藤襲山の巫女鬼 きめつ隠れ里噺   作:chikuwabu

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黄昏の隠れ里

「わあ」

 

「どういうことだ、こりゃあ……」

 

 とうに日が沈み、夜の闇に包まれた藤襲山(ふじかさねやま)に現れた鳥居を潜ると――そこは夕暮れ時だった。

 橙色に染まった、黄昏の世界。

 手鬼はその明るさに条件反射で身をすくませるが、しかし、その黄昏の明るさは鬼の体を焼くことはない。

 むしろ、鬼となってしまった身体さえ暖かく包み込んでくれるような、優しい光であった。

 

「見てください、手鬼! ここ、わたしが住んでいた神社ですよ!」

 

「お、おい! 巫女鬼! 大丈夫なのかよここ、一人で行くんじゃねえよっ!」

 

 手鬼は理解が追いつかず、バッテンの瞳を白黒させる。花枝(かえ)は手鬼の手を離すと、目の前に敷き詰められた『石畳の道』を一人で真っ直ぐに駆けていってしまった。

 しかし、それはおかしいのだ。

 雷の呼吸の剣士から逃げるようにして手鬼たちが隠れていたのは、もっと鬱蒼とした森の木々の中だったはずなのだ。当然ながら、このような『石畳の道』などあるわけがない。

 

 ましてや――。

 

 いま、手鬼たちの視線の先に見える『神社』など、藤襲山に存在するわけがないのだから。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

「お父様っ! お母様っ!」

 

「おい! 巫女鬼っ!」

 

 花枝は、勝手知ったる我が家のように――いや、実際に慣れ親しんだ自分の家として、夕陽に照らされた神社の社殿内へと入っていった。

 手鬼も慌ててそのあとを追い掛けるが、そこで違和感を覚える。建物の内部に、あまりに生活感がないのだ。

 花枝を追い掛けながら周囲に目を向ければ、壁と梁、柱。建物そのものはしっかりと存在しているけれど、そこには家具ひとつ、道具ひとつもないのだ。

 そんな疑問を持ちつつも、手鬼はやがて花枝へと追いついた。

 

「お父様、お母様……どうして、なんで……」

 

「お、おい、巫女鬼……」

 

 そこには、呆然とした顔の花枝が立っていた。

 花枝が見つめる先は社殿の中央。本来は御神体などが祀られているべきその場所には――何一つ、存在していなかった。

 

「あは……ここには、神様が祀られていたんですよ。まわりにも、色んな額縁や、よくわからない飾りも、提灯も、棚もあったんです。そこには……そこには難しい書物もいっぱいあって……」

 

 家具も祭具もない、広々とした空間で。花枝は焦点の合わない瞳で、そこに存在しない『なにか』を見つめていた。

 手鬼が何も言えずにいると、花枝はそのままふらふらと、神社の中を歩き回る。

 やはり社殿内には何一つ生活感を示すようなものはなく、それは裏手にある社家屋敷――ここにいた人々が生活していた建物にも及んだ。

 

 一つの部屋で、花枝は再び立ち止まると、手鬼をようやく振り返る。

 鬼となった花枝の淀んだ瞳には、じわりと、涙が浮かび上がっていた。

 

「わたしはここで、毎朝……お父様、お母様、お姉様と、お手伝いの皆さんと……ご飯を……たべ、て……」

 

「……」

 

 手鬼は、何も言わなかった。言えなかった。

 けれどそれでも、花枝の小さな手を掴み、強く握りしめた。そのまま、花枝の頭を無造作に撫でるようにして、胸元に抱え込んだ。

 この幼い巫女が何も見なくて済むように、失ったものを探し求めないように。手鬼は花枝を抱き寄せることで、花枝の視界を塞いだ。止めどなく溢れ出る花枝の涙が、手鬼の衣を濡らす。

 

「うぅ……わ、わたしっ……なんで……」

 

 黄昏の橙に照らされた建物内に、花枝のしゃくり上げる声だけが響き渡る。廊下には、二人の長い影だけが伸びている。

 鬼となり、花枝の精神性は人間とは違うものになってしまった。目の前で声変わりを迎えたばかりの少年が鬼と戦っていても、心が動かなくなっていた。鬼に殺された人間たちの亡骸を見ても、何も思わなくなっていた。

 けれど、それでも。

 

 七歳の花枝はずっと、家族のぬくもりだけは、忘れずにいたのだ。

 

「わたし、鬼になんて、なりたくなかった……!!」

 

「……ああ」

 

「家族と……みんなと、ずっと……ずっと、暮らしていたかった……!!」

 

「……ああ」

 

 手鬼はただ、それだけを返す。

 彼もまた花枝の血肉を食らってから、何度も、何度も。大切だった兄を食らってしまった記憶に苦しみ、幾度となくひとりきりで慟哭を上げてきたのだ。太陽の下にこの身を投げ出そうと考えたことも、何度もあった。

 ひとりきりの苦しみを知っているからこそ、彼は花枝に寄り添い、その慟哭を受け止め続けた。

 

「な、なんでっ、こんな……こ、こんな……ことにっ」

 

「……悪いのは、鬼舞辻無惨と、鬼殺隊だ」

 

 手鬼はそれだけを答えるとまた、その幾つもある腕で花枝の肢体を抱きしめて、何度も、何度も、七歳の幼子の頭を撫でる。

 鬼舞辻無惨。手鬼と花枝をこの地獄に叩き落とした張本人だ。その名も、あの赤い瞳も、手鬼は決して忘れることはないだろう。

 そしてもう一つ、鬼殺隊だ。

 手鬼自身は兄を食らった罪があり、この罰も自業自得だと理解している。けれど、花枝はただの犠牲者なのだ。周囲が産屋敷のためにと祭り上げ、鬼舞辻無惨に興味を持たれ、あげく家族を焼かれ、鬼とされて、ここにいる。

 

「うっ……うぅうう……お父様……お母様ぁ……」

 

 それでも、手鬼がどれだけ考えようと。

 何もかもを喪ってしまった御霊矢(みたまや)神社には、ただ、ただ。

 

 御霊矢花枝という幼い巫女の泣き声だけが、響き渡っていた。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

 はたして、どれくらいの時間を泣いて過ごしていたのだろうか。

 この場所はいくら時間が経ったとしても空は黄昏時のままであり、時間経過がわからない。

 この空っぽになってしまった神社には時計などと言うものも当然存在しておらず、まだ夜なのか、それともすでに朝日が昇っている頃合いなのかもわからない。

 

「なんだか数年ぶりに泣いた気がします」

 

「気がします、じゃなくて実際そうなんだよ。人間だったお前がおっ死んでから三年は経ってるんだ」

 

「わあ、悲しい現実」

 

 散々泣いて、喚いて、すっきりした花枝と手鬼はいま、拝殿前の小さな階段に腰を下ろしていた。

 正面を見れば最初に入ってきた鳥居が見えるが、その先は霧がかかったかのように見通せない。恐らく、あの霧を抜ければまた、最終選別中の藤襲山へと繋がっているのだろう。

 だが、先ほどからずっと鳥居が見える位置で見張っているけれど、あそこから新たに誰かが入ってくる気配はない。

 

「でも……そうですね。三年も経ったなら、お父様も、お母様も、皆……極楽に旅立っていますよね」

 

「そうかもな」

 

「あなたのお兄様も、きっと極楽ですよ。手鬼」

 

「……うっせえな。余計なお世話なんだよ」

 

 瞳の濁った少女が笑顔で余計なことを言い、バッテンの瞳の少年が黄昏の空を見上げながら憎まれ口を叩く。

 二人とも、人間の頃よりは精神が強くなっている。いや――強くなったわけではなく、人間としての感性が薄れてしまっただけかもしれないが、どちらにせよ先ほどまであれだけ泣いていたというのに、もう二人の間に流れるのはからっとした空気だった。

 ならば。二人で話し合うべきはやはり、この不思議な神社そのものについてであろう。

 手鬼はいつものように体から生やした腕を襟巻きのようにして首に巻き、バッテンの瞳を花枝へと向ける。

 

「んで、これからどうすんだ? そもそもこの場所はなんなんだ? お前が作ったのか?」

 

「うーん、多分ですけど、古い言い伝えにあるような『隠れ里』というものだと思うんですよ」

 

「あー……なんか、聞いたことがあるような、ねえような」

 

 花枝の答えに、手鬼はぱっとしない顔だ。なんとなくわかるような顔をしているだけで、さっぱりわかっていない。

 これは決して手鬼が無知なのではなく、それぞれの育ってきた環境の差だ。花枝はこれでも代々伝わる神社の娘であり、教養という意味では手鬼のような庶民の子供とは一線を画していた。

 なので、花枝は簡単に説明をしていく。

 

「わたしは実物は見たことありませんが、地域によっては天狗様の山に迷い込むことがあったそうですよ? あとは、どこかの山ではマヨイガという、この世のものではない不思議なお屋敷に入り込んだ人々がいるらしいですね」

 

「天狗、なあ……」

 

 天狗というものに――いや、正しくは天狗の面をつけた人物に思うところのある手鬼が何とも言えぬ表情を挟み込むが、花枝は無視して進めていく。

 

「それらが本当にあったかどうかはわかりませんが、今わたしたちがいるこの場所は、天狗の山やマヨイガと同じ『隠れ里』なんだと思います」

 

「……まあ、巫女鬼がそういうなら、そうなんだろうな。ここはお前の作った『隠れ里』だ。それでいい」

 

「ふふん、わたしって、すごくないですか?」

 

「チッ」

 

「わあ、すごく嫌そうな顔の舌打ち」

 

 天狗の山で神隠しに遭う話や、マヨイガの話が事実だったのかは定かではない。むしろ、鬼という存在を知った今となっては、全て鬼の仕業だったのではないか、とすら思えてしまう。

 けれど。事実としていま二人がいるこの黄昏の世界は、外の世界と切り離された異世界であることに間違いないだろうと、二人は結論づけた。

 説明を聞き終えた手鬼は、花枝にドヤ顔で見上げられてわかりやすく苛ついていたが、これくらいはこの一年間では日常会話の延長線上だ。

 

「なら巫女鬼。俺たちの他に誰もここに来ないのはどういうことだ? お前の隠れ里なら、お前が出入りを管理でもしてるのか?」

 

 手鬼の次なる疑問。それは、出入り口である鳥居が存在しているにもかかわらず、あとから誰も入ってこようとしないことだ。

 なにせ、真っ暗な夜中にあれだけ派手な発光現象を起こしたのだ。鬼、選別の参加者、鎹鴉、それらが誰一人として気付かなかったとは思えない。

 だが、事実としてあの鳥居を潜ってこの地に入り込んで来たものはいない。

 

「ああ、それはきっと、わたしの力ですよ。この神社は、過剰な呪いを背負ったものには見つけられないのだと思います。根拠はないですけど!」

 

「根拠ねえのかよ、チッ」

 

「わあ、また舌打ちしてます」

 

 なんにせよ。

 花枝の言葉が真ならば、呪いの権化でもある鬼たちはこの神社へと入ることはできない。

 鬼殺隊に入隊を希望する若者も、その大半が復讐心や後悔で心が焼けただれた者ばかりだ。ならばそうそう、この鳥居を見つけるものは現れないだろう。

 仮に呪いを背負わぬものがいたとしても、広大な山の中で、木々に隠れた鳥居を見つけて潜ろうとするものなど、そういるものではない。

 つまり、この神社は花枝と手鬼にとって、本当の意味での『安心できる場所』なのだ。

 

「じゃあ、せっかく隠れ里を見つけたことですし」

 

 そんな話が一区切りした頃。

 ここでいつまでもぼんやり座っていても仕方がないと、花枝はすっくと立ち上がり、横で同じようにぼんやりしていた手鬼の手を掴む。

 そして、掴んだ手をぎゅっと握る。もちろん、首に巻かれている変な手ではなく、肩から生えている彼の本物の手だ。

 

「お、おい」

 

「ここを探検しましょう! 神社だけではなく、周囲の森も、霧の向こうも。いったいこの世界に何があるかはわかりませんけど、ここは今日からわたしたちだけの『隠れ里』なんですからね!」

 

 立ち上がった花枝の瞳は、鬼となってからは濁り、淀んだ色をしているけれど。

 だが今このときばかりは。好奇心にキラキラと輝いているように見えた。

 

「……はっ。しゃあねえ、付き合ってやるか」

 

「はい! 端から端まで、付き合ってくださいね!」

 

 これが、花枝――巫女鬼と、手鬼。

 今はまだ二人だけの隠れ里が、動き始めた瞬間であった。

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