みょん柱。 作:みょん!
琵琶を弾く音が聞こえた次の瞬間、忽然と障子が出現して開け放たれる。
何もないはずの向こう側から姿を現すのは長躯の男、紫色の上着に黒い袴を履いた趣のある侍装束。腰に佩いた刀の柄に片手を添えた立ち姿には、彼が歩んで来た歴史の重みが感じられる。
即ち、格が備わっている。
私、魂魄妖夢は肌を刺す剣気に身体が強張るのを感じ取り、一度、大きく息を吸い込んでは吐き出した。
背中の楼観剣を腰に回して、臨戦態勢を取る。
前髪から覗かせる顔に六つの目が付いている。
刀もまた異形、無数の目が刀身全体に付いた悍ましい見た目をしている。
何よりも祖父に似た雰囲気のある立ち姿に警戒をせずに居られない。
しかし紫羽織に袖を通す十手剣の少女は軽やかに歩み出る。
散歩でもするかのようにピョンと視線を超えて、異形の侍を見据える。
聞いた事がある。
私が生まれるよりも遥か昔に活躍した妖怪退治の話。
江戸近辺を縄張りとし、外征する事はない。
人里に紛れた妖を見つけ出しては問答無用に退治して回る姿から少女は赤い通り魔の名で恐れられた最強の妖怪退治。余りに強過ぎたので後継者が出ず、正式に二代目を襲名したのは百年以上も後の話。初代の腕には、遠く及ばず、彼女の技を修めて襲名しても三代目を名乗る者は現れなかった。
初代小兎姫の技は文字通り、次元が違う。
世界の理に喧嘩を売る所業であったと祖父が二代目と手合わせをした時に聞いた話だと云う。
祖父がまだ、時を斬る、という発想すらなかった頃の話だ。
「……貴様に似た風貌の女を斬った事がある」
異形の男は歩み寄る少女を見つめて告げる。
「名は小兎姫、二代目を名乗っていた。日本一を名乗るには、軽い名前だった事を覚えている」
「貴方が、先代様を?」
三代目を名乗る小兎姫の笑みが僅かに強張った。
「……実戦的な技ではなかった」
祖父も言っていた二代目小兎姫の技は定められた規則の中でしか効力を発揮しない。
実戦とは掛け離れた演武に過ぎなかった。
なので斬り結ぶ事はしなかった。試合形式での果し合いもなかった。
技をかけあう事で術の理を知り、魂魄流指南剣術で指導する護身術の骨子となる。
二代目は、妖怪退治ではなかった。
武の探究者、もしくは研究者としての性格が強かった。
「実戦での強さだけが人の価値だと思ってんじゃねえですわ、クソ野郎が」
三代目の気配が変わる。
瞬間、彼女の戦意に誘い出される形で異形の侍は剣を振った。
綺麗な、剣筋だった。
ただ一振りに、幾百年と積み重ねた鍛錬の軌跡が内包されている。
時間にして一秒にも満たない。
死んだ、と思った。
三代目が、余りにも無防備に無数の目が付いた刀身を迎え入れたから。
瞬きにも満たない瞬間、異形の侍は逆さまになって宙を舞っていた。
少女は十手剣を持った右手を頭上に上げている。
何が起きたのか分からない。
目で追い切れない速度ではなかった。
しかし、目で見ても理解が出来なかった。
「先代様が偉大なのは、天才肌の初代様の遺した技を言語化して後世に遺した事にあります。彼女が居たから初代様の技は失伝せず、理論上可能実現不可能と言われ続けても私の代まで残り続けました」
空中に身体が放り出された状態で異形の鬼は刀を振るった。
剣閃に無数の月模様? 三日月型の鎌鼬に似た斬撃が付随している。
世の理を超えた何か。
そういうものがあると私は知っている。
妖怪が扱う特異な能力は、世の理を捻じ曲げる。
だが、小兎姫は、初見で相手の斬撃の性質を見切り、十手剣で搦めて相手の身体を地面に叩き付けた。
「喜びなさい、貴様の相手は我が流派の紡いだ歴史であり集大成。所詮、孤独に積み上げた剣術如きが相手にならない事を教えて差し上げますわ」
地面に叩き付けられた異形の侍は、無表情で身体を起こす。
砂埃を払いながら十手剣を構えた少女を見据えて「実に良き技」と賞賛し、軽く息を吐く。
独特な呼吸音、全集中の呼吸?
感触を確かめる様に一度、片腕で刀を振り、構えを取り直す。
「此方も抜かねば……無作法というもの……」
そう静かに彼が告げた時、ぶるりと私の身体が震えた。
◆
直前まで、余裕を保っていた小兎姫が表情を崩したのは黒死牟が刀を振ったのと同時である。
「月の呼吸・壱ノ型、闇月・宵の宮」
小兎姫は最初、十手剣で絡め取ろうとして直前で素直に受け止める。
三日月の余波が袖を斬り、手首の皮膚を裂く。刃を受け止めた十手剣越しの衝撃波は堪えず、軽く跳んで背後に大きく退く。距離を取った次の瞬間、黒死牟が高速で刀を振る。
──月の呼吸・陸ノ型、常世弧月・無間。
無数の斬撃、無数の余波。縦横無尽に飛び交う斬撃を前に小兎姫は十手剣を前に突き出す。
金属同士が擦れる音。小兎姫の高貴な羽織は切り刻まれる。
血が飛んだ。しかし皮膚は裂かれても肉には届かず、致命傷だけを的確に受け流す。
「魂魄流指南剣術、現世斬」
愚直なまでに真っ直ぐな剣閃が閃く。
技の打ち終わりを狙って、小兎姫の背中から半人半霊の女剣士が飛び出した。
黒死牟は、刀を縦に構えて渾身の一撃を受け止める。
鍔迫り合い、体格差は明らかだ。
まだ人の域を脱した訳ではない妖夢では力で押し込まれる。
「偶には、共闘というのも悪くありません」
妖夢の背後に小兎姫の姿、彼女が妖夢の背中に手を添えた次の瞬間、押し込んでいたはずの黒死牟が膝から体勢を崩す。
「珍妙な」
そのまま小兎姫は妖夢の背中を下に押し込んで跳躍し、姿勢が低くなった黒死牟の頬に蹴りを叩き込んだ。小兎姫には、素手で鬼に傷を負わせられる程の膂力はない。一見すると意味のない攻撃、次の攻撃が一瞬、遅れる隙を生み出す程度の一撃だ。
「弦月斬」
だが次の斬撃を加えるのに、その一瞬が必要だった。
妖夢が全身の
だが彼が掴んだのは、両者の間に割り込んだ小兎姫の細腕だった。
「積極的ですねえ」
黒死牟が反応するよりも早く、ぐるんと六つの視界の天地が回る。
しかし地面には叩き付けず、空中で手放した。
逆さまになった黒死牟の視界に映る一人の女剣士、楼観剣を構えて霊気を体内に溜め込んでいる。
「彼岸剣・地獄極楽滅多斬り」
一瞬で無数の斬撃。速度だけであれば、妖夢は黒死牟にも劣らない。
彼女の斬撃を受け止めた黒死牟の身体は大きく後方に吹き飛んだ。
妖夢は臨戦態勢を解かず、気を張り詰める。
手に残る感触は、斬るというよりも鉄に鉄を打ち付けた手応えだった。
即ち、受け止められた。
小兎姫もまた構えを解かず、妖夢の隣に立った。
「決め手に欠けます」
妖夢が言った。
「今からでも見逃した方が良いでしょうか?」
小兎姫が軽い調子で応える。
「正直に云うと先程の技、実戦向けではなく、無暗矢鱈と斬撃の数だけ増やした創作技なんですよね」
二人が言葉を交わしていると吹き飛ばした先で殺意が膨れ上がるのを感じ取る。
「月の呼吸・漆ノ型、厄鏡・月映え」
小兎姫が妖夢の前に躍り出る。十手剣を前に突き出した構えを取る次の瞬間、地走りの斬撃が放射線状に放たれる。小兎姫が十手剣で斬撃を受け流す、が、月の呼吸による三日月の余波が小兎姫の足を切り裂いた。致命傷ではない、だが軽傷でもない。機動力は確実に奪われた、それでも斬撃を背後に逃さなかった。妖夢が前に出る、と同時に黒死牟も前に飛び出す。
「くうっ──人智剣・天女返し!」
妖夢が一瞬で放った切り返しの二連撃。
「参ノ型、厭忌月・銷り」
対して黒死牟は左右に振った四連撃で迎え討った。
結果、三日月の余波もあり、妖夢の全身が斬り裂かれる。
血飛沫が上がった。
表面だけだ、見た目ほど傷が深い訳ではない。
しかし技に支障が出る傷を負った。
「終わりだ」
歯を食い縛り、刀を握り締める妖夢に対して、黒死牟は刀を振り上げる。
「チィ……ッ!」
小兎姫が駆けようとし、傷を負った足の激痛によろめいた。
数秒の損失。黒死牟を相手にするには致命的過ぎる時間だ。
妖夢は歯を食い縛り、生存の道を模索する。
だが、無情にも妖夢が体勢を立て直す前に黒死牟は技を繰り出した。
「月の呼吸・壱ノ型、闇月・宵の宮」
横薙ぎに払われた無数の三日月の余波を伴った一閃、黒死牟は距離を見誤る事なく確実に捉える。
「…………ふむ」
しかし手応えはなく、余波も含めて黒死牟の技は空振りに終わる。
妖夢は立ち尽くしていた。
剣を振る事もなければ、構える事も出来ていなかった。
両者、今起きた現象に驚きを隠せない。
傍から見ていた小兎姫も同様、不可解な現象に空白の間が発生する。
「どうしてこうも寿命を踏み倒そうとする輩が増えるのか」
概念的な間を、物理的な距離を一瞬で埋める娘が一人。
まるで瞬間移動でもしたかのような距離の詰め方に黒死牟が目を見開く。
速度ではない、鳴女の空間跳躍でもない。
片手に大きな鎌を携える彼女、少女と呼ぶには成熟した容姿をしている。
まるで死神のようだ、と小兎姫は思った。
癖の強い赤い髪を二つ結いに纏めた彼女を見て、妖夢は口元を綻ばせる。
今、何が起きたのか彼女は察した。
「小町さん、今度は何をやらかしたのですか?」
妖夢の問いに小町と呼ばれた娘は「いやねえ」と後頭部を掻きながら答える。
「何時もの舟渡しで幽霊相手に喋り込んでたら行列が出来てしまってね。ウチの閻魔さんも御冠で外回りの仕事に駆り出されてしまったんだよ」
管轄外だが仕方ない、と彼女は大鎌を構えて異形の侍と対峙する。
「彷徨える魂を送るのが私の仕事でね。趣味が悪い刀だが売れば、二束三文で売れるだろうよ」
小野塚小町、三途の川の船頭。距離を操る程度の能力を持つ。
◆
現世の人喰い鬼は、是非曲直庁でも幾度となく取り上げられた議題になる。
太陽の光を浴びると塵になる存在は、本当に人間と同じ存在と認めて良いのか。妖怪と同じ存在とすべきか、人間の魂として救済を与えるべきか。是非曲直庁の閻魔達は、人喰い鬼の扱いに困り果てる。
結果として、死神の人手不足もあり、天人と仙人の対応だけで精一杯という事情から、人喰い鬼の問題は後回しにされ続けている。
今回、私、小野塚小町が駆り出されたのも人喰い鬼が理由ではない。
道中、見知った顔が見つける。
相手は、冥界管理人のお気に入りだ。
是非曲直庁と白玉楼の関係を円満に保つ意味でも助けた方が利があると割って入る。
これでも戦闘経験は少なくない。
昔は、天人と仙人を閻魔の前に突き出す為の戦闘部隊に所属した身の上、戦闘力には、それなり程度の自信がある。
故に分かる、目の前に居る人喰い鬼の化け物具合に。
「そういえば、人喰い鬼の調査に出た同僚が帰って来なかった事があったね」
距離を操る程度の能力を持っている私にとって間合いは関係ない。
死神全員が扱える訳ではないが、種族特性として与えられる能力の一つであり、死神と対峙した天人と仙人が逃げ切れず、実力で死神を追い返す必要がある理由になる。
大鎌を両手で回して構え直し、余裕はなくとも不敵な笑みを浮かべる。
(死神の戦闘技術は、武術云々というよりも部隊単位。種族的に格上の天人と仙人を囲って叩くのが基本なのだけど……不味ったね、相手の土俵に立ってしまった)
能力の発動にも誤差がある。
先の先だとか、後の先だとか、そう言った技術は学んでおらず、経験で誤魔化して来た。
相性を考えれば、妖夢と、警邏に任せたいのだけど負傷している。
逃げるだけならば、簡単なのだけど。
相手は人喰い鬼、寿命が尽きる前に人が死ぬ要因になっている。
妖怪が人間を食い殺したのか。
人間が人間を殺めたのか。
議論は尽きず、ウチの上司も頭を抱えている。
「……参る」
人喰い鬼が独特な呼吸音を発する。
如何なる天人よりも、仙人を相手にした時よりも張り詰めた空気に冷や汗が流れる。
駄目だ、自分の手に余る相手だ。
能力の発動範囲に妖夢と警邏の女も含める。
死神は、寿命がまだ尽きていない相手を助ける事に関しては咎められない。
しかし船頭として働いた数十年分の空白期間が、能力が発動する時間に遅延を発生させる。
時間にして一秒未満、その僅かな時間が致命傷である。
「割り込んだ癖に全然頼りにならないじゃんバカーッ!!」
人喰い鬼が動き出す直前、視界の端から生首が飛来する。
刀は私達に振るわれず、突撃して来た何者かを両断した。
あれは何者だ?
兎も角、隙が出来た。逃げる算段を立てた私の脇を風が吹き抜ける。
「現世斬」
半人半霊の半人前が人喰い鬼を相手に斬り込んだ。
何をしているんだ、この馬鹿は。そう悪態を吐く前に死神部隊に所属していた時の経験から能力を発動する。妖夢と人喰い鬼の距離を操作、世の理を無視した距離の詰め方に人喰い鬼は目を見開く。驚いてくれなきゃ困る。じゃなければ、妖夢が死んでいたかも知れない。急に間合いが変わって妖夢は僅かに体勢を崩した。それが呼び水となり、人喰い鬼は防御よりも反撃に出た。
だが妖夢の強みを私は知っている。
怠慢な私と違って、人の一生分以上の時間を剣に費やした彼女は、多少体勢を崩した程度では止まらない。頭の理解が追い付かずとも、沁み付かせた身体は反応する。
努力は、裏切らない。
積み重ねた鍛錬が、正しい剣筋を導く。
故に一閃、楼観剣が人喰い鬼の胴体が斬り裂いた。
血飛沫が上がり、地面を濡らす。
だが浅い。攻撃直後の無防備な背中、人喰い鬼は与えられた傷を意にも介さず刀を振り被る。
あれは、不味い。
私と妖夢の間に人喰い鬼の身体があって、距離を操作できない!
「あの者の傍へ」
警邏の娘の言葉に、能力を使って人喰い鬼の傍まで送り込んだ。
次の瞬間、人喰い鬼の身体がくるんと回転し、顔面から地面に叩き付けられる。
彼女は何者だ?
脚を負傷した状態で、あれほどの技のキレ。
余りにも見事に投げ飛ばした姿に驚きを隠せない。
「あああああ! どうとでもなれーっ!!」
何処からともなく叫ばれた言葉に周囲から無数の生首が飛び出した。
生首の口に咥えた小刀の切っ先を俯せに倒れる人喰い鬼の身体に群がり全身を突き刺す。
なんだあれ、まるで巣を突かれた蜂のようだ。
そして最後に首のない胴体が現れて、足を負傷した小兎姫を抱えて逃げ出した。
「相棒ゥ~っ! 無茶し過ぎだってェッ! アレやばいよ、マジやばい!」
「赤蛮奇、なんで逃げるのよ!?」
「違うって! 人喰い鬼は特別な刀で頸を斬らないと死なないんだって!!」
「なら女剣士も一緒に!!」
「二人は無理だってェ~~ッ!!!」
赤蛮奇と呼ばれた妖怪が叫んだその時、三日月の余波を伴った無数の斬撃が人喰い鬼に群がる生首を切り払った。
「月の呼吸・伍ノ型、月魄災渦」
数十を超える生首が塵となって消滅し、首のない身体に集まる三つの生首が青褪めた顔で口をパクパクと開閉させる。
「此処までされて逃がしちゃったら無惨様に怒られちゃうわっ!!」
赤蛮奇が思わず、足を止めた横っ面に吸血鬼娘が飛び掛かる。
「へぶっ!!」
が、吸血鬼娘は横から飛んで来た蝦蟇口財布を頬に受けて吹き飛んだ。
更なる乱入者に蝦蟇口が飛来した方角に視線を向ける。
全身に宝石を身に付けた西洋被れの少女が佇んでいた。
自身の両拳を突き合わせて、地面に倒れた吸血鬼娘に歩み寄る。
「私が唾を付けた男に手出しをした悪い子ちゃんは、貴女であってるかなあ?」
彼女の纏う厄と漏れ出す神気で私は、彼女の正体を看破する。
「この依神女苑の男を傷者にしたのはお前だなァーッ!!?」
ハイカラな彼女は、疫病神だ。