私は、村の人からカタリベさまと呼ばれている。
私自身がそう言い始めたのではない。いつの間にか、子どもから大人へ、世代を超えてそう呼ばれるようになっていた。
神様らしい扱いは、あまり受けていないが、くいなは私と敬語で話すし、大人はあまり近づかない。
社に供物なんかが来ることもないから、さして崇められてはいないのだろう。
崇められたとて、私にできることは少ないから、何か奇跡を起こすとかはできないのだが。
幸い、この村は気候も穏やかで、飢饉やら災害に困ったことは無い。
そも、村外れの、百もある階段を登ってまで会いに来る輩が、珍しいのもあって。
ゾロとくいなが産まれるまでは、なかなか暇な日々を過ごしていた。
あの二人に懐かれるまでは、シモツキ村での私の立ち位置は、不気味だが害は無い何か……と言ったところだろうか。
ある人は私を鬼だと言ったし、ある人は私を土地神だと言った。
ある人は私を能力者だと言ったし、ある人はただの幻覚と言った。
不定形の私の姿は、人には様々に見えたらしく、この煙管以外は固定の見た目が伝わっていない。
私も、私の姿はどれが正解で、どれが真実かなんてわからないから、気にせず揺蕩うままでいる。
人でなしの見た目なぞ、拘る人も居りませんで。
食うも寝るのも必要無いこの身体は、ぼんやりしているとすぐ時が過ぎる。
大人は近寄ってこないとはいえ、村の子どもが、度胸試しにと訪れることは何度かありました。
しかし、語りの途中で寝てしまったり、私が姿を現した途端、泣いて帰ってしまう者が多かったのです。
とって食いやしないというのに。
最初は、子どもにとって村に娯楽は少なかろと、ただ気まぐれに物語を語ったのみだった。
だが、それが何度かあってから、なにやら定着して、カタリベさまと呼ばれるようになって。それからは、なんだか人に語ることがより楽しくなり、そうすべき事と考えるようになったのです。
人によって私が変わったのか、最初から語ることが好きだったのかは、覚えていない。
ゾロとくいなが来るまでは、私は社でただぼうっと煙管を吸っている。
気のない煙はすぐ空気中に消え、白檀か線香じみた香りだけをその場に残す。
なんせそれ以外やることが無いのだから、階段の下、村で人々が生活する音をぼんやりと聞いている。
自身の存在をここに確認したときも、なにか特段驚きや困惑というのは湧いてこなかった。
私はただここにいて、紫煙のように揺蕩う人外であると理解していた。
村の名前や、海の名前を聞いて、ここが漫画本の世界だとわかっても、驚愕しもつれることは然程しなかった。
ただ、この村にやがて産まれる一人の少女に、気の毒だなぁと煙を吐くくらいしか思うことは無い。
そうして何年か経って、やはりくいなが産まれたと分かった時は、遠い社から、せめてこの百段からは落ちぬ様目を伏せたものだ。
子どもの成長は早いが、儚くなるのも、また呆気ない。
「…………」
「どうした、一人とは珍しい」
昼過ぎの日没前まで暮れて過ごせば、ゾロとくいなが稽古を終えてやって来る。
だが、今日は様子が違った。
ゾロは隣におらず、くいなひとりだけが、目に涙をいっぱいに溜めて、社に登ってきたのだ。
鼻を啜るその姿に、いつもより姿を現す場所を低くして、問うた。
「…………」
「言いたくないなら、いい。今日は風がある、座ってごらん」
くいなは黙って涙を堪えるばかりで、何も話してはくれない。それもよしと、私は煙管の煙を細めた。
この煙は、子が吸っても害は無いが、煙たい空気は目に染みるだろう。
「ごめっ……なさ……」
「何を謝る?」
「今日は、お話を聞きに、来たわけじゃなくて……」
「泣く子に聞かせる話もあれど、望まない子に、話す語りは無いよ」
誰かと喧嘩したか、身体の変化が疎ましくなったか。なんであれ、今のくいなは語ったとて面白くなさそうだ。
こらえきれずすすり泣くようになった童は、社の周りの草葉が風と共に声をかき消した。下の村には聞こえまい。それをわかって、この子はここに駆け込んだのだろうか。
傍にはいつもの白い刀こそあれ、それを握りしめる強さは、今は持っていない様だった。
膝を抱え、ちいさく頭をうずめる姿は、何かを恐れる子どものか弱さをよく見せる。
私は、さして気の利いたことも浮かばず、手慰みで煙管を回した。
「……」
「……」
しばしの沈黙。
シモツキ村には短い秋が近づいてきていて、芒や
秋の物悲しさは、人には特に効くらしい。
秋風はひんやりと夏終わりの湿気に涼を運ぶだろう。
「……カタリベさまは、女の子?」
「さぁな、人次第だ。くいなには私が女の姿に見えているのか」
「白くて長い髪の、着物の女の人に見える。……ゾロは、黒い髪の短いお姉さんだって」
「へぇ、くいなから見て、私は綺麗かい」
「うん……すごく美人な、大人のひと」
それに少し気を良くして、私はぷかりと煙を吐いた。
その煙は雀に成って、私の手に留まる。
くいなの方へ近づければ、かわいらしい囀りを上げながら、くいなの頬にすり寄った。
「くいなから女に見えるなら、今だけ私は女になろう。同性のよしみだ、話してごらん」
「……わたし、女に生まれたくなかった。これから、男の人より背も、筋肉も伸びなくなっていく。戦うための体じゃなくて、家を守る体になっていくのが……怖い」
くいなはもう悩み始めていたらしい。
確かに、成長期の身体は性別の特徴を強く出し始め、その身体は柔さと細さを帯びてきていた。
肩幅も、腰も、指先も「女性」としての形を目指して、強靭さより儚さが目立つ。
それは、世界一の剣豪を夢見るくいなにとって、致命的な、生まれ持っての足枷に見えたのだろう。
「いつかゾロに追いつかれて、追い抜かれて、置いていかれる。そうなるのが、わたしは死ぬより怖い、よ……」
「成程」
泣くくいなの頬を、雀が拭う。
煙でできた鳥は、流れる水を曇らせることしかできなかった。
私はとうの昔に成長の苦しみなど忘れてしまったが、くいなが女の体によって強さを極めることが不利と嘆いているのはわかる。
けれど、この世界において、男女での強弱の差は障子紙より薄いものではなかろうか?
しかしてその障子紙の差で負けたのなら、悔いても悔いても足りぬだろう。
「……くいなは負けたくないか」
「世界一の、大剣豪になるには……誰にも負けてなんかいられない」
「人の子が育つ時、心が大きく揺れる時期がある。甚助もまた、父の誉を疑って、刃を曇らせた。くいなも、その年頃なのだろう」
「…………」
「しかしそこで折れぬものこそ、
「うん……」
私は武道に長けたものでもなし、剣の道がどれほど厳しいかも想像つかぬ。
けれど、うだうだと自身の変えられぬものを言い訳にして、ほんとうのほんとうに死に物狂いになった事のない者は、究極へと至れないと思う。
走り、走り、ようやく終着に辿り着いて、後ろを見ればやっと自分の奥底にあるものが見えるだろう。
どの世でも、行動の後に結果はついて来るのだから。
「『いのち短し恋せよ乙女』と云う。くいなが人生を賭けて恋願うものが剣豪ならば、悩む間に削れる生が惜しかろう」
「恋って、誰かを好きになることじゃないの」
「無機物を愛した人の話でもしてやろうか?」
恋とは、必ずしも個人を想うだけの感情ではない。
人の思ひは複雑なもの。
戀という字を分解すれば、糸し糸しと言う心。
いとしいのなら、それはもう恋でよろしいだろう。
いとしく、強く願う夢は、恋よりも恋をしている。
「負けを恐れるには、くいなの骨も、その刀も折れてはいないじゃないか。乙女とは、創世の代から男には敵わない存在なのだよ」
「あはは、わたしも……そんな風に、胸を張って女の子って誇れるようになるかな」
「なれるとも。さぞ輝かしい戦乙女に」
くいなの涙はいつのまにか止まっていた。
煙の雀は、その微笑をみて、飛び立つと、風に乗って消えしまった。
目の周りは赤くなっていたが、夕焼けの強くなってきた空は、その跡をすっかり隠している。
「話、聞いてくれてありがとうございます。カタリベさま」
「なぁに、たまには聞き手も悪くない」
「それじゃあ、また、明日」
しっかり足元を見て帰っていくくいな。
今日もカラスが鳴いている。
私は風ばかりが激しくなっていく山の上で、煙管をふかしながら、小さく口遊んだ。
『いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇
熱き血潮の 冷えぬ間に
いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる
ここには誰れも 来ぬものを
いのち短し 恋せよ乙女
波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを』
どこからか、竹刀の鳴る音が聞こえてきた。