カタリベさまは、シモツキ村に昔からいる「何か」だという。
昔、私が産まれるもっと前。
シモツキ村がようやく、ひとつの集落として落ち着き始めた頃。村外れの山、さほど大きくないそこに、いつのまにか社があったという。
社に通じる石畳も、百もある階段も、社そのものも、村の人は誰一人覚えが無かった。
大工も、石工も、あんなものを作った覚えがないという。そもそも、社は突然現れたにしてはボロボロで、中の本も風化し始めていた。
気づいていなかっただけで、村を作る前からあったのでは、と話が出たけれど、こんな社があったら絶対に記憶に残る。そもそも、得体の知れない、何を祀っているかもわからない社がある場所に、村なんざ建てないだろう。
不気味ながらも、ここに定住することを決めてしまった村の人は、なるべく刺激しないように生活していたらしい。
けれど、村人の中で一番幼い子が、親の言いつけを破って社に行ってしまったことがあった。好奇心に負けて、度胸試しに覗きに行ったのだ。
そこで子どもは、煙管を持った、人に似た人では無いものを見たという。
煙みたくもやもやしていて、着物を着ていたとだけ伝えられた他の村人たちは、しかし幼子が無事に帰ってきたことを疑問に思ったらしい。
ボロ社の、誰にも祀られていない場所にいる人ではないものなんて、鬼か妖だろうから。
けれど、幼子は笑って、ただ物語を聞かせてもらっただけだとケロリとしていた。
それから、幼子の話を聞いて他の子どもも肝試しに社に何度か行ったら、やっぱり何かいたらしい。
けれど、髪が青かったとか、灰色だったとか。男だった女だった。ツノが生えていた脚が魚だった。と、どうにも、見た目が誰も一致しなかった。
しかし、煙管と着物は共通していたから、おそらく同じ存在だろうと考察された。
「社に行った子は、怖がっていた子もいたけれど、皆五体満足で健康だったから、害は無いと判断されて……今も、“カタリベさま”と呼ばれてこの村の外れにいるんだよ」
お父さんは、そう語ってくれた。
まるで、お伽話というか、怪談みたいな話だ。最初に聞いた時は、正直子供騙しだと思って、信じていなかった。
大人は近寄らないし、そもそも、ボロボロの社しかないのにわざわざ階段を上って真相を確かめにいくのも、馬鹿らしい。
そうして、すぐ忘れると思っていたのに、ゾロが興味を持ってしまった。
昔、そのカタリベさまをみた人の中に、「佩刀していた」と言った人がいたから、もしかしたら伝説の剣豪かもしれないって、やけに張り切り出して。
どうせ出鱈目だよって言っても聞かないし、方向音痴なアイツひとりで社に行けるかも不安だったから、わたしが付き添って行ってあげた。
本人は、わたしも実は興味があったなんて認識してるけど、気分は完全におこちゃまのお守りだった。
「おや、二人組とは珍しい」
そう声をかけられた時、わたしは思わずゾロの片手を掴んでいた腕を離し、和道一文字に手を伸ばしかける。
落ち着いた……お父さんみたいな優しい声ではなかったけど、冷静で淡々とした女性の声。
ゾロも声を聞いたのか、目を輝かせて「たのもー!」と叫ぶ。
こういうのって、応えちゃいけないんじゃないの。そう思ったけど、もう遅い。ゾロは自分の名前も、そして手合わせを求めてることも全部言ってしまった。
馬鹿! って怒鳴ろうにも、上から投げかけられた言葉に、思わず口を閉ざしてしまう。
「悪いが、刀はよく知らん」
「えー! 昔のやつが、刀持ってたって言ってたぞ!」
「ほう、ではお前には私がどう見える?」
「え? ……黒い、女で、刀は──持ってない」
「つまり、そういうことだな」
私には、恐らくカタリベさまだろうその人は、真っ白な長髪に薄い薄い紫の着物を着ていた。帯は髪に反して青みを帯びた黒で、中央の陶器らしい帯留が艶々している。
瞳も、ぼんやりと虹彩の輪郭がわかるくらい薄い紫だった。ゾロの印象とはまるで違う、儚げな大人の女性に見える。
そうして、お父さんが話してくれた昔話が本当だったと、ほんのりとした後悔と共に理解した。
「なんだぁ、てっきり、強い剣士の霊だと思ったのに」
「へぇ、怖がらずに戦う気だったのか。度胸があるな」
「カタリベのねーちゃんは、ここで何してんだ? 暇じゃないのか?」
「ちょっと……!」
あまりにもゾロがずかずかと質問するものだから、わたしはついその頭に手刀を落とした。
カタリベさまは人に害は無いけど、無礼をしたらどうなるかは誰も知らない。だから、あまり失礼なことをしないようにって、お父さんから言われてたってのに。
そもそも、初対面の相手にそんなガツガツ行くのは相手が人でもよろしくないことだし。
「ふふ、好奇心とは幼心によくあること。気にしなくていい」
「いってーな! カタリベのねーちゃんも別に良いって言ってるだろ!」
「それとコレとは話が別なの、馬鹿」
カタリベさまは煙管を吹かして、微笑ましいものを見る目でわたしたちを眺めている。
社に私たちみたいな子どもが行くのは、もう結構前で途切れていたらしいから、新鮮なのかも知れない。
子どもの興味なんてすぐに移り変わって、今は度胸試しといえば夜に気配に聡い刀鍛冶のお爺さんの家から、バレずに玉鋼を一個取ってくるというものになっている。大抵、バレているけれど。
「そうさね、私は特に目的も無くここに居るだけのものだから、暇と聞かれると暇だ。そうだ、面白い話をしてあげるから、私の暇つぶしにひとつ付き合ってくれないか」
「話? むつかしい説教とか聞きたくないぞ」
「なぁに、そういうのは村の大人がすることだろう。で、どうだい?」
カタリベさまは、どうやら機嫌が良いらしい。
久しぶりに、子どもが遊びにきたからだろうか。ここでずっと一人なのは確かに寂しそうだけれど、わたしはまだ、警戒を解けずにいた。
害は無いと伝えられていても、目の前に人では無い、異質な存在が現れたら、普通気が張るだろう。ゾロは、何も考えてないだけだ。
「そちらの娘御は、私を受け入れるにはまだ時間が必要そうだな」
「っ……すいません」
「いや何、子どもこそそういう危機感を大切にするべきだ。聡い子だな」
気にしないと、カタリベさまは笑った。
煙がぷかぷかと輪っかを作って、空に消えた。
断ってもおそらく怒られない気もしたが、ゾロは聞く気がありそうだし、このまま置いて帰るのも不安なので、わたしも聞くことにした。
楽にして良いと、石畳に座る。
石の地面は硬いけれど、ひんやりとした感覚が、少し暑い今日は心地よい。
刀は、一応右手側に置いた。敵意を表さない証拠だ。
「して、何を語ろうか。その竹刀といい刀といい、二人は剣を習っているのか?」
「おう、一心道場の門下生だ」
「ああ、あの。いつも子どもの元気な声が聞こえてくる所か」
カタリベさまは、村中には来たことがない。
それは行動範囲が決まっているのか、単純に人と住む場所を分けているのかは、わからない。
けれど、道場の稽古の掛け声は、カタリベさまにとっては良いものらしい。
「剣というものは、歴史と共にあるものだ。武器でしかないが、それを持った剣士には誰もが物語を持った」
手にある煙管から、口から、細い煙が吐かれた。
それはわたしたちを囲って、空気中に消えず、糸のように円を作っている。
「これはあるサムライの話……『飴だま』」
サムライ。
わたしとゾロはそれを知っている。
ワノ国にいる、刀の達人で、それはもう強いという、剣士だ。
シモツキ村はなぜかは知らないけど、刀が身近にあったから、道場の子はみんなサムライに憧れている。ゾロだってそうだ。
世界一の大剣豪に近いのは、サムライだという話もあった。
けれど、サムライが出てくる話なのに「飴だま」なんて、ずいぶんかわいらしい題だ。似つかわしくないというか、繋がらない。
ゾロも、隣で首を傾げていた。
カタリベさまは、煙管の煙をぷかりと吐く。
吐いた煙は綺麗な青い山を映し出し、わたしたちを囲った煙はひとつの小舟を模った。
渡しの人が、笠を被ってぼうっと川を見ている。
『春のあたたかい日のこと、わたり舟にふたりの小さな子どもをつれた女の旅人がのりました』
柔らかい、幼なげな言葉が、カタリベさまの桜のような唇から紡ぎ出される。
煙は、幼い女の子と男の子を連れた、母親らしい女性に姿を変える。
和服姿は、シモツキ村では珍しくない。
『「おオい、ちょっとまってくれ。」
と、どての向こうから手をふりながら、さむらいがひとり走ってきて、舟にとびこみました。』
陸地を離れる舟に、立派な太刀を佩いた男が、飛び乗る。
どたどたとやって来たこのサムライは、舟の真ん中にどっかり居座って、ついにはうたた寝を始めた。
「こっから、悪いやつらが出て戦うのか?」
ゾロが、話を止めてそう聞く。
人が話してるのに、それを止めるのは失礼だと、カタリベさまなら尚更大変かもしれないと口を塞ごうとしたけど、カタリベさまは笑っていた。
なんだか、愉快で気楽な色を薄藤色のひとみに描いている。
「サムライは戦うものかい」
「そりゃ、戦うのがホンブンだろ。おれだって、戦うために習ってんだから」
「そりゃ、勇ましい。されどね、戦いってのは、非日常でなきゃあ、いけないのさ」
ケタケタと、なんだかむず痒いような微笑を向けられて、わたしもゾロもなんだか頬が痒くなった。
なんだか、わたしたちが習っている剣は、このカタリベさまには微笑ましいものに見えてるのだろうか。
『黒いひげをはやして、つよそうなさむらいが、こっくりこっくりするので、子どもたちはおかしくて、ふふふと笑いました。
お母さんは口に指をあてて、
「だまっておいで」
といいました。さむらいがおこってはたいへんだからです。』
続く物語。
舟の上で、こっくりこっくり居眠りするサムライはわたしたちから見てもなんだか滑稽で、子どもの笑い声につられて笑ってしまう。
背格好もいかついサムライが、鼻提灯なんか出してるんだもの。ちょっと、アホらしい。
そうして、何分か子どもたちは黙ったけれど、暇になったのか、母親に飴をねだり始めた。
ちょうだい、ちょうだいと言うけれど、母親の懐にある飴は一つしかない。
こっちにちょうだいと駄々をこねる姿は、道場の子がおやつのお饅頭を取り合う姿に似ている。
でも、そんなに騒いだら、大丈夫だろうか。
『いねむりをしていたはずのさむらいは、ぱっちり眼をあけて、子どもたちがせがむのをみていました。』
サムライが起きてしまった。
もしかして、このサムライは悪い人なのかも、とゾロと共に緊張が走る。
サムライはとうとう刀を抜いた。
白刃が光る煙の絵に、ゾロはつい竹刀を持ち出そうとしたから、慌てて止める。
絵の中のサムライに怒ったって、なんにもなんないんだから。
でも、わたしとゾロの冷や汗は、すんなりと消えることになった。
『「飴だまを出せ。」
とさむらいはいいました。
お母さんはおそるおそる飴だまをさしだしました。
さむらいはそれを舟のへりにのせ、刀でぱちんと二つにわりました。
そして、
「そオれ。」
とふたりの子どもにわけてやりました。
それから、またもとのところにかえって、こっくりこっくりねむりはじめました。』
「……」
「……」
「え、おしまい?」
「そうだよ」
あんまりにもさっぱりした終わり方に、思わず組んでいた足を崩す。
刀は出てきたけど、人や獣じゃなくて、切ったのは飴だまひとつだけ。
剣士の話としては、とっても、平和で……退屈な使い方だった。
もっと、物語なら、すごい剣技とか戦いが出てくると思っていたのに。
「おや、何か言いたげだね」
「飴だまひとつ切るのに、刀なんて使ってどーすんだよ! サムライなら、もっと派手な技とか使うんだろ!?」
ゾロが、わたしの心を(少し誇張して)代弁してくれた。
納得がいってないわたし達の様子に、また紫の瞳が緩まれる。
「私としては、こういう姿こそ、侍と思うけれど。弱き者のために、刀で飴だまひとつ切ってみせる。上等じゃあないか」
「……えー」
「じゃあ、今度真剣で飴だまを切ってみるといい。なぁに、刀使いなんだろう、簡単にできるさ」
それができたら、またおいで。
そう言って、カタリベさまは消えた。
いや、姿を消しただけで、そこにいるのかもしれない。
なんとなく、消化不良を感じながら、でも本当にいた人ではない者に、私は足どり早く家に戻った。
その後、和道一文字で飴を切ってみようとしたけれど、立った状態で丸い飴をぱちんと切るのは、ずいぶん苦労した。
飴は転がるし、地味に硬いし。飴が小さくて、立ったまま軽々切るのは難しい。
ゾロと何度も挑戦して、できずに飴を転がしては、お父さんに不思議な目で見られた。
それから、わたしとゾロとカタリベさまの交流は始まった。
道場の稽古が終わる夕方近くに、ふたりでカタリベさまの所へ行って、お話を聞いて帰ってくる。
たったそれだけだ。
カタリベさまの語るお話は、様々だった。
ゾロの注文通りの派手な剣の戦いを描いたものもあれば、不気味な、殺人をめぐるシリアスな作品もあった。
夏に話された怪談は、ゾロはちょっとビビって、数日寝不足の顔をしていた。
害は無いと言われた通り、カタリベさまはただ物語を語るだけの存在だった。
煙みたいな身体で、わたしたちの知らない物語を話して、反応を見ては笑っていた。
どこかイタズラ好きな、大人気ない顔をしていた時もあるから、案外お茶目なのかもしれない。
そうして、成長していく間に、心の深いところの相談もする様になって。
私もゾロも、剣を磨くために千何百と勝負を重ねていった。
ゾロは、わたしに勝って世界一になると言う。わたしに一度も勝ててないのに。
女のわたしはきっと、ゾロに背も筋肉も追い抜かされちゃうけど。
でも、
「負けないよ、絶対」
そう、胸に決めていた。
ああ、それにしても、秋は夜が長い。
スズムシの鳴き声が、やけに耳に張り付いた。
深夜に起きてしまったわたしは、どうせなら、明日の真剣勝負のために、和道一文字を手入れしておこうと考えた。
手入れ道具を取りに、少し肌寒い廊下を歩く。
わたしが勝ってもゾロが勝っても、カタリベさまに話に行こう。
わたしはもう、飴だまも立ったまま切れるんだから。
そう考えていたら、足裏がなにか丸いものを踏んだのを感じた。
あっ、
視界に最後に映ったのは、飴じゃなく失くしていた、飴型の目貫だった。