みんな揃って覗きに来てる」
振り返れば、カナエからの手紙が来たと知って、手鬼や百合鬼、その後ろには筆鬼や彫刻鬼もやってきていた。やはり皆も、角姫様とやらが気になるのだろう。
「じゃあ、確認してみますね」
花枝は皆に急かされるままにヤタガラスから受け取った封を開き、中を確認する。
入っていたのは胡蝶の絵柄が差し込まれた千代紙の便箋だった。この時代は手紙一つが実に華やかだ。
花枝はまずさらっとカナエからの手紙を上から下まで斜めに読んでいく。
ざっと読み進めていくと、手紙には今回調べてもらった『角姫様』についての情報のほか、トキジクの研究についても書かれていた。
トキジクの成分を研究した結果、鬼の呪いを完全に除去できる薬はまだ作れてはいないようだが、血鬼術の呪いを和らげる『血鬼止め』の効能が劇的に上昇したという。カナエの妹である胡蝶しのぶが薬学の才に秀でているようで、大きく力になってくれたようだ。
「さすがカナエですね。本当にトキジクの実から、鬼殺隊士を守るための薬を作り上げてしまうだなんて。妹もなかなかの逸材みたいですし」
「おい巫女鬼。薬はいいんだが、例の『角姫』はどうなんだ?」
「ええと……あ、ありました。『"角姫様"についてですが、どうやら巫女鬼様の像が、一部地域では"角姫像"として知られておりました。件の少年の育手に聞いたところ、彼の故郷ではその角姫像を社で祀っているのだそうです』って、カナエは言ってます。良かったですね、彫刻鬼」
「ええ。私が彫り続けてきた巫女鬼様の像が、人々の間でそのようなことになっているとは! 彫り師として、感無量でありますなあ!」
花枝が振り向いて声をかけると、その像の創造主である彫刻鬼が感動に打ち震えている。
祀られている『角姫様』の像。それは手紙にもあるように、彫刻鬼がずっと昔から飽きずに彫り続けてきた、花枝の姿を宿した木像のことだ。
当事者の花枝としては、自分の像が見知らぬ村で祀られていると言われても普通に困ってしまうのだが、しかし彫刻鬼の感激もわからないではない。彼はちょっとおかしなところもあるけれど、こと彼が造像に向けた真摯な想いは本物なのだと、花枝は知っている。
一方、カナエの手紙が気になっているのか、花枝の横から百合鬼が身を寄せてきて、便箋の文章を読み上げていく。
「えーっと『どうやら角姫像は明治の半ばころから、鬼に襲われた村落を中心に、少しずつ広まっていったようです』だそうですよ?」
「明治の半ば、ですか? ねえ彫刻鬼、明治の半ばって、例の像はどうしてたんですっけ?」
「半ばというなら、明治二十年代でしょうかね。そのころでしたら、私の巫女鬼像を人里に持ち帰っていたのは槇寿郎のみです! つまり、槇寿郎が広めたのでしょうなあ!」
「ですよね? あの頃は産屋敷との交流もありませんでしたもんね」
時期的に、当時の巫女鬼像を外の世界まで運びだすことが可能であった容疑者はたった一人。元炎柱、煉獄槇寿郎である。
花枝の記憶の中には、遠い記憶がよぎる。その頃の槇寿郎は定期的にこの隠れ里にやってきては、手鬼を始めとした住民たちと手合わせを繰り返し、帰り際には彫刻鬼が作った巫女鬼像と、筆鬼が描き出した墨絵を持ち帰っていたのだ。
当時はどちらも好評だったらしく、特に花枝の像は「好事家たちからの人気が高い」などと槇寿郎が話していたのを思い出す。
なんということはない。きっと「好事家たちからの人気が高かった」というのも嘘ではないのだろうが、それとは別に、槇寿郎は花枝の像を『鬼の被害にあった村』にも配り歩いていたわけだ。
「へー。カナエちゃんが調べた範囲ですと、それを置いている村落は以降は平穏が続き、今の時代では守り神として扱われているそうです。最近だと民俗学の本にも紹介されているみたいですね」
「フフフフ、傑作だぜ! 鬼である巫女鬼がどこぞの土地の守り神として崇められてるとはなァ。随分と出世したじゃねえか、フフフフっ」
「わたしとしては傑作どころじゃなくて、寝耳に水というか、どう受け止めればいいのかわからないんですけど」
楽しげに笑い始めたのは手鬼だった。どうやら彼にとって、花枝が守り神扱いで崇められているという新事実がどうにもツボに入ってしまったようだ。相変わらず、少年姿の彼には微妙に似合わない不気味な笑い声を上げている。
そして、笑っているのは手鬼だけではない。
皆して何がそんなに嬉しいのか、後ろで話を聞いていた里の住民たちも思い思いに口元が緩んでいる。
「ふぉふぉ。こやつの像はこの隠れ里の木材を使用しておりますから、実際に厄除けの効果があったのやもしれませんのう。さすがは角姫様であらせられる」
「私は巫女鬼様の像を作るときには、一切の妥協をしてきませんでしたからな! 巫女鬼像――いや、角姫像は、守り神にはもってこいですぞお! 新たな名を得ましたなあ!」
「いやいや、守り神の信仰も、新しい名前も、私としては不要ですからね?」
なにも隠れ里の木材から作った物が厄除けになるのならば、それが巫女鬼像である必要などないのだ。それこそ手鬼を模した像だろうが、丸太を切り出した木材だろうが効果は変わらない。
だが、それを言ってしまうとせっかく温かくなった空気が壊れ、空気が変になってしまうことは確実だ。花枝は非常にもの言いたげな顔で、我慢する。
「……まあ、でも。彫刻鬼が作り出したそれが、色々な人々の生活を守るために祀られているのなら、それはきっととても素敵なお話なのでしょうね」
「わはは! そうですぞ、とても素敵なお話でしたぞ! いやあ、感慨深いものですなあ! わはははは!」
なんにしても、謎はとけた。
槇寿郎には色々と言いたいこともあるけれど、今回は彫刻鬼の喜びに免じて許してあげよう、と。
彫刻鬼とともに、わははと笑いとばすことにしたのだった。
◆ ◆ ◆
――某月某日。
人里から隠されたとある屋敷にて、一人の線の細い男性と、涙を流した大男が向かい合っていた。
線の細い男の名は産屋敷耀哉。彼こそは産屋敷家97代当主である。
そして、大男のほうは現岩柱である悲鳴嶼行冥だ。彼は数珠を握り絞め、涙ながらに当主へと訴えていた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……お館様。私はやはり、反対です」
「おや、駄目かい? でも、私はこの像を気に入っているのだけれどね」
「しかし、隊士への示しがつきません。産屋敷家に、鬼の像を置くなどと」
行冥の訴え。それは、一つの木像についてである。
額から角を生やした巫女の像。それは間違いなく『鬼』なのだが、産屋敷家当主ともあろう耀哉がその『鬼』の像を、この屋敷に飾ろうというのだ。
「ふふ、そう言えば、君には見えていないのだったね。この像は決して悪しき鬼などではないんだよ」
「……」
「『あやかし』たちを率いる
一瞬の沈黙のあと、耀哉は続ける。
「私たち鬼殺隊が殺してしまった浄化の巫女、
「……南無阿弥陀仏……」
行冥とて、鬼殺隊の柱である。この像の由来となる存在が何者なのかは知っている。
それこそ柱への就任当時から、同い年のよしみで水柱の真菰から何度も聞かされている。
真菰は人あたりが良く、少しばかり言動がふわふわしている部分もあるが、柱としては尊敬すべき隊士の一人だと思っている。だが、顔を合わせるたびに何度も何度も、耳にタコができるほどに巫女鬼の話を聞かされてきたため、行冥は真菰が少し苦手だった。
――真菰についてはさておき。
巫女鬼こと御霊矢花枝が鬼殺隊にとって敵ではないということは、お陰で嫌と言うほど理解している。そこで当主に逆らうつもりなどはない。
それでも。目の見えない行冥だからこそ、受け入れ難いものは、受け入れ難いのだ。
「彼女は、私たち鬼殺隊にとって、救いの存在なんだよ」
「ならば……せめて、隊士の目につかぬ場所に置いていただきたい」
「仕方ないね。君がそこまで言うなら、隊士たちが見ることのない……そうだね、私の枕元に飾るとしようか」
「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
その日。
静かな産屋敷家には、悲鳴嶼行冥の念仏の声だけが、しばらく響き渡っていたという。