みょん柱。 作:みょん!
自分、竈門炭治郎が鱗滝左近次に出された課題は、夜明けまでに狭霧山の頂上から麓にある小屋まで降りる事。
旅の道中、妖夢が小刀で拵えた木刀を片手に全力で山を駆け降りる。最初は簡単だと思った、霧の濃い夜の山で鱗滝は俺が道に迷うと考えたからだと。しかし自分には優れた嗅覚があり、鱗滝の臭いを辿って後を追いかける事が出来る。だから直ぐに山を下りられると考えた。
しかし道中、俺を阻んだのは性悪な罠の数々、打ち所を間違えれば死も見える。実際、紐で吊るした丸太に弾かれた。跳んだ先で、しならせた竹に叩き落とされる。逸る気持ちに駆け足になり、息が切れる。そして集中力が途切れて、また罠に引っ掛かる。
一度、深呼吸をして気持ちを落ち着けるんだ。
と大きく息を吸い込もうとした時、思ったように呼吸が落ち着かず、息が詰まったような感覚に陥る。息が苦しい、何故? そこで漸く、狭霧山の空気が薄い事を察した。
頭痛がした。足取りは重く、夜空が近い。
だが、挫ける訳にはいかない。
足に力を込める。空気を深く吸い込んで肺を膨らませる。此処で挫けるという事は即ち、禰豆子の命を諦めるという事だ。気をしっかりと持て、集中するんだ。両手に握る木刀に力を込めた。
長男だから耐え切れる。
何故ならば、俺は禰豆子のお兄ちゃんだからだ。
足に引っ掛ける縄、振り子の要領で迫る丸太。木刀で丸太を横から叩いて、身を捩る。直撃は免れた、が、皮膚を掠める。痛い、痛いが、身体は動く。ならば、無傷も同然。鼻か足が潰れなければ、山を降る事は出来る。
頑張れ、麓には禰豆子が待っている。
今度は朝なんて待たず、其の日の内に帰るんだ。
◆
山の麓、小屋の前で型稽古を繰り返す。
積み重ねる日々の鍛錬が明日の自分を作ると信じて、旅の道中も必要最低限の鍛錬を己に課して来た。
四半刻も過ぎた頃、人の気配。身を隠す気もない鱗滝が木々の隙間から姿を現す。
型を止める。鱗滝の全身から放たれる闘気に対して、私は刀を鞘に収めず対峙した。
「此処では狭い」と彼は言う。
背を向ける彼の後を付いて歩いて数分程度、踏み固められた土が露出する広間に辿り着く。
周囲に置かれた道具類などを見て、此処が彼の鍛錬場だと察する。
「お主には、小僧と同じ試しは不要だろう」
鱗滝は腰に佩いた刀に手を添えて、鯉口を切る。
キン、と澄んだ金属音が闇夜に響く。抜かれた刀身は義勇と同じく鮮やかな青色をしている。
日輪刀。表面を水で濡らしたのと同じ透明感に目を奪われる。
美しい刀ですね、と私は身の丈程ある打刀の楼観剣を両手に構える。
「……常中しておらぬからもしやと思ったが。全集中の呼吸は使わぬのか」
「全集中の呼吸? 冨岡殿も使っていた特殊な呼吸法の事でしょうか」
義勇が独特な呼吸をした時に全身の筋肉が活性化したのを見逃さなかった。
私の冥想斬を打ち払った技は、超技巧を前提とした剛剣。
静かに息を吐く。
肩の脱力、次いで全身の重心が僅かに下がるのを感じる。
筋肉の活性化を伴う流派は、脱力を基本とする私の剣技とは相性が悪い。
気の起こり、相手が動くより一瞬早く、膝の力を抜いた。
自然と取る前傾姿勢。前に倒れた勢いのまま、地面を蹴り出す。
幾度と繰り返した鍛錬の末に視える剣の道筋。
正しい剣筋に刃を添わせた一撃を、鱗滝の刀身に叩き付ける。
「ぬうっ! 呼吸もなしに、この威力っ!!」
小手調べに打ち込んだ一撃は、御老体とは思えぬ体幹で受け止められる。
「まるで脚に根が張ったかのようですね。見た目の年齢に似つかない体幹ですよ!」
「容姿を云うのであれば、お主もそうでは? 華奢な腕とは裏腹の膂力、唯人とは思えんなッ!!」
打ち払われる。自分でも跳躍したので十分な間合いが開く。
楼観剣は、長い。故に間合いが遠く、白兵戦になると徒手空拳が主体になる。
腰に佩いた白楼剣を抜いて、相手の攻撃を払う事もある。
だけど白楼剣の用途は本来、物理的なものではない。
正しく儀礼用の剣なのだ。
故に白楼剣は、あくまでも補助的な武装。
楼観剣も片手で振るえるけど、両手で持った方が強い。
二刀流は、奇策である。
「甘いっ!!」
稼いだ距離を一瞬で詰められる。
鱗滝は左手を前に突き出し、刀を持った右腕を限界まで引き絞る。
間合いの内に踏み込まれた。
地面を踏み締めて弓矢の如く放たれたるは一撃必殺の突き技、初見である。
本能的に身を捩る。
「水の呼吸、漆ノ型! 雫波紋突き!!」
ボッと空気に風穴が開く音がした。
耳の横にある銀色の髪が裂ける。紙一重、紙一重だが殺意が込められていた訳ではない。
私が反応をしたのを確認して、技を打ち抜いている。
(しかし人を相手にするには威力が過剰ですね。即ち、人非ざる者を想定した技という事、その分、隙が大きくなってるのは頂けませんが。まあ半ば、幻想に踏み込んだ身の上の視点で、唯人を評価するのは烏滸がましいのでしょうねッ!!)
鱗滝が刀を切り返す前に相手の顔を目掛けて左足を振り上げる。
相手が飛び退く、左足を蹴った勢いを利用して一歩分、距離を詰めてから右足で後ろ回し蹴りに繋げる。
今度は、天狗の鼻先を掠めた。が、天狗の面が少し傾いただけだった。
そのまま鱗滝が大きく距離を取る。
普段だったならば、此処で追撃するけど、今は手合わせ。
私が呼吸を整えれば、鱗滝も片手で面の位置を調整する。
「……体術も熟す様だな」
「護身術も指南する身の上なので、教えるべき相手が私以上に修めていて困っちゃいますけど」
互いに刀を握り直し、構えを取る。
主人は護身術に関しては師である祖父すら超えており、剣術に関しても免許皆伝の領域にある。
まあ尤も私と同じ、教えるべきは教えた。という意味での免許皆伝である。
剣術だけで手合わせすると私の方が腕は良い。
だけど徒手で主人に一度も勝てた事がない。
何度、地面に叩き付けられた事か。
寝技も得意で地面に組み敷かれた後に抜け出せた事もない。
あと重い、幽霊なのに。
体格差もあるが、体重を掛けるのも上手いのだ。
重いと云うと、何故かより強く身体を沈めて来るけど。
主人は時折、嗜虐趣味を発露する。
まあ基本的に触られたら負けだと思って良い。
鉄扇を持った主人は正に鬼に金棒、普通の扇でも十二分に強過ぎる。
「……?」
不意に相手が構えを解いた。
解いたまま距離を詰める。
私も、相手がやりたい事を察して、構えていた刀を下げる。
刀の間合いに入る。
互いに動かず、拳の間合いに入る。
鱗滝が右手に刀を握ったまま、左手を前に出す。
差し出された左手の甲に、私もまた左手の甲を添える。
触れると相手の情報が肌を通して伝わって来る。
枯れた皮膚の下に充実した気の流れ。
全盛期を過ぎてなお、彼は現役時代と同等の力を有している。
──参る、と言葉にせずとも重ねた左手越しに伝わって来る。
ほぼ同時に腕を引く、相手の視線を切る目的で天狗の面に向けて左手を突き出す。
しかし相手の左手で打ち払われて、今度は相手の左手の突きが自身の眼前に突き立てられる。
身を屈めて回避、した私の行動を読んでか相手の右膝が眼前に迫る。
打ち払われた左腕を引き寄せて、防御。骨身に響く、右膝の衝撃を左腕で受けて一歩、二歩と退く。
鱗滝が大きく踏み込んだ。刀を上段に振り被ったのを気配で察する。
視線は地面、相手の足捌きに注視する。
顔を上げる。
迫る相手の天狗の面を目掛けて、視線を落とした時に見つけた手頃な小石を蹴り上げた。
ゴッと面に当たり、鱗滝が身体を小さく仰け反らせる。
(此処ッ!)
一歩、踏み込んで楼観剣を横に振り払った。
相手は飛び退いて、彼が袖に通す羽織に切り傷を付けるに留まる。
距離を取った。
私は地面を踏み締めた。
「魂魄流指南剣術、頭上花剪斬ッ!!」
霊力を伴った跳躍、相手を眼下に捉えて剣を振り下ろしながら降下する。
「あれは滝壺──ッ!? いや、水の呼吸・弐ノ型ッ!」
全体重を叩き付ける一撃に対し、鱗滝は躱さず真正面から受けて立つ姿勢を見せた。
「水車ッ!!」
鱗滝は地面を蹴って、全身をぐるんと縦に一回転。楼観剣を点で捉えて、火花が散る。
「ぐうっ!!」
「ぬうっ!?」
互いに全体重を乗せた一撃。重力を味方に付けた私の刀身が相手を押し込む前に、剣筋を逸らされる。
二振りの刀身が地面に埋まり、私は楼観剣から手を離す。
代わりに握ったのは腰に差した白楼剣、二度、三度と斬り掛かれば、鱗滝は大きく跳躍して退く。
剣を手から離さず、徒手よりも剣を優先した。
徒手では倒せぬ人非ざる者を相手にする剣術としては正しいか。
私は地面の楼観剣を持ち直し、姿勢を低く構えを取る。
軽く息を吸って、ふっと吐いた。
「現世斬」
現水柱をも弾き飛ばした一撃を、鱗滝は真正面から受け止めず力を合わせて空高くに弾かれる。
空中でくるりと姿勢制御。剣を振り被り、私を目掛けて勢い付けて落下する。
その剣筋から飛沫を上げる激流を幻視する。
「水の呼吸・捌ノ型……ッ!」
滝の如し呵成を以て全身全霊で振り落とされた一撃を今度は私が真正面から受けて立つ。
意識の端に視線を感じる。草叢の影、思っていたよりも早い。と笑みを深めて、刀を振り翳す。楼観剣の切っ先が画く軌跡は、十五夜に浮かぶ月の如し。全身の
飛び込んで来た相手に対する切り返しとして効力を発揮するその技の名は。
「弦月斬ッ!!」
本家本元である。
「……滝壺・壊ッ!!」
刃と刃で受け止め合って、火花を散らし。
互いに相手の威力を受け止め切れず、同時に弾け飛んだ。
受け身を取り、同時に駆け出す。
特殊な呼吸音を耳にする。
相手の刀身に水飛沫を幻視し、呼吸の技が放たれるのだと察した。
だから、こちらも魂魄流の技を以て受けて立つ。
「魂魄流指南剣術、生死流転斬ッ!」
「水の呼吸・拾ノ型、生生流転ッ!!」
魂魄流の基本技にして唯一の連撃による一合目、互いに刃を交えて火花を散らす。
次で押し込むと決めた二合目は、相手の威力も増して同等。互いに互いの刃を弾き返す。
三合目、飛び込んで全身全霊で叩き付ける。
しかし相手の技の威力は更に向上し、これもまた互角。
生死流転斬は三連撃、対して相手の技は更に続く。技の完成度は相手が上か。
「貰ったッ!!」
四撃目、声を発したのは相手に必要最低限の警戒を促す為、鱗滝が斬り掛かって来る姿を横目に見た私は、無手の左腕を相手の胸元に突き出す。
「魂魄流指南剣術、折伏無間」
掴んだ相手の襟首を引き寄せる。
合気の要領も用いた崩し技に鱗滝は技を放つ前に体勢を崩す。
手頃な位置に来た顔面を目掛けて、膝打ちを噛ました。
天狗の面越し、致命傷にはなるまい。
「……ぐうっ!!」
倒れなかった、追撃を仕掛ける為に居合抜刀の構えを取ったその時、鱗滝は右手で面を押さえながら左手を前に突き出す。
「降参だ」
告げた彼の口から、ぶはっと息が吐き出される。
荒い呼吸に肩を揺らし、彼の全身から一気に汗を噴き出した。
熱した肉体に流した汗が蒸気となって湿度を高める。
これが全集中の呼吸。
身体能力を活性化させる代償、人間の力を一時的に鬼に近付ける術。
幻想ではない、現実に生きる人間が編み出した技なのだ。
私は、刀を鞘に収めた。
「手合わせをして頂き、ありがとうございます」
彼の技と歴史に敬意を称して頭を下げた。
そして草叢に隠れている観戦者に視線を向ける。
「見取り稽古も立派な鍛錬です」
全身を土塗れにした炭治郎がおずおずと姿を現す。
◆
妖夢が拵えてくれた木刀を駆使して悪辣な罠を打ち払った。
木刀を託してくれたおかげで予想より早く下山できた。旅で教えて貰った身の熟しが生きた。
俺一人の力では、間に合わなかったかも知れない。
だけど俺は約束を守る事が出来た。
小屋の近くまで辿り着くと音がした、刃を交える金属音。
妹が穏やかに眠る姿を確認した俺は音がする方へと息を潜めて足を運んだ。
もしかすると鬼と戦っているかも知れない。
だけど実際には、妖夢と鱗滝が刀を交えている所だった。
目で捉える事も出来ない苛烈な剣撃の数々は、見ている方が呼吸をする事を忘れそうだった。
時折、闇夜に舞う赤い雫が、二人の手合わせの鮮烈さを物語っている。
「これが……達人同士の戦い……っ!」
砂塵の舞う中、閃く剣筋は夜空を翔ける流星よりも強く煌めく。
時折、妖夢の刀身から放たれるみょんな、妙な力が周囲を照らして光を散らす。
自然と拳を握る手が強くなる。
分からずとも、感じ取る何かに背中を押されて二人の剣撃を目に焼き付ける。
「降参だ」
死合いにも似た試合は、鱗滝が上げた左手で終わりを告げる。
「手合わせをして頂き、ありがとうございます」
妖夢は、何度か見た、現世斬の構えを解いて、刀を鞘に収めた。
頭を下げた後、最初から分かっていたかの俺の方を見て、姿を見せる様に促す。
鱗滝は片膝を突いて、荒い呼吸を吐き出した。
「歳だな、もう戦闘時に呼吸を維持し続ける事も難しくなった」
鱗滝は顔を上げる。最後に受けた膝蹴りで天狗の面は罅割れていた。
「無尽蔵の体力を持つ鬼との対決は体力勝負、老いて技が冴えても斃せるのは一撃で頸を刎ねる事が出来る有象無象の鬼だけだ。十二鬼月を斃せずして、何が柱か。全集中の呼吸を常中出来なくなったから儂は現役を退いた」
炭治郎、と鱗滝は立ち上がり、面越しに俺を見据える。
「鬼殺隊の隊士の中で最高階級である柱まで登り詰めた儂であっても上弦の鬼には及ばなかった。ましてや鬼の首魁、鬼舞辻無惨は歴代最強と呼ばれた鬼殺の剣士でさえも殺し切る事が出来なかったのだ。今の貴様は鬼からすれば餌も同然、鬼は小僧の事情など欠片程も考慮してくれん」
それでも、と鱗滝は体力を消耗して丸くなった背中で問い掛ける。
「貴様は、鬼狩りの道を進むのか?」
厳しい声色からは優しい臭いがした。
「はい」
俺は力強く頷き返した。
「何故だ?」
重ねて問い掛けられる。
「俺が、お兄ちゃんだからです」
覚悟は、決まっていた。
「だから、お主は……」
激戦の末、パカリと割れた天狗の仮面。外気に晒される鱗滝の素顔は、
「判断が、早過ぎると云うておる」
鬼狩りとは思えない優しい顔をしていた。