――死後の世界の入り口にて。
「あのときは本当にありがとうございました!」
鬼舞辻無惨を『隠れ里』に閉じこめ、鬼殺隊に勝利を届けた
なにがなんだかわからずきょとんとする花枝の前では、隊士たちが花枝に深々と頭を下げている。
「お陰で俺たち、こんなに元気になりました」
「あやかしの皆さんから角姫様のお話は聞いております!」
隊士と言っても、彼らの服装は微妙にバラバラだ。
現世でも見慣れた隊服の者。明治時代の、今となっては少し古い作りの隊服姿の者。あるいは、鬼殺隊の隊服が詰め襟姿になる前の、黒い着物姿をした者も混ざっている。
彼らが言うには、ちょうど何人かで森の中を散策していたところ、戻ってきた花枝たちの姿を見つけて駆けつけたのだそうだ。
そして花枝もまた、彼らのその姿を見て、一つ思い出したことがあった。
「あの、皆さんってもしかして、成仏できずに鬼殺隊の墓地にいた方々ですか?」
「そうです! 俺たちみんなこの場所に来て、今は河原で、あやかしの皆さんと過ごしてるんですよ!」
「あのとき助けていただいたみんな、ここで元気にしてますよ!」
死んでいる身で元気もなにもないと花枝は思ったが、それを言ったら自分たちも同様なので口をつぐむ。
それよりも花枝が気になったのは『みんな』という表現だ。
「聞いていいですか? もしかして誰一人として、きちんと成仏してないんですか?」
「ん? まあ……そういうことですね!」
「わあ」
「なんと……もはや……」
鬼殺隊の墓地にて、花枝と縁壱は幾人もの隊士の魂を浄化し、見送ったことがある。
てっきり彼らはそのまま極楽にでも旅立ったものだとばかり思っていた花枝だが、残念ながら彼らは旅立ってなどいなかった。
手鬼たちと同じく河原にたどり着き、何がどうしてそうなったのか、そこで一緒に生活を始めていた。
色々とつっこみたい部分はあるけれど、なんにしても。
あの日の霊たちが誰一人として成仏していなかったという事実に、花枝はもとより、黙ってことの成り行きを見守っていた縁壱までもが唖然とし、言葉を失ってしまうのだった。
◇ ◇ ◇
「あー! 巫女鬼様ー! 待ってましたよ、お帰りなさい!!」
「よお巫女鬼、ずいぶん遅かったじゃねえか。それに……そっちの無愛想な侍が縁壱か?」
隊士たちと共に川のふもとへと戻ってきた花枝を真っ先に出迎えてくれたのは、百合鬼と手鬼の二人である。
数ヶ月ぶりとなるけれど、二人とも何も変わった様子はなく、百合鬼はいつも通り元気に左目から百合の花を咲かせており、手鬼は相変わらずバッテンの瞳で、首に何本かの腕を巻いている。
「ただいま帰りましたよ、百合鬼、手鬼。こちらも色々とお土産話がありますし、あと縁壱さんを皆に紹介したいんですけど……」
花枝の横には縁壱が付き添っている。
普通に考えれば、まずはここで縁壱を紹介すべきなのだろうが、花枝としては、それより先に聞きたいことがいっぱいだった。
「その前に、ここってどこですか?」
「アァ? 巫女鬼、テメェ現世でボケちまったか? 前にも一度ここに集まっただろうがよ」
「いえ、でもですよ? ここって本当に前と同じ場所なんですか? なんか、わたしがいない間に村が出来てますよ? ぜんぜん風景が違ってて、びっくりなんですけど」
「アァ? びっくりも徳利もねェぞオイ。テメェらが突然大量の隊士たちを送り込みやがったんだろうが! 全員分の寝床を作るのに俺らがどんだけ苦労したと思ってやがる!」
「え、えー?」
手鬼を問いただしたら、逆に何故だか花枝のほうが怒られてしまった。
花枝はぽかんとした顔で、つい。
横に立つ縁壱と、顔を見合わせてしまうのだった。
◇ ◇ ◇
「――てなわけで、拠点を作ってたらこうなったってわけだぜ」
花枝と縁壱が案内されたのは、皆から『集会所』と呼ばれていた家の中である。
家とは行っても、そこには加工された板材すら使われていない、いわゆる原始的な『丸太小屋』だ。
この世界は土地だけは見通せないほどに広いので、色々足りていない中でも、唯一木材だけは事欠かないようだ。
なお当然ながら扉などというものはないので、出入り口はぽっかりと開きっぱなしである。
そんな部屋で、干し草を敷いた床に腰を下ろし、花枝は手鬼たちの話を聞いていた。
話は決して短いものではなかったが、要は『生活拠点を造っていたら一気に隊士たちがやってきたので、そいつらも一緒に生活出来るようにしていたら、気づけば一つの村が出来ていた』といったものである。
「わたしたちが鬼舞辻無惨相手に色々やってる間に、こっちはこっちで色々とやっていたんですねえ」
「ああ。んで、次は俺らが話を聞く番だが――」
そこまで言うと、手鬼がバッテンの瞳を縁壱へと向ける。
喧嘩っ早い手鬼のことなので、何を言い出すのかはすでにわかっている。事前に、これから起こるであろうことはすでに縁壱にも伝えてある。
「縁壱だったか? 日の呼吸の始祖だかなんだか知らねえが、この俺に勝てねえ奴は、巫女鬼に近づかせるわけにゃいかねェ」
「つまりは、手鬼殿は私との手合わせを望んでいるということで良いのだな」
「フフフッ、話が早ぇ奴は嫌いじゃねえぜ。とっとと外へ出な」
手鬼は不敵に笑って立ち上がり、外へ出るよう縁壱を促した。
縁壱は手鬼に促され腰を上げるが、その際に花枝が、縁壱へと小さく耳打ちをする。
「あの、縁壱さん。手鬼はこんな風に喧嘩っ早いですけど、根は優しい人なので、程々にしてあげてくださいね?」
「承知した。ならば……そうだな。私はそこに落ちている枝を武器とさせてもらおうか」
「アァ?! テメェ、んな細っこい木の枝で俺とやろうってのか? ……舐められたもんだぜ!! ボコボコにしてやるから泣きっ面かくんじゃねえぞ!!」
「わあ……」
花枝はなんとも言えぬ表情で、吼えまくる手鬼に同情の視線を向けている。
手鬼の言動は完全に、遙か未来の日本では『フラグ』と呼ばれるであろう、この上なくわかり易い未来の暗示にしか聞こえなかった。
◇ ◇ ◇
フラグはしっかりと仕事をした。
「なんなんだよ。あり得ねえだろ、あんなのよ……」
「まあまあ。わたしのために挑んでくれてありがとうございますね、手鬼」
縁壱に優しく無力化され、とても人間とは思えない動きで十秒足らずのうちに意識を刈り取られた手鬼は、花枝にぽんぽんと慰められながらやさぐれていた。あまりの力量差を見せつけられ、これ以上噛みつく気にもならないようだ。
そんなやさぐれ手鬼はさておき、今は先ほどの集会所にて、あやかしたちが縁壱を囲んでいる。
「ふぉふぉ、では継国縁壱殿。まずは我らが長、巫女鬼様――いや、花枝様をお守り下さったこと、感謝いたしますぞ」
「いや、頭を上げてほしい。むしろ世話になっていたのは私のほうだ。彼女はたとえ一人だったとしても、立派にやってのけたことだろう」
あやかしの中では一番年長である筆鬼が、皆を代表して縁壱に頭を下げる。
筆鬼は過去の炎柱の日記を読んでおり、縁壱について元から把握していたため、話は非常に円滑に進んだ。
話の中で、縁壱は花枝を非常に高く評価してくれていた。花枝は鼻が高い思いである。
「へえ、巫女鬼様ったら、頑張ってたんですねえ。私はてっきり、血の繋がりがある禰豆子にでも取り憑いて、夜な夜な妙なことでもしてるんじゃないかって思ってました」
「……私たちの姫は、黄金の蜂蜜を欲すがあまり、血縁の身体を利用するものだと思っていたわ」
「巫女鬼ならちゃっかり蜂蜜の盗み食いくらいやりかねねェな」
一方、仲間たちは花枝をかなり正確に評価していた。彼らの予測が完全に図星だったため、花枝は笑顔がひきつる思いである。
なお、花枝としては禰豆子の身体で蜂蜜を舐めていたのは『盗み食い』ではなく『憑依でどこまで感覚を共有できるのかの確認』をしていた認識なのだが、ここでそんな言い訳をしてしまえば、ただの自爆だ。
賢い花枝は、誤魔化し通すことにした。
「し、失礼ですね。そ、そんなこと、やるわけないじゃないですか? ねえ、縁壱さん」
「……私は、あの件については沈黙させていただこう」
花枝は嘘がバレバレで、縁壱は態度からして肯定しているようなものだった。
あやかしたちからの、なんともじっとりとした視線を一身に受け、花枝はとても居たたまれない気分になった。
そして、更にもっと、話を誤魔化すことにした。
「あっ、それでほら、船はどうなんですか? 船! 船にのって極楽に行く手筈だったじゃないですか! 完成したんですか?」
誤魔化しに使ったのは、船の話題だ。
いや――正しくは、話を本題に戻した、と言うべきだろう。
そもそも花枝だけが地上へと戻ったのは、「手鬼たちが船を造る作業を邪魔しないため」という建前だったのだから、船について問うのは当たり前のことなのだ。
しかし、花枝の質問をうけて、あやかしたちは互いに顔を見合わせる。花枝は仲間のそんな様子にどこか既視感を覚えたが、気のせいではないだろう。
室内に妙な沈黙が訪れるが、それを破ったのは手鬼だった。
「あのな巫女鬼」
「はい」
「船は沈没した」
「えっ」
花枝は驚いた。というか、唖然とした。
完成したかどうかという段階ではなく、船はすでに亡くなっていた。
手鬼の言葉に、苦笑を浮かべた仲間たちが補足を加えていく。
「なーんか、木材の加工がうまくいってなかったみたいで、隙間からどんどん水が入ってきちゃったんですよ。木なのでしばらくは浮いてたんですけど、出航を待たずに沈没しちゃいました」
「……皆が、船で旅立つ前の沈没で、命拾いしたわね」
「わあ」
皆が船に乗って旅立つ前でよかった。
それはそうなのだが、少なからず皆の造る船に期待していた花枝としては、言葉を失ってしまう。
「ま、そんなわけでよ。もう少しばかり、この場所で過ごすことになりそうだぜ」
「次は一日で沈まない船を造りましょうねー」
「わあ。目標が低い」
花枝は心のなかで「これは船はだめかな」と、薄々、感じ始めていた。
◇ ◇ ◇
しかし、世の中何があるかわからない。
驚いたことに、解決策は意外と近くにあった。
「縁壱さんが皆を鍛えてくれれば、ノコギリもカンナも不要になりますかね」
「うむ。ここにいる隊士たちならば、基礎の呼吸は心得ているはずだ。私が教えれば、木を平らに斬るくらいはすぐにでもできるようになるだろう」
継国縁壱。彼は花枝の認識からしても、鬼舞辻無惨など比較にならないほどの化け物である。
木材加工場を案内された際に、その場で作業をしていた隊士があまりに木材加工に手こずっていたために、縁壱が前に出てその刀を一閃させた。
結果は言うまでもなく、一瞬で、まるで丁寧にカンナで仕上げたような板材が完成した、というわけだ。これで船が沈まなくなると断言できるわけではないが、少なくとも加工の精度は満点である。
そして、それを見て驚いたのが、その場にいた隊士たちだ。
彼らも今でこそ愉快な開拓生活を送ってはいるが、元々はその命が尽きるまで鬼と戦い続けた勇敢な剣士たちだ。
継国縁壱の剣技を前にして、みんながみんな頭を下げ、縁壱に教えを乞い始めた。
花枝が目を白黒している間に、縁壱はここに住む隊士たちに剣術を教えることになり、木材加工は成長した彼らが担当することとなった。
「縁壱さんが全部やってくれればよくないですか?」とは花枝の発言だが、縁壱がいつまでもここにいる保証はないので、木材加工の剣士が増えるに越したことはないのだと諭された。
剣士とはいったい何なのか、花枝にはよくわからなくなった。
「ちなみに、ただ真横に斬るだけじゃなくて……彼らが刀で木をスパスパっと、望んだ形で自由自在に切れるようになるまでは、どれくらいかかります?」
「そうだな。ただ平坦に斬るだけならば半年もあれば十分だろうが、全員が自在に木材を切断する技量を目標とするならば、二年は時間をいただきたい」
「なるほど、二年ですか」
――そんなわけで。
船を造るには木材加工の手段が必要であり、そのために隊士たちを一流の剣士に仕立て上げる必要があり、それには二年の月日が必要である。
そんなトンチンカンな理由により、次に船を造るのは少なくとも二年後ということで落ち着いたのだった。
「あの人も数百年ずっと幽霊してた人ですから、時間感覚が大概ですよね」とは、その話を聞いた百合鬼の談である。
◆ ◆ ◆
死後の世界では月日という感覚は薄いけれど、それでも、現世にていくつかの季節が過ぎた頃。
里に新しく立てられた見晴台の天辺に座り、花枝と手鬼は黄昏の世界を眺めていた。
「ここも随分と、形になってきましたね」
「あァ。つっても、まだまだ足りねェもんだらけだけどな」
最初は何もなかった平野に、今は広々とした畑が広がっているのが見える。
菜花畑はどんどん広がっていき、モグラ鬼が種を持っていた野菜類も、この里の皆が存分に食べられる程度には増えてきた。また、この世界で見つけた植物にも食べられるものがあったので、それらもモグラ鬼たちが栽培に成功している。
穀物も増えてきたので、目下次の目標は、三途の川が流れる力を利用した粉挽き小屋だ。
新しく作られた大窯では、試行錯誤の末にそれなりの陶器が作れるようになった。
細工場では手先の器用な隊士たちが木の繊維から糸を作り出し、最近はそれを織ることで布が作られている。
川の沖では、小さな船が漁をしている姿が見える。
花枝としては、あの船が造れるならそのまま大きな船を造ってしまってもいいのではないかと思わなくもないが、約束の二年後まではまだまだ時間があるので、腑に落ちないながらも口を噤んでいる。
「でも、こうして皆さんと隠れ里暮らしを続けるのは楽しいですけど……」
花枝は、先の見通せない大河に視線を向ける。
「いつかは皆でこの川を渡って、きちんと生まれ変われたなら嬉しいなって思います」
「……まァな」
それは、考えようによってはこの里での暮らしを否定する言葉のようにも聞こえるけれど、それでも花枝の本心だ。
手鬼もそれを否定などしない。そもそも、三途の川に村を作って過ごしている自分たちこそがおかしいのだから。
川を泳ぐでも、平原を進むでもいい。本来はここに留まることなく、どこかへ『逝く』のがきっと、自分たちが選ぶべき道だったのだろうなと、今ではどことなく感じている。
だが、それはいつか、全員が乗り込める船を造ったその日でいいとも思う。
「新しく生まれ変わったらよ。テメェは俺の妹にでも生まれとけ」
手鬼がぼそりと呟いた。
それは、約束だ。
「いちいち探しに行くのは面倒くせェからな」
「ふふっ、そうですね。じゃあ手鬼は、炭治郎みたいに立派な長男になってくださいね」
「アイツの妹は死ぬか鬼になるかのどちらかじゃねえか、縁起が悪すぎんだろ」
「うーん、言われてみればそうですね」
二人で笑いながら、来世の約束をする。
明治の初めに手鬼と出会って、ずっと兄と妹のようにして生きてきたのだ。人としての血縁関係こそないものの、二人はもう、それぞれを自分の兄妹だと認めている。
「巫女鬼。テメェはもう……生まれ変わっても鬼になるんじゃねえぞ」
「はい、わかりました。頑張りますね」
眼下では、今日も縁壱が剣士たちを鍛えている。彼らは最近少しずつ『全てが透き通る世界』に入り、木材加工技術が格段に上がったらしい。
木材加工にその技能がどう役に立っているのか、花枝にはちょっとよくわからなかったが、きっと木の節を見極めるのに役に立つのだろう。
「木材加工剣士も育ってきましたね」
「ああ。つっても、あいつらが自由に木材を加工できるのは、まだまだ先だけどな」
「まあ、気長に過ごしましょう。わたしたちの第二の隠れ里の開拓を、ゆっくり続けながら」
菜花畑では、百合鬼と風見鬼が笑い合っている姿が見える。
訓練場では、隊士たちがそれぞれ独自の呼吸の型で木材に挑んでいる姿が見える。
離れた森には、ヤタガラスを引き連れた隊士たちが今日も探索へと出かけている。
時間の止まったこの世界では、今日もまた、皆が穏やかな時間を過ごしている。
いつかはきっと皆、暖かい光の中へと逝くのだろう。
この黄昏の太陽に照らされた隠れ里を出て、次の人生へと旅立つときが来るのだろう。
花枝は、そんな未来を夢見ながら。
でも今はまだ、この隠れ里の幸せな日々に身を委ねて。
温かくて優しい光の道を、大好きな仲間たちと共に。
ゆっくり、気長に、歩んでいくのだった。
六章 天照 了
花枝の物語はこれにて完結となりますが、
あと二話、遙か未来のお話があります。