みょん柱。 作:みょん!
此処は横浜、赤煉瓦倉庫の並ぶ貿易港である。
寒風の吹く夜空の下で鉄船から大量の積み荷が降ろされる光景を、サングラスを掛けたうら若い見た目の少女が腰に手を当て眺めている。
彼女の名前は、胡桃。もとい、くるみ。
日本語の読み書き勉強中の吸血鬼。結局、まだ胡桃という漢字は書けず、今もまだ自認くるみのままである。中身は幾分か残念であっても、見た目は麗しのお嬢様。汚れのない西洋の白いシャツに袖を通し、サスペンダー付きの黒いスカートを履いている。鍔の広い帽子を被り、日傘を地面に突き立てる姿は何処か良い家の御令嬢に違いなかった。
事実、設定として、彼女は今、とある資産家の養子として扱われている。
「むっふ~ん♪ 無惨様の為にきびきび運んじゃって頂戴! あ、無惨様って呼んじゃ駄目なんだっけ? 俊國だっけ? 月彦だっけ?」
右手に立てた人差し指で
開いた口から覗かせる八重歯は、まるで牙の様だ。
事実、牙である。彼女は吸血鬼、人間の血を啜る化け物である。荷物の搬入作業を文字通り、見届けた彼女は、悠々と帰路に就く。
ペロリと唇を舐め取る仕草を見せながら。
くるみは直帰せず、夜の街に繰り出した。
彼女には、悪癖がある。
深夜に街を徘徊し、摘み食いと称してちょいと生き血を頂戴する。人間の血肉が力になるのは日本の鬼も、西洋の鬼も同じである。彼女が無惨由来の鬼と決定的に違う点は、彼女は人間を恐れていない事。西洋の鬼狩り、吸血鬼ハンターに退治された過去も忘れて、彼女は今夜も生き血を啜る。
口止めもせず、自由奔放に。
仕事終わりにちょいと一杯引っ掛けるてなもんで。
故に彼女が鬼殺隊に捕捉されるまで、あまり時は掛からなかった。
◆
鎹鴉が私、魂魄妖夢の元に鬼の情報をお届けする。
竈門兄妹を狭霧山の鱗滝左近次に預けた後、私は冨岡義勇の紹介で藤の花の家紋に足を運んだ。鱗滝と手合わせした内容は、既に鬼殺隊にも届いており、元水柱を打ち負かす程の腕前ならと外部協力者としての立ち位置を得る。
最初は他の鬼殺隊の隊士との共同任務、村田という名の男と共に最終選別用の鬼を捕らえる任務に就いた。
私が日輪刀を持っていない事を考えての事だろう。
まだ鬼に成って日の浅い鬼を三体、内一体は勢い余って殺めてしまったが残り二体は楼観剣を使うまでもなく徒手空拳で抑え込んだ。
それで任務を繰り返す度に鬼の力量は増し続けて、今は一人で鬼を狩る事も少なくない。
鬼狩りばかりしてる訳ではなく、目的も忘れていない。
あくまでも鬼を狩るのは手っ取り早く路銀を得る為の手段であり、月に一度か二度の頻度で手を貸しているだけに過ぎない。今回、横浜に来たのもその一環になる。
現在、近場に手の空いた隊士が居らず、是非にと私に話が回って来た。
今回の任務、人死にが出ていない。
情報を精査する為に隠と呼ばれる鬼殺隊の諜報部隊が送り込まれていたのだが、鬼と思しき存在の襲撃を受ける。しかし鬼殺隊で話に聞く鬼とは違って、食い殺されなかった。路地裏で倒れた所を街の住民に通報を受けて、警察から鬼殺隊に引き渡される。
回収された隠は憔悴していた。
診断結果は貧血。首筋には獣に噛まれた穴があり、血を啜られたのだと推測される。鬼殺隊にとっては貴重な事件、だけど幻想の血から来た私にとっては馴染みのある内容。妖の人の食べ方は千差万別、恐怖を与えるだけで腹を満たす存在も居る。
妖の類が、悪戯好きの理由でもある。
閑話休題。
少なくとも人に害する存在が横浜に潜伏している事は確かである。万が一にも鬼である可能性がある以上、鬼殺隊としてま放っておく事が出来なくなった。現に被害は出ているのである。被害者に鬼殺隊の隊士が含まれてしまっては尚更だ。
という訳で、横浜に来た私は深夜、被害が出たという場所の付近を適当に歩き回っている。
今回、私の支援をしてくれるのは隠の皆々様。例の鬼と思しき存在を確認出来れば、鎹鴉で私に報せる手筈になっている。
「なんなのよもう! 酷いじゃない!」
程なくして路地裏から飛び出す金髪の少女、西洋風の衣服を着た彼女の背中から蝙蝠の翼が生えている。
既に戦闘中? 違和感を覚えながらも布を巻き付けた楼観剣の紐を解く。街中なので一応の配慮、廃刀令が発令された今の世だと堂々と刀を持ち運ぶ事は拙い様だ。
藤の花の家紋が施された小刀を持っているので職質なんかは不問とされるのですけど。
「ちょっと血を頂こうとしただけじゃないの!」
ほぼ犯人確定の蝙蝠娘は怯えた目で自分が飛び出してきた路地裏の先を見つめる。
「何時の世も妖というのは、人に退治される定めなんです」
彼女の見つめる視線の先、路地裏の闇の中から悠々とした足取りで姿を現す赤髪の少女。高貴な羽織を袖に通し、右手には十手剣を握っている。
「三代目小兎姫、妖死すべし慈悲はなし。との家訓に則り、妖怪退治と洒落込みましょう」
只人の身で、妖怪を相手取る少女が居た。
◆
とある日の事、晩秋の話なる。
「それで博麗大結界を司る巫女の候補は決まったの?」
此処は冥界、白玉楼。閻魔大王の裁判を待つ幽霊の待合所としての意味合いを持つ場所になる。
今は従者が居ない屋敷には、閻魔の好意で一次的に御阿礼の子が派遣されている。転生待ちの幽霊体、本来は閻魔の監督下で雑事を熟すのだが丁度、今は手が空いているとの事で差し出されたのである。
そんな御阿乙女に家事全般を任せる屋敷の主人は、冬眠前に顔を見せに来た友人の賢者に雑談の一環として問い掛ける。
「まだ決まってないわ。候補は絞れて来たけど」
普段の外向けの胡散臭い笑みは鳴りを潜めて、少女臭漂わせる賢者は姿勢を崩して愚痴るように零す。
「冴月家の娘が最有力候補だけど、博麗大結界を維持し続けるだけで力の大半を使ってしまうのよ。人間側の調整役としての役割が果たせなくなっちゃうのよね」
「前に話していたみたいに結界の巫女と退魔の巫女は別に用意するって事かしら?」
「そうなると結界の巫女が妖怪に狙われるから自衛して欲しいのだけどね。あんまり私が守るのも妖怪側に舐められちゃうし、退魔の巫女を護衛に付かせても、搦め手は人間の専売特許ではないしねえ」
賢者は大きく溜息を零し、保険として確保しておくけど、と続ける。
「退魔の巫女の方は、もう見つけてるんだったかしら?」
屋敷の主人が御阿乙女に用意させた煎餅を頬張りながら問い掛ける。
「ええ、とびきりのが居るわね。とりあえず人里の警護を任せたいと思っているわ」
「大丈夫なの?」
屋敷の主人は、不安を問い掛ける。
人里は今、妖怪の賢者の庇護下にあり、自分の縄張りにする事で妖怪の手出しを抑え込んでいる状態が続いている。しかし妖怪は人間の恐れを糧にする存在。故に賢者は、人間と妖怪は対立関係にある事が好ましいと考えており、現状を良く考えていなかった。
一定の規則を設けるのは前提とし、人里は、同じ人間が管理し、防衛するのが望ましいと考えている。
何よりも彼女が夢と現の境界を保つ為に冬眠している間、人里を狙う妖怪が現れないとも限らないのだ。
「まあ、人里の警護に関しては妖夢でも構わないのだけど?」
「妖夢はウチの子です。あげません」
「頑固ねえ」
「妖夢は、私がお腹を痛めて産んだ可愛い子なのよ? 記憶にないけど」
妖夢も産んで貰った覚えはない。
「親馬鹿ねえ」
賢者が溜息を零せば、「それでその最有力候補って?」と屋敷の主人が問い掛ける。
「名前だけなら貴女も知っているわ、小兎姫って云うのよ」
友人の言葉に、ああ、と主人は声を零す。
「歴代最強の妖怪退治だったかしら?」
「当時の、ね。今は三代目なのだけど、凄いわよ。私でも正攻法では、勝てないかも知れないわ」
「そんなに?」
「そんなによ」
賢者が笑みを深める。
「彼女は、幻想郷の鬼にすら正攻法で勝てる可能性がある」
胡散臭い笑みを浮かべる友人を前に屋敷の主人は「ふうん?」と煎餅を齧った。
◆
時は遡り、吸血鬼娘が摘まみ食いと称した寄り道に洒落込んでいる時の事である。
くるみは見た。
高貴な羽織に袖を通した少女の姿を。
くるみは来た。
少女から醸す処女の香り、思わず喉を鳴らして接触する。
そして、くるみは負けた。
話し掛けるよりも先に投げ飛ばされた。
気付けば、世界が回って地面に叩き付けられて掴まれた片腕を締め上げられる。幸いにも、くるみは吸血鬼だったので蝙蝠変化で辛うじて窮地を脱する。
あと判断が数瞬でも遅ければ、腕が破壊されていた。
くるみは鬼ではない。人間よりも優れた再生能力は持っているが、無惨由来の鬼の様に一瞬で重傷を治せる程の力は持っていなかった。回復するには生き血が必要になる。
臨戦態勢に入った小兎姫が振り袖から十手剣を取り出す。
妖を前にしても恐れず、悠々と前に歩み出す彼女の姿にくるみは欧州で自分を退治した吸血鬼ハンターの事を思い出す。月が刻印された懐中時計、カチリとボタンを押すと時が歪んだ。一瞬で全身を斬り刻まれた時の記憶が想起する。
あの化け物と同じ類いの人間だと、全身が粟立った。
「ななななんで、貴女みたいな人間がこんな所にいるのよ!」
「なんでと言われましても、妖の気配を感じたのでとしか言い様が」
「ほらもっと危ない奴とかいるじゃない! 鬼とか、鬼とか、あと鬼とか!!」
「ああ、巷を騒がせている人喰い鬼の事ですか? あちらは鼻が利かないんですよね」
何故でしょう? と首を傾げる彼女にくるみは自分が末路を幻視する。嫌だ、と思った。まだ現世を満喫していないのだ。故に、彼女は逃げの一手。蝙蝠の翼を広げて、空へと羽ばたいた。
「逃がしませんよ」
小兎姫は路地裏の壁をトントンと駆け上がり、既に建物の二階程まで飛んでいた吸血鬼に飛び掛って胸倉を掴んだ。
「ひえっ」
くるみは蝙蝠化で逃げようと試みる。
しかし小兎姫は経験から知っている。
妖の変身能力は、無意識では使えない。
意識する必要があるのであれば、と空中で吸血鬼と共に縦に回転させる。視界が回り、上下も分からなくなったくるみは蝙蝠化の能力が使えない。ついでに飛行も維持出来ず、落下する勢いのまま、ズシンと頭から地面に突き刺さる。
地面に咲いた深紅の花を避ける様に小兎姫は飛び退けば、頭部の砕けたくるみの身体が逆さまのままビクンと痙攣する。
「ああそうそう伝えるのを忘れましたが」
と小兎姫は身嗜みを整えながら続ける。
「私、強いんですよ?」
相手が人間なら殺していた。
人間じゃなかったので問題ない。
地面に倒れた吸血鬼の身体、失った頭部に地面に撒き散らされた血が集って骨を象り、次に筋肉、そして皮膚の順番で再生する。
闇夜に映える金色の髪の再生を終えた時、前髪に隠れる彼女の顔は吸血鬼らしく青褪めていた。
(駄目だ、逃げる事も出来ないッ!)
くるみは吸血鬼としては、中程度。それでも竜を語源とし、鬼の一字を持つだけあり、欧州の妖怪の中では最上位に位置する種族の一つである。
吸血鬼は血筋を大切にする貴族社会。
故に誇りを大事にしており、他種族を見下す傾向にある。
慢心にも似た自尊心が、吸血鬼の付け入る隙だった。
だがしかし、くるみは血統書がない雑種である。
自由奔放に血を啜り、長く生きた分だけ力を得た運の良さだけが取り柄の吸血鬼である。まだ人間だった時、向けられた銀の銃弾の入った拳銃が偶然、暴発した。砕けた銀を全身に浴びたのは、無力な小娘相手に慢心した吸血鬼であり、銃口を向けられた小娘は全身に幻想の血を浴びる。
それが始まり、彼女は身元不明の吸血鬼として新たな生を受ける。
ただ分かるのは、なんとなく彼女が受けた血の主は、格式高い吸血鬼であったのでないかという事だけである。
故に、くるみは叫ぶのだ。
「助けて無惨様ああああっ!!」
無惨はキレた。
◆
かくして、時は女剣士が吸血鬼と接触した場面に合流する。
路地裏から小兎姫に投げ飛ばされた吸血鬼娘を妖夢が捕捉する。突如、目の前に現れた少女の背中に蝙蝠の翼が生えているのを見た妖夢は、刀に巻き付けていた布の紐を解く。露わになる刀を見たくるみは、臨戦態勢を取る。
逃げるのは不可能。故に覚悟を決めた彼女は、小兎姫ではなく女剣士に向かって駆け出した。吸血鬼の身体能力を全身全霊で解放する。
スカーレットウォーク。
跳ねるような軌跡を画く、高速突進技。
空気の壁、音速にも迫る速度を前に女剣士は、静かに息を吐く。
フッと音が消えた。
擦れ違った、吸血鬼に手応えはない。
捕まえて人質にしようとした女剣士の身体は、まるで幻の如く姿を消す。
「雨を斬れる様になるには三十年は掛かると云う」
背後に音、女剣士の軽い足取り。無防備に晒された背中を見て、吸血鬼は考えるよりも先に飛び掛かる。
「空気を斬れる様になるには五十年は掛かると云う」
気付けなかったのは、刀が抜き身になっている事。
刀を鞘に収める時の擦れる音。
そよりと頬を撫でる感触。今更、止まれず吸血鬼は加速する。
「剣伎・桜花閃々」
キンと澄んだ音が耳に響く。瞬間、霊気の解放。吸血鬼娘の瞳に無数の剣閃が閃いて、弾ける桃色の霊気が視界を覆い尽くす。百花繚乱、身を隠せる安全地帯など何処にもない。少なくとも吸血鬼娘では、安置を見つける事は出来なかった。
「時を斬れる様になるには二百年、非才の身では先が長いなあ」
一本、吸血鬼娘は地面に倒れ伏す。
……。
…………。
………………。
無惨はキレた。
しかし吸血鬼の生体をまだ調べ尽くした訳ではない。
故に放置しておく事は出来ず、丁度、手の空いていた鬼に指示を出す。
駆り出された鬼は、鳴女の力を借りて、ベンと弾く琵琶の音と共に横浜に降り立った。
降り立って、鬼は周囲を見渡す。
久方振りの人の世、様変わりした景色に時の流れを感じ取る。
光陰矢の如し。
無限城に引き籠っていると時の流れを忘れてしまっていけない。
空を見上げる、星だけは昔と変わらない。
視線を地上に戻す。
足元には、見知った吸血鬼娘。全身に斬り刻まれた痕がある。
なるほど、相手は剣士。
鬼は腰に佩いた刀の柄に手を添える。
周囲に視線を送る。
剣士が一人、警邏が一人。
腕は立つ、しかし、日本一には程遠い。
「このお調子者を引き取りに来た」
上弦の壱・黒死牟。無惨配下、最強の鬼が人里の地を踏み締める。
誤字報告、ありがとうございます。
今回、酷くて申し訳ありません。