語り部は、大海を揺らす蝶となるか?   作:月日は花客

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1話目:語り部のカタリベ

 

 恥の多い生涯を送ってきたわけでもなく。

 

 ただ平凡で、しかしそれが私自身の確かな生だったと胸を張って言える、そんな涯てでありました。

 往生ののち、至るは天国地獄かそれとも無か。

 ぼんやりとした、自我らしい自我もまるで無い人魂となった折、遠くから随分と心地の良い波の音が聞こえたもので……つい、そちらの方へ、ゆらゆらと外れていったのです。

 

 そのせいでしょうか、輪廻も次元も超えてしまって、本来三次元(奥行き)四次元(時間)も無いはずの世界へ、迷ってしまったのが今の私でございます。

 

「カタリベのねーちゃん! 今日も話聞かせろ!」

「ちょっとゾロ! 失礼でしょ!」

「飽きずによく来るね。ここまで来るのにも一苦労だろうに」

 

 私は、本来飛び抜けた何かを持ったわけでも無い、ただの人間でありました。

 しかし、転生ののち、何かが歪んだのか或いは欠けたのか、こうして村のはずれで妖のように暮らす人でなしへと成っていたのです。

 私には人であった頃の記憶があり、それが己の前世であることは理解していました。

 そして、私が今生きるこの世界が、本来洋墨(インク)によって描かれた架空の世界であることも、また知っていたのです。

 

 私の家は、シモツキ村という東の海にあるとある集落のはずれ、百もある階段を登った先にある社です。

 人ひとりが辛うじて座れる程度の板以外には、古く波打った和綴の本が、ぎゅうぎゅうに詰まっているボロの社。

 村の大人が、こんな住む場所もない社にずっといる私を、子どもから離さなかったのは、一重に私が大人しく、害のない存在だったからでしょうか。

 

 地球よりも不可思議が多いこの世界では、多少奇特な存在も、人畜無害を装えば案外簡単に懐に入れるものでした。

 

 目の前には、元気に階段を駆け上がって、頬を赤くしながらも話を強請る、可愛い子どもがふたり。

 緑の髪と、黒の髪。村の中では珍しく、私になにかと話しかけてくる子達だ。

 その名も正体も私は知っているけれど、何の罪もない子ども相手に何かを奪うような、そんな酷いことは私はしない。

 

「階段を登るのも修行になるからな。このくらい楽勝だ!」

「すみません、毎日毎日」

「いんや、私も話し相手がいるのは嬉しいことさ。さて、今日はなんの話を語ってやろうか」

 

 緑の髪の少年が、竹刀をぐっと握って笑う。陽だまりのような晴れやかさに、思わず目を細めてしまう。

 黒い髪の少女は、私について家から何か言われているのだろう。どこか丁寧な態度で、しっかりとしている。

 

 私は、いつも持っている煙管(キセル)を口元に、ふぅと息を吐く。

 煙はどこか日本画らしい細い線を象り、大気に消えずその場を漂っている。

 数度、それを繰り返せば、私と子ども達を煙が囲った。

 

「そうさね、今日は──『剣の四君子』でも話そうか」

 

 その言葉に、子ども二人はその場の石畳へ座って、細やかに瞳を輝かせた。

 うずうずと、普段は長話を聴いていられないゾロも、その時ばかりは黙って膝を抱えているのだから、面白い。

 くいなは、ゾロ程あからさまではないが、語りが始まると、きゅっと息を詰めるのだ。

 

 ゆらりと、煙が二人の人を形取る。

 柳美人の女に、まだ幼い男の子だ。

 

『母のすがたを見ると、甚助(じんすけ)の目はひとりでに熱くなった』

 

 母の笑顔が見たい幼い甚助は、母が喜ぶことは何だろうと考え、己が好く書を読めた時と、長柄の刀で樹がよく切れた時だと思い至る。

 

 煙が、柄の長い刀を写せば、二人の目の光がより強まった。

 二人とも剣の道を学ぶ者であるから、刀の登場は胸を躍らせるのだろう。そう思って、この話を選んだのだ。

 煙は、私の語りに合わせ、その形と色を変えていく。

 

 甚助を囲う森の木々、その奥にある神社のお宮。

 見事に樹を()っていく甚助は、若くして父を亡くしており、その死因が戦場(いくさば)で誇りをもって討ち死んだのだと信じていた。

 しかし、年幾ばくか過ぎた頃、その念に暗雲来たる。

 己の父は本当に戦場で死んだのか。過去の、商人(あきんど)が言った闇討ちの文字が頭を離れないのだ。

 

 闇の中殺されたという疑惑に、二人の表情が強張る。

 シモツキ村は剣の強者が多く、平和な村だから、海賊や山賊の被害もとんと聞かない。

 ああ、ゾロの親は海賊に討たれたのだったか。社をめったに離れない私は、その時を見ていなかった。

 誰とも知らぬ凶刃に斃れたとなると、誰とて穏やかではいられないだろう。

 

『「考え事が、胸にでき宿り始めたのじゃろ。何か、人にも云えぬ考え事が」』

 

 我慢も限界、神社の神主、山辺守人(やまのべもりと)に泣きつき、守人の口聞きで甚助はその真相を聞くことになった。

 考え事を宿したと守人の台詞が読まれた時、くいなは少しだけ、その視線を煙から離した。

 既に、彼女の中で先への曇りが見え始めているのだろう。私はそれをそっと見ないフリをした。

 人の身はそれだけで苦労も多いものだ。

 

『「きょう初めてはなすが、真は、其方の父は、人手にかかってお果てなされたのです」』

 

 真実に、ゾロの喉が鳴る。

 闇討ちの話は真実であった。母は泣かず、しかし泣くよりも泣くような表情で、それきり、多くを語らなかった。

 しかし甚助には、その真相への強い思いが、胸の内にずっと居座っている。

 元服し、十五になった甚助は旅に出た。

 諸地方の剣の名手を尋ね、豪の者を辿り、四年。

 しかし、その誰もが、戦乱の世の中では会うことが叶わなかった。

 

「なんで、家にいないんだ? ゆーれき? ってなんだ?」

「遊歴とは、修行やら物見の為に、諸国を渡り歩く事を言う。弟子を多く連れ、諸方を廻り、鍛えるのさ」

「ふぅん」

 

 剣の師事は乞えなかったものの、甚助は父の復讐相手を捉えていた。

 しかし、相手は千軍万馬の強者であり、悪人ながらもその傍若無人な戦いぶりから、主に重用されていた。

 若き甚助の剣では、その首へ刃を届かせることも叶わぬだろう。

 

「しかして、ここで終わる甚助ではあるまいよ」

「そうだよな、今は敵わない相手でも、修行して強くなれば……!」

「…………」

 

 ゾロの、真っ直ぐに注がれた戦意の言葉は、明らかにくいなを意識していた。

 この頃、何戦目かは私は知らないが、もう三桁はとっくに超えているだろう。

 鍛えること、研ぐことを真剣に信じている少年の言葉は、隣の少女にはあまりにも純粋過ぎる。

 くいなは、やはりまた煙から目を逸らした。

 

 彼女には酷な話だっただろうか。

 だが、彼女もやはり、甚助がこのまま諦めるとは思っていないらしい。

 隣に置いてある白い鞘の刀を、強く握り直した。

 

『彼は百日の参籠(さんろう)を誓願したのだった。

 朝夕一椀ずつの粥を守人から恵まれる他、何も口にしなかった。七日、二十七日は、まだまだ鋭気もあったが五十日、六十日となると、肉は落ち、(まなこ)は澄み、皮膚は垢を持ちながら蝋のように白くのみあった。』

 

 月の晩も、風の昼も山からは激しい修行の声がこだました。

 ただひたすら、甚助は剣を振っていたのだ。

 

『革紐の帯をなであげて、左手(ゆんで)が、鯉口に触ふれる。右手(めて)が、軽く柄をうつ。

 瞬間。

 上体が折れる。満身の毛穴から、喉を破って、声が発しる。

 一輝、風を断つ。

 その時はもう、風か影か、空を一(さつ)した太刀は、彼の腰間の鞘に吸われているのだった。肉眼では、その間の剣のうごきは、見て取れないくらい(はや)かった。』

「……ッ!!」

 

 言葉とは不思議なもの。

 たった数行の文字だけで、その剣の鋭さ迅さ、技巧の逸脱が、肌でわかる。

 頭が、風よりも速い一太刀によって、空間を靡く風を切り捨てた一閃を、頭に描くのだ。

 目では捉えられない、正に達人の剣筋が、そこにある。

 

 子ども達も、その語りを聞けば声をつぐみ、唾を飲んだ。

 そして己の側にある刀を見やる。

 風は切れるのか。

 居合はその目に残像を残すのか。

 考えて、より甚助の至った高みに汗を垂らすのだろう。

 童は反応が良くて語りがいがある。私は、そんな興奮気味の彼らを満足げに見つめた。

 

『自然は皆師だ。一冊の書物に師となることばがあれば、一木一草にも師となる声はあろう。そう考えて、彼は自嘲の一詩を旅の記に賦し、故郷(ふるさと)産土神(うぶすなかみ)の前に(ぬか)ずき、嬰児(あかご)にかえったような心で

「我に、前人未到の剣の極理を授けたまえ」

 と、すがった。

 彼の誓願は、

「人の末流を汲まんより、われ自ら一流の祖たらん」

 というにあった。』

「……つまり?」

「バカね。誰かの剣の教えを学ぶより、自分がその剣術の初まりになるってことよ」

「バカは余計だろ! でも、甚助はすっげーな! 先生に教わらず、自分で剣の極意を掴むって決めたんだろ?」

 

 興奮がピークに達したのか、ゾロは立ち上がって拳を前に突き出した。

 くいなはそれを呆れ気味に横目にしつつ、煙が象った甚助のシルエットを羨望の眼差しで仰いだ。

 自分にはできないと諦めるような、どこか、仄暗い寂しさを、前髪の陰に潜ませて。

 

「それでそれで、甚助はどーなるんだ!?」

……『五、六十日目から、ようやく、

「苦行のかいがあったか」

 と思われるように、頭脳は冴え、心は清澄に、技もわれながら、見事になってきた。

 しかし、それは、技のみであった。

「心は?」

と訊ねてみると、空漠だった。何も得ていない気がした。』

 

 甚助は壁にぶつかった。不甲斐なくなり死にたくもなったが、それすら超えて魔とも人とも思われない形相になった頃日付は九十を超えていた。

 

 母である楡葉(にれは)も、この間何もしなかったわけではない。

 夜中、響く甚助の(しわが)れた声を、寝ずに聞いていた。

 しかし、子に向ける愛からか、百日顔を見せないと誓ったそれを破り、甚助のいる山まで神社を登ってしまう。

 しかし、守人の言葉と制止により、会うことは叶わなかった。

 それでも彼女は、まだ五月の冷たい川に体を浸し、森の方へ向けて、夜もすがら掌をあわせた。

 

 そうして、ある夜明け。

 楡葉と甚助がそれぞれ川と森で倒れているのを、村人と守人が発見した。

 

 幸いにも、生命は無事蘇生し、助かった。

 回復した彼らは、神社にお礼参りへ行く。

 そこで語られたのは、あの苦行の果て、神の御霊現(みさとし)を得られなかった、というものだった。

 これには、ゾロもくいなも目を見開く。

 あの苦行は無駄だったというのか。甚助は力及ばずに終わってしまうのか。

 物語にのめり込んだ彼らからは、手がきつく握られる音が、私の煙を吐く音に重なった。

 

 煙は、しかし何か、言い難い感覚を覚えたという甚助の長柄を象っている。

 

 そうして、甚助はもう一度旅へ出た。

 時が、来たのだ。

 道中、田舎へと降りてきた賊を鍛えた剣術でバッタバッタと討ち倒した場面は、くいなも手を叩いて楽しんでいた。

 悪滅征伐は、やはりどの世でも人気の作劇なのだろう。

 茨組という賊を倒し、その中から降参して弟子を乞うてきた者もいた。

 甚助は、これを了承し、しかし一人真っ直ぐ仇の元を目指す。

 しかし、途中あんまりにも真剣に、弟子と伴を乞う男がおり、その者だけに同行を許した。

 

 甚助は、あの修行により御霊現は何も覚えられぬと言ったが、あれはただ、言い表す言葉が見つからないからであった。

 修行の中、甚助は掴んでいたのだ。

 己の中にある、その無意識の極点を。

 

『やがて、京都へ着いた。そしてあらゆる苦心と手引を経て、松永久秀の幕下(ばっか)にいる父の讐敵(しゅうてき)坂上主膳と出会うことができた。

 主膳を切った際も、信国の鍔が、彼の手に鳴ったせつな、実にただ一刀しか費やされなかったということである。』

 

 甚助は、復讐を果たした。

 父の仇を討ち、その剣を頂へと昇らせたのだ。

 楡葉は「生涯の満足は今だ」と喜び、甚助もまた、それを喜んだ。

 甚助のその後は、歴史の中ではわかっていない。

 しかし、彼は弟子を取り、遊歴の中亡くなったと語られている。

 彼の百日参籠には、何か奇跡的な事が起こったわけでは無かった。しかし、彼はその修行の中で、魂が、神の一端を掴んだのだろう。

 

 ふぅ、と煙管の灰を落とせば、影絵を写し出していた煙は瞬く間に消えてしまった。

 語りは終わり、この場所が現実に帰ってきたのだと二人の深い息が漏れる。

 

「四君子……とは、気高く、高潔な人を表す四つの植物のことを云う。母を愛し、父の仇討ちを苦行の果てに成した甚助は、正に剣の四君子に相応しい人物だろう……。どうだい、今回の話は、面白かったかい」

「──甚助、スゴイな!! おれも、風よりも速い剣ってやつを使えるようになりたい!」

「すごく面白かったです。まぁ、ゾロよりもわたしが先に使えるようになるだろうけどねっ」

「なんだとー!?」

 

 仲の良さげなやり取りに、私はふわふわと身体を揺蕩わせながらからからと笑う。

 こうやって、ゾロとくいなに一日ひとつ、物語を語ってやるのが私の最近の趣味だった。

 ゾロは退屈な話だとすぐに寝てしまうから、内容は剣の話に偏ってしまうが。

 

 今日もまた、物語の強者に当てられたゾロが、くいなの挑発に乗って、三本の剣を持って階段を駆け降りていく。

 この後、また試合でもするのだろう。

 くいなはわざとらしいため息を吐きつつも、砂埃を払って、私に一礼をしてからゾロを追いかけた。

 

「────あっ」

 

 踏み外したその体を、私の浮かぶ体でもって受け止める。

 ゆらゆらと姿を捉えにくいこの身も、子どもを支えるくらいはできる。

 百段もあるこの坂は、落ちたら無事では済まないだろう。

 

「あ、ありがとうございます」

「いいや、どうってことはない。……けれどね、子の身体は脆い。君が思うより、ずっとね。普段も足元はよく見ると良い」

「はい……」

「それじゃあ、くいな。気をつけてお帰り」

「ありがとうございます、また、明日」

 

 語る間に、日はすっかりと黄昏となり、茜が辺りを同色に染め上げていた。

 カラスが鳴いている。

 私は左手を軽く振って、彼女を見送った。

 今日もまた、良い暇つぶしができた。ここまで子どもに懐かれるのも、何年ぶりだろうか。

 私の手は、茜色を反射してはいなかった。

 

 

「……あれ、わたし、名前言ったっけ……?」

 








青空文庫 吉川英治 「剣の四君子」
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