「あれれ? 皆はどこですか?」
見渡す限りが橙色に染まった、隠れ里とほとんど変わらない黄昏の空。
目の前には巨大な川が流れている。
いや、水が一方向へ流れているので川かと思ったけれど、その川幅はあまりにも広く、先のほうは白い光に溶け込み見えなくなっている。向こう側に対岸があるのかどうかも疑わしい。
背後を見ればやけに立派な木々が森を作っており、更にその向こうには果てのない黄昏の平原が広がっているのが見えた。
ぼんやりと、初めて見るその光景に思考を奪われていると。
少し先の川辺から、声をかけられた。
「おい巫女鬼。遅かったじゃねェか! 全員こっちにいるぜ!」
「巫女鬼様ー! こっちですよー!」
「わあ。なんか皆さんいつも通り」
そこにいたのは、見慣れた仲間たちの姿だった。先ほど太陽の光の下で消えていった仲間たちが、川辺で思い思いに過ごしていた。
川辺に腰を下ろし談笑しているものたち。岩の上で風を浴びている者たち。水辺でばしゃばしゃと遊んでいるものたち。
こちらへ駆け寄ってくる手鬼と百合鬼も着物の足元がびしょびしょなので、たった今まで川遊びをしていたのかもしれない。
「ったく! テメェ、遅えんだよ! なにしてやがったんだ」
「そうですよ巫女鬼様! なかなか来ないので、一人だけ別な場所に行っちゃったのかと思いましたよー」
「わたしが遅いんじゃなくて、みなさんが死ぬのが早すぎたんですよ」
「仕方ねェだろ、全身バラバラだったんだからよ」
「巫女鬼様は張り付けで太陽に晒されてた割に、消えそうで消えませんでしたもんね」
そんな、微妙に笑えない掛け合いを交わしながら、数分ぶりの再会を喜び合う。花枝も人のことは言えないが、二人とも、つい先ほど死んだとは思えないほどに元気である。
三人が揃ったところで、離れた木の上からバサバサと鴉が一羽、飛んできた。
『ガァ! ガァ! 獪岳ノ活躍ハ、鬼殺隊ニ知ラセテ来タ! ヤッタゼ!』
「あ、ヤタガラスもご苦労さまでした。これで獪岳も柱になれますね」
「つってもよ、鬼殺隊の柱っつーのはもう九人揃ってんだろ? アイツが何をしようが、柱にゃなれねえぞ」
「そうですねえ。こうなれば、引退を仄めかしていた音柱には獪岳のためにも勇退してもらうしかありませんね」
「そういえば巫女鬼様、音柱ってどんな人なんですか?」
「忍者ですよ。おでこに大きな宝石をつけて、顔には奇抜な化粧を施した、とっても派手な忍者でした」
「巫女鬼様、また騙されてませんか? そんな忍者がいるわけないじゃないですか」
相変わらず、会話の内容は楽しくどんどん逸れていきながら、花枝は仲間のいるところへと合流する。
ここが一体どこなのか。不思議なことに、そんな疑問は一切湧いてこなかった。
ここは死した者たちが訪れるべき場所なのだ。皆、誰に聞くまでもなくそれを知っていた。
けれど。いつもと変わらぬ様子の仲間の集ったその川辺には。
一切、悲壮感などというものは存在しなかった。
――煉獄。
過去に、辞書で調べた言葉を思い出す。それは西洋における死後の世界の一つである。
『地獄に墜ちるほどの罪はないけれど、天国にも入れない魂が、「浄化の苦罰」で罪を清められる世界』
鬼だった自分たちが、地獄へ堕ちることなく。誰一人欠けることなく、こうして新天地に集まれたのは、きっと。
あの黄昏の世界で、皆の罪が清められたことを意味するのだ、と。
花枝は、そう信じることにした。
◇ ◇ ◇
川辺には『あやかし』の仲間が揃っている。
誰も悲しげな顔など見せないし、むしろどことなくすっきりとした顔だ。
この場所の空気感が今まで長らく生きてきた黄昏の世界と変わらないのも相まって、全員が死んだばかりだというのに、その様子は隠れ里で暮らしていた頃とほぼ変わらない。
花枝がやってくると、全員が遊ぶのをやめて、花枝へと注目する。
「皆さん、お疲れさまでした。わたしたちは、やりきりました」
住民たちが、笑顔を浮かべている。
最後、自分たちはこうして死んでしまったけれど、上弦の弐を討伐できた。獪岳を救うことができた。
人間として、遙か昔に一度は死んだ身として。この戦果に満足しないものなどいなかった。
花枝は、住民たちを一人一人順番に見遣ると、ポン、と両手を叩く。
「よっし! じゃあ……皆さん、そろそろ向かいましょう! ええと、ここからどこかに進めば、いわゆる"あの世"とか、そういう場所に行けるんですよね?」
「え? それって巫女鬼様が把握してたりしないんですか? 私、てっきりそういうものかと思ってました」
「わあ、無茶ぶり。わたしだってこんな場所来るの初めてですもん、わかりませんよ」
「なんだそりゃ。テメェ本当に巫女だったのか?」
「わあ、明らかに巫女っていうものを勘違いしてる」
果たして、ここからどこへ向かえばいいのか。当然ながらこの場にそれに答えられる仲間はいない。なにせ皆、死ぬのは初めての体験だ。
だが、一足先にここまでやってきていた仲間たちは、花枝の言葉になにか思うところがあるような素振りを見せる。いったい何を企んでいるのか、互いに顔を見合わせては、なにか目で会話している。
何ごとかな? と花枝が首を傾げていると、まず最初に口を開いたのは筆鬼だった。
「ふぉっふぉ。巫女鬼様は、彼岸の川の渡り方というのをご存じですかな?」
「え? ええと、渡し船に乗って向こう岸まで送ってもらうんでしたっけ? とは言っても、見た限りでは渡し船なんて見当たりませんね」
次に、相変わらず詩を読むように、風見鬼が口を開く。
「……果ての見えない水の流れに……生身で挑戦など、無謀だわ……」
「うーん。確かに、対岸があるかどうかも分からないんじゃ、気軽に泳いで向こう岸に渡ろうとも言えませんよね。河童鬼はどうですか?」
「さすがに俺も嫌だぞ、ゲッピ」
「まあ、そりゃそうですよね」
仏教における現世とあの世を隔てている境目、それが三途の川である。
神社の娘だった花枝とて、それくらいは知識として知っている。渡し船に運賃を渡して船を出してもらうことで、死者たちはようやく"あの世"へと旅立つことができるのだ。
もっとも、その行った先で更に人間だったころの功罪にあわせて行き先が決まるとかなんとかという話だったが、残念ながら花枝もそこまでは覚えていない。
なんにせよ、きっと向かうべきはこの川の先――なのだが。船がない。
花枝はしばし、どうしたものかと首を傾げていた。
◇ ◇ ◇
はてさて、と、花枝が真剣に考えて。
時間にして十秒ほど考えたところで。くっくっく、と喉を楽しげに笑いながら、手鬼が声を挟んできた。
「だからよ、巫女鬼。俺らは、今から船を作ることにしたぜ」
「へ?」
「『へ?』じゃないですよ巫女鬼様。船ですよ船、渡し船がないなら自分たちで船を作っちゃおうっていう話です!」
「え、ええ? なに言ってるんですか百合鬼まで、正気ですか?」
花枝は耳を疑った。
この人数が、この向こう岸すら見えない川を渡るための、船。
普通に考えれば、それにはかなり巨大な船が必要となるはずだ。
「まあいいから聞け。幸い、俺らは鬼の姿のままここにいる。つまりは、力仕事はどうとでもなるってことだ。あっちにでけぇ木も生えてるから、まあ材料も足りるだろ」
手鬼が述べる。
実際問題として、隠れ里に様々な施設を増やすことができたのは、鬼たちが驚異的な力と体力でねじ伏せてきたからだ。
かといって、船の作り方など花枝は知らないし、知っていたとしてもそう簡単に作れるものでないことくらいは想像がつく。
しかし、そんな花枝の困惑を無視し、仲間たちは言葉を重ねてくる。
「ただ、それにはもっと時間がかかりそうなんですよ。その間、巫女鬼様はほら……力仕事の邪魔になるので、少し待っていて欲しいなって」
「ええ?」
「だからよ、それまでの間。テメェはあっちの世界で待ってやがれ。俺たちゃここで、しばらくの期間は船を作ってるからよ」
「え、えー?」
なんだか混乱しているうちに、話の流れがきな臭くなってきた。
船を作る。それは力仕事である。力仕事の最中、花枝は邪魔になるので余所で待っていて欲しい。
百歩譲ってそこまでは理解できるが「あっちの世界で待ってやがれ」とはどういうことかと、花枝は目を白黒する。
「チッ、理解の遅い奴だぜ。邪魔だから、ここじゃなくて現世で炭治郎でも見守って過ごせってことだよ! わかれってんだよ!!」
「そんな怒り方ってあります?」
もう、手鬼の優しさなのかなんなのかわからない怒り方で、花枝の予定は一方的に決められてしまった。
手鬼は怒り、百合鬼はうんうんと頷き、ほかの仲間たちもなんだか楽しそうに笑いながら、花枝の追い出しに賛同している。
「巫女鬼様。カナエちゃんとしのぶちゃんのこと、よろしくお願いしますね」
「……心の繊細な槇寿郎はきっと……あなたを想い、嘆いているわ。慰めてあげるといいわね……」
「ふぉふぉ、儂は獪岳の奴めが道を違えてしまわんかどうかが心配ですのう」
そうして、それぞれが、花枝に一方的に色々なものを託していく。
花枝は少しだけそれに驚きながらも。
「まったくもう」と、はにかんだ表情を浮かべて、皆から沢山のものを託されて。
「受け取るもん受け取ったなら、さっさと行きやがれ。心配しなくても、ここでテメェのことを待っててやるからよ。テメェの兄貴分としてな」
「……まったくもう。約束ですよ?」
「おう」
そうして。花枝は、皆の祈りを背負い込み。
その場から半ば強引に追い出されてしまうのだった。
◇ ◇ ◇
「うーん。とはいえ、現世に戻ると言っても身体はもう消えちゃったんですよねえ。『あやかし』の縁者を辿れば夢枕くらいには立てそうですけど、わたしに出来ることなんてありますかね……」
花枝はうんうんうなりながら、川沿いから離れた森を行く。
道案内はない。けれど、こっちに来れば現世に続く場所があるのだと、花枝は感覚的に知っていた。
いまの自分ならば、縁者を辿ればある程度干渉出来るだろうことも、誰に聞いたわけでもなく、なんとなく確信している。
だからこそ、手鬼たちに追い返されるまま、少々腑に落ちないものの抵抗もせずにこの道を歩いていたのだが――。
「あれ?」
森の先。少し開けた場所には、ぼんやりと光を放つ湖があった。
そして、その畔に。
見知らぬ侍が一人、佇んでいた。
「お侍さん、どうしました?」
「……私は、現世を見守っている」
炭治郎とお揃いの耳飾りをした侍だった。服装的には、大正や明治時代はおろか、花枝が知る慶応よりももっと古い時代の人物であろうことが窺えた。
花枝はその侍の横に立ち、彼を真似て光の向こうを覗き込む。
そこには、朧げながらも現世の人たちの姿が映り込んでいた。侍が覗いていたそこには目が六つある見知らぬ鬼が映っていたので、花枝はぎょっとした。
「なんだかすごいものを見てますけど、お侍さんは随分と昔の方ですよね? 逝くべき場所には、向かわないんですか?」
「私にそのような資格などないのだ。私はしくじったのだ。私のせいで、兄上までもが……あのような姿で、何時までも……」
「わあ。あれお兄さんなんですか、すごいですね」
侍は凜とした佇まいながらも、その心は俯き、途方もない後悔に彩られているように見える。過去に囚われ過ぎている。その心が、息をしていない。
おそらく、ここで彼はずっと――それこそ、何百年もの間。ただ、ただ、何もできぬままに大切な相手の姿を見つめ続けてきたのだろう。その背はもう、罪の意識で真っ黒に燃え上がっている。
だから、花枝は。
侍の背中へと手を伸ばし、ぽんぽんと優しく叩く。
「あのですね。わたし、今から現世を見守りにいくんですけど、お侍さんも一緒にどうですか?」
「私に、そのような資格など……」
「うーん、これまた頑固ですね。いいからほら、行きましょう!」
黄昏の空の下で。
花枝は、そう一方的に宣言すると、名も知らぬ侍の手をギュッと握って。
彼の返答も待たずに、その光の向こうへと飛び込んだ。
現世に残した、愛しい子たちのことを、想いながら。
五章『しあわせの箱』了
次章は9月26日(月)23時より
六章「天照」開始予定です