「輝利哉様! 無限城がまもなく地上に出ます!」
輝利哉たちのいる建屋内にも、その情報は伝わっていた。
というよりも、この場所では珠世たちと上弦の参――鳴女の顛末も見ていたために、むしろ柱たちよりもその情報は早く認識していた。
輝利哉の姉妹たちはすでに、無限城が地上へ現れた後の戦いの準備を始めている。
「場所の確認を急げ!」
「珠世殿と示し合わせた通り、産屋敷邸跡! 産屋敷邸跡地に、無限城が――現れましたっ!! 鬼たちが森へと入るのが見えます! 隊士たちも次々と……!!」
その瞬間、地上を偵察していた鎹鴉の目によって。
ここから遠く離れた産屋敷邸跡地の地面から、巨大な無限城の壁や床がせり上がり、内部にいた隊士や鬼たちが放逐される様子が確認された。
これは全て、筋書き通りである。
転移を操っていた琵琶鬼については、輝利哉たちは初めから珠世に一任するつもりだった。珠世が無事ならば珠世が、珠世がもし何かしらの事情で不在になる場合は愈史郎が、その能力を使い琵琶鬼を操り、無惨を地上に吐き出させる予定だった。
そして、その場所として予定されていたのが、周囲に巻き込まれる人々がおらず、鬼殺隊が自由に動ける場所。つまりは、産屋敷邸を中心とした土地である。
「全隊士に告ぐ! 柱およびそれに準ずる者たちは鬼舞辻無惨を討伐せよ!」
場が、あわただしく動き始める。
輝利哉の声はきっと、外で守護にあたっている二人の元柱にも聞こえているはずだ。
隣室で産屋敷耀哉、そして産屋敷あまねを看護してくれている少女たちにも聞こえているはずだ。
「下位の隊士たちは地上に上がり次第、鎹鴉たちに従い森へと入って残党の鬼を討伐せよ! 眠る鬼、逃げる鬼がいたら無視して構わない! 人を襲う鬼だけは、何があろうとここで討伐せよ!!」
産屋敷邸の周囲は深い森である。
すでに地上に待機していた鎹鴉たちが戦場を上空から監視し、包囲網を作っている。
「そして隠は『トキジク』を備え、医療班と連携せよ! 必ず、皆で生きるために、希望を捨てずに戦ってくれ!」
地上に残されていた隠はすでに産屋敷邸跡地で待機している。
それだけではない。今もなお、各地に散っていた隠たちが集まりつつある。彼らもまた鬼殺隊だ。
「この千余年、この国を呪ってきた夜を――いま、私たちが、終わらせる!!」
戦う力がある者も、ない者も。全員がこの夜のため、その人生を捧げてきた。その命を懸けてきた。
この夜、この時。
この運命の夜を乗り越えるために、全ての勇士たちによる、最後の幕が上がろうとしていた。
◆ ◆ ◆
すでに雪の止んだ闇空の下。
未だ所々に炎の燻る産屋敷邸跡地にて、鬼舞辻無惨は何体もの血結晶ノ御子を従え、居並ぶ柱たちと向かい合っていた。
「なるほどな。さては鳴女め、謀られたか。珠世の考えそうなことだ」
柱が戦っている裏で、鳴女の視界に入らずに鬼を殺せる存在などそう多くはない。
あの時、無限城のどこかにいたはずの珠世が鳴女を討伐したのだと、無惨にもすぐに予想できた。
とはいえ、無惨としてはそこに大した動揺はない。便利な足をひとつ失った、それだけだ。太陽を克服した今となっては、鳴女の運命など些細なことである。
今、無限城から放逐されて。一時的に柱たちと無惨との間合いが開き、両陣営は睨み合いとなっている。
剣士たちの吐く息が冷たい空気に晒されて白く染まっていく。
無惨に挑む柱たちは、全員が全員、血に濡れている。
決戦前に『トキジク』を限界まで使用し不死性を得ていなければ、恐らくは半数以上はもう、命を失っていただろう。
だが、不死性を得たこの夜だけは、彼らはまだ戦える。
柱たちの中から、一人。
炎の羽織を纏った炎柱、煉獄杏寿郎が一歩、前へと出る。
「鬼舞辻無惨、改めて宣言しよう。貴様がたとえ不死身だろうと、太陽を克服しようと、我々は今宵、貴様を討つ」
そして杏寿郎の横に並ぶのは、杏寿郎と同じく、すでに人間ではなくなった鬼殺隊士――
「全てを恐れ、逃げ続ける暮らしもそろそろ終わりだぜ、無惨。さっさと地獄に墜ちて、貴様が罪を擦り付けてきた鬼どもに謝罪しな」
二人の『あやかし』。
彼らがじりじりと、鬼舞辻無惨との間合いを狭めていく。
地上での戦いは、彼らの戦闘開始と同時に動きだすのだと、この場の全員が剣士として理解していた。
「くく、しょせんは
無惨が手を挙げると、周囲に待機していた血結晶ノ御子たちが、一斉に動き始める。
いや――その形状を、それぞれが変えていく。
「薬だ浄化だと、実に弱者の理論だ。そのようなものは貴様らを滅ぼしてからゆるりと解析し、私の糧にしてしまえばいいだけのことだ」
血結晶たちは、それぞれが異なる形態へと進化し始めた。
「太陽を克服した私が、いったい何を恐れることがある。私はもう、永遠の夜に別れを告げたのだ!」
血結晶たちの新たな姿。
それは、両手に鋭い鎌を持っているもの。長い布のようなものをはためかせるもの。羽根を生やしたもの。その背に雷神のような太鼓を背負ったもの。ひれのついた手で壺を持ったもの。武器を持たずに構えるもの。そして、七支刀のような巨大な刀を構えたもの。
柱たちには、それぞれの姿に見覚えがあるものもいた。
そして。この場には、その半数以上を知る隊士もいた。
「あ、あれは……上弦です! 上弦の鬼たちの複製です!」
炭治郎がそう叫ぶと同時に、死した上弦を模した血結晶たちが動き出し、鬼殺隊もまた、倒すべき敵へと向けてその刃を振るい始めた。
◇ ◇ ◇
「チっ、ド派手に懐かしいぜ! またこの血鎌に囲まれるとはなァッ!」
いくつもの飛び血鎌が広範囲に飛び交い、多くの隊士たちを巻き込んでいく。
宇髄天元が鎌を構えた血結晶に飛びかかり、飛び血鎌を封じにかかる。
「一般隊士は離れろ! この結晶人形も俺たちがやる、お前たちは森に逃げた鬼たちを倒せ!」
錆兎が叫びながら、『凪』で飛び交う血鬼術を消し去り、壺を持つ血結晶の首を狙う。
だが、すぐ横から血色の帯が錆兎を狙い、回避を余儀なくされる。
「皆の者! 能力を知る人形を叩け! 残ったものが鬼舞辻無惨を!」
「甘露寺、何があろうと……決して俺から、離れるな!」
「う……うんっ! 伊黒さん!」
行冥が鉄球を振るい、巨大な刀を持つ血結晶を相手取る。
どうやら過去の上弦たちの能力を模してはいるものの、血結晶そのものには再生能力があるわけではないらしい。一度粉砕してしまえば、そこから再生することはない。
だが、無惨が手をかざしその血を周囲に振りまくことで、新たな血結晶が次々に生まれ始める。新たな血結晶は上弦だけではなく、これまでの時代に生まれてきた様々な鬼の能力を付与されている。
それはもはや、個でありながら、群であった。
鬼舞辻無惨という個体は、群としての能力を得てしまった。
「なるほど。初めからこうすればよかったわけか。わざわざ無能な鬼など増やす必要はなかったのだな」
無惨がそう呟くと同時に。
背に太鼓を背負った血結晶が、ドン、と太鼓を叩き。地面と森の境目から、巨大な樹木の多頭竜を生み出した。
それはまさに、阿鼻叫喚と言うべき状況だ。もはや、敵は鬼舞辻無惨一人ではなくなっていた。
森に逃げた鬼と戦っていた一般隊士たちが、否応なく血結晶の攻撃に巻き込まれていく。
「す、すぐに応急処置をしますから! 医療班へ、早く!」
「逃げて、早く! 陸ノ型・渦桃」
「ぬおぉああァァ!!! 狂い裂きぃぃぃい!!!」
「シィイィィィィ……火雷神!!」
アオイが怪我人を引きずり現場から引き剥がし、カナヲと伊之助が医療班を守り続ける。
糸のようなもので隊士たちを絡め取ろうとしていた血結晶を、神速となった善逸が一閃のうちに破壊する。
戦いの混乱は広がり続けていた。
そして、そこに『変化』を感じ取るものもまた、現れ始めていた。
「兄ちゃん、兄ちゃん! 何か、何かがくる……!!」
「玄弥ァ、安心しろォ! お前は何があろうが俺から離れるんじゃねえぞ! 何があろうとなァ!!」
徒手空拳の血結晶と戦う実弥に向けて、援護射撃をしていた玄弥が何かを訴えている。
「違うんだよ兄ちゃん! すごい、すごい暖かい力が集まってるのが見えるんだよ! まるで、まるで……太陽みたいな……!」
「あァ?」
弟の訴えに、実弥は少しだけ思考を割くけれど。
しかし、すぐに目の前の血結晶による拳と蹴りの乱打に、その思考は押し流されていく。
◇ ◇ ◇
「愈史郎。あなたは鬼殺隊の援護のために、そのまま力を振るい続けてください」
戦いの中心が覗ける森の入り口で、珠世と愈史郎は静かに、戦況を見守っていた。
この戦いはもう、鬼殺隊が鬼舞辻無惨を倒せるかどうかにかかっている。その中で、産屋敷輝利哉と鎹鴉たちをつなぐ愈史郎の血鬼術は、一つの命綱だった。
「珠世様は、珠世様はどうなさるんですか! 朱紗丸の馬鹿が勝手に鬼舞辻無惨に挑んでいる今、あなたを守れるのは俺だけです!」
「……私は……」
珠世は、拳を強く握りしめる。鬼舞辻無惨への憎しみが、彼女の心を覆い尽くす。
だが、彼女の血鬼術は精神に影響する能力だ。血結晶ノ御子に対し、珠世は有効な術を持たない。
それに。
「愈史郎。私ではもう、あの戦いでは役に立てることはありません。ですが――」
彼女の視線の先。
そこでは、鬼たちと戦い、あるいは血結晶の襲撃を受け、致命傷を負った下位の隊士らの姿がある。
彼らは理解している。医療班の手は明らかに足りていない。そして、限られた薬を使うべきは、戦いの役に立たぬ自分たちではないのだ、と。
だからこそ彼らは助けを求めることもせず、黙ってその運命を受け入れ、柱たちの戦いを見守っていた。
「私は医者です。人々の命を救うことが、私の生業です」
そう愈史郎に告げると、珠世は歩き出した。
復讐の鬼ではなく、人を救う医者として、人間として。
命を救うという己の道を、選び取った。
◇ ◇ ◇
「鬼舞辻! 部下の技を使うとは、変わったのう!!」
乱戦状態となった戦場でも、鬼舞辻無惨の周囲には未だ何人もの戦力が集い、無惨に挑み続けている。
そんな中で、無惨に声をかけたのは朱紗丸だ。直前まで、手から矢印を放つ血結晶と戦っていた朱紗丸は、そのまま幾つもの鞠の砲弾を無惨へと投げつける。
「朱紗丸か、ぬけぬけと私の前によくもその顔を出せたものだ」
無惨はその巨大な顎となった腕を振るい、飛来する鞠の数々を軽々と叩き落とす。
「無様だな、朱紗丸。愚かな人間が何をしようが、もう私に勝つ術などないというのに。貴様は付くべき主を間違えた」
「はて、そうじゃろうか?」
「なに?」
「人々が神に願う祈りや想い。どうやら、トキジクの実であやかしに至った私には今、それらが見えているようだ。キャハハ! まるで太陽じゃ! 貴様には見えないであろう、この太陽が! のう鬼舞辻ィ!」
「何を言うかと思えば、意味のわからぬことを。神などいないし、ましてや祈りが太陽になどなりはしない。実際に、貴様らは見ての通り、この私の生み出した血結晶の相手で手いっぱいではないか」
無惨はそう語ると、己の腹部に巨大な顎を作りだし。
その顎を大きく開く。
「貴様は消えろ、朱紗丸!!」
「うぎゃっ!!」
そこから、周囲を破壊する巨大な衝撃波を発生させた。目の前にいた朱紗丸も当然その衝撃にさらされ、血飛沫とともに大きく吹き飛ばされる。
周囲の瓦礫が粉砕され、一定範囲内にいた隊士や柱たちもまた、その衝撃波をもろに浴びて吹き飛んでいく。
だが、そこには衝撃波に耐えきった者たちもいる。
「……鬼舞辻無惨。残念だったな、時間切れだ。テメェはもう負けだぜ」
身体をずたずたに切り裂かれてもまだ、獪岳は無惨へと牙をむく。
「ああ。どうやら俺たちに見えているものが、鬼舞辻無惨には見えていないようだ」
杏寿郎もまた、その羽織を真っ赤に染めて、その顔を赤い血でべっとりと濡らしながらも。まっすぐに無惨へと刃を向けている。
そして。
「無惨。お前の永遠はここで、終わるんだ。お前にはもう、朝はこない」
竈門炭治郎が、日の呼吸の音を奏でていた。
その佇まいは無惨の記憶を逆なでするような、悍ましい侍の姿と重なった。まるで、炭治郎があの侍と共にいるような、そんな錯覚すら覚える。
そしてその横には。
彼ら三人に守られるように立つ、竈門禰豆子の姿があった。
「しつこい。貴様らが何に縋っているのかは知らんが、状況を見れば理解できることだろう? もはや、貴様らは詰んでいる。終わるのは貴様らだ」
けれど、この夜。
無惨は心に留めてすらいなかったのだ。
古代において、巫女とは『その身に神を降ろす』存在だったということを。
そして無惨は、知らなかったのだ。
竈門禰豆子の身体に流れる血には、間違いなく。
御霊矢の巫女の血が流れているという、その事実を。