藤襲山の巫女鬼 きめつ隠れ里噺【完結】   作:chikuwabu

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六章 天照
青い彼岸花


 ――大正五年。秋。

 

 一夜にして、上弦の鬼三体が討伐され。

 そして、御霊矢花枝(みたまや かえ)たち『あやかし』が太陽の下で光となり消失した。

 

 その知らせは、『あやかし』を知らぬ大半の隊士にとっては奇跡のような、希望に満ちた知らせだった。

 一方で、その知らせを信じられず、自ら藤襲山(ふじかさねやま)ヘと足を運んだ者もいた。

 己の成すべきことに邁進することで、荒れ狂う心を抑えていた者もいた。

 純粋に涙した者も、人知れず慟哭した者もいた。

 

 けれど、誰一人として。

 歩みを止めるものなど、いなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その日。すでに日が沈み、闇夜が空を覆い隠し始めた時刻。

 鬼殺隊本部でもある産屋敷邸の一室では、和装姿の男女が着座し、言葉を交わしていた。

 女性は着物に身を包み、その美しい外見ながらも、どこか生きるのに疲れたような憂鬱さをその身に纏っていた。

 男性は同じく和装に身を包んでいるものの、その身体のほとんどは包帯が巻かれており、露わになった肌も不気味にただれている。傍らには常に、彼の妻が影のように付き添っていた。

 

 室内には何人かの若者たちの姿もあった。彼らはそれぞれの主の背後に立ち、その身を護るために神経を張り詰めさせている。

 彼らは決して敵対関係というわけではないが、しかしそこには、ともすれば弾けて割れてしまいそうな、どこか緊迫した空気が漂っていた。

 

 向かい合う彼らの前では、卓上の花瓶に挿された幾輪かの"彼岸花"がランプの炎にゆらゆらと照らされ、影を伸ばしていた。

 着物姿の女性、珠世は、目の前に座る男性、産屋敷耀哉に向けて言葉を続ける。

 

「この"青い彼岸花"は、鬼舞辻無惨が鬼になった原因となる薬の原料です」

 

「薬、ですか?」

 

「ええ。平安の時代、人間だった頃の鬼舞辻無惨の主治医が出したその薬が、全ての原因を作りだしたのです」

 

 珠世は、自身の知る限りの情報を耀哉へと語って聞かせた。何が原因で、鬼舞辻無惨という邪悪な鬼がこの国に誕生してしまったのかを。

 それはすべて、この青い彼岸花から始まったのだ。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

 鬼舞辻無惨の呪いから逃れた鬼、珠世。彼女はその悠久とも言える時間の中で、この日初めて、鬼殺隊本部へと姿を現した。

 これまで決して交わろうとしなかったこの両者が顔を合わせている理由。それこそが、この目の前にある"青い彼岸花"である。

 

 御霊矢花枝の生み出した隠れ里から、上弦の弐である童磨が持ち出そうとしていた彼岸花。

 鬼殺隊当主である耀哉はこれについて、一番詳しい人物に話を聞くことを決断した。その人物とはもちろん、遙か昔から鬼舞辻無惨に付き従い、そしてその呪いから逃れた今もなお、無惨の血を研究し続けている彼女――珠世である。

 珠世もまた、時代の変化を感じ取っていた。

 あやかし。トキジクの実。日の呼吸の使い手。上弦たちの討伐。そして、青い彼岸花。

 これらが揃った今こそが、鬼舞辻無惨を討つべき時であると珠世は判断した。だからこそ彼女は、産屋敷耀哉の招待に応え、鬼殺隊の手を取ることにしたのである。

 

 ランプに照らされた卓上で、鮮やかな青を残した彼岸花が揺れている。

 この花はすでに茎で切断されている。きっと、ここからの繁殖は難しいだろう。つまりは、いまこの花瓶に挿されているものが全てである。

 

「ずいぶん長い年月、私もこの花を探しはしましたが――まさかあやかしの隠れ里で見つかるなどとは思いもしませんでした」

 

 青い彼岸花を見つめる珠世の目は、とても多くの歴史を物語っていた。

 彼女もまた、鬼舞辻無惨によって永遠の時を与えられてしまった存在である。

 その永遠のなかで、彼女は様々な土地とその伝承を調べ上げ、青い彼岸花を探してきたのだ。それがまさか、このような形で遭遇することになるとは思いもせずに。

 

 珠世の話が終わるとともに、室内には静寂が訪れる。ランプが時折たてるパチパチという音だけが、夜の室内に響き渡る。

 この屋敷には今も幾人かの隠をはじめとした産屋敷家を支える者たちがいるはずだが、今このときばかりは、その誰もが音を閉ざしている。

 

 その沈黙を破ったのは。

 今まで珠世の説明を聞いていた、産屋敷耀哉であった。

 

「西洋の伝承の一つに、青い花に関する物語があります。愛する夫を亡くした女性が冥界の扉の前で一輪の青い花となり、以降、冥界の入り口には青い花々が咲き乱れているという、寂しい物語です」

 

「ギリシャ神話におけるネモフィラの伝承――ですね」

 

 珠世の返答に耀哉は静かに頷き、肯定する。

 

 珠世は永遠の年月のなかで、日本のみならず世界中の文献を漁ってきた。不老不死や、生と死に関わる伝承や文献もすべて目を通してきた。

 ティル・ナ・ノーグという妖精の国では、林檎・酒・豚という三つの食材が人間に永遠の命を与えるという伝承があった。

 琉球に存在するという死後の世界、ニライカナイを調べ、藁にも縋る思いで探したこともあった。

 けれど、この夜まで。それらの伝承は何一つ、珠世に希望を与えてはくれなかった。

 

 耀哉は続ける。

 

「そして、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)もまた、言い伝えでは"常世の国"に実る永遠の木の実です」

 

 数秒の間が空いた。

 ランプが、パチパチと音を立てる。

 

「私は思うのです。もしかしたら、花枝様が作り出していた『隠れ里』こそが、生と死の狭間――"常世の国"だったのではないかと。青い彼岸花とは、そのような力を持つものだけが育てられる、狭間の世界の植物なのかもしれませんね」

 

 御霊矢花枝。

 鬼の呪いを浄化し、禰豆子たちを『あやかし』という、鬼とは別種の存在へと進化させた存在について、珠世は考える。はたして彼女の力は、単に呪いを祓うだけの力だったのだろうか。あるいは、もっと大きな何かだったのだろうか。

 もしかしたら、花枝と血の繫がりを持つ禰豆子なら、あるいはより花枝に近い血を持った竈門葵枝が生きていたならば、この花を育てられたのだろうか。

 しかし、珠世がいくら考えたとして、それはもう詮無きことだ。

 その『隠れ里』を作り出していた御霊矢花枝はすでに光となり消滅し、青い彼岸花はすでに、探すまでもなく目の前にあるのだから。

 

 御霊矢花枝の作り出した世界がいったい何だったのか。その答えを知る術はもう、どこにもないのだ。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

「鬼舞辻の奴めは、私たちに『鬼殺隊の抹殺』と『青い彼岸花の探索』の二つを命じおった。その理由も語らずに実在すら疑わしい青い彼岸花を探させて、見つけられなければ罰として殺される奴もいたぞ。本当に酷い男じゃ……」

 

 そう語るのは、珠世が連れてきた少女、朱紗丸である。

 彼女は年の頃は禰豆子と同じ程の、古めかしい口調が特徴的な少女である。鬼になる前――人間の頃は今の外見よりもだいぶ幼い年齢だったようで、その言動もときおり子供らしさを覗かせる。

 珠世と耀哉による会議が一段落した今、現在の鬼舞辻無惨を一番よく知る者として、彼女が意見を求められていた。

 

 朱紗丸は、珠世と炭治郎が初めて出会った日、鬼舞辻無惨の命により彼らを殺しにやってきた『鬼』だった。

 禰豆子に敗北した彼女は珠世によってトキジクの実を食べさせられ、人間としての記憶と理性を取り戻した。そして、長い、長い苦しみの末に――今はこうして、珠世に付き従う『あやかし』と成ったのだ。

 

「あの男がその花に対してただならぬ執着を見せておったのは確かじゃ。鬼殺隊がその"青い彼岸花"を手に入れたと知ったならば、彼奴は何をおいても、それを奪いに来るだろうな」

 

「なるほど。つい最近まで鬼舞辻無惨の配下の人喰い鬼だったあなたが言うならば、説得力はありますね」

 

 朱紗丸に厳しい視線を向け、そう言葉を返すのは蟲柱・胡蝶しのぶである。

 彼女は薬学に通じる柱として、これから先、珠世と深く関わっていくことになる。それもあり、今回の席には耀哉の護衛として同席しているのだ。

 

「う……だ、だって、あの時は、私は呪いのせいで頭がおかしかったんじゃ……! 私、人間を、玩具のように……うう、私……私は……」

 

「おい、蟲柱の女! この朱紗丸は確かに馬鹿だが、今は珠世様の下僕の一人だ。いじめるのはやめろ!」

 

「な、私を馬鹿とかいうな! 愈史郎こそ珠世様のことになれば頭が馬鹿になるじゃろ! ばーか! ばーか! ばーか!!」

 

「お前は信じられんほどの大馬鹿者だな! いま文句を言うべきは俺ではなく蟲柱の女だろ!! 大馬鹿が!」

 

「なっ、また言ったな愈史郎!」

 

 そして、もう一人の珠世の従者である愈史郎がしのぶに対して怒りを向け、なぜか朱紗丸がその愈史郎に怒鳴り返す。

 しのぶとて、悲しげな表情で朱紗丸が涙をこぼし始めたときには、言葉が過ぎたことを素直に謝ろうとその口を開きかけたのだ。が、その後に間髪入れず始まった馬鹿げたやり取りのお陰で謝罪する機会を逸してしまい、むすっとした顔のまま口を閉ざしている。

 

「愈史郎、朱紗丸。お静かに」

 

「は、はい!」

 

「うう……ごめんなさい」

 

 珠世が従者の二人に注意をすると、愈史郎と朱紗丸はそろってしゅんとする。朱紗丸に至っては涙目だったものが更に潤んでいる。

 

「しのぶも、もう少し穏やかな関係を築こうね」

 

「も、申し訳ございません」

 

 しのぶはしのぶで、耀哉に注意されてしまい、少々しゅんとするのだった。

 もっとも珠世も耀哉も口元には穏やかな笑みを浮かべており、従者達による子供じみた口喧嘩は、場の空気を温めるにはちょうど良いものだったのかもしれない。

 

 とはいえ、先ほど朱紗丸が述べた言葉。

 

 ――彼奴は何をおいても、それを奪いに来るだろうな。

 

 その言葉はきっと、真実だろう。

 

 これから先、すぐ目の前の未来に。

 鬼と鬼殺隊の最終局面が訪れるであろうことは、この室内にいる全員が、心の中で確信していた。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

 すでに夜は深くなっているが、人ならざる珠世たちにとってはこれからのほうが動きやすい時間となる。

 耀哉には彼の妻であるあまねが寄り添い、彼の背に身体が冷えぬための羽織を被せていた。

 耀哉は妻に礼を述べながら、向かいに座る珠世へと穏やかに声をかける。

 

「ところで珠世さん。そのケーキの味は、いかがですか?」

 

「ええ。このような美味しい菓子、口にしたのは数百年ぶりです」

 

 ケーキに紅茶。

 決してそこまで凝ったものではない。けれど、珠世はゆっくりと、しみじみと、それを口にしている。

 

「ふふ、それは良かった。愈史郎くんと朱紗丸さんも、お口には合ったかな?」

 

「ふん。鬼殺隊の空気はいけ好かないが……ケーキは美味いな」

 

「私、こんな美味しいもの……うぐ……ぐす……初めて食べたぞ……」

 

 愈史郎と朱紗丸も、出されたケーキにかぶりついている。

 珠世の手前、二人とも出来るだけ丁寧に食べてはいるものの、どちらもフォークで人間と同じ食事をとることに未だ慣れていないのか、手元は少々ぎこちない。

 

 だが、その口元には。

 甘い菓子が食べられるということに。人間と同じものを食べられるということに。

 隠しきれない嬉しさが、滲み出ているのだった。

 

 

 

 ――なお。

 

 珠世と耀哉が初の交流を持ったこの夜。

 実は、そんな珠世たちの姿を覗き見ている者たちがいた。

 

「へぇ、あの方が珠世さんですか。従者の方々も含めてみんな『あやかし』になっているみたいですけど、素敵な女性ですね」

 

「覚えている。彼女は今もなお、鬼舞辻無惨と戦っているのだな」

 

「ケーキも美味しそうで羨ましいですね。お化けになってから、甘い物を食べられなくなったのは悲しいです。何か、甘い物を食べる方法はないでしょうかね」

 

「南蛮の菓子か。どのような味なのか私には想像もつかないが……きっと、優しい味なのであろうな」

 

 巫女服を着た幼い姿の少女は、御霊矢花枝。そしてその横で静かに現世の光景を眺めているのは、数百年も昔に生きていた侍、継国縁壱(つぎくに よりいち)。驚くことに彼こそが過去の炎柱の日記に描かれていた呼吸の始祖、その人であった。

 生来の性格か、それとも意図的に自分を律しているのかはわからないが、能面のように表情を変えず、必要最低限しか言葉にしようとしない人だった。どことなく義勇みたいだなと、花枝は内心そう思った。

 

「ねえ縁壱さん。あの方に何か伝えてみますか? 彼女も『あやかし』になっていますし、その繋がりを辿っていけば、彼女の夢枕くらいには立てると思いますよ?」

 

「いや、いい。今の私が彼女に伝えられる言葉などない」

 

「ふうん。まあ、何か伝えたい言葉があったら言ってくださいね?」

 

 花枝は、縁壱の横に立ち。彼の背中をぽんぽん、ぽんぽん、と叩きながら。

 現世に残した人々の様子を、優しく見守っているのだった。

 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――某日。蝶屋敷。

 

「炭治郎君。最近は調子が良さそうですね、健康状態も前よりも良くなっていますよ」

 

「はい、しのぶさん。なんだか、しっかり沢山寝ると、まるで夢の中で日の呼吸のコツを誰かに教えて貰っているような感じで、呼吸が楽になっていく気がするんです! 今はまだ水の呼吸の常中ですけど、ゆくゆくは日の呼吸の常中を目指したいです!」

 

「なるほど。睡眠は人が健康を維持する上でとても大切なものですから、よく眠ることが今の炭治郎君の成長に必要だったのかもしれませんね」

 

「はい! 頑張って気絶するほど修行して、ぐっすり眠ります!」

 

「……まあ、あなたがそれでいいなら、それで」

 

 この日の炭治郎は、蟲柱でもある胡蝶しのぶから健康診断のようなものを受けていた。ただの診断ならば柱であるしのぶが出るほどではないのだが、炭治郎の場合は角姫との血縁関係があり、更には日の呼吸という特殊過ぎる呼吸のこともあるため、柱であるしのぶが直接診てくれている。

 初めて出会ったときはぷりぷり怒っていたしのぶだったけれど、共に蝶屋敷で暮らしていく中で炭治郎の人柄を知ってからは、むしろ炭治郎には時折愚痴を言ってくるくらいには、彼女は信頼を持って接してくれるようになった。

 たまたま冨岡義勇と共同の指令をうけた次の日には、ものすごく長い愚痴を聞かされて、さすがの炭治郎も参ってしまったものだ。

 あと、カナヲとはどうなのかと、しきりによくわからないことを聞いてくるのも、炭治郎は不思議に思っている。

 

「ああ、炭治郎君。そういえば、なんですが……」

 

「はい?」

 

 炭治郎の診断が終わると、しのぶが一つ、思い出したかのように言葉を漏らし――言い渋る。

 

「実はですね。最近、禰豆子さんが定期的に備品の蜂蜜を舐めているようなので、炭治郎君から注意しておいて欲しいんですよ。私に言ってくれれば蜂蜜くらい買ってあげますから、備品を減らされるのは困るんですよね」

 

「え、禰豆子が? そんなことを?」

 

 それは炭治郎としても初耳だった。

 禰豆子からもそんな話は聞いた覚えがない。確かに禰豆子からたまに甘い香りが漂うことがあったけれど、てっきり、蝶屋敷の誰かからお菓子でも貰っていたのだろうと思っていたのだ。

 

「伝えておきましたから、お願いします。では、はい! お終いです! 今日も頑張ってくださいね!」

 

「あ、はい! ありがとうございました!」

 

 禰豆子がつまみ食いをするとは思えない炭治郎だけれど、かと言ってしのぶがこんなことで嘘をつくわけがない。

 炭治郎は少しだけ首を傾げながらも、禰豆子が蜂蜜を好きならば、自分のお金できちんと買ってきてあげようと。心にそう、決めるのだった。

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