みょん柱。   作:みょん!

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2.夢と現が交差する。

 少年が居た、鬼に変化した少女に襲われていた。

 仰向けになる少年に馬乗りし、今にも食われてしまう寸前だった。

 だから俺は迷いなく、出会い頭で少女の首を刎ねる判断をする。

 師の教えだった。

 判断を鈍らせれば、救える命も救えなくなる。

 己の命すら危険に晒す事になる。

 考えるよりも早く行動する。

 だけど少年は、斬り掛かる俺を瞳に収めて、少女を庇う様に抱き込んだ。

 刃を鈍らせる真似はしない。

 だけど同時に刃を曇らせる真似もしない。

 己の身を晒す少年に対し、僅かに剣筋を逸らす。

 惡鬼滅殺と刻まれた刀は鬼を斬る為の刃、人を斬る刃に非ず。

 少年の結んだ髪を一房、地面に落ちる。

 

 少年は、鬼に成り果てた少女を抱き込んだまま刀を握る俺を見つめる。

 恐怖が半分、驚愕が半分。少なくとも好意的な態度でない。

 話を聞けば、少女は、少年の妹だと云う。

 とても理性を残している様には見えない。

 既に心は鬼に取り込まれた。

 今しがた兄である少年を食い殺そうとしていたのがその証左である。

 だが、それでも少年は、少女を庇おうとしていた。

 

 少年は、現実が見えていない。

 無理もない。

 状況から察するに、つい先程、妹は鬼に成り果てたのだ。

 理性は失われ、獣の様に唸る妹の姿を見てもなお妹を庇う兄の姿は哀れという他にない。

 あと半日、早く俺が山に来ていれば、彼の妹も救えたかも知れない。

 だが、それはもう過去の話。

 悔いるのは後で良い。

 先ずは少年の安全の確保。一足飛びに詰め寄り、少年の懐から少女を奪い取る。

 全集中の呼吸も使えぬ少年の力で抑え切れる程度の鬼である。

 首根っこを掴んで、片手で抑える事など造作もない。

 

 ……一息に斬ってしまっても良かった。

 出来なかったのは、甘さ故か。

 師が今の俺を見れば、判断が遅い。と頬を叩いているだろうか。

 

 俺には、相手を諭せる様に出来た男でもなければ、弁が立つ訳でもない。

 師であれば、もっと上手く立ち回る事も出来ただろうか。

 俺が少年に出来る事があるとすれば精々、現実を突き付ける事だけだ。

 

 妹はもう、人ではない。

 理性を失って言葉を発さず、肉親に襲い掛かる獣をどうして人と呼べようか。

 鬼殺隊と鬼舞辻無惨との因縁は千年以上に続くが、鬼になった者が人に戻るという話は聞いた事がない。

 

 俺の仕事は鬼を斬る事だ。

 勿論、少年の妹の頸も刎ねる。

 妹が今、誰かが殺したかどうかは関係ない。

 いや、だからこそだ。

 誰も殺していない今が人として死なせてやれる最後の機会になる。

 不運だったのだろう、理不尽だろう。

 傷口に鬼の血を浴びると人は鬼になる。

 それが現実、故に殺す。

 少年は、妹が兄である自分の事を理解出来ているのだと云う。

 人の心が残っている鬼が存在する事は知っている。

 しかし鬼は人を喰わずには生きられない。

 生き物としての習性、本能に近い。

 肉親と理解してなお鬼は肉親を食い殺してしまうのだ。

 鬼になった妹が兄を食い殺す。

 これ以上の不幸はない。

 だから俺は少年の妹を殺す。

 兄である彼に妹を殺せないのは道理、彼の代わりを果たす為に俺は今日此処に来たのだろう。

 鬼殺隊であれば、全員が同じ結論を出す。

 恨まれるのもまた鬼を狩る為に人である事を捨てた鬼殺隊の役目である。

 

「やめてくれ!! ……やめてください、どうか妹を殺さないでください。お願いします……」

 

 少年は、惨めにも情けなく地面に蹲る様に頭を下げる。

 雪に額を擦り付けて、縋る様に、首を差し出す様に懇願する。

 片手で抑え込んでいる少女の首根っこを握る手に力が入る。

 圧倒的な力を前では、懇願など無力だと俺は知っている。

 非力では何も為す事が出来ず、塞ぎ込む様に地面に丸くなる少年の姿は、酷く癪に障った。

 あの時、姉が鬼に殺された時の事を思い出す。

 最終選別の時、最初に襲い掛かって来た鬼に傷を負わされた時の事を思い出す。

 無力なだけでは何も守れず、救えない。

 気付いた時には皆、俺の手の内から零れ落ちていた。

 守られるだけの藤襲山。

 俺よりも強く、鬼を殺し続けて、誰よりも人を助けた親友が帰らない。

 何も出来なかった俺だけがのうのうと今も生きている。

 嫌な、事を、思い出す。

 

「生殺与奪の権を他人に握らせるなっ!!」

 

 惨めに蹲るだけで妹が助けられると思うな。

 奪うか奪われるかの時に主導権の握れない弱者が何を為す。

 弱者には何の権利も選択肢もない。

 ただ祈るだけ、運良く誰かに助けて貰うのを待ち続けるだけ。

 笑止千万。

 妹を治す、仇を見つける。

 どうしてそんな事が出来ると云える。

 権利を欲するならば力が要る。

 己の意志を推し通したくば、相応の力が必要だ。

 弱者の想いは何時だって尊重されない。

 錆兎もそうだった。並び立つ権利すら与えられず、助けられるだけだった。

 故に当然、俺も弱者を尊重しない。

 弱者で甘んじ続けるのであれば、ただ助けられれば良いのだ。

 最善は俺が決める。

 最善は今、此処で鬼の頸を刎ねる事である。

 

「現世斬」

 

 瞬間、光が閃いたかの様に見える。

 目に捉え切れない程ではない。

 しかし疾い。霹靂一閃か。否、雷の呼吸特有の呼吸音が聞こえなかった。

 

 青緑色のベストを着用した少女が身の丈同等の大太刀を片手に繰り出す抜刀術。

 初速は霹靂一閃が上回る。

 しかし初動は彼女の方が上か。

 僅かに遅れた反応、咄嗟に構えた日輪刀に大太刀の刃が打ち据えられた。

 全集中の呼吸を以てしても、片手では受け止め切れず、大きく後方に弾き飛ばされる。

 少女とは、思えぬほどの膂力。

 殺気は、なかった。

 故に反応が遅れたとも云える。

 吹き飛ばされた身体は地面を転がり、樹木の幹に背中を打ち据える。

 衝撃で肺から酸素を吐き出し、一瞬の呼吸困難。

 水の呼吸が、途絶える。

 吹き飛ばされた際に片手で抑えていた鬼を手放してしまった。

 霞む視界に鬼が少年に襲い掛かる。

 間に合うか?

 地面を踏み締める。

 呼吸が出来ずとも、間に合わせる。

 

「行かせませんよ」

 

 少年を襲う鬼の光景を前に立ちはだかるのは大太刀の女剣士。

 女剣士は大きく息を吸うと背後の少年に向けて叫んだ。

 

「逃げなさい、辻斬りの相手は私がします!」

「……俺は頭に来ている、猛烈に背中が痛いからだ」

 

 鬼と人は違う。

 だが今、その事を理解させるには時間が足りない。

 鬼に迫られても少年は動かず、妹を受け止めんと腰を低く構える。

 猶予はない。

 強引に呼吸を整える。

 鬼殺隊の基本であり奥義、全集中の呼吸。

 人が人非ざる者と戦う為に編み出した技術である。

 

「よくも弾き飛ばしてくれたな、女剣士」

 

 全集中の呼吸の有無は、人同士の戦闘に置いては決定的な戦力差に成り得る。

 

「女だからとあまく見ない方が良いですよ」

 

 女剣士の呼吸は浅くて細い。

 相手に起こりを悟らせない為の呼吸法。

 人が人相手に編み出した技術である。

 

(膂力の差は歴然、相手の刀身を弾いて突破する!)

 

 駆け出す姿勢は低く、下段に刀を構える。

 俺の動きに誘われて女剣士は大太刀を上段に振り上げた。

 膂力には、自信がない訳じゃない。

 俺が腕相撲で勝利した恋柱よりも筋力がある様に思えない。

 全集中の呼吸が仕えないのであれば猶更だ。

 

「鬼が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなど、あんまり無いっ!!」

 

 女剣士が、上段に構える大太刀に氣の様なものが纏わり付いた。

 

「……は?」

 

 優れた呼吸の使い手による太刀筋は、水の呼吸なら水流、雷の呼吸なら雷光に視える事がある。

 しかし女剣士が振り被る刀身に纏う力の奔流は、錯覚には思えなかった。

 肌身に痺れる感覚。鬼と戦って経験した血鬼術の数々が、本物であると本能で悟らせる。

 

「魂魄流指南剣術──ッ!!」

「水の呼吸、拾壱ノ型──ッ!!」

 

 幾度と修羅場を潜り抜けた戦闘勘が、この型を選択する。

 この型は本来、技と呼ぶのもお粗末な力業。

 型にするのも烏滸がましく、されど今ある呼吸の型の中だと絶対の防御力を誇る。

 

「冥想斬っ!!」

 

 振り落とされる刀身を前に放つ、その型の名は。

 

「凪」

 

 放たれた緑色の奔流を型を以て打ち払う。

 霊的な何かを纏った刀身は地面に叩き付けられて、転じて降り積もった雪が跳ね上がる。

 自身の視界を覆い隠す雪の奔流もまた凪を以て切り払った。

 開けた視界、自身で放った一撃の余波に怯んだ女剣士の脇を擦り抜ける。

 攻撃を加える事はしない。

 そんな暇があれば、少年を助ける為の一歩、一寸を詰めて全力で駆け出す。

 だが女剣士には、初撃で見せた技の疾さがある。

 猶予は一瞬、故に一撃だ。

 一撃を以て鬼の頸を刈り取る。

 

「水の呼吸・壱ノ型」

 

 両腕を交差し、最も使い慣れた型の始動準備を取る。

 少年を襲う鬼の少女は背中を見せている。

 このまま一息に首を刎ねる。

 

「禰豆子、危ないっ!」

 

 しかし、あろう事か少年は鬼の少女を押し退けて、迫る凶刃に己の身を晒す。

 技はもう放たれており、止める事は叶わない。

 せめて命だけは、と強引に剣筋を歪めたその時だった。

 少年の脳天に伸びる少女の右手、頭上を抑えて、少年の身体は画面から地面に叩き付けられる。

 改めて姿を現す、鬼化した少女。

 相変わらず正気を失った双眸、食い縛った歯には牙が生えている。

 だけど彼女が介入したおかげで振り切った刃は、彼女の右腕を刎ね飛ばすだけで済んだ。

 鬼が、人を、庇った?

 

「まさか」

 

 焦りに刀を構え直す。

 飢餓状態に陥る鬼は見境がなく、手当たり次第に人を食らい尽くす。

 斬り落とした右腕を回復する為に鬼は力を消費する。

 消費した力を蓄える為に最も近い少年に襲い掛かるはずだ。

 鬼に変化する時にも体力を消耗しているはずなので、彼女は今、間違いなく重度の飢餓状態。

 一刻も早く人の血肉が食らいたくて涎を垂らしているではないか。

 迷うな、斬れ。

 振り被る刀を前に少女が取った行動は、少年の前に両手を広げて立ち塞がる事だった。

 俺を睨み付けて威嚇する。

 まるで母親猫が、子を守るかの如く。

 躊躇が、刀を鈍らせる。

 

「炭治郎、随分と野性的な妹を抱えたものですね」

 

 女剣士が大きく跳躍し、一捻りを加えた伸身の宙返りから俺の脳天に肘を叩き落す。

 

「まあ、何処ぞの山の犬っころよりかは話が通じそうですが……!」

 

 持続の長い肘による一発は、華奢な女とは思えない程の威力が込められていた。

 下手な鬼よりも高い膂力、炎柱の元継子にも比類する。

 此処が自分の戦場ではないと認識した身体は、驚く程あっさりと意識を手放してしまった。

 

 

 竈門兄妹を襲った辻斬りは今、縄で縛り上げられている。

 事のついでにと炭治郎は、妹の口に竹で作った猿轡を噛ませており、竈門妹は先程までの凶暴さを潜めて、手に持った枝の先で辻斬りの頭をツンツンと突いている。

 それにしても、と溜息を零す。

 こんな辺境の山奥にまで辻斬りが出るとは物騒な世の中になったものである。

 まだ妖怪蔓延る幻想郷の方が治安が良いかも知れない。

 

「禰豆子、と言いましたか? なんというか、その……随分とわんぱくで?」

 

 場も落ち着いた所で、少し変わった様子の妹の事を遠回しに問い掛ける。

 

「……わんぱくな所もありましたが、こうだった訳ではありません」

 

 普段よりも冷たい物言いに「ですよね」と気まずげに返す。

 辻斬りの彼が竈門兄妹を襲った理由も今は見当が付く。

 炭治郎の家は、一言で申せば、見るも無惨な惨状である。

 辻斬りの仕業ではない。

 力任せに引き裂かれた血肉は人の所業ではなかった。

 かといって獣の仕業とするには、遺体が綺麗過ぎる。

 食事を目的としない狩りを獣はしない。

 もし仮に戦う事があるとすれば、自己防衛の為だ。

 自己防衛で人の気配がする家の中に獣が入る事はない。

 人ではなく、獣でもない。

 なれば犯人は、物の怪の類に決まっている。

 殺し方に知性が感じられないので、高位の妖怪でない事は確かだ。

 

 ……それにしても私が知る鬼とは、随分と様相が違っている。

 山の麓近くにある村で聞いた話を思い出す。忘れられて幻想入りしたはずの鬼が今も外界で恐れられ続けている。恐らく、妖怪の山の鬼とは別の由来の存在。鬼と呼ばれる物の怪が居て、その鬼を駆る鬼狩り様と呼ばれる組織が存在している。

 廃刀令なるものが発令された今の御時世。

 刀を佩くには相応な理由があるはずで、炭治郎を避けて、禰豆子に強い殺意を向けていた事から彼の素性も想像が付く。

 何よりも、美しい青色の刀身に刻まれた惡鬼滅殺の四文字は、彼の所属を雄弁に物語っている。

 

「鬼狩り様……山の連中とは、会わせたくないですね」

 

 知れば瓢箪片手に喜び勇んで外界に飛び出す小鬼が現れそうだと私は頭を抱えた。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……此処は?」

 

 程なくして、炭治郎が遺体を弔う傍らで辻斬り男が瞼を開ける。

 彼は先ず禰豆子を間近に見て、縛られた状態で身構えた。

 そんな男の様子に首を傾げる禰豆子の大人しい様子に辻斬り男は小さく息を零す。

 次いで即席の墓を前に手を合わせる炭治郎を見て目を細めた。

 

「俺は判断を間違えたのか」

 

 縛られた状態で肩を落とす彼に、私は青い刀身の刀を手に問い掛ける。

 

「目覚めた直後で申し訳ありませんが、色々と答え合わせをお願いします」

「答え合わせ?」と炭治郎が祈る手を止めて、振り返る。

「はい、もしかして貴方様は鬼狩り様ではないかと思いまして」

 

 私の問い掛けに「まさか」と炭治郎が零す。

 

「あれは三郎爺さんの与太話じゃ……」

 

 そこまで言って、豹変した妹の姿が目に入って押し黙る。

 辻斬り男は、私達の顔を一瞥した。

 真っ直ぐに見つめ返す私、困惑が抜け切らない炭治郎。無垢な瞳を向ける禰豆子。

 三者三様の目を見て、観念した様に深い溜息を零す。

 

「俺は鬼殺隊の一隊士、冨岡義勇。水柱という事になっている」

「水柱?」と私が首を傾げる。

「柱は、鬼殺隊の隊士で最高位の事だ」

「随分と大物を相手にした訳ですね」

「俺は、水柱ではない」

「はい?」

「次が決まるまでの繋ぎだ」

 

 いまいち彼の本心を掴む事は出来なかったが、複雑な事情があるのだと思って踏み込むのは止めた。

 

「縄を解いてくれないか」

 

 彼の言葉に私は、炭治郎に目配せする。

 

「……もう敵対する意思はない、と思います。そんな臭いがします」

「臭い、ですか?」

 

 力強く頷き返す炭次郎を見て、私は義勇を見て鼻を軽く鳴らす。

 臭いと云えば、白狼天狗。河童と将棋を嗜むのが好きな天狗が酒の席で、感情の臭いが分かるのだと言っていた事を思い出す。鬼の酒を呷った祖父のおちゃらけた姿を見て、隙がない、と鼻先をヒク付かれていた事もあった。

 祖父に関しては与太だと思っている。

 だけど嗅覚で感情に関する何かを捉える事は不可能ではなかったようだ。

 

「ふむ、まあ、良いでしょう」

 

 義勇と名乗る彼の刀を無作為に振り上げて、彼を縛る縄だけを斬る。

 業物だ、使い込まれている。

 一目見るだけでも程度は分かるけど、実際に物を斬れば、より鮮明に彼の腕を知る事が出来た。

 

(才覚だけなら私よりも上か)

 

 重ねた歳月が、彼が持つ剣才との差を埋めている。

 兎も角、私は青い刀身を鞘に収めて、縛られた手足の感覚を確かめる彼に突き出す。

 義勇は数秒ほど、私を見つめて刀を受け取った。

 

「鬼と、鬼殺隊について、詳しく教えて頂いても?」

「分かった」

 

 彼は素直に首肯し、鬼と鬼殺隊に関する事を簡潔に語り始めた。

 

 

 東京府浅草、癖の強い髪質の優男が人波を掻き分ける。

 目立つ白色のスーツを着た彼の一歩後ろを歩くのは、中華の拳法着を着たパイオツのデラべっぴん。端麗な顔に美しい赤色の長髪、優男と同程度の身長で出る所の出た恵体長身の身形は大衆の目を嫌でも惹いた。この周囲の視線をのほほんとした顔で受け流す華人小娘を従える男の名は、鬼舞辻無惨。本名は、疾うの昔に忘れている。

 鬼の首魁である彼は、自分が従える小娘の呑気な顔を見て舌打ちを零す。

 

「美鈴、貴様を護衛として雇った事は忘れてないだろうな?」

「それはまあ、はい。行く当てのない自分を拾って下さった事には感謝していますよ」

「ならもう少し、目立たない様には出来ないのか」

 

 無惨の叱責に、美鈴と呼ばれた長躯の少女は肩を竦める。

 

「私は、貴方様とは違って姿形を変える事が出来ませんので」

「私よりも奇妙な生体をしている癖にか?」

「幻想に身を寄せる種は、そう簡単に在り方を変える事は出来ないんですよ」

「ならば服だけでも合わせてみせろ」

「この国の女性は皆、私より小さくて体格に合う服がないんですよね」

 

 おかげで一張羅ですよ、と困った様に肩を竦めてみせた。

 鬼の首魁を相手に物怖じしない態度を取る彼女の名前は、紅美鈴。欧州出身の中国人である。

 正確には、中国人ではない。

 欧州が想像する中国人を具現化した妖怪が彼女である。

 

 故に無惨由来の鬼ではなく、彼女は無惨の理不尽な束縛を受けない立場に居た。

 

 彼女が無惨に従うのに、善悪の規範にない。

 何もせずとも衣食住を提供し、少し働けばお小遣いをくれる恩義からである。

 即ち、侠義。中華文化で育まれた任侠が彼女の根幹に在る。

 

 無惨からしても昼も活動出来る彼女の存在は得難く、自分が従える鬼と比較しても有能だった。

 具体的に云うと秘書としても、侍女としても頼れる存在である。

 故に無惨の癪に障る。

 己よりも自由を満喫する物の怪の類、だけど今、彼女を手放す訳にはいかない。

 

「……人が妖になる事は出来ないのか?」

 

 人が鬼になる事が出来るのであれば、人が妖になる事も出来るのでは。

 太陽光の克服だけを考えた言葉に美鈴は少し考えて答える。

 

「たぶんできますよ」

「ならば」

「ですが、貴方様の望みにはそぐわないと思います」

 

 妖は他者の想いに依存する存在なので、と美鈴の言葉に無惨は舌打ちを返す。

 今はまだ夜に紛れて好機を窺う時である。

 時が満ちるのは何時程か。

 紅美鈴との出会いは、停滞した千年の先に進める呼び水に成り得るか。

 耐える事には慣れている。

 耐えて、耐えて、耐え続ける事で今日まで生き永らえる事が出来たのだ。

 恥も屈辱も一時の感情。

 己の望みを叶える為であれば、鬼舞辻無惨は叩き過ぎる程に石橋を叩く男である。

 民衆に紛れる鬼の首魁と妖の存在に女子が一人。

 十手剣を片手にスンと鼻を鳴らす。

 

「微かに、物の怪の臭いがします」

 

 華人小娘と同じく赤い髪。しかし紫色の羽織を袖に通す小柄な少女は大通りを埋め尽くす民衆に目を細める。

 

「浅草に蔓延る怪談話。嘘か真か、鬼が出るか蛇が出るか。先代が残した未練を果たす日は来るのやら」

 

 食事処の二階から民衆を見下ろす用心棒の家系。

 御猪口に熱燗を注いで一気に呷る。

 彼女が襲名した名は小兎姫。三代目である。

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