――大正二年。
それは、この年に行われた最終選別の初日でのこと。
この日、いつも通りの平穏な変わらぬ生活を送っていた隠れ里に、異様な客人がやってきた。
客人はガチガチに緊張した佇まいで、鳥居を潜って境内を見渡すなり、こう叫んだ。
「『あやかし』の皆さぁぁあん!! わ、わたくし甘露寺蜜璃、皆さまに、しゅ、修行をちゅけていただきたく、しゃんじょういたしましたぁぁああっ!!!!」
ビリビリと振動を覚えるほどの大声が、
そこにいたのは、日本では見たことのないような、珍しい桃色と緑の髪を三つ編みに束ねた女性剣士だった。
平均的な選別参加者の少年少女たちよりは明らかに年齢は高く、着物の上からでもわかるその豊満な体つきはもう立派な大人の女性に見えた。だが、ガチガチに緊張して顔を真っ赤にしている様は、幼さの残る少女のようにも見える。
なんにせよ、彼女は鳥居の奥に広がる黄昏の世界に向けて、全力で大声を出し、挨拶らしきものを叫んでいる。
よほど緊張していたのか、台詞は噛みまくり、最後の方は声が見事に裏返っていた。本人も恥ずかしさのあまり、顔が真っ赤になっている。
「わあ、なんだかものすごい子が来ちゃいましたね」
「オイオイオイ、ここは奇人変人どもの修行の場じゃねえんだぞ! なんなんだっつうの!」
声につられてわらわらと里の住民たちが集まってくる。そこにはもちろん、
花枝たちが視線を向けた場所には、里に住む『あやかし』たちにじろじろと見つめられ。
真っ赤な顔を両手で覆い、その場でしゃがみ混んだ試験参加者――甘露寺蜜璃の姿だった。
◇ ◇ ◇
「なるほど、杏寿郎の継子ですか。あの子が更に剣士を育てる側になっただなんて、感慨深いですね」
この隠れ里は、基本的には訪れた者をいきなり拒みはしない。
実力を計る手合わせなどを強制する場合もあるものの、そもそもが善良な者しか入ってこられない鳥居なので、蜜璃もさっそく花枝に手厚く扱われていた。
「そうなの! 煉獄さん……あ、いえ、杏寿郎さんはとても優しい師匠なの! 修行になるととっても厳しいけど、おかげで私も強くなれたのよ。――うわあ、このごはん、すっごくおいしいーっ!」
「ゆっくり噛んで食べてくださいね。ところで、父親のほうの槇寿郎はどうですか? ここまでの地図は槇寿郎が持たせてくれたんですよね?」
いつものように境内の石段に腰を下ろすのではなく、蜜璃は社家屋敷の一室へと案内され、そこで今はもりもりと食事をとっている。
炊事場では大量の米が次から次へと炊かれ、包丁鬼と田中鬼がひっきりなしに総菜を調理し、どんどんこの部屋へと運んでくる。
「槇寿郎さんはなんだか怖いところもあるけど、たまにつけてくれる実践稽古はとってもためになるのよ。ただ、私の前の継子はみんなそこで叩きのめされて、脱落しちゃったみたい。――うわあ、この天ぷら、すっごくおいしいーっ!」
「おい、食いながら延々と喋ってんじゃねえ! テメェは黙って食え! 巫女鬼は話しかけるな!」
「は、はひぃぃ!」
「わあ、怖い」
手鬼に怒鳴られて、花枝は蜜璃に話しかけるのをやめ、蜜璃は目の前の食事に集中する。
しかしいったい何故、蜜璃は里を訪れて早々にこんな大量の食事を出されているのか。
それは、彼女が差し出してきた煉獄槇寿郎からの手紙が原因であった。
要約すると、こうである。
『蜜璃は生まれ持った体質で化け物じみた強さを発揮できるが、大量の飯を食わねば力を出せんのだ。選別期間中は包丁鬼の飯をたらふく食わせてやってくれ。なんでも食うから内容は適当でかまわん。
鬼殺隊の試験を受けるのは気に入らないが、その馬鹿力は本物だ。手鬼が手合わせをしてやれ。
手鬼が蜜璃にしてやられてあっと驚く姿を想像し、俺は飯がうまい』
といったものである。最後は完全に手鬼を挑発している。
「ふふ、あくまでこの子は杏寿郎の継子だというのに、槇寿郎のほうがやる気を出してるじゃないですか」
「くそが! 槇寿郎の野郎、この隠れ里を食事処か何かと勘違いしてやがるな。しかも、俺の驚く顔だと? フフフフ……期待させるじゃねえか」
「あら、怒るかと思ったら、わくわく顔なんですね」
「槇寿郎がこれだけ言うんだ。よほどの逸材なんだろうぜ、それだけは信用できるからなァ!」
なんだかんだで、もう長い間槇寿郎と顔を合わせることはなくなってしまったけれど、それでも手鬼と槇寿郎の間にある悪ガキ仲間のような絆は本物だ。
槇寿郎が手鬼の驚く顔を想像して楽しんでいるのと同時に、手鬼もまた、槇寿郎からの挑戦状とも言うべき蜜璃との手合わせが楽しみで仕方がないのだろう。
花枝はそんな二人を「いつまでたっても子供だなあ」と、お姉さんぶって笑っているのだった。
なお、一緒に入っていた杏寿郎からの手紙はもっと丁寧で『弟子が迷惑をかけて申し訳ないが、是非修行をつけてやってほしい』といった非常にまともなものだった。
「うわあ、このカレー、すっごくおいしいーっ!」
一方、槇寿郎から送られてきた挑戦状こと甘露寺蜜璃は、包丁鬼特製のみたまやカレーに頬をとろけさせている。
隙だらけで、覇気もなく、とてもではないが彼女がそこまで強い剣士だとは思えない。
「……こいつ、本当に逸材なのか?」
「色々な意味で、ものすごい逸材であることは間違いなさそうですけどね」
その外見からは想像もできない勢いで包丁鬼たちの料理を食べ尽くしていく蜜璃の姿は。
剣士だとかそういうのは抜きにしても、なんだか別な意味合いで化け物じみているなあと。
花枝は、心の中で感嘆の声をあげるのだった。
◇ ◇ ◇
――そして。
「槇寿郎の手紙の通り、驚きの展開でしたね」
「……クソっ、槇寿郎の野郎の言うとおりになったのは気に入らねえが、合格だ」
蜜璃が満足いくまで食事をしてから数刻後、万全の体調で行われた『手鬼による最終選別』はまさに驚きの展開だった。
彼らの手合わせを見に来た里の住民たち、皆が驚きとともに蜜璃の実力を認めていた。
「刀に頼らず俺の腕を引きちぎったのはこの女が初めてだぜ」
「いよいよ剣術が関係なくなってきましたね」
手鬼が半ば呆然としながら、途中で断裂した自分の複腕の束を眺めている。
花枝もまた、たった今目の前で行われていた戦いを思い返す。
初め、手鬼はいつものように縦横無尽に現れる複腕を使い、修練場に立つ蜜璃をいたぶっていた。
力のない剣士ならばこの降り注ぐような数々の張り手に手も足も出ず、手鬼に一矢報いることもなく力尽きてしまうのが常である。
しかし蜜璃は杏寿郎が送り出してきた弟子なのだから、まさかここで終わるわけもない。観客として戦いを見ていた『あやかし』たちも、なんなら手鬼本人も、蜜璃の反撃を今か今かと待ち望んでいた。
が、そこからが、想像の斜め上を行く展開だった。
蜜璃は、数多の腕による攻撃を耐えきった。だが、真菰や錆兎、あるいは小芭内のように、己の技術で対応したわけではない。槇寿郎や杏寿郎のように、攻撃的な型で先手を打ち伸びてくる腕を両断したわけでもない。
蜜璃はただ、力の限り、全身を力ませて耐えた。
なんか、滅茶苦茶に力んでいた。それで耐えきった。
そこには呼吸の恩恵はあったかもしれないが、型の「か」の字もない。
耐えて耐えて、いつまでも耐え続ける蜜璃の様子に業を煮やした手鬼が、複腕を束ねた巨大な腕を蜜璃にたたきつけようとしたところで――。
蜜璃はその巨腕を全力で羽交い締めにし、力ずくでへし折り、引きちぎったのだ。そこから先はもはや日輪刀とか関係なく、剛力の化け物同士の力勝負の様相だった。
きっと、それこそが槇寿郎が彼女にたたき込んだという『実践』なのだろう。
「はぁ、はぁ……や、やったあ、合格できたぁ……!」
「お疲れさまです、蜜璃。なんか、うん、すごい戦いでした」
最終的にはさすがに蜜璃が先に体力を失い勝負ありとなったのだが、まさに槇寿郎が手紙で書いたとおり、手鬼が『あっと驚く姿』を里の全員の前で披露する試合展開となった。
「はぁ、はぁ……えと、ありがとうね、手鬼くん! 巫女鬼ちゃん! これで私も杏寿郎さんに顔見せできるし、槇寿郎さんにドヤされなくて済むよ」
「……」
「……」
どうにか起き上がって、『手鬼くん』と『巫女鬼ちゃん』に笑顔で礼を伝える蜜璃。
そんな様子に里の者たちは、顔を伏せる者、肩をふるわせる者、ぶふっと口から何か吹き出す者など。
珍しく、皆。いつもと違う様子を見せているのだった。
◆ ◆ ◆
最終選別の期間内、例に漏れず、蜜璃もまたこの里で『あやかし』たちにボコボコにされながらも、里の皆に受け入れられていた。
食事量もものすごいことになっているが、減った分の食料は後ほど煉獄家にでも請求しておけば、杏寿郎の名で藤の花の社にまで届けられるだろう。
数日目となるこの日も蜜璃は、筆鬼の精神に直接影響する術、百合鬼の目に見えぬ術、あるいは他の住民たちの多岐にわたる戦い方に揉まれて、ふらふらのへなへなになるまで修行を受けていた。
だが、修行後には女子鬼たちと集まって、元気に里特製の甘味の数々に舌鼓を打っている。
「それでね、杏寿郎さんはご飯を元気に食べる姿が素敵だし、錆兎さんはあまり顔を合わせる機会はないけど、しっかり者のお兄さんっていう感じなの!――うわあ、このパンケーキふわふわでおいしいーっ!」
蜜璃は、とても楽しそうに、よく喋る。
どうも、蜜璃は花枝たち『あやかし』のことを、外見のままの年齢だと考えているようだった。
だから、彼女にとっては風見鬼や百合鬼は同年代、花枝は年下の小さい女の子であり、遠慮することがなく、非常に話をしやすそうだった。
花枝もそれを訂正する機を逃し、今なおずるずると『小さい女の子の巫女鬼ちゃん』として扱われている。
それはそれとして、花枝たちは蜜璃のこれまでのいきさつを聞いた。
見合いで失敗し、自分の価値がわからなくなってしまったこと。鬼殺隊という場所で、自分の力を認めてもらえそうなこと。更に、鬼殺隊で素敵な男性を見つけたいという願いまで。
「この髪は、桜餅を食べ過ぎて色が変わっちゃったのよ」
「わあ。それは驚きですね」
桜餅を食べ過ぎて髪色が変わったという話には、花枝は驚き、百合鬼や風見鬼は半信半疑だったが、それもまた楽しい会話だった。
そして、やはり蜜璃の語る話の多くは、恋に恋するようなものが多かった。
「もしかしたら、錆兎さんは弟か妹がいたのかしら? 杏寿郎さんや伊黒さんといるときも、だいたい錆兎さんが率先してあれこれやっていて、本物のお兄さんみたいだったわ」
「なるほど。いわば彼らは、煉獄家の三兄弟――いえ、実弟の千寿郎も入れて四兄弟と言ったところですか。錆兎には手のかかる兄弟弟子がいますから、そのお陰で世話焼きなところがあるかもしれませんね」
なお、蜜璃に聞いたところによれば、杏寿郎だけでなく、小芭内と錆兎までもが『柱』に就任していたらしい。当然ながら杏寿郎は炎柱だが、小芭内と錆兎はそれぞれ、蛇柱、
なんにせよ、めでたい話である。
特に錆兎は任務を受けずに槇寿郎と共に独自の鬼狩りばかりしていたはずなので、鬼殺隊における階級評価は絶望的だろうなと考えていたのだが、鬼殺隊はその際の錆兎の実力もきちんと見てくれていたようだ。
槇寿郎の元へ錆兎を送り込んだ身としては、錆兎が正しく評価されていることに安堵した。
「それに、伊黒さんは……たまに錆兎さんや杏寿郎さんにネチネチ言うところも素敵なんだけど、私の前ではあまり自分からお話をするタイプではないの。伊黒さんは私の話をしっかり聞いてくれて、その時の目がとっても優しいの」
「そうなんです、小芭内は本当は優しい子なんですよ。わたしは知っています」
蜜璃の話は続く。
聞けば、小芭内もまた、煉獄家との付き合いは続いているのだそうだ。というより、定期的に槇寿郎が彼を煉獄家に呼び出しては、全員で実践稽古を強いられる仲らしい。
槇寿郎が実践稽古中毒になってしまったのは、手鬼相手に手合わせをしすぎた弊害だろうと花枝は考えている。
そして当の小芭内だが、その際に偶然出会った蜜璃とも、今はいろいろと会話をする仲になったのだそうだ。
その話を聞いていた女鬼たちの反応は、それぞれ以下のようなものである。
「小さかった杏寿郎が今ではしっかりと師匠をしているのが、一番嬉しいですね。錆兎と小芭内も元気そうですが、彼らは弟子をとらないのでしょうか」
「蜜璃ちゃんって、小芭内の話をするときだけなんか……いい空気出してたよね? もしかしてあれって、無自覚なの?」
「……感情とは、秘密の箱。自分からは、それを客観的には見られないものよ……」
◆ ◆ ◆
最終選別最終日。
この日も朝からたらふくおにぎりを食べた蜜璃は、連日の厳しい修行により身体中に痣や擦り傷ができてはいるものの、驚くほどに健康だった。
「では、蜜璃。槇寿郎に……いえ、あなたの師は杏寿郎でしたか。杏寿郎によろしくお願いしますね」
「煉獄家の連中に言っとけ。隠れ里はテメェらの訓練場じゃねえぞってな」
「うん、巫女鬼ちゃんも、手鬼くんも、色々とお世話してくれてありがとうね!」
そして、最後まで蜜璃は巫女鬼のことを七歳くらいの女の子、手鬼のことはその兄として認識していたが、その誤解が解かれることはなかった。
訂正する機を逃したとも言えるし、里の人間たちが面白がってそのままにしていたとも言える。
「包丁鬼さんと田中鬼さんの料理はとっても美味しかったです! ありがとうございました!」
向こうでは、蜜璃はほかの里の者たち――特に、彼女に大量のごちそうを提供してくれた包丁鬼と、そのサポートの田中鬼には熱心に頭を下げている。
どうやら彼女にとっては、この里での一週間におよぶ厳しい修行よりも、連日の御馳走のほうが思い出深いものだったようだ。
「ケッ。あいつらが敬語で俺が子供扱いかよ」
「ふふ、わたしは数十年ぶりに子供扱いをされて、なんだか懐かしい気持ちですよ」
「……まあ、そうだな」
そんな風に、少しだけ懐かしい気分を味わいながら。
桃色の三つ編みをなびかせて。甘露寺蜜璃は鳥居を抜けて、
素手で複腕を千切るってどういうこと? 鬼殺隊ってこれでいいの? 胃袋どうなってんだ? 桜餅で髪が桃色になるってどういうことだ? あの子、鬼殺隊に入る前からもういい男性見つけてない?
そんな、答えのない疑問の数々を、住民たちの心に刻みつけて――。