「わあ、美味しい。これがハンバーグステーキですか」
社家屋敷の一室。いつも皆が食事をとる広間にはこの日、里の住民が全員集まっていた。
今日の品目は『ハンバーグステーキ』。牛の挽き肉をふんだんに使い、タマネギやパン粉をあわせて捏ねたものを楕円形に成形し、フライパンで焼き上げたものだ。
いつぞや牛のステーキを食べたときに「次はハンバーグステーキを食べよう」と皆で話していたが、数年越しにその夢が叶った形になる。
どうして里の全員でハンバーグを食べているのか。その材料はどこからやってきたのか。
それはちょうど昨日――柱合裁判のために人里へ降りていた
「もう、巫女鬼様が大量の挽き肉を抱えて籠から出てきたときは何事かと思いましたよー」
「……百合鬼の言う通り。あの時の巫女鬼様は……まるで、挽き肉の妖精だったわね……」
そう。百合鬼と風見鬼の言うように、槇寿郎の背負った籠からひょっこりと出てきた花枝は、その全身で大量の挽き肉を抱きかかえていたのだ。
勿論、人里の精肉店できちんと包んでもらった挽き肉であり、花枝が肉塊に直接抱きついていたわけではない。けれど、十年ぶりともなる槇寿郎の来訪と、数日ぶりの花枝の帰還を喜ぶ住民たちの目をまん丸にさせるには十分な光景であった。
「槇寿郎ったら、購入した挽き肉をわたしが入っている籠に無理矢理に押し込むんですもん。仕方ないからわたしがずっと抱えていたんですよ?」
「ふぉっふぉ、しばらくの間は、巫女鬼様は生肉の香りを漂わせておりましたからな」
「お風呂に入ってもなんだか匂いが取れた気がしなくて、あれにはまいっちゃいました」
ちなみに、その後挽き肉はすぐに氷室へと放り込まれ、冷蔵保存されていたので品質には問題ないはずである。
花枝の体温で温まり続けていたので、もしかしたら多少は傷んでいたかもしれない。しかし里の住民たちはそもそもが鬼なので、胃腸は無闇に丈夫なのだ。
ハンバーグステーキは前に食べた肉塊のステーキと違い、箸でも切り分けやすく、口のなかで柔らかくほぐれる料理だった。
小さな花枝の口でも非常に食べやすく、人々の中で人気料理となるのも頷ける。分厚いステーキも十分に美味しかったのだが、花枝の口では少しばかり食べるのが大変だったのだ。
なんにしても、隠れ里では滅多に食べられない料理に舌鼓を打ちながら、皆で話すのは昨日の思い出話だ。
十年ぶりに槇寿郎が隠れ里にやってきた。
花枝が挽き肉の妖精として帰還したことで一同はしばし唖然としていたが、それもつかの間。槇寿郎がこの隠れ里にやってきて、やることは一つ。
当然、手合わせだ。
「皆さん、随分と楽しそうでしたよね」
「あの野郎、現役時代よりも強くなりやがって……!」
自分の皿のハンバーグをさっさと食べ尽くしてしまった手鬼が、悔しそうに呟いている。
少年の頃の槇寿郎とは相打ちで終わった手鬼だが、鬼殺隊として経験を積んだ槇寿郎にはなかなか勝てなくなり、柱となって以降は大きな差を付けられてしまった。そして今なおその差が広がり続けているのだから手鬼としてはたまらない。
それでも双方にとってその勝負は何より楽しいものだったようだが、しかし昨日はそれだけでは済まなかった。槇寿郎と手合わせをしたのは手鬼だけではなかったのだ。
筆鬼や百合鬼が実戦の稽古相手として槇寿郎から誘われ、続いて風見鬼、包丁鬼、モグラ鬼に彫刻鬼と、最終的には隠れ里の花枝を除いた全員が、槇寿郎との手合わせに挑んでいた。
最終的には全員が好き放題に暴れる大乱闘の様相となり、一人離れて見ていた花枝は「自分が人里に降りている間に、みんな頭がおかしくなってしまったのでは」と心配したほどだ。
筆鬼の血鬼術で作った紙が飛び交うが、槇寿郎は目を瞑りそれを無視し、風見鬼の風も、百合鬼の花粉や芳香も、土も、蟲も、水も、謎の衝撃波も、あらゆる術を的確に、目を閉じたまま炎の呼吸の型で吹き飛ばしていた。
率直な感想を述べるならば、およそ人間業ではない。
「わたし、人間が目を瞑っても存分に戦えるだなんて、はじめて知りましたよ」
「巫女鬼様、騙されないでください。あんなのは槇寿郎だけで、普通は目を瞑ったら戦えませんからね」
「闇の中で、気配を察知し戦う本能……彼はいったい、何になろうというのかしら」
槇寿郎のどうかしてしまった実力に、皆は思い思いの感想を口にする。
もっとも花枝たちは知らないだけで、鬼殺隊の現岩柱がまさに盲目のまま巨大な鉄球を振りまわす人物である。
なので意外と人間は修行を積めば目を瞑っても戦える生き物なのかもしれないが、その事実を知らない花枝たちは、槇寿郎ひとりがおかしいのだという結論に落ち着いた。
とはいえ、どうしても槇寿郎も年齢を重ねている。
大乱戦が一段落した段階で、彼もまた大の字になって横になり、大笑いをしながら力尽き、そのまま眠りこけてしまった。強さは成長していても、彼の体力は全盛期と比べると大幅に減退していた。
永遠の時を変わらず生きてきた『あやかし』たちと、人間として生きてきた槇寿郎の差が、そこにはあった。
「でも、いけませんね。わたし、槇寿郎が年齢を重ねていくのが……ちょっとだけ、寂しいなって思っちゃったんです」
「……アイツは人間だ。人間は死んじまうからこそ、本気で生きてるんだろ。槇寿郎は、それでいい」
「そんなこと言って。手鬼だって、死ぬときは死ぬんですからね?」
「ハッ、違ぇねえ」
そんな風に、すこしだけしんみりしてしまう一幕もあったけれど。
それでも、十年ぶりにやってきた槇寿郎と大暴れした時間は、里の住民たちにとってはとても楽しい思い出として記憶に刻まれたようだ。
ちなみに、当の槇寿郎は今朝方、包丁鬼のつくった朝食をたらふく食べてから山を下りていった。
最後には槇寿郎も憑き物が落ちたかのように大笑いをしていたため、あの様子ならまたいつか、この山にひょっこりと訪れることだろう。
「それにしても、槇寿郎があれなら、槇寿郎に鍛えられる杏寿郎たちはどんどん強くなっていくのでしょうね。上弦の鬼も、彼らならきっと倒せるんじゃないですか?」
「フフフフ、そうだな。さっさと鬼舞辻無惨の野郎をぶち殺して欲しいもんだぜ」
そんな風に、鬼殺隊の次世代の成長に思いを馳せつつ。
花枝は自分の皿に残ったハンバーグステーキを、ひょいぱく、もぐもぐと、最後まで味わい尽くすのだった。
◇ ◇ ◇
ハンバーグステーキがなくなっても、この日の夕食会は終わらない。
里の材料で作った酒や蜂蜜水、そしていくつかのおつまみが卓上に並べられ、それを準備してくれた包丁鬼と田中鬼もまた、卓を囲む位置に着座する。外でハンバーグを食べていたはずのヤタガラスまでもが室内の梁にとまり、話が始まるのを待っている。
先ほどまでは槇寿郎の話で盛り上がってはいたものの、この集まりの本番はこれからなのだ。
「んで、巫女鬼。全員こうやって集まったんだ、そろそろ人里の話を聞かせやがれ。鬼殺隊の会議とやらに参加してきたんだろ」
「んー、そうですね。皆さんにはきちんとお話しなければいけませんよね」
人里であったこと。知ったこと。聞いたこと。
色々とあったけれど、いったいどれから伝えたものかと花枝はしばし考え込み、しかし結局は初めから、時系列通りに語っていくことにした。
「少し長くなりますが、最初から説明していきましょうか。まず、産屋敷の邸宅についたわたしは――」
そうして、花枝は里の住民たちに語っていく。
カナエと義勇に連れられて
産屋敷耀哉との間で交わされた会話。
竈門炭治郎、そして竈門禰豆子が、
産屋敷に浄化をかけ、少なくとも柱たちからは正式に『あやかし』が協力的な存在として認められたこと。
真菰にはじまり、この里で修行をしていった何人もの子供たちが、立派な柱になっていたこと。
そこまで長々と語ると、花枝は一休みとばかりに蜂蜜を多めに溶かした蜂蜜水でその喉を潤した。
「なるほどのう。あの炭治郎は、巫女鬼様の
「うんうん、それです、それです。残念ながら、炭治郎と禰豆子以外の家族は皆、すでに亡くなっていましたけどね」
「……」
さすが筆鬼は『姪孫』という言葉を知っていた。兄弟姉妹の孫を表す言葉だそうだ。
花枝としては言葉そのものは聞き慣れないものだったが、すぐにそれが肉親の関係性を表す言葉なのだろうなと察し、とりあえず雰囲気で頷いておいた。
「でも、巫女鬼様! 決めましたよ、私はカナエちゃんを自分の子孫だと勝手に思ってますけど、炭治郎たちも私の子孫として応援することにします!」
「わあ、言っている意味がちょっとわからないけど、ありがとうございます」
百合鬼がカナエに執着していたのは、出会った頃の縁もあるけれど、そもそもカナエが百合鬼の恋人の面影を携えているというのが大きい理由である。
だからといってカナエが百合鬼の子孫ということにはならないし、炭治郎に至ってはどう考えても無関係だ。だが、そこを指摘するのも野暮というものだろう。百合鬼だって、頭が疲れることくらいはあるのだ。
花枝は百合鬼の言葉を意味がわからないなりに受け入れて、とりあえず、でも純粋に。
頬をほころばせながら、感謝の気持ちをしっかりと百合鬼へと伝えるのだった。
◇ ◇ ◇
「で、その後はどうなんだ? 槇寿郎と一緒に炭治郎たちの様子を見てきたんだろ」
「あ、そうなんです、蝶屋敷というのを見てきたんですよ! そしたらですね――」
そして次は、柱合会議が終わったあとの話だ。
まず、義勇とともに煉獄家に無断で上がり込み、花枝が槇寿郎に抱きついて泣いていたことは省くことにした。そんな話をしても皆に揶揄われ、長としての沽券に関わるだけである。
なので話としては、槇寿郎と再会し、彼に怒りの平手打ちをぶつけて、槇寿郎が衝撃で吹き飛んだところからだ。多少の誇張表現はわかりやすさのためだ。
花枝と槇寿郎はその後、藤襲山へと帰る前に一度、鬼殺隊の医療機関である『蝶屋敷』にも立ち寄った。裁判の後、炭治郎がそこに運ばれ治療を受けることになったと聞いたのだ。
蝶屋敷では那田蜘蛛山にて重傷を負った多くの隊士が治療中で、あちこちで彼らの呻き声が反響しており、なかなかに壮絶だった。
「炭治郎のお友達、おかしな子しかいませんでした」
炭治郎は全身に包帯や添え木を付けられた姿で眠っていたため、残念ではあるが離れて眺めるだけにした。禰豆子もきちんと日の当たらない部屋で寝ているのを確認した。
しかし。そこで花枝を驚かせたのは眠っている炭治郎や禰豆子ではなく、そこにいた炭治郎の友人たちである。
まずは、炭治郎が参加していた最終選別で見かけた猪突猛進の猪。それがまさかの炭治郎の横のベッドに押し込まれていた。
どうやらあれは本当に人間で、しかも炭治郎の友人であるらしい。どうして猪の頭なのかは最後までわからなかった。
そしてもう一人、同じく炭治郎と同じ最終選別で見かけた金髪の少年もいたけれど、彼はひたすら泣きわめき、あるいは女性隊士に甘えていた。びっくりするほど騒がしかった。
花枝は彼らに近づく気にはなれず、少し離れて見るだけにしておいた。彼らを見る槇寿郎は無表情でなんだか怖かった。
「それと、カナエの継子の子たちが頑張ってたんです!」
また、その際に出会った蝶屋敷の住民たちは、花枝にとっては非常に嬉しい存在だった。
そこには何人かの少女たちがいたのだが、特に花枝の興味をひいたのは胡蝶カナエ、もしくは胡蝶しのぶの継子たちである。
カナエは剣士としては引退しているけれど、引退後も後継の育成には力をいれていたようだ。特に、どうやら継子の中の一人――久世だったか本宮だったかという少女が『百合の呼吸』の適性を持ち、カナエから百合の呼吸の型を受け継いでいたのだ。
聞けば、他の継子仲間とともに強力な鬼と出会った際、花の呼吸と百合の呼吸の連携で命の危機を乗り切ったという。
間接的ではあるが、百合鬼が彼女らの命を救ったのだと思うと、花枝も誇らしい思いであった。
「えへへへ、嬉しいですねえ。私たちが作った百合の呼吸を、繋いでくれている子がいるだなんて」
その話を聞いたときの百合鬼は、眼窩から咲いている百合の花をふわふわと揺らしていた。きっと、嬉しさの表現なのだろう。
百合鬼の残された右目が僅かに潤んでいるのに花枝は気付いたが、何も気付いていないことにした。その感情は、百合鬼だけのものなのだから。
そんな話を皆に伝えながら。
花枝は、しばし目を瞑り、再び蜂蜜水で喉を潤した。
それはとても甘くて、幸せな味だった。
◇ ◇ ◇
そこから先は、槇寿郎が精肉店に立ち寄って大量の挽き肉を注文した話や、槇寿郎と語らいながら藤襲山への長い道のりを過ごした話などが続いたが、概ね花枝による報告はそのようなものだった。
気付けば、卓上にあったつまみの皿も空になっており、時間も随分と過ぎてしまったように思う。もっとも、黄昏の世界は朝だろうが夜だろうが明るさが変わらないので、時間経過はよくわからない。
「よーしっ、決めましたよ巫女鬼様! 私もまた修行します! これから先の日々を守るためにも、もっと強くなります!」
「へぇ、いいじゃねえか。俺もまだまだ力が足りねえと思ってたところだぜ」
「ふぉふぉ、ではたまには、儂も修行をするかのう」
いったい何が彼らを刺激したのか、食事の片付けを手伝っていた百合鬼が唐突に修行再開を宣言した。すると、元から修行が好きだった手鬼が賛同し、意外なことに筆鬼までもが修行に参加するという。
そうしてあれよあれよという間に、花枝を除いた住民達が皆して、修行への参加を宣言していく。
「わあ、皆さんやる気ですね。これはもしかして、とうとうわたしも修行を始めるべきときが来ましたね……!」
そして全員の熱にあてられ、最終的には花枝までもがやる気の炎を燃やし始め――。
「テメェはやめとけ、十秒で死ぬだろ」
「そうですよ巫女鬼様。面白いこと言ってないで、蜂蜜水でも混ぜて待っててくださいね」
「……修練場に、近づきすぎないように、注意してね……?」
「ええー」
残念。花枝のやる気の炎は、間髪入れず住民全員の手によって、あっさりと消火されてしまうのだった。
◆ ◆ ◆
あの『柱合裁判』から、月日は流れていく。
日々は変わっていないように見えた。
炭治郎から届けられた手紙には、『珠世』という、花枝と同じく鬼舞辻無惨の呪いから脱却した鬼のことが書かれていた。
彼女にトキジクの実を渡してしまったことと、巫女鬼の話を伝えてしまったことへの謝罪が綴られていた。
「ふふ、何も謝ることなんてないのに。炭治郎ったら、律儀ですね」
花枝としては、むしろその珠世という女性と会ってみたくも思ったが、連絡手段がないので仕方がない。
いつか、その女性とも出会える時がくればいいな、と。今はただ頭の片隅で、その名をとどめておくことにした。
また、あくまでカナエを間に挟んだ言伝だが、柱合会議で炭治郎をいじめていた風柱から『化け物と呼んで、すまなかった』という言葉だけが、花枝へと伝えられた。
あくまで化け物呼ばわりされたのは禰豆子であり、そもそも花枝は事実として自分たちは化け物だと思っているのでほとんど気にしていなかったのだが、きっと彼にも色々な事情があるのだろうと、花枝は納得して。
心の中にそっと、風柱の言葉を残しておくのだった。
日々は続く。
隠れ里の『あやかし』たちは、精力的に手合わせを繰り返し、各々が力を研鑽していった。
炭治郎、善逸、伊之助の三名は数ヶ月に及ぶ療養、そして機能回復訓練によって、各々が全集中・常中を会得するに至ったという。
けれど、彼らが順調に成長していく日々の裏では、鬼によって多くの人々が命を失っていることもまた、目を逸らしてはならない現実であった。
◆ ◆ ◆
――蝶屋敷、玄関前にて。
「あら、そこにいるのは煉獄さんですか? お久しぶりです。本日は怪我の治療ですか?」
「む、胡蝶姉か! おかげさまで、俺は万全だ! 実は鬼の討伐の際に駅弁を大量に購入してしまったので、蝶屋敷の皆でわけてもらおうと思い、持ってきた!」
その日、胡蝶カナエが備品の買い出しから帰ってくると、ちょうど蝶屋敷の玄関前で見知った姿を見かけた。黄色と赤の、遠目に見ても目立つ髪色。それは間違いなく煉獄家の血を引く男子の特徴だ。
カナエが声をかけると、彼――煉獄杏寿郎は両手に大きな包みを下げたまま、ギラリとした瞳をカナエに向けた。どうやら、彼自身が蝶屋敷に用件があったわけではなく、弁当のお裾分けに来ただけのようだ。
「まあ。一体どんな流れでそんなことになったのかは想像もつきませんが、すごい量ですね」
「色々あったのだ! とてもうまい弁当なので、早めに食べてくれ!」
カナエの姿を確認した彼は、見るからに大量の弁当が入っているであろうその包みを、丁寧に玄関前に置いていく。
「では、この弁当は君に任せることにして、俺は帰るとしよう。俺は静かにするのが苦手なので、中まで入ると蝶屋敷の患者たちに迷惑をかけてしまうからな!」
「そこは意識して静かにしてくれるだけでいいんですけれど。せっかくですし、禰豆子さんたちにお会いしていきませんか?」
「いや、いい! 伯母上の話を聞きたくもあるが、次の任務のための準備をせねばならん!」
杏寿郎は、相変わらず元気で、騒がしく、真っ直ぐな人物だ。
カナエはそんな彼の様子に苦笑を浮かべつつも、玄関から蝶屋敷で手伝いをしてくれている少女の名を呼び、買い出しの品に加えて大量の駅弁を運び込んで貰う。
呼ばれた少女は玄関先に立つ炎柱の姿に驚き、続いてそこに置かれた巨大な包みを見て更に驚くが、困惑しつつもカナエの言葉に従い弁当を運び込んでくれた。
弁当は少女たちが食べるにしてはあまりに多いが、怪我の療養をしている隊士たちに与えればすぐに食べ尽くされるだろう。身体が資本である隊士たちには健啖家が多いのだ。
経緯がどうであれ、蝶屋敷の食費が浮く分には、責任者のカナエとしてもありがたい話である。
「では、お弁当はありがたく頂くとして――」
弁当が屋敷内へ運び込まれたのを確認すると、カナエはそれまでの穏やかな微笑みから、少しだけ。まじめな顔つきで話しかける。
「煉獄さんの次の任務というのは、例の?」
「ああ、無限列車だ。明日再び運行が開始されるため、俺はそれに乗車するつもりだ」
無限列車。
それは現状わかっているだけでも四十人以上の人間が行方不明になっているという、とある鉄道車両の名だ。しばらく運休状態になっていたそれが、明日。再び動き出すという。
蝶屋敷には、鬼や鬼殺隊に関わる情報が数多く舞い込んでくる。当然、元・百合柱であり蝶屋敷の主でもあるカナエのもとにも、無限列車の情報は届いていた。
「十二鬼月、でしょうか」
「わからん!」
列車という限定された舞台で、何の痕跡も残さぬままに最低でも四十人の人間を食らった鬼。そんなことを可能とする鬼が、ただの行きずりの鬼とは考えづらい。
カナエの脳裏には、あの夜に出会った上弦の弐の姿がよぎる。
もし、無限列車に上弦の鬼がいたとしたら、煉獄杏寿郎といえども敵わないのではないか――。
それは元柱として恥ずべき考えかもしれない。
だが、上弦の鬼というのは人間が一人で戦うにはあまりに強すぎる存在だと、カナエは身を持って知っている。
このまま目の前にいる炎柱を一人で向かわせては危険だと、カナエの心に警鐘が鳴り響く。
「煉獄さん。せめて、他の隊士と――」
「胡蝶姉、相手が何者であろうとも俺の責務は変わらん! 勝つだけだ! そのために、実戦を重ねてきたのだからな!」
だが、カナエの言葉に被せるように、杏寿郎ははっきりと断言した。
カナエの言葉が聞こえていなかったのか。それとも、言葉を理解した上で、敢えて宣言を被せてきたのか。カナエには判別できない。
「……無理をなさらないでくださいね。あなたに何かあれば、巫女鬼様が悲しみます」
「ああ。そうだな! 伯母上を悲しませぬよう、全力で列車に乗り込もう!」
しばしの沈黙。
杏寿郎もカナエも、それぞれが巫女鬼に縁があることを知っている。だからこそ、言葉はそれだけでも十分だった。
「では、長話になってしまったが、俺は行くぞ。いずれまた、土産でも持ってこよう!」
「ええ、お待ちしていますね」
カナエは、立ち去る煉獄の背中を見送った。
炎の羽織を纏い、日の沈む街に消えていく杏寿郎の背は。
何故だか、とても、とても遠くへと旅立ってしまう予兆のように。
カナエには、そう見えたのだった。