――大正五年。九月。
上弦の鬼。
それは鬼舞辻無惨の直属の配下、十二鬼月の上位に位置する最強の鬼たちである。
少なくとも柱三人分に匹敵し、並の隊士ではまともに相対することすら叶わない。
その上弦の鬼たちが、この日、この夜。
鬼殺隊にとって最重要地点となる土地を。
襲撃した。
◆ ◆ ◆
刀鍛冶の里。
刀鍛冶を生業とする者たちの住まう区画はいま、上弦の伍・玉壺が生み出した異形の襲撃に遭っていた。
住宅区画を襲うのは、何匹もの巨大な金魚のような異形たち。住民が鐘をかき鳴らし、あるものは仲間とともに避難し、あるものは刀や道具を守るために奔走し、そしてあるものは武器を手にして、懸命に戦った。
しかし、金魚の正体は上弦の血鬼術で作られた化け物だ。里に在住していた防衛の役目を負った隊士たちの力では、ほんの僅かな時間稼ぎにしかならない。
里はいま、このまま蹂躙され尽くすか――と、思われたが。
『霞の呼吸 伍ノ型 霞雲の海』
『恋の呼吸 弐ノ型 懊悩巡る恋』
霞のようにその実体を掴ませぬ鋭く細い連撃が、鍛冶たちを襲っていた巨大な怪魚を切り刻む。
流れるように空中を舞い踊る刃が、人々を襲う怪魚の群れを切断していく。
これらは、この場に駆け付けた鬼殺隊最強戦力『柱』によるものだ。
示し合わせたようにこの場に駆けつけ怪魚を殲滅したのは、霞柱・時透無一郎と恋柱・甘露寺蜜璃の二柱であった。
人々の中に歓声があがる。
どれだけ被害が出ようとも、血が流れようとも、ここに柱がきてくれた。それも二人。
鬼殺隊に属する者たちにとって、柱とは、希望の象徴なのだ。
「無一郎君?! え、なんか、なんか、雰囲気が変わってないかしら? どうしたの?!」
柱たちは屋根の上で、背中合わせに合流する。
だが、長尺の布地のような薄い刀を空で舞い踊らせながら、甘露寺蜜璃は驚きの表情を見せていた。
というのも、無一郎の様子がおかしいのだ。
いや――むしろ、いままでずっと様子がおかしかった無一郎が、今はしっかりと世界を見据えた瞳をしているのだ。
「炭治郎と、小鉄が教えてくれたんです。俺が、誰なのか」
彼は、ここにたどり着く直前。
この戦いの最中にて、思い出したのだ。
己がなんのために戦っているのか。己が誰だったか。己が亡くしてしまったのが、誰だったのか。
「今、この里には鬼が二体来ています。ここを片付けたら俺は炭治郎たちの方に。甘露寺さんは、この魚の本体をお願いします」
「あっ、うん! 任せてっ!」
何があったのかまではわからない。
だが。
この無一郎の変化は絶対に良いことなのだと、蜜璃は確証を得て。
刀鍛冶たちを守るべく、怪魚の発生源へと駆けていくのだった。
◇ ◇ ◇
一方、怪魚ではなく、その本体。
上弦の伍・玉壺と対峙するは、鬼殺隊
短距離で瞬間移動を繰り返し、魚を使った不可解な攻撃を繰り返すその鬼の攻撃は、実に厄介なものであった。
相手の動きに巻き込まれたが最後、恐らくそのまま『はめられる』のがオチである。
――錆兎。鬼の血鬼術とは何でもありだ。空気が変われば空気を吸うな! 見知らぬものは警戒しろ! 聞くな! 触れるな! 取り巻く全てが敵と知れ!
錆兎の脳裏に、二人目の師の声が響く。
一人目の師は錆兎に徹底的に基礎を教えてくれた。そして、二人目の師からは徹底的に外れ値を叩き込まれた。
今の錆兎は、その二つの教えで形成されている。
「やれやれだな。意味不明な鬼には、意味不明な師の教えが役に立つ、か。あの人に感謝なんかしたくはないんだがな」
魚の群れは範囲に広がる技で一網打尽にし、己を巻き込もうとする水流には触れずに衝撃で霧散させた。
相手の拳により地面が鮮魚になってのたうち回るという意味不明な状況だが、今のところ無傷とは言わないまでも致命傷は負っていない。
全ては、師の教えに従ったまでだ。
胡蝶カナエの薬を打っているため、毒や異形化といった呪いにも対処はできるだろう。つららが刺さり、流れ出る血は呼吸を操り止血を施す。問題はない。
が、しかし。
致命打を与えるためには、あと一歩足りない。
人間と鬼。このまま長期戦になれば不利なのは人間である自分だと、頭では理解できている。
錆兎はその一歩を埋めるため、より冷静に、頭を冷やし。心だけを赤熱させていく。
だが、そこでふいに。
戦いの天秤が傾くこととなる。
「ヒョヒョヒョ! 時はきたれりぃぃ!! こ・れ・こ・そ、が! 私の芸術的な作戦んんんーっ!!」
「いちいち癇に障る鬼だ……」
玉壺が一つの壷から、天をつくほどに巨大な蛸の脚を出現させた。
すでに一度は錆兎に攻略された術だが、今回は時間をかけて発動させたのだろう。蛸の脚はより巨大で、周囲に隠れ避難している刀鍛冶たちを標的にしていた。遙か遠くまでを標的に全方位的に襲いかかり、人質を取ろうという魂胆である。
錆兎は当然、誰一人犠牲者を出さずに玉壺を討伐するつもりだったが、こうもあまりに巨大な蛸が相手となると、相性的に分が悪い。
――が。
『恋の呼吸 壱ノ型 初恋のわななき』
その瞬間。巨大な蛸の脚が全て同時に輪切りにされ、消失する。
「よ、良かったぁー。敵がおっきな術を出してくれなきゃ、場所がわからなくて迷子になっちゃうとこだったわ!」
「蜜璃か。遅い。が、よくやった。ちょうどいい、周囲の守りは任せる」
「任せて、錆兎さん!」
「それと、相手は触れた物体を魚にする。触れられることは許さん」
「えっ!? は、はいっ」
駆けつけたのは、恋柱・甘露寺蜜璃。
杏寿郎の継子であり、煉獄家の縁で錆兎とも旧知の仲である彼女は、その長尺の武器にて広範囲の対応も得意とする柱である。
錆兎は彼女の姿を見やると安心したように、一瞬だけ、目をつむり。
その呼吸を――切り替えた。
静から動へと、己の戦い方を切り替えていく。
守りの水から、攻撃の炎へ。
肺が大きく空気を取り込み直し、急激に肉体が変化していく。炎の呼吸が、みるみるうちに錆兎の身体を熱くしていく。
体温が上昇し、身体能力も不思議とあがっていくのがわかる。
「なあ、芸術性では角姫像の足下にも及ばない、醜い壷野郎。そろそろ、本気の実戦といこうか」
「……こ、この、目玉の腐り落ちた腐れ柱めがぁぁぁぁ!!!」
錆兎は心を燃やす。
その心には、二百以上の命を守りきった弟分の姿がよぎっていた。
◇ ◇ ◇
強さとはなにか。
単純に、剛力で相手を打ち負かすものは"強い"のだろう。
より強力な術で相手を屈服させるのもまた"強い"と言えるだろう。
だが、もしそれが弱者だったとしても。
徹底的に"死なないこと"に特化した存在は、たとえ卑怯と呼ばれたとしても、たとえ強者の襲来に怯えていたとしても。
その存在そのものは"強い"と言えるのかもしれない。
兄妹の頸を同時に斬らねば、互いが互いの生命を補完し合い討伐に至らなかった、上弦の陸。
継国縁壱から逃げるため身体をばらばらにし、縁壱が寿命で死ぬまで徹底的に逃げ続けた鬼舞辻無惨。
彼らのその在り方は、間違いなく"強い"在り方だった。
そして今、炭治郎たちが対峙する鬼――上弦の肆・半天狗も、また。
そのような、"卑怯な強さ"の持ち主だった。
◇ ◇ ◇
炭治郎たちが対峙しているのは、上弦の肆――半天狗である。
いや、正しく言うならば、半天狗であって半天狗ではないものたちだ。
積怒。可楽。空喜。哀絶。そして、憎珀天。
半天狗は、か弱い自分を守るために次々と分裂し、本体はひたすらに鬼狩りから隠れ続けるという、"強い"鬼だった。
ヒノカミ神楽や爆血、そして不死川玄弥の特殊体質を駆使し喜怒哀楽を司る分身との戦いを制したものの、そこに現れたのは次なる分身、憎珀天である。
「貴様等のような悪人共は、ここで始末させてもらおうか!」
憎珀天の操る樹木の竜の口から、雷が落ち、超音波が響き、衝撃波が炭治郎たちを押しつぶす。
炭治郎たちが反撃しようにも、樹木の竜は巨大で強く、反撃の刃は届かない。
いかに炭治郎や禰豆子が個として強く成長していたとしても、事実として、この敵はそれ以上に強かった。
「次は雷がくる! 禰豆子、玄弥、避けろ!」
「くそ、なんなんだこの鬼は! 何匹いるんだよ!」
防戦一方。
戦いの規模が大きすぎた。例えヒノカミ神楽で目の前の竜の頸と戦っても、竜の首はそれだけではない。
なにより、竜は憎珀天が操る武器でしかなく、その憎珀天ですら半天狗の分身の一体でしかないのだ。
「玄弥、私の髪の毛、もっと食べて! ね!」
「た、食べるけど、女の子が簡単に髪の毛を渡すな!」
「頼む玄弥、いまはお前の『あやかし』の力が頼りなんだ!」
「わかってる! うがああああ! 俺の血鬼術、くらいやがれ……!」
銃声が響く。
戦いの最中で、炭治郎と禰豆子は玄弥の『鬼食い』という力を知った。
鬼を食らえば、鬼になる。
そして、あやかしを食らえば、あやかしとなる。
あやかしと化した玄弥の身体能力は跳ね上がり、樹木竜を翻弄する。そして彼の武器である"銃"から撃ち出される弾丸は『血鬼術』の種となり、そこから育った植物が樹木竜の動きを絡め取る。
その隙に、炭治郎は必死に探していた。
半天狗、本体を。
「くそ、本体はどこだ、本体は……!!」
匂いを嗅ぐ。見つからない。
確かに、まだこの森の中にいるはずなのだ。確実に、何百と人を食ってきた鬼の匂いが漂っているのだ。
だが、戦況は炭治郎にそれ以上の探索を許してはくれない。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」
「く、っそがああああ!!!」
憎珀天の太鼓の音と共に、玄弥の術が弾き飛ばされる。
樹木の竜が再び動き出し、匂いに集中する炭治郎へと大きな口が開かれる。
雷にしろ、音波にしろ、衝撃波にしろ、あるいはその顎で噛み砕かれるにしろ。いまの無防備な炭治郎が食らえば、どれもただでは済まないだろう。
しかし、敵は待ってはくれない。
反応の遅れた炭治郎へと向けて、竜の頸が力を溜めて――。
『霞の呼吸 肆ノ型 移流斬り』
瞬間、竜の頸が切断される。
「まいったな。こっちを甘露寺さんに任せた方が相性は良かったかもしれないな」
「時透君!」
「か、霞柱!?」
そこに現れたのは、一度は里の中央へと飛ばされていった霞柱・時透無一郎その人だった。
無一郎は炭治郎をかばうように前に出る。視線の先には、巨大な樹木の竜を操る憎珀天の姿があった。
「柱か。丁度良い、いままで罪もない鬼たちを惨殺してきた血も涙もない貴様等の悪行、ここで裁いてやろう!!」
そして今、再び。
柱と上弦の鬼による、激戦の幕が上がる。
◆ ◆ ◆
――そして、この夜の戦場は刀鍛冶の里のみに非ず。
隠れ里、
「……巫女鬼様……! 藤襲山の様子がおかしいわ……!」
「何がありました! 風見鬼!」
「ヤタガラスのアホ鳥はどうした! アイツも外に出てただろ!」
住民たちが慌てた表情で風見鬼のもとへと駆けつける。
そして、
皆が集まるが、そこにヤタガラスがいない。
黄昏の隠れ里から出れば、今は藤襲山は夜である。ならばヤタガラスは外にいるはずだ。
「山の様子なら直接見てきた方が早いだろうが。俺が行く」
「待ってください獪岳! 嫌な予感が……!!」
まず、獪岳が明神鳥居を抜けて外の様子を確認しようと、足を踏み出した、その時だった。
出入り口である明神鳥居を抜けて、一羽の鴉が隠れ里へと飛び込んできた。
三本足の鴉。間違いなくこの里の住民であるヤタガラスだ。
「ヤタガラスっ、どうしました?!」
しかし、彼の身体は半分ほどが凍り付き、その身体には鋭い氷柱が何本も突き刺さり、血が滴っていた。
花枝が慌ててヤタガラスを抱き寄せるが、ヤタガラスはその怪我も構わずに、大声で叫び、全員へと知らせを届ける。
『ガ……ガァ……! 上弦ノ鬼ガ――氷ヲ操ル上弦ガ、巡回ノ隊士ト鎹鴉ヲ、皆殺シニシタ……!』
「なっ……」
『ヤツハ、コノ神社ヲ、探シテイルゥ!! 危……険、危険!!』
沈黙が場を支配する。
鬼が、この神社の場所を探している。
いかに花枝の術で隠しているとはいえ、これはあくまで血鬼術の一つだ。
力の強い鬼からは、おそらく隠し通せはしないだろう。
そして、何より。
何より。
「氷って、巫女鬼様……!!」
「ええ、とうとう来たようですね。皆さん、覚悟を決めてくださいね」
御霊矢神社の存在を探る、氷の力を持った上弦の鬼。
心当たりは、一体しかない。
胡蝶カナエと百合鬼の二人を、一度は瀕死に追い込んだ鬼。
御霊矢花枝という少女が辿った悲劇の、最初の引き金となった鬼。
それがとうとう、花枝の作り出した、幸せな箱庭へと辿り着いてしまった。
「……わたしたちの世界を守るために、戦いましょう」
その場にいる全員を、花枝は見回した。
彼らは皆わかっている。柱一人に劣る自分たちの力を束ねたとしても、きっと上弦の鬼には届かない。
それでも、もう、後には引けないのだ。
「敵は――上弦の弐です」
黄昏の世界では。
青い色をした彼岸花が、ただゆらゆらと。常世の風に、揺れていた。