これは、年号が大正になり、しばらくの月日が経った頃のこと。
『ガァ! ガァ! 槇寿郎カラノ届ケ物ダゾ! 受ケ取レェェ!!』
その日、鳥居を潜って隠れ里へと戻ってきたヤタガラスが、何やら大きな包みをぶら下げていた。
しっかりとした布地で包まれたそれはヤタガラスの身体よりも大きく、見るからに中身もみっちりと詰まっており、なかなかの重量感である。
ヤタガラスは境内を箒で掃いていた花枝の元へと真っ直ぐに飛んできて、花枝の目の前にその荷物をドスンと落とす。
「わあ、随分重たそうな荷物ですね。よくここまで飛んで来られましたね、ヤタガラス」
『滅茶苦茶重カッタゾ! 槇寿郎、許サン!』
ヤタガラスはこの荷物をぶら下げて、遠い煉獄家から何時間もかけて真っ直ぐに飛んできたのだろう。
普通の鎹鴉と違いヤタガラスは『あやかし』なので、体力や筋力的には問題ない。それでも、朝日が出るまでに
『槇寿郎ノヤツ! オレヲ便利ナ運ビ屋ダト思ッテルノカモシレン!』
「まったく、槇寿郎も困ったものですね」
二人の会話のとおり、ヤタガラスは煉獄槇寿郎の元へと出向いていた。
というのも、花枝たちは少し前に槇寿郎に確認したいこと――『角姫様』像についての質問があり、ヤタガラスに手紙を持たせ、煉獄家まで飛んでいってもらったのだ。
そして数日後、ヤタガラスが戻ってきたらこれである。
花枝は拝殿前の石段を作業台代わりにして、そこに包みを置いて一息ついた。
そして、シュルシュルと荷をほどいていく。
するとまず、中には一つの簡素な封筒が入っており、そこには槇寿郎が花枝たちに向けて書いたであろう手紙が入れられていた。
「――で、槇寿郎から手紙と一緒に届いたのがこちらです。槇寿郎的にはこれが『角姫様』の件のお詫びだそうですよ。手鬼も読みますか?」
「ああ、見せてみろ」
拝殿前の石段で。手紙を読み終えた花枝の隣に立つのは、ヤタガラスから話を聞いてやってきた手鬼である。
当のヤタガラスは荷物運びで疲れたらしく、今は森の中のお気に入りの木の上で休憩中だ。
槇寿郎の手紙に書かれていた、詫び。それはもちろん、花枝の像が『角姫様』なる呼び名で信仰を集めてしまっていることについてだ。
槇寿郎が言うには、あの像は本当に鬼を避ける効能があったらしく、言うなれば藤のお香と似たような効果を期待できたのだそうだ。だから、彼も当時は御守りを配り歩く程度の気持ちで、鬼に襲われた集落に巫女鬼像を残して行ったらしいが、それが二十年後には立派な守り神として祀られていたというわけである。
世の中、何があるかわからないものだ。
「あの野郎。なにが『お前たちには会わす顔がないが、面白い弟子を紹介してくれたことは感謝している』だ。次に顔を見せたときにはその顔をぶん殴ってやる」
「まあまあ、槇寿郎にも色々と考えるところがあるんですよ。でも、それより今は、この『お詫びの品』をどうするかです」
「これが詫び、なぁ……。さすがに俺らじゃどうにもならねぇし、包丁鬼と田中鬼に任せるしかねぇだろ」
「それもそうですね」
花枝と手鬼は、包みの中から出てきたものを眺めながら、顔を見合わせる。
石段に置かれた包みの中身。それは、花枝が渡されても困ってしまうような、ひと塊の『やたらに大きな肉』であった。
◇ ◇ ◇
ところ変わって、社家屋敷の炊事場。
もともと江戸時代の
電気やガスという便利なものこそないものの、今では当初と比べると大きく様変わりしており、全体的に新しい調理道具や設備が揃えられている。
そんな炊事場の作業台に、槇寿郎から届けられた『やたらに大きな肉』が置かれていた。どっしりとしたその佇まいは、作業台の上に置かれただけだというのに、なにやらただならぬ存在感を放っている。
この隠れ里で肉と言えば、藤襲山で狩ってくる猪や兎、鳥のことであり、外の世界で流通しているような食肉とはとんと縁のない土地だ。
産屋敷家が社に置いていく物品も、食糧と言えば基本的には長持ちする乾物、調味料、そして野菜などの種である。生の肉類が捧げられたことはない。もしかしたら産屋敷は、あやかしたちが生肉の味を覚えることを恐れていたのかもしれないなと、花枝は思う。
しかし事情はなんにせよ、だ。その花枝たちの内情を知っている槇寿郎だからこその、食用の肉の差し入れに違いない。そんなものを花枝が受け取ってもどうしようもないため、これは全面的に包丁鬼、そして田中鬼に託されることになった。
「コレハ……『牛肉』ダナ。料理シガイガ、アルナ」
包丁を手にした獣のような恐ろしい外見の鬼、包丁鬼がその肉をじっくりと見定めている。
「牛ですか? わたしも、槇寿郎の家に泊まっていた時期には何度か牛すきというものを食べましたけど、このお肉も牛すきにしてみますか?」
「いえ、待ってください巫女鬼様。せっかくのこんな立派な牛肉ですし、牛すきにしてしまうのはもったいないですよ」
「田中鬼ノ、言ウ通リダナ。コレハ……人数分ニ切リ分ケテ、ステーキニデモ、シテミルカ?」
「すてーき」
さっそく『すてーき』なるハイカラな言葉が飛び出てきた。言葉は知っている。本や雑誌で見たことはある。しかし、その意味するところまではすぐに思い出せなかった。
すてーきがどのようなものだったかと首を傾げる花枝をよそに、包丁鬼と田中鬼はどんどん意見交換を始めている。包丁鬼もこの里に来たのは明治の前半で、最近の料理など知らないはずだが、彼はどうやら料理の本などを読み込み、西洋からきた新しい台所事情も学び続けているようだ。
花枝は横にいる手鬼に視線を送るが、手鬼も『すてーき』はあまりよくわからないようで、首を横に振っている。何も知らない仲間がいたことで、花枝は少しほっとした。
そんな花枝に説明をしてくれたのは、田中鬼だ。
「ええと、つまりはこの牛肉を板状に切って、フライパンで焼いていくんです」
「なるほどなるほど、わかります」
フライパンが何かはさすがに花枝もすでに知っている。料理に使う、手持ちの平たい鉄鍋だ。
うんうんと雰囲気で頷く花枝へと、手鬼がしらけた視線を向けている。
「ま、料理のことは俺らにはよくわからねえからよ。二人に任せるぜ」
「ワカッタ。任セロ」
どうやら手鬼は『牛肉』そのものに大した魅力を感じていないようで、包丁鬼と田中鬼に肉塊を押しつけるだけで、あとはほとんど興味なさげな顔だった。
一方、槇寿郎の家で牛肉の美味しさを知っていた花枝は、そんな手鬼に対して色々言いたいこともあったけれど、ここはぐっと我慢をする。
百聞は一見に如かずだ。手鬼もあとで『牛肉のすてーき』を食べて、味に目覚めればいいのだ。
花枝はこころの中でそう考えながら、くふふと小さくほくそ笑むのだった。
◆ ◆ ◆
その日の夕食会は、特別に豪華な夕食となった。
それはなぜか。もちろん『牛肉のすてーき』があるからだ。
「チッ、うめぇじゃねえか……」
初めは牛の肉に興味なさげだった手鬼が、むしゃりと肉に噛みついてから目の色を変えたのを、花枝は見逃さなかった。
包丁鬼と田中鬼が焼いてくれた『すてーき』は、たまに食べてきたイノシシなどとは違い、柔らかく、香りよく、手鬼の心を一口で奪っていってしまう。
「わあ、本当に美味しい。これはやっぱり猪とは全然違いますね。それに厚みがあるのに随分と柔らかいです」
花枝もまた、手鬼の横で肉に齧り付いている。ナイフとフォークなどといった上品なものは、さすがにここには用意されていない。
江戸時代の鬼も、明治時代の鬼も、それぞれが箸でつまんだ肉を口にそのまま持っていき、がぶりと噛みついている。
花枝が見た限りでは、住民全員が食べた瞬間に眉をほころばせていた。ヤタガラスに至っては、ステーキを咥えたかと思うと突然羽ばたき、裏手の森の中へと飛んで行ってしまった。よほど美味しかったのだろう。
「ステーキのソースも色々と試してみたんですけど、蜂蜜を隠し味にしてみました」
「わあ。それは美味しいに決まっていますね」
そんな皆の様子に嬉しげな笑顔を浮かべているのは、今回の調理担当の田中鬼だ。
もちろん包丁鬼も調理担当だが、彼は動物のような外見のため、その表情が何を意味するのかはよくわからない。
「ねえ、田中鬼。いまの世の人たちは、これを普通に食べているんですか?」
「ここまで上等なステーキはそうそう食べられないと思いますけどね。これよりは安い肉を挽いたもので作った『ハンバーグステーキ』なら、もう少し一般的かもしれません」
「はんばーぐ? また新しい料理が出てきましたね」
「はい。ええとですね、細かく挽いた肉に、タマネギや、パンから作った粉を混ぜ合わせて――」
◇ ◇ ◇
ステーキをもしゃもしゃと食べながら、ハンバーグステーキについての解説を聞く。
田中鬼によると、ハンバーグステーキというものは、挽いた肉にタマネギとパン粉といった材料を混ぜ、捏ね合わせて焼くというものだった。
そもそも花枝としては「挽いた肉」自体を食べたことがないので、頭の中で想像をしようとしても今一つ形にならない。つまり、想像もつかない料理だということだけは、花枝もしっかりと理解できた。
「なんだかよくわかりませんでしたが、面白いですね。今度こういった機会があれば、その『はんばーぐ』をお願いしましょうか」
「巫女鬼。肉だったら里にも山羊がいるじゃねえか。あれも食ったら意外と牛と大差ないんじゃねえか?」
「もう、駄目ですよ手鬼。あの子たちは乳を搾るための山羊なんですから、お肉にしちゃったらあいすくりんが食べられなくなっちゃうじゃないですか!」
手鬼の発言に、巫女鬼が珍しく厳しい声をあげる。
隠れ里には、山羊がいる。これもかなり前に産屋敷家が山の神へと捧げた奉納品に含まれていたものだ。山羊はあくまで乳をもらうための動物なので、あいすくりんには欠かせない仲間なのだ。食肉にするなど以ての外である。
花枝はあいすくりんを軽んじるものには厳しい巫女だ。
「そうですそうです! 乳が取れなかったら、バターも作れないじゃないですか。お肉よりもバターですよ」
「ふんわりと……山羊のバターを溶かしたパンケーキは……乙女の頬を、とろけさせるわ……」
そして花枝に続いて、百合鬼と風見鬼も声をあげる。
彼女たちもまた山羊の乳をとても大事にしているのだ。なにせ山羊は、乳を混ぜれば様々な料理がまろやかで優しいものとなり、更にはその乳からとれた成分を撹拌することでバターが作れるという、奇跡の動物だ。とてもではないが、その山羊を食肉にするなど以ての外である。
乙女たちはバターやパンケーキを軽んじるものには厳しいのだ。
「チッ、あいすくりんだバターだと、揃いも揃って西洋にかぶれやがる」
山羊に首ったけの女子の鬼たちの姿に、手鬼が小さく舌打ちをして。
そんな手鬼を、他の鬼たちが生暖かく見つめている。
皆は知っている。あいすくりんにしろ、バターにしろ。
率先して氷室を掘り、乳を撹拌し、ひたすらかき混ぜて、花枝の要望に全力で応えてきたのはだいたい手鬼なのだ。
そんなふうに、実の兄妹以上に兄妹らしい二人の姿を肴にしながら。
隠れ里に住まう『あやかし』たちはこの日、初めて食べた牛肉のステーキに舌鼓を打っているのだった。