――同時刻。
とある藤の家紋の屋敷。
「……今頃、あの子たちは皆、戦っとるのですね」
この家に住む老婆は、過去に鬼たちに愛する家族を殺された。
それ以降、彼女は家に藤の家紋を掲げ、自分のような悲しい想いをする人々を減らすため、鬼殺隊の者たちを数多く受け入れてきた。
そんな彼女にとって、この屋敷で迎えてきた大勢の若者たちは、自分の子供や孫のようなものだった。
この夜。
宿泊していた隊士のもとに、最終決戦の知らせを告げる鎹鴉がやってきた。
彼は老婆に最後の挨拶だけを残し、夜の闇へと駆けていった。
「どうか……どうか、あの子たちを護ってやってくだされ……」
老婆の脳裏には、何十年ものあいだ見つめ続けてきた隊士たちの姿が蘇る。
色々な隊士たちがいた。明るい隊士も、物静かな隊士も、荒々しい隊士も、心優しい隊士も。
きっともう、その大半が生きてはいないのだろう。それでも彼女は涙を流しながら、ただ、ただ。
彼らの無事を願い、ひとつの像へと手を合わせて祈り続けた。
それは、悪鬼から鬼殺隊を守護してくれるという、角の生えた巫女を象った小さな木彫りの像だ。
これは明治時代のいつか、この屋敷に宿泊していった隊士が、これを『人々を鬼から守ってくれる像』だと言い、この屋敷に置いていったものだ。
小さな、それこそ両手で包み込めそうな置物だ。その小さな巫女像の名前もわからない。
けれど、彼女はそれ以降。
鬼殺隊の若者たちの無事を、毎日、毎日。
この小さな像へと、ずっと、祈り続けてきた。
◆ ◆ ◆
――同時刻。
とある隠された山里にて。
「炭治郎さん、禰豆子さん、みなさん……」
里の広間には、多くの男女が集まっている。
住民たちのつけたひょっとこの面が篝火に照らされ、ゆらゆらと影を作っている。
ここにいるのは鬼殺隊の刀鍛冶と、その一族である。
この土地には刀鍛冶の一族が移り住んでいた。彼らは鬼舞辻無惨に場所を知られたこれまでの土地を離れ、秋から冬にかけ、新たな山里で再び刀鍛冶としての生活を始めていた。
これは、その矢先の出来事だった。
鬼舞辻無惨の襲撃。
全隊士が集結しての、最終決戦。
今は住民全員が村の広間に集まり、鎹鴉からの報告を待っている。
すでに、刀を打つ彼らの役目は終わり、今はただ、自分たちの打った刀が彼らの命を守り通してくれることを、祈り続けることしかできなかった。
いや、中にはひたすらに刀を研ぎ続けている者もいるけれど、しかし残念ながら、その刃が今宵の決戦で振るわれることはない。
「どうか、我々の作り出した刀が、彼らの力になりますように」
ひょっとこ面の男が、篝火の横に置かれた立派な木像に祈りを捧げている。
角姫像。それは新たな里に移住するにあたり、
鬼を遠ざけ、人々を守り続けるあやかしの姫。その存在は、刀鍛冶の里にも明治時代の後期から伝えられていた。
「どうか、どうか、あやかしの姫様。彼らを……彼らを、お守り下さい」
ひょっとこ面の男は、ただ縋るように、角姫像へと手を合わせ続けていた。
その祈りの声は、篝火の音とともに、静かな夜へと消えていく。
◆ ◆ ◆
――同時刻。
産屋敷邸跡地の周囲の森には、様々な叫び声と、そして血の臭いが漂っていた。
国中から集められた鬼が、無限城の崩壊とともにこの森へと逃げ出した。
更にその上、鬼舞辻無惨の作り出した血結晶ノ御子が、森にいる鬼殺隊士へと向けて無差別に攻撃を放ち続けている。
無限城の崩壊とともにこの地に放り出された神崎アオイもまた、恐怖を乗り越え、己の戦場で戦っていた。
「ううぅ、痛ぇよお、くそ、くそお……!」
「気をしっかり、大丈夫ですから! すぐに止血しますから! 生きて皆の元に戻ればまだ『トキジク』があります! あやかしの力が、きっと皆さんを救ってくれますから!」
鬼の攻撃に巻き込まれ、大怪我をした隊士をどうにか安全圏へと引きずり出したアオイが、隊士へ応急処置を施しながら必死に声をかける。
残念ながら、呪いを浄化し、人に再生の力を与える『トキジク』は誰もが大量に持ち歩いているわけではない。すでにアオイの手持ち分は使い切っており、他の医療班たちと合流せねば、この隊士を救う薬を打ち込むことすらできない。
だからこそ、アオイが今まで学んできた蝶屋敷での知識が、この局面で隊士を延命することもある。今、この場で適切な処置を施せるかどうか。それが、彼の命を左右する。
彼を追い詰めていた鬼たちは、無限城からずっとアオイを守ってくれていた嘴平伊之助と、蝶屋敷で共に過ごしてきたカナヲが戦ってくれている。
だからアオイは彼らを信じ、人命救助という自分の戦いに集中することができた。
「ああ、でも俺、きっと駄目なんだ……」
包帯を巻くアオイを見上げながら、隊士は弱気な声を上げる。
「俺……ずっと、あやかしって、疑ってたから……きっと、俺のことは、助けてくれない……」
一般隊士の中には、この最終決戦が近づくまで『あやかし』を知らないものも多かった。そして、その力を利用した薬を貰ってもなお、それを疑い、忌避するものも多かった。
それも仕方ないことではある。大半の隊士にしてみれば『鬼』と『あやかし』の違いなどわからないのだ。
けれど、彼は今、死を前にしてそれを後悔し、泣いている。
そんな弱気な隊士を、アオイは涙目で一喝する。
「大丈夫ですっ! そんなことはありませんっ!
「……そう、だな。ありがとう……ありがとう……」
そう叫ぶと、アオイは己の看護服が血で汚れることも厭わずに。
止血を終えた彼を背負い、仲間の元へと、暗い森を駆けていった。
◆ ◆ ◆
――同時刻。
「カナエ様! 耀哉様とあまね様の容体が!」
「どうしましょう、苦しそうにうめいて、痙攣してて……」
「でも、これ以上は何も出来ることがないんですよぉ……!」
中原すみ、寺内きよ、高田なほの三人の少女。彼女らは鬼殺隊の隊士でも、隠でもない、普通の少女たちである。
けれどこの夜。彼女らもまた『蝶屋敷』の一員として、仲間として。とても重大な役目を担っていた。
彼女らに託された役目。それは産屋敷耀哉、そして産屋敷あまね、この二人の重傷患者の看病である。
初めはひどいものだった。身体の半分以上が吹き飛び、焼けただれ、もはや生きているはずのない姿だった。普通の少女たちならば、それを見て卒倒してしまってもおかしくはない状態だった。
けれど、彼女ら三人は今までもずっと、鬼の呪いや毒によって、それこそ人の尊厳を失うほどの姿となった者たちをも看護し続けてきたのだ。
だからこそ、カナエの指示に従い、気を強く持ってここまで手伝ってこられた。
それでも。そんな彼女らにもどうにもならないことはある。
「どうしましょう、カナエ様ぁ……」
「三人とも、落ち着いてください。大丈夫ですから、きっとお館様は、無事に目を覚ましてくださいますから」
そして、どうにもならないことがあるのは、彼女らに頼られている胡蝶カナエにも言えることだ。口では三人の少女たちを励ましながらも、しかしカナエ自身も、すでにできることは何もない。
できうる限りの処置を施した。火傷にはありったけの軟膏や薬を塗り、裂傷は縫い合わせ、包帯を巻き、二人のために交換した手ぬぐいはもう何枚になるかもわからない。
それでもあとはもう、彼らが得たはずの『不死性』に頼らざるを得ない状況だった。
耀哉とあまねのために、カナエがとれる手立てはない。
いや、それどころか。万一この薬の効果が暴走し、耀哉が理性を失うようなことがあれば――そのときは、カナエが日輪刀を振るうしかない。
そんな、絶望的な考えがカナエの頭をよぎったとき。
ふと。ここは室内だというのに、白百合の香りがそよ風にのって漂い始めた。
それと同時に、カナエの耳元で声が聞こえる。
『大丈夫ですよ、カナエ』
カナエが異変に気づき顔を上げたときには、もう。
景色は変わり、そこは白百合の咲き乱れる花畑になっていた。
目の前にいたはずの少女たちはおらず、それどころか、そこに横たわっているはずの耀哉とあまねの姿も消えている。
けれど、そこにいたのは自分だけではない。
背後を振り返ると、隣室で鬼殺隊に指示を送っていたはずの産屋敷輝利哉が驚きの表情で顔をあげている。
視線を横に逸らせば、呆然として立ち上がる鱗滝左近次と煉獄槇寿郎の姿がある。
これは間違いなく『血鬼術』によるものだ。
しかし、誰一人として、これが無惨の手の鬼によるものだとは考えなかった。
なぜならば、カナエのすぐ近くに、一人の少女の姿があったからだ。
『驚かせてすみません。今は皆さんに少しだけ、短い夢を見てもらっています』
七歳ほどの背丈の、巫女服を着た少女。
◇ ◇ ◇
カナエは唇を震わせ、そっとその手を花枝へと伸ばす。
あの日、カナエが鎹鴉からの報告を聞いたときには、もう、全てが終わっていた。
肺の傷で全集中も使えなくなった自分に代わり、妹のしのぶが藤襲山へと駆け出てくれたけれど、しのぶが到着したとき、とうに花枝たちは――この世界から消えていた。
あれから、ずっと、ずっと。
カナエの心には、様々な想いが蓄積し、埋もれていた。
『カナエ、あなたにあの日、トキジクを与えて正解でした』
「巫女鬼様。私、私は……何も、何も……できず……」
『いいえ。この夜に一番多くの隊士を救っているのは、あの日のカナエですよ』
カナエの腕の中で、花枝が優しく囁くように告げる。
夢の中だと言っていたけれど、カナエの腕の中には間違いなく、花枝の温もりがあった。
この少女がもう、この世に存在しないだなんて、思いたくはなかった。
けれど、花枝はぽんぽんとカナエの背中を叩きながら、言葉を続ける。
『三途の川のほとりで、百合鬼があなたのことをしきりに心配していました。彼女はあなたとしのぶを、勝手に自分の子孫だと考えているらしいですよ』
「百合鬼……さん……」
『だから、わたしは百合鬼に「カナエはとても元気でしたから、心配の必要はないですよ」って伝えたいんです』
「はい……」
花枝はカナエの頬に手をあてて、零れ落ちる涙を拭う。
『元気を出して。笑ってください。カナエ』
「はい……っ」
百合鬼に、安心してもらうために。カナエは元気だと、笑顔を忘れていないと、伝えてもらうために。
カナエは、溢れる想いを抱きしめながら。花枝に、優しい笑顔を向けてみせた。
カナエとの抱擁を終えると、花枝は続いて近くにいた槇寿郎の下へととことこと歩み寄る。
槇寿郎はカナエと花枝のやりとりを離れて眺めており、視線が合うとその目を細め、明治時代にずっと見てきた、変わらぬ笑顔を見せてくれた。
『槇寿郎。ごめんなさい。わたしたち、うっかり先に死んじゃいました』
「全くだ。俺とあれだけ修行をしたというのに、たかだか上弦一体に敗北するとは、情けないことこの上ないぞ」
『その台詞はまるまる手鬼に伝えておきますね』
何十年もの付き合いだ。
開口一番そんな冗談を口にして、花枝と槇寿郎は二人してクスクスと笑い合う。
「杏寿郎から聞いた。お前はずっと、夢のなかであいつを鍛えてくれていたそうじゃないか、花枝」
『はい。でも……本当は槇寿郎にも会いたかったんですよ? あなたはわたしにとっては弟なんですから。薬の実験とはいえ、身体も、こんなにボロボロになるまで無理をして……』
花枝は、槇寿郎の全身を見る。
「気にするな。これこそが、俺にしかできない戦いだったのだ。その甲斐もあり、今頃多くの隊士たちがあの薬に命を救われているのだから、本望だ」
『そうは言っても、槇寿郎は一人で色々背負い込みすぎるところがありますから、わたしは心配なんですよ』
花枝はもう一度、槇寿郎の顔を見上げる。
あの日、少年だった槇寿郎はもう、立派な大人になっている。
『ねえ槇寿郎。あなたはちゃんと、平和になったこの世界を楽しんで下さいね。そしていつか、あちらの世界で聞かせてください』
「勿論だ。そうだな、千寿郎にちょうどいい嫁候補も見つかったことだし、孫やひ孫の自慢話をしてやろう。お前にも、瑠火にもな」
『わあ、それは楽しみですね』
「だがそれより……ほら、お前は俺よりも、きちんと言葉を交わすべき相手がいるだろう」
そう言うと、槇寿郎は花枝の小さな肩にぽふっと手を置いて。
その肩を押し、ずっと黙ってそこにいてくれた『天狗』の下へと、向かわせた。
赤い天狗面の前に立つ。
天狗の顔は江戸時代のあの日と変わっていないけれど、そこから見える肌は皺だらけになり、髪は真っ白だ。
『鱗滝さま』
「花枝……」
花枝も、鱗滝も。互いの名前を確認するように呼び合った。
『再会まで、随分とかかっちゃいましたね。それに残念ながら、今日は一緒に食べるお団子もなさそうです』
「花枝。儂は、儂は……」
――もし、わたしが危ない目にあっていたら、鱗滝さまは助けに来てくださいますか?
――ああ、もちろんだ。約束しよう。
鱗滝の心には、ずっとあの日の約束が棘のように刺さっていた。
あれからも、水柱として多くの鬼と戦ってきた。多くの弟子達を育ててきた。きっと、鱗滝が救ってきた命は数知れない。
それでも鱗滝は、花枝を助けることだけは、できなかったのだ。一度ならず、二度までも。
けれど、花枝はぽんぽんと鱗滝の背中をはたく。
慶応四年の、あの日々のように。
『鱗滝さまは、あの時から全然変わっていませんね。あなたはずっと、ずーっと、皆を守ってくださいました』
「儂は、君との約束を守れなかった。あの日、一番近くにいた柱だというのに、約束をしたというのに」
『ううん。鱗滝さまは、わたしの大切な莢子お姉様を守ってくれました。炭治郎と禰豆子を守り、戦う力を授けてくれました。鱗滝さまがいなければ、あの子たちはこの世に存在しなかったでしょう』
花枝はぎゅうっと、鱗滝を抱きしめる。
あの日と比べて随分と細くなってしまった鱗滝の温もりを感じながら、五十年以上も伝えられなかった言葉を、ようやく伝える。
『だから、いいんですよ。わたしはたっぷり助けてもらったんです。ありがとうございました、鱗滝さま』
「……そうか。花枝は儂を許してくれるのか」
『はい。でも、たくさん頑張ったから、久しぶりに褒めてほしいです』
「ああ。花枝は、頑張った。ずっと、ずっとな」
鱗滝は花枝の頭を優しく撫でる。
まだ花枝が人間だった頃、慶応四年の日々の中で、花枝は鱗滝に色々な話を聞かせていた。神社での修行のこと、勉強のこと、家族のこと、日々の生活のこと。
その中で、若かりし日の鱗滝が花枝の頭を撫でて褒めることがあった。
今も、昔も。不器用で、それでも優しさに溢れた彼の手は、花枝にとても多くのものを与えてくれる。
『えへへ、やっぱり鱗滝さまに撫でてもらうのが、一番嬉しいですね。槇寿郎みたいに荒っぽくないですし』
横では話を聞いていた槇寿郎が何か文句を言っているが、花枝は気にしないで鱗滝の懐に顔を埋めるのであった。
夢の中は時間の経過が曖昧だ。
花枝はここでカナエ、槇寿郎、鱗滝の三人と長々と話していたはずだけれど、輝利哉にとってそれはたった数秒の出来事のようだった。
いや、きっとこれは、現実世界では本当にたった数秒の出来事なのだろうなと、聡明な輝利哉はすぐに理解する。
『小さな産屋敷。あなたの名前は?』
「産屋敷家九十八代当主、輝利哉と申します。花枝さま」
『わあ、小さいのにしっかり者』
「勿体ないお言葉です」
輝利哉は目線の高さがほぼ変わらぬ花枝に深々と頭をさげる。
過去に一度、花枝が柱合会議の場にやってきたとき、互いに姿を見たことはある。
けれど、こうして会話を交わすのは初めてのことだった。
『本当は、あなたのお父上の耀哉にはあれこれ言いたいことがあったのですが、まだ寝ているみたいですね』
「花枝様。父はいま……生死の境を彷徨っているのです。鬼舞辻無惨をおびき寄せ、致命的な隙を作るために……父は……」
花枝を前にして、輝利哉はいま当主ではなく、産屋敷耀哉の息子としての自分をさらけ出していた。
どれだけ気丈に振る舞っても、どれほど聡明な子供だとしても、彼がまだ子供であることには変わりないのだ。
見た目は幼い子供の姿でありながら、自身よりずっと長い年月を生きてきた花枝の前では、輝利哉はそんな自分を見せることができた。
が、輝利哉のそんな深く重い心境とは裏腹に、花枝は「ああ」と一言。思い出したかのように言う。
『それなら大丈夫です。耀哉もあまねも、なんだか滅茶苦茶になっていた力の流れを調整しておきましたから、今は寝てるだけですよ』
「え……? そ、そうなのですか? な……なら、父は、母は……」
『はい。峠は越えていますよ。あなたもよく耐えましたね、えらいです、すごいです』
「あ、ああ……父上、母上……良かった、良かった……」
花枝は優しく、輝利哉を抱きしめる。
いつの日か、幼い小芭内を慰めた日のように。泣くことが出来なかった炭治郎を泣かせてあげた日のように。
輝利哉もまた、花枝からみれば鬼殺隊当主である前に、まだまだ幼い子供なのだから。
――そして。
一通り、この場にいる全員と挨拶を交わした花枝はようやく、本題に入る。
いや、本題と言ってもそれ自体は大したことはない。
それは、ただの連絡である。
『では、改めて。産屋敷家当主、輝利哉に伝えておきますね』
花枝は今度はしっかりと、当主としての輝利哉に視線を合わせる。
そして、口元に悪戯っぽく笑みを浮かべながら、言葉を紡ぐ。
『鬼舞辻無惨は、わたしたちがボコボコにしてあげます。なので、後のことは、あなた方にお任せしますね』
花枝が最後にそう伝えると、世界は白く染まっていった。
百合の香りに包まれた幻覚は終わり、ここに呼ばれた彼らは現実へと戻される。
心の中に、小さな巫女の笑顔の記憶を残しながら。
◆ ◆ ◆
――そして、戦場にて。
(禰豆子、今からしばらくあなたの身体を借りますが、負担とかはありませんか?)
(うん、大叔母様。私は御霊矢の血を引いた巫女だから、大丈夫! どーんと使っちゃってね!)
(わあ。頼もしい)
竈門禰豆子は、心の中で言葉を交わす。
この数ヶ月の間、花枝は何度か『憑依』というかたちで、禰豆子の身体を借りていた。
それは決して蜂蜜をつまみ食いするためではない。御霊矢の血を引く禰豆子の身体に『降りる』ための、予行演習を兼ねていたのだ。
それは当初、禰豆子が寝ているときにしか行えなかった。
次に、禰豆子が起きている時間にも憑依できるようにはなったけれど、一方的に禰豆子の意識を眠らせてしまうものだった。
そして今。鬼舞辻無惨を前にして。
花枝と禰豆子の意思が繫がり、共鳴し合い。
ここに、『神降ろし』が成った。
「炭治郎はヒノカミ神楽を。きっと、あなたならば縁壱さんと共に戦えます」
「はい、大叔母様! 縁壱さんもよろしくお願いします!」
花枝にはしっかりと、炭治郎に寄り添う縁壱の姿が見えている。
生憎、縁壱と炭治郎の間に血縁関係はなく、無一郎のときのように身体を完全に借りることは難しい。けれど、それでも花枝の血を引く炭治郎ならば縁壱の魂を受け入れられるはずだと、花枝は確信している。
炭治郎もまた、自分の傍らに誰がいるのかをしっかりと理解しており、その返答に迷いはない。
そして次に、共に立ち並ぶ『あやかし』たちにも声をかける。
「では杏寿郎、獪岳。今から炭治郎たちが鬼舞辻無惨をとにかくボコボコにしますから、二人は炭治郎とわたしを守ってくださいね」
「もちろんです、叔母上」
「ああ。任せとけ、角姫」
二人の返事にうんうんと頷くと、花枝は訝しむようにこちらを睨み付けている鬼の王――鬼舞辻無惨に向けて。
実に不敵に、笑いかけた。
その背に、まるで太陽の如く輝く、数多の祈りの力を背負いながら。