まさに今は『最終選別』中の藤襲山だが、二人の目的は鬼殺隊には全く関係がない。最終選別を隠れ蓑にして、こっそりとめぼしい鬼を
外に出てしばらく周囲を散策すれば、少し離れた場所に鬼の気配を見つけた。
獣道の脇に伏せているのは、男の鬼だった。どうやら選別参加者が通るのを待ち伏せしているようだが、手鬼たちからは丸見えだ。
「巫女鬼、アイツでいいか?」
「うーん、背中の呪いがちょっと多すぎますね。たぶん人間だった頃から、あまり褒められたことはしてないと思いますよ」
「じゃあ駄目だな」
鬼なら誰でも良いというわけではない。
今でこそ口が悪く露悪的な言動の目立つ手鬼だが、彼とて人間の頃は善良な少年だったのだ。だからこそ理性が戻ってからは無駄に人を襲ったりもせず、得た力で悪事を働こうとも思わなかった。
それと同じで、トキジクの実を食べさせるならば善良な身の上の鬼を選ぶべきだというのが、二人の考えだ。
「ったく、悪人なら鬼殺隊の刀の錆になっとけってんだよ」
手鬼は複数の腕を束ねて巨大な腕を作ると、足下にあった岩を握り込み、藪に隠れた鬼に向けて思い切り投げた。
真っ直ぐに飛んで行った岩は、狙い違わず鬼の後頭部へと命中した。するとその一発だけで、隠れていた鬼は獣道にどさりと倒れこむ。鬼なのでこれで死ぬことはないだろうが、しばらくは無防備に試験参加者の前に姿を晒すことになるだろう。
ふん、と一度だけ鼻を鳴らすと、手鬼は更なる鬼を探すため、花枝を連れてその場を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
「そうそう、手鬼。最初に連れていくのは女性の鬼にしてもらっていいですか?」
「あぁ? そういうのは最初に言いやがれ。また一から探し直しじゃねえか」
しばらく山を歩き、めぼしい鬼を何体か見つけたところで花枝が唐突に条件を追加した。
花枝の後出し条件提示には手鬼もこめかみに青筋を立て、わかりやすいほどに苛立ちを露わにする。
だが、手をぎゅっと握った花枝は当然のように、手鬼を見上げてこう言った。
「だって、いま思いついたんですもん。お兄さんなら目がバッテンの鬼がいますから、お姉さんが欲しいなって」
「……チッ。しゃあねえなあ」
目がバッテンの鬼とは言うまでもなく、手鬼のことだ。ふいに「お兄さん」として扱われたことに、手鬼のこめかみに浮き出ていた青筋がすーっと消えていく。
後の世では「チョロい」と言うべき単純さだが、手鬼も花枝もそのような概念は知らない身なので、手を繋いだまま、二人仲良く兄妹のようにして鬼の蔓延る闇夜の森を歩いていった。
そうしてしばらく山を彷徨い歩いた先で、最初にそれを見つけたのは手鬼だ。
「巫女鬼、女の鬼がいたぞ。ありゃあ試験の参加者にやられたみてぇだな、結構な深手を負った鬼が隠れて身を潜めてやがる。あれでいいか?」
「え、あれって女性なんですか? な、なんか、顔に花が咲いててよくわからないんですけど」
「顔はバケモノだが、胸が膨らんでるから女だろ」
「な、なるほど」
手鬼が見つけた鬼は、どうやら最終選別の参加者から手痛い反撃を受けたようで、その身には大きな裂傷が刻まれている。
鬼がいかに不死身とはいえ、この山にいるのはせいぜいが人間を一人か二人食べただけの弱い鬼たちだ。上位の鬼のように、一瞬で怪我が回復する鬼などはほぼいない。
そして、その手負いの鬼だが、これがなかなかに特殊な風貌だった。
きちんと全体を見れば、着物の作りや体の凹凸からして、女性であることはわかる。
しかし、首から上の顔にあたる部分が植物の蔓や葉で覆われており、本来顔があるべき部分には大きな花が咲いているのだ。
鬼には、決まった姿というものはない。花枝のように人間そっくりな鬼もいれば、場合によってはかなり人間からかけ離れた外見になる鬼もいる。
そのことは花枝とて把握していたが、首から下が人間で、首から上のみが異形というその容貌には、さすがに驚きを禁じ得なかった。
だが、困惑を隠せない花枝をよそに、手鬼はやる気まんまんだ。
「よし、俺がボコボコにしてくるから、巫女鬼はここに隠れてろよ。絶対に出てくるんじゃねえぞ。いいか、勝手に動いたら次はお前をボコボコにして動けなくするからな、覚えとけ」
「なんでわたし、いきなり脅迫されているんですか?」
「テメェは脅迫するくらいでちょうどいいからだ」
「わあ。横暴」
手鬼はいつも通りのやりとりで、花枝を木々の合間のくぼみに隠れさせると、自分は意気揚々と手負いの鬼へと近づいていった。
相手が鬼殺隊でないならば、あの不思議な刀で頚を落とされる心配もない。
なので手鬼は堂々と、隠れもせずに。複数の手を束ねた巨腕をぶらぶらと揺らしながら、顔に花を咲かせた鬼の元へと近づいていく。
そして、相手が振り向くと同時に――ドゴン、と一発。無造作に、力任せに殴りつけた。
「ぎゃっ!?」
振り向きざまに巨腕に殴りつけられて、その鬼は勢いよく錐揉み回転しながら森の中を吹き飛んでいった。
いくつかの枝をへし折って、最後は木の幹に衝突し、「ぐえ」という声と共に地面に落下していく。
さすがに鬼だけあって、それだけの衝撃でも命に別状はないだろう。だが、それでも今の衝撃はかなり効いているらしく、すぐには起き上がれないようだ。
けれど、身を起こそうという意志までは消えていない。その鬼はがくがくとふらつきながらも、支えとなる木の幹を掴み、どうにか立ち上がる。
「な……なにがあったの……? お、鬼狩り……?」
「鬼狩りじゃねえよ。俺がぶん殴ったんだ」
「は……!? ア、アンタも鬼なの!? なんで?!」
鬼狩りの意表をつくため身を潜めていたところへ、横合いから説明もなしに見知らぬ鬼の巨腕で殴り飛ばされたのだから、状況を理解できるはずもない。
それでも彼女は諦めなかった。いきなり殴りつけてくる鬼が味方であるわけがないと即座に判断し、悠然と近づいてくる手鬼に向けて臨戦態勢をとる。
「くそ、くそぉ……っ! さては、共食い鬼ってやつね! こんなときに!」
顔に花が咲いた鬼は、手の先から鋭い爪を生やすと、とにかくデタラメに手鬼に向けて振り回す。
彼女は武術の経験など持ち合わせてはいないようで、その動きは素人目に見ても隙だらけだ。たとえるならば、子供が癇癪を起こして両手をぐるぐる振り回すのと大差ない代物だった。
もちろん、いくらデタラメでもそれは鬼の膂力で振り回した爪であり、普通の人間ならばそれに触れただけで命を失っていただろう。しかし残念ながら、花枝の血肉を食ってから力を増した手鬼の敵ではない。
「んな、へっぴり腰の攻撃なんざ食らうかよ」
「ふぎゃ……っ!!」
手鬼は本物の腕を組んだままで、その背から新たに生やした腕を器用に動かし、あっさりと相手の攻撃をいなしていく。
そして、胴体ががら空きになった鬼に向けて、再び巨腕による殴打をたたき込む。すると再び、相手は錐揉み回転をしながら吹き飛んでいった。
「ぐべぇっ!」
「よおく飛んだじゃねえか。フフッ、フフフフッ!」
いつもは花枝に対しては口の悪い兄貴分を演じている手鬼も、その中身はやはり遊びたい盛りの男の子である。
相手を圧倒することで高揚感が増してきたのか、見るからに活き活きとしており、とうとうなんだか不気味な笑みをこぼし始めた。花枝を守るためとはいえ、雷の呼吸の剣士から逃げ出したときと比べて、実に態度が大違いである。
「手鬼もやっぱり男の子なんですね。なんだか楽しそうです」
そして、花の顔をした女鬼がボコボコにされている様子を森の中から眺めながら。
花枝は花枝で、呑気にそんな感想を呟いているのだった。
――そして。
しばらく後。そこにはぴくりとも動かなくなった鬼の姿があった。
「よっし、巫女鬼。こいつを縛ったらもう一匹捕まえにいくか」
手鬼は最初から「ボコボコにする」とは宣言していたので、まさに有言実行とも言えるだろう。ただし、物事には限度というものがあるのだ。
相手が不死身の鬼だったからいいようなものの、これが人間だったら十回は死んでいたことだろう。なかなかに凄惨な事件現場である。
「手鬼、なんだか活き活きしてましたよね? もしかして、圧倒的に自分が強いのがうれしくて気分が高揚しちゃったんですか?」
「……い、いや、知るかよ。そんなこたぁねえよ」
植物の蔦を束ねてつくった簡易的な縄で、気絶したままの鬼の手足を縛りながら、花枝は横に立つ手鬼を見上げる。
手鬼は花枝の問いを否定しているものの、実はまったくの図星である。花枝がジッと見上げれば、手鬼は非常にばつの悪い様子でそっぽを向いた。
「一応確認しますけど、わたしたちの目的はこの鬼を隠れ里の仲間に引き込むことであって、死ぬほど痛めつけることではありませんからね?」
「わ、わかってるっつーの。仕方ねえだろ、これくらいしねえと人喰い鬼は暴れるんだよ!」
「バッテンの目が泳いでますよ?」
「だあぁっ! 見るなっ! いちいち下から覗き込むなっ!」
手鬼の言葉は、間違っているわけではない。
今はあくまで『人喰い鬼にトキジクの実を食べさせることで、鬼舞辻無惨に植え付けられた呪いを祓えるか』を調べる前段階であって、ここにいる鬼は理性のない人喰い鬼であることに間違いはないのだ。大体の場合は話など通じないし、気絶させるに越したことはない。
とはいえ。
あれだけボコボコにしておいて、はたしてこの鬼はわたしたちに心を開いてくれるのだろうか――と。
花枝は新たな心配事に、うむむと頭を悩ませるのだった。
◇ ◇ ◇
次に花枝が見つけた鬼は、老人の鬼だった。
鬼となった呪いこそ背負っているものの、おそらく生前は善人だったのだろう。明らかにほかの人喰い鬼たちよりも背負った呪いが少なく、花枝の目をもってしても「信頼できる鬼」と断言できた。
そして、今。
そんな「信頼できる鬼」の絶叫が、夜の山に響きわたっている。
「ぐわあぁぁ!! なんじゃ貴様はぁぁあ!!!」
「おらおらおら! 弱い、弱すぎるぜぇ!!」
「お、おのれぇぇ!!!」
先ほどの会話はどこへやら。やはり今回も、手鬼は相手を必要以上にボコボコにするやり方を選んだようだ。
森の中に隠れている花枝は、手鬼の様子を見て「さては、雷の呼吸の剣士の前から逃走せざるを得なかった苛立ちを、ここで発散しているのではないか」と推理していた。それもだいたい正解だ。
「手鬼は戦いになるとちょっと性格が変わるところがありますよね」
花枝は、そんな風につぶやきながら。
老人の鬼が錐揉み回転しながら森を爽快に飛んでいくところを、溜め息とともに眺めているのだった。