「へー、ここが刀鍛冶の里ですか。なんだかすごいですね!」
目隠しと耳栓、そして鼻栓から数時間ぶりに解放された炭治郎は、深い呼吸とともにその景色を見渡した。
場所としてはどこかの山の中なのだろうが、この場所には電柱や電線もなく、当然道路もなければ、車も走っていない。
まるで江戸の時代に迷い込んだのではないかというような古式ゆかしい風景が、そこには広がっていた。
ここは、刀鍛冶の里。
今よりずっと昔の時代から脈々と続く、鬼殺隊を支える刀鍛冶たちが生まれ育つ、人の世界の隠れ里だ。
炭治郎は、兄弟子でもある
もちろん、炭治郎の背には禰豆子が入った箱が背負われている。今は日が出ているために禰豆子は箱から出られないが、木々も多いこの土地ならば、晴天でなければ禰豆子も外を歩けるかもしれない。
「鬼殺隊を支える刀鍛冶たちは皆、この里で活動している。もちろん、お前の日輪刀もここで打たれたものだ」
「錆兎さんは、よくここに来ているんですか?」
「ああ。俺らの呼吸の使い方は刀に負担がかかるからな。お前も二種の呼吸を使い分けるなら定期的に見て貰った方がいい」
本来ならばここまで自分たちを背負ってくれた隠が隊士を案内するはずだが、今回はこの里を知っている錆兎が直々に案内を買って出てくれていた。
炭治郎は錆兎の説明を聞きながら、なるほど、と頷いてみせる。
「まあ、温泉もあるし、療養にも丁度良いはずだ」
「温泉! そうか、この香りは温泉の香りだったんですね」
先ほどから漂っていた仄かな硫黄と金気を含んだ香りは、この土地に湧く温泉の香りだったのだろう。炭治郎はもともと温泉など湧かぬ山育ちで、鬼殺隊に入ってからも温泉での療養などしたことがないので、ついつい声が昂ぶってしまう。
そしてやはり血の繋がる兄妹だ。背中の箱の中で会話を聞いていた禰豆子もまた温泉と聞いて元気に声をあげ、カタカタと箱を揺らす。
「お兄ちゃん! みんなで、温泉、はいろうね!」
「あ、うーん……禰豆子、お前は女の子なんだから、俺はともかく他の人と一緒のお風呂は駄目だぞ。せめて女性隊士とだ」
「えー……残念、だなあ」
江戸時代ならばいざ知らず、大正のこの時代は男女別の入浴が普通である。
山奥の温泉ともなると混浴の温泉もあるかもしれないが、仮にそうだとしても年頃の禰豆子が他の男性とともに入浴するなど、炭治郎が許さない。炭治郎の脳内に住む小さな善逸も「そうだそうだ!」と騒いでいる。
長男として、大切な妹を守るため。炭治郎は鼻をふんすと鳴らした。
「炭治郎、禰豆子。温泉もいいが、まずは里長に挨拶だ」
そんな兄妹のやりとりを横目にし、錆兎は迷いなく、里の中をまっすぐに進んでいくのだった。
◆ ◆ ◆
一方そのころ、
「わあ、里に温泉があるんですか」
「ああ。刀鍛冶たちは相当に頭がおかしい連中だったが、温泉と飯はマシだったぜ」
「もう、獪岳ったら。すぐに人のことを頭がおかしいだとかカスだとか愚図だとか言っちゃ駄目ですよ」
「そこまで言ってねえぞ」
藤襲山の隠れ里内には温泉こそ湧いてはいないが、皆で作った露天風呂は健在だ。
この日、露天風呂では獪岳が湯に浸かり、花枝が温泉の横のかまどに薪をつぎ込んで火加減を調整していた。
さすがに獪岳と一緒に風呂に入ったりはしないけれど、火加減が安定したら、花枝も湯船に足だけ入れて足湯を楽しんでいる。
そんな中で獪岳が語って聞かせているのは、鬼殺隊の隠れ里こと、刀鍛冶の里についてだった。
「まあ聞け、角姫。刀鍛冶ってのは本当に頭がおかしいんだ。刀が一つ駄目になっただけで、ひょっとこの面をつけた野郎が包丁を持って街まで俺を殺しに来たんだぜ?」
「ええ、なんですかそれ。本当に頭がおかしいじゃないですか」
「ああ、あいつらは刀さえあれば幸せなんだ。頭がどうかしてやがる」
「幸せの感じ方も人ぞれぞれですね」
もっとも、これは人間性が捻れまくった獪岳が語る話である。獪岳の主観により出てくる人間のことごとくが悪しきように言われるので、聞いている花枝もこの話をどこまで信じたらいいのかわからない。
というか冷静に考えれば、刀を駄目にしたことに怒りを覚えるまでは理解できるが、依頼者を包丁で殺しに来る刀鍛冶などいるわけがない。いてたまるか、とすら思う。
だから、これはきっと獪岳が話を面白くするために誇張しているのだろうと、花枝は鋭い頭脳で推理した。
「じゃあ、そこでは料理はどんなものが出るんですか?」
「出てきた料理そのものは普通だがな。焼き魚に白飯、沢庵やらの漬け物。俺が泊まったときには唐揚げの定食もあった。唐揚げっつーのは鶏肉に衣をつけて油で揚げたやつだ」
「あ、それっぽいものは食べたことはありますよ! 藤襲山で雉が獲れたとき、包丁鬼が作ってくれました!」
「雉の唐揚げかよ。すごいものを食ってるな」
獪岳が動くと、湯船のお湯がちゃぽんと音をたてる。
花枝が見た獪岳の身体は、至る所が傷だらけだった。中にはまだ治りきっていないものもあり、湯船に傷痕がふやかされ、非常に痛々しい。
里に住む『あやかし』たちは再生能力を持っているため、このような痛々しい傷痕が残ることなどないのだ。
「ところで、ところでですよ、獪岳。外の世界では、いろんな種類の鶏のお肉が普通にお店に並んでいるんですよね」
花枝が突然、外の世界の肉屋について語り始める。
わざとらしい。なんだかとても語り口調がわざとらしい。
「ねえ獪岳。牛肉のステーキやハンバーグも美味しいですけど、鶏の唐揚げ定食というのもとても美味しそうですよね。外の世界ではそういうお肉もお店に並んでいるんですよね」
「はん、角姫よお。言いたいことがあるなら、はっきり言ったほうがいいぜ」
「もう、そこはほら、奥ゆかしさですよ」
あえてはっきり言わない。
それは日本の巫女としての奥ゆかしさだったのだが、獪岳の意地悪げな笑みに頬を膨らませて、花枝は改めて言い直す。
「じゃあはっきり言いますけど獪岳、次の任務の帰りに鶏の肉をたっぷり購入してきてください。皆で鶏の唐揚げを食べましょう」
「わかったよ。次のときにな」
十分に身体が温まったのだろう。獪岳は岩場に置いてあった手ぬぐいをつかみ取ると、ザブンと湯船から立ち上がる。
花枝はそれに合わせて、かまどの火を消すためにかまどへと回る。
「炭治郎たちも、今頃その刀鍛冶の里で、温泉にでも入っているんですかねえ」
「ああ、かもしれねぇな」
花枝は、先日受け取った炭治郎からの手紙を思い返す。
そこには、錆兎とともに刀鍛冶の里へ行くと書いてあったのだ。だからこそ今回、獪岳からその里について聞いていたのだが。
「温泉で、美味しいものを食べているんでしょうねえ」
「ここの料理長の方が飯は美味いがな」
身体を拭きながらそう付け加える獪岳の言葉もあまり耳に入らずに。
花枝の心は、ただ。温泉で食べる唐揚げ定食に矢印を向けているのだった。
◆ ◆ ◆
そして再び、刀鍛冶の里。
里の中にある温泉には今、とある若い女性のはしゃぐ声が響きわたっていた。
「きゃー、禰豆子ちゃん、お肌がとっても綺麗ね!」
声の主は、恋柱・甘露寺蜜璃。
もともと杏寿郎の継子だった蜜璃だが、炎の呼吸から進化した恋の呼吸という独自の呼吸と型を開発し、今や鬼殺隊の柱にまで昇進していた。
本人としては眠り続ける杏寿郎が目覚めるまでのつなぎのつもりらしいが、しかしその特殊体質を元にした特殊な戦い方は、場合によっては他の柱の追随を許さぬ独自性があった。
そんな彼女が今、温泉にて。
禰豆子とともに、互いの身体を触り合っていた。
「蜜璃さん、こそ、身体が……もっちもち、だね!」
「やーん、実は私ね、ちょっと気にしてるのよ。最近また隊服がきつくなっちゃって」
「そうな、の? 蜜璃さん、胸がすっごく――」
「すみません甘露寺さん! 禰豆子! 話題を変えてもらえませんか!」
禰豆子と蜜璃の会話を邪魔する声が、その場に放り込まれた。
声の主は竈門炭治郎。彼もまた、今この温泉に身を浸しているのだった。
とはいえもちろん、蜜璃と炭治郎が共に顔をつき合わせて温泉に浸かっているわけではない。
温泉の中心に立てられた、衝立。
炭治郎はいま、その男女を分けた衝立の反対側で、温泉に肩まで浸かり顔を真っ赤にしていたのである。
「きゃっ、ごめんなさい炭治郎くん! 炭治郎君は胸の大きさの話なんてされても困っちゃうわよね!」
「わあああ! 甘露寺さん、甘露寺さん、別な話題にしてくださいっ!」
――なぜ、炭治郎が甘露寺蜜璃と共に温泉に浸かっているのか。
それは単に、蜜璃もまたこの刀鍛冶の里を訪れていたからである。
蜜璃の武器は非常に薄く、長い。まるで長い布地をひらひらと自由自在に動かすような、炭治郎からすれば呼び方すらわからない不思議な武器だった。
特殊すぎる武器であるため、自分での手入れにも限界がある。なので蜜璃はこの刀鍛冶の里へとやってきたのだ。
彼女はこの日すでに一度温泉に入っているのだが、炭治郎と禰豆子の兄妹と意気投合し、禰豆子の保護者も兼ねて再び彼らと温泉へやってきたのである。
「私ね、炭治郎くんと禰豆子ちゃんにはすっごく会いたかったのよ。煉獄さん――杏寿郎さんのことで、お礼を言いたかったのよ」
「けど、俺はあのとき、なにも……」
「ううん。私だって又聞きでしかないけど、あの日、炭治郎くん、禰豆子ちゃん。それに善逸くんと猪頭くんだったかしら? その中の誰か一人が欠けていたら、絶対に誰かが死んでいた。違う?」
「それは……そうかも、しれません」
あの戦いでは、乗客に重軽傷者こそいたものの、死者はいなかった。無論、未だ眠り続ける杏寿郎を含め、鬼殺隊にも死者はいなかった。
きっと、誰かが欠けていたならば、誰かしらの命は失われていたことだろう。それはなんとなく、炭治郎にも理解できる。
「だから、あの人の継子として伝えたかったの。炭治郎君、禰豆子ちゃん。私の師匠を助けてくれて、本当にありがとう。ね?」
「……はい」
炭治郎は衝立越しに、あの夜の戦いについて考えて、考えて、考えて。
結局、最後は蜜璃の言葉に負けて、素直に礼を受け入れることにしたのだった。
◇ ◇ ◇
その夜のこと。
「いいか、炭治郎。死にたくなければ、今日の――蜜璃と共に温泉に入ったことは、蛇柱の伊黒小芭内には絶対に話すな。蜜璃には俺から口止めをしておく」
「わ、わかりました!」
温泉での出来事を錆兎に語ったところ、今まで見たこともないような真剣な表情で、錆兎に忠告を受けたのだった。
◆ ◆ ◆
――炭治郎がこの里へ来て、一週間と少しが過ぎた。
その最中、小鉄という少年と霞柱のいざこざに巻き込まれたり、小鉄の調整した戦闘用絡繰『縁壱零式』に意外とあっさり勝利したり、キレ気味の小鉄が最強調整した『縁壱零式』に殺されかけたり、死にかけのところを錆兎に救われ、謎の刀を発見したりとしたものの。
刀鍛冶の里での修行は、炭治郎に、今までとは違う考え方と、身体の使い方を教えてくれた。
けれど、そんな修行の日々も終わりを迎える時が来る。
その夜。一人の刀鍛冶が夜道で見知らぬ壷を見かけた。
「壷? 危ねえなあ、誰だ? こんな所に壷なんか……」
この刀鍛冶の里には、過去に一度も鬼が入り込んだことなどない。だから夜だというのに、彼は何も警戒していなかった。
彼はただ壷を退かそうと、無造作にそれに手を伸ばしただけだった。
その瞬間。
壷の中から異形の腕が伸び、壷に近づいた刀鍛冶へと掴みかかり、そのまま男を握り殺そうとして――。
『水の呼吸 炎ノ壱・不知火』
それは、男が瞬きをするほどの短い時間だった。
男と壷を遮るかのように。
蒼く静かな炎が男の目の前を奔り、壷から伸び出た異形の腕を――切断した。
「ひ、ひぃゃぁぁああっ!!?」
刀鍛冶は、訳も分からないまま、首元を掴まれて背後へと投げ飛ばされた。
彼を投げ飛ばしたのは、日輪刀を構えた剣士だった。炎に照らされた水面のような羽織を纏った隊士――鋼柱・錆兎は男に背を向けたまま、声をかける。
「あんた、男なら立ち上がれ。そして里の者たちに伝えろ、里に鬼がきた。覚えのない怪しげなものには近づくな、とな」
「わ、わ、わかっ、わかっ……!!」
刀鍛冶はこくこくと頷くと、脱兎の如き疾さでその場から逃げていく。
錆兎はそちらに視線を向けることなく、目の前の『壷』を睨みつけている。
「そろそろ、その不気味な壷から姿を現したらどうだ? 鬼よ」
返事はない。しかし錆兎は、そこに鬼がいることを確信していた。
彼が実戦で鍛えた『第六感』とも言うべきそれが、ビリビリと。そこに、今までに戦ってきた鬼とは比較にならぬほどの邪悪な何かが潜んでいると、錆兎に教えてくれる。
そして――壷の中からそれは、姿を現した。
「ヒョヒョっ、いきなり作品造りの邪魔をするとは、芸術を理解できない不作法者がいらっしゃる」
「作品? 醜い鬼のお前が、一体なんの芸術を語るというんだ」
「これだから、美醜も分からぬ者は! 鍛冶の断末魔人形、鍛冶の生首壷飾り、そして鍛冶の身体を組み合わせた生肉如来像も捨てがたい! ああ、私の芸術が止まらないぃぃい!!」
「……何が如来像だ、反吐が出る。お前の芸術など"角姫像"の足下にも及ばん。頸を斬られる覚悟はできているな、上弦」
「ほうほう………………殺す!! 私がこの世で一番嫌いなものの名を出すな!」
それは魚とも蟲とも言えぬ、吐き気すら催すほどの不気味な姿だった。
それは四肢など持たず、身体中には小さな手が生えてもぞもぞとうごめいていた。
それは不気味な顔の造形をしており、目の位置には口があり、口と額には目がついていた。
そして――その瞳には。はっきりと、文字が書かれていた。
『上弦 伍』
ここ、刀鍛冶の里にて。
鬼殺隊最強戦力・柱と、鬼舞辻無惨最強戦力・上弦との。
血で血を洗うかのような戦いが。
今、開戦の狼煙をあげた。