――大正四年、冬。蝶屋敷。
「お疲れ様です、しのぶ。炭治郎たちに会いにきたのですけれど、今はあの子たちはおりますか?」
花枝はにっこりと笑いかけるけれど、しのぶはどこかひきつったような笑顔を見せる。
杏寿郎の様子を見るために煉獄家を訪れていた花枝だったが、この日は特別に槇寿郎に運んでもらい、炭治郎たちのいる蝶屋敷へとやってきていた。
蝶屋敷へと来た目的は、杏寿郎とともに戦い、今は蝶屋敷で療養中だという炭治郎と禰豆子のお見舞いだ。
炭治郎と禰豆子は、花枝からすれば姉の莢子が残してくれた形見のような存在だ。
目の前のしのぶは、花枝にどう接したらいいのかわからないに違いない。
実にぎくしゃくとした動きで、花枝、そしてその横にいる槇寿郎へと、ぺこりと頭をさげる。
「あ、その……改めて、上弦の弐から姉さんを救っていただきありがとうございました! それで、炭治郎くんたちなら今は部屋ですから、すぐに案内します」
「はい、助かります」
花枝に向かって、ぺこりと礼をするしのぶ。
前に柱合会議で出会ったときにはゆっくり話をする時間が少なかったからか、改めて礼を言われてしまった。しのぶはもっと気の短い女性なのかと思っていたが、根はかなり真面目なのだろう。花枝を子供と侮ることもなく、鬼と敬遠することもなく、礼儀正しく接してくれた。
しのぶを前にして、花枝の胸元に挿された百合の花がゆらゆらと揺れている。
花枝に挨拶をしたしのぶは続いて、花枝の後ろに立っている男に視線を向ける。
「それで、その……」
「ああ、俺は花枝を運んできただけだから気にしなくていい。適当に外で待っているから、用が済んだ時にでも呼んでくれ」
「い、いえ! 元炎柱をこんな寒い屋外に放り出すわけにもいきませんから! とにかくお二人とも、中へどうぞ!」
しのぶの背後の廊下の角からは、カナエの継子か、はたまたしのぶの継子か、それともここで保護された身寄りのない子供たちか。幾人もの少女たちがはらはらとした様子で玄関先のやり取りを覗き見ているのが見えた。
「アオイ! 姉さんを呼んで、角姫様と元炎柱が来ているって伝えて! あなたたちも、お茶の準備をお願い!」
「はっ、はいっ! すぐに!」
「お茶菓子、お茶菓子も準備しないとっ!」
「さっき伊之助さんが全部食べちゃいましたぁっ!」
「あのイノシシぃぃい!!」
しのぶが指示を出すと、覗き見していた少女たちは全員がわたわたと動き出す。
いったい何人でお茶の準備をするつもりなのかと花枝は疑問に思ったが、やはり来客が元炎柱ともなればお茶もそれ相応のものが用意されるのだろうなと納得する。
お茶ひとつでなんだか奥の方がだいぶ大騒ぎになっているが、きっと大丈夫だろう。
「じゃあ、せっかくですし槇寿郎はカナエたちとお話でもしていてくださいよ。わたしは炭治郎たちの様子を見てきますから」
「ああ。なら、用が済んだら呼びに来てくれ」
「では……お二人とも、こちらに」
槇寿郎を引き連れたしのぶは、非常にやりづらそうだった。
もしかして、しのぶを緊張させているのは自分ではなく、明治最強と言われながらも唐突に鬼殺隊との縁を絶ち、野良の鬼狩りに転身したという意味不明な元炎柱・槇寿郎かもしれないな、と。花枝は頭の片隅で思う。
とはいえ、真実は闇の中。頭のなかでそんなことを考えながらも、花枝はしのぶに案内され、炭治郎たちの療養している部屋へと到着するのだった。
◇ ◇ ◇
「大叔母様! どうしてここに?!」
「大叔母様、大叔母様!」
案内された部屋に入る。まっさきに花枝に気づき声をかけてきたのは、ほかでもない炭治郎と禰豆子の二人だった。
すでに日も暮れている時間なので禰豆子も自由に活動しており、今は兄の世話をしていたらしい。炭治郎はなにやら身体をぎちぎちに固定されており、寝台の上から首だけを花枝に向けていた。
花枝は炭治郎の寝台の横にあった椅子に腰をかける。足が床に届かないため、両の足をぷらぷらと揺らす。
「二人とも、お久しぶりです。今日は杏寿郎の父にあたる煉獄槇寿郎に連れてきてもらいました。あなたたちは怪我の具合はどうですか?」
「私、は……元気!」
「俺も見ての通り元気です! 全身に大きな傷を負っていたり、色んな骨が折れたりしていたくらいで、他は全然大丈夫です!」
「わあ、重傷」
花枝に元気なところを見せようとしたのだろう。
炭治郎が無理して動こうとしたところ、すかさず廊下から蝶屋敷で働いている少女がやってきて、炭治郎の頭をスパンと叩いて出て行った。
あまりに自然な、まるで風のような動きだった。ただ者ではないなと、花枝はごくりと生唾を飲み込む。
なお、少女はついでに花枝にお茶とお茶受けらしきふかし芋を出してくれたので、それを傍らの卓に乗せて、ずずいとお茶をいただいた。
そんな一幕の後。横から、炭治郎へ向けて話しかける金髪の少年がいた。
「お、おい、炭治郎! おま、お前! あやかしの身内って禰豆子ちゃんだけじゃなかったのかよ! っていうかこの子、この髪型に、巫女服に、ちっちゃい角! どう見ても角姫様じゃねぇかよ! 」
「なんだ善逸、大叔母様のことを知ってるのか?」
「当たり前だろぉ!? 角姫様って言えば、角姫様のことだぞっ!!」
「いや、それじゃ全然わからないぞ」
目の前で自分についての話を大声で交わされるというのも奇妙なものである。
花枝はきょとんとした顔で、金髪の少年――善逸と炭治郎のやり取りを見守っていた。
だが、花枝がその濁った瞳で善逸を見つめていると、目が合った善逸が唐突に悲鳴を上げた。
「ひいい、爺ちゃんが言ってたんだよ! 明治の初めに爺ちゃんの継子が角姫さまに傷を負わせちゃったから、その祟りでその人は一生、海老や蟹が食べられなくなっちゃったんだよ! 俺も祟られるぅぅ!!」
「お、おい善逸、大叔母様は人を祟ったりしない、大丈夫だ!」
炭治郎の説得も虚しく、善逸は自分の寝台に縮こまり、布団で顔を隠してしまった。
花枝は善逸の言葉を受け、数十年前の記憶を辿る。明治の初めに花枝に傷を負わせた人物といえば、手鬼と二人で山の中を逃亡するに至った、あの強かった雷の呼吸の剣士しかいない。
あのとき彼に切りつけられて流血しなければ、花枝は自身の力にも気付かず、隠れ里を発現させられなかったかもしれない。
それを考えれば祟るどころか感謝の気持ちを伝えたいくらいだが、残念ながら善逸は悲鳴をあげて布団に潜り込んでしまったので、礼を伝えるのは難しそうだ。
ちなみに、その継子の症状は後の世で言う『甲殻類アレルギー』であり、花枝は一切無関係である。
そして次に話に参加してきたのは、例の猪少年だ。
さすがの花枝も、人間にも関わらず首から上が猪になっている異様な少年の登場に、「わぁ、でた」と心の中で一歩引く。胸元の百合の花が警戒するように花弁を猪に向ける。
「なんだ、弱そうなチビスケだな! 俺の子分になりにきたのか! いいぞ、俺は心がぶっといからな!」
「伊之助、この人は俺の大叔母様だ! 子分扱いするな!」
「なにぃ?! 大判さんまだと?! この前食べたやつだな、美味そうだな!!」
「さんまは美味しかったけど、大叔母様は魚じゃないぞ、伊之助」
「さんまはなあ、丸焼きだ! 火で炙るんだ!」
「丸焼きはいいんだけど、焼くなら炭火を使った方がいいぞ。ふんわりとして美味しく焼けるんだよ」
「なん……だと?! そんなん知らねえぞ!!」
花枝の話をしていたはずが、気付けばなぜか猪少年――伊之助と炭治郎は、さんまの美味しい焼き方についての議論を始めてしまった。
さすがの花枝も、目の前で暴走する猪の行動が読めず、面食らう。
「あのね、大叔母様! いつも……だいたい、こんな感じ」
「わあ。それはそれは、にぎやかなのですね」
善逸は布団を被って泣きわめき、伊之助と炭治郎はさんまの焼き方論争に火がついている。まともに花枝の相手をしてくれたのは、隣の椅子にちょこんと座った禰豆子だけだった。
なお、暴走していた伊之助だが、廊下から再び蝶屋敷で働いている少女がやってきて彼の頭をスパンと叩くことで、見事に落ち着かせてくれた。
◇ ◇ ◇
「日の呼吸は、十二の型で、十三の技……?」
さんま論争はすぐに終わり、その後は普通のまともな会話が続いていた。
杏寿郎と上弦の参との戦いについて聞いたり、花枝をここまで連れてきてくれた槇寿郎、そして煉獄家について話したり。
杏寿郎の名前が出ると、騒いでいた伊之助や善逸も途端に静かになり、真面目に話を聞いているように見えた。
そしてその際に炭治郎から聞かれたのが『日の呼吸』についてである。杏寿郎から、巫女鬼に聞くように伝えられていたのだそうだ。
聞けば、どうやら花枝の推理と違い、今の時代の鬼殺隊には、日の呼吸や継国縁壱について何一つ伝わっていないのだという。
なので、花枝は不思議に思いつつも、あくまで当時の炎柱の主観ではあるが、あの日記に書かれていた日の呼吸の型について、炭治郎にあれこれ伝えていた。
「まあ、あくまで当時の炎柱が思いのままに書き綴っただけのものです。中にはそれはもう大げさに書いたような描写もありますし、記述が事実とも限りませんから、参考程度に考えればいいと思いますよ」
「いえ、でも……なんだか、なんだか……とても、頭のなかで何かが繋がりそうなんです。十二の型で、十三の技……円舞、 碧羅の天――」
「お兄ちゃん、考えすぎて、おでこがあっつい……よ!」
「それにしても、炭治郎が日の呼吸を使えただなんて。今思えば、手鬼の頚を斬ったのもそれだったんでしょうね」
なんでも炭治郎の家に伝わる『ヒノカミ神楽』というものが日の呼吸の演舞だったらしく、炭治郎はある程度ならば、日の呼吸を使えるのだそうだ。
もっとも、少し使うだけで肺が爆発するほどの反動が襲ってくるらしいので、使いこなすにはまだまだ途方もない量の修行が必要となるのだろう。
考えすぎておでこが熱くなってしまった炭治郎のために、禰豆子が慌てて室外へと飛び出していく。そしてしばらくすると、濡らした手ぬぐいを持ってきて、炭治郎の額を冷やしていた。実に甲斐甲斐しい兄妹愛だ。
花枝はそんな姪孫たちを眺めながら、自分はぴょこんと椅子から降りる。
「では、あまり長居をしても迷惑になってしまいますし、わたしはそろそろ帰りますね。炭治郎に禰豆子、それに善逸と伊之助も、どうぞご無事で――」
「あ、あ、あ、あの! 待ってください、角姫様!」
花枝のさよならの挨拶に被さるようにして、待ったがかかる。それは、ずっと布団に潜り込んでいた善逸の声だ。
善逸は布団から恐る恐ると這い出てきて、どこかびくびくしつつも、真剣な表情だ。何かの、覚悟を決めた表情だ。
「どうしました? 善逸」
「あの、さっき……炭治郎に言ってましたよね。角姫様は、人の心の呪いを癒やすことができるって」
「ええ。そういうのは得意分野です」
それは、花枝のもつ浄化の力を炭治郎たちに改めて説明していたときに触れた話題である。
怨念のような他者による呪いもあれば、心が自身の後ろ向きな感情にとらわれ、黒い炎となって燃え上がっている場合もある。
善逸は何か言おうとして。けれど何も言えずに、黙り込む。
花枝が無言で続きを待っている間、再び善逸が言葉を絞り出す。
緊張故か、それとも別な理由があるのか。
善逸の声は、少しだけ。震えていた。
「心の、中の……」
「はい」
「心の中の『幸せを入れる箱』に、穴が……空いてしまっている人がいるんです」
◇ ◇ ◇
ぽつり、ぽつり。
顔を伏せて、床に視線を向けながらも、善逸は花枝へと語り始めた。
炭治郎も、禰豆子も、伊之助すらも。何か感じ入るものがあったのだろう、皆が口を閉ざし、善逸に注目する。
「あの人は、自分ではそれに気付いていないんです。ずっと幸せを取りこぼして、不満の中で生きているんです。俺のことも……いや、俺だけじゃなくて、きっと何もかもが嫌いなんです」
善逸は、顔を上げる。
目元が潤んでいるのは、先ほどの祟りの話が怖かったからか。
それとも、いま話している人物に対して、それほどまでに大きな想いを抱えているからか。
「でも、あの人は本当にひたむきで! 努力をしていて! 熱心で! 俺が、本当に、本当に――尊敬している人なんです」
善逸は、必死にそれを訴えながら。
目の前に立つ少女――『角姫』に。問いかけた。
「角姫様なら……そんな兄貴を、助けることはできますか?」
善逸のその問いかけが。
花枝が、とある一人の隊士と出会うための。
そして『あやかし』と鬼殺隊の、これからの関係を決定づけるための。
最初の、とても重要なきっかけとなるのだった。