約束の旋律 ~The Promised Melody~ 作:洟魔
茅場晶彦は、ざわめきに満ちた広場を見下ろしながら、淡々と告げた。
「ただし、ヒットポイントがゼロになった瞬間――諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に諸君らの脳はナーヴギアによって破壊される」
一瞬、広場全体が静まり返る。
そして、その静寂はすぐさま怒号によって打ち破られた。
「ふざけんな!」
「冗談じゃねぇ!」
恐怖、怒り、混乱。様々な感情が入り混じり、広場はもはや収拾のつかない状態になっていた。
その中で、一際大きな声が響く。
「クリア……第百層だとぉ!? で、できるわきゃねぇだろ!! ベータではろくに上がれなかったって聞いたぞ!」
その叫びに、ユキは無意識に拳へ力を込めた。
(……その通りだ)
ベータテストの期間は、およそ二か月。
限られた期間とはいえ、攻略できたのは八層までだった。それも何度もコンティニューし、攻略情報を積み重ねた末に到達した階層だ。
正式サービスでは、やり直しは存在しない。
一度の死が、本当の終わりを意味する。
百層。
その数字が、果てしなく遠いものに思えた。
広場中の誰もが絶望に染まる中、それでも茅場晶彦の声だけは変わらず静かだった。
「それでは最後に――諸君らにとって、この世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう」
その言葉と同時に、ユキの視界へ小さなウィンドウが開いた。そこから一つのアイテムが現れる。
「……鏡?」
手のひらへ収まったそれは、何の変哲もない手鏡だった。
周囲のプレイヤーたちも、同じように戸惑いながら鏡を手にしている。
「何だこれ?」
「意味分かんねぇぞ……」
クラインが首を傾げ、コハルも不思議そうに鏡を見つめる。
「顔でも見ろってことですか……?」
ユキは黙ったまま鏡を開いた。
そこへ映っていたのは、見慣れた黒髪の青年風アバター。ベータテストでも使っていた、自分の分身だった。
だが、その姿を確認した次の瞬間、鏡から眩い白い光が溢れ出す。
「っ!?」
光は手鏡だけに留まらず、ユキ自身の身体までも包み込んでいく。周囲でも同じように悲鳴が上がった。
「な、何だこれ!?」
「体が光ってる!」
広場全体が白い閃光に包まれ、誰もが思わず目を閉じる。
やがて、眩い光はゆっくりと収まっていった。
ユキは恐る恐る手鏡へ視線を落とす。
「……っ」
そこに映っていた顔に、思わず息を呑んだ。
黒かった髪は見慣れたブラウンへ戻り、わずかに高くなっていた視線も下がっている。
鏡の中にいるのは、ゲーム内の青年風アバターではない。
現実世界の――重村悠紀、そのものだった。
その顔を見た途端、今朝の光景が脳裏を過った。
笑いながら小指を絡めてきた悠那。
帰ったら、また一緒に音楽をする。
そう約束したばかりだった。
(悠那……)
指先に残る感触を確かめるように、ユキは拳を握り締めた。
「えっ……みんな、見た目が……?」
周囲を見回すと、プレイヤーたちも次々と自分の姿を確かめ、困惑の声を上げている。
「見た目!? ……うおっ、オレの顔になってんじゃん!」
クラインは自分の頬や頭を何度も触りながら、目を丸くした。
「お前がクラインか!?」
驚いたようにキリトが声を上げる。
「おめぇがキリトか!? ……ってーことは、そっちはユキか!? でも、あんまり変わってねぇな」
キリトはユキと同じほどの背丈まで縮み、整っていた青年風の顔立ちも、現実の年齢相応の幼さを残したものへ変化していた。
クラインも紫色だった長髪が短い茶髪へ変わり、無精髭の生えた現実の顔を晒している。
クラインの言葉に、ユキは苦笑にもならない表情を浮かべた。
「ああ。俺は髪色と背丈くらいしか弄ってなかったからな」
視線をコハルへ向ける。
「……コハルは変わってないな」
コハルは自分の頬へ触れながら、小さく頷いた。
「これ、私の顔ですよ」
少し照れくさそうに笑う。
「もともとVRで服を試着するためにナーヴギアを使っていたので、外見はほとんど弄らなかったんです。素顔じゃないと、似合う服が見つけられないでしょう?」
「なるほど……」
ユキが小さく頷くと、キリトが顎へ手を当てながら呟いた。
「顔はマイクロウェーブで高密度スキャニングしているから再現できるだろうけど……体格までどうやって変えたんだ?」
「あー、あれじゃねぇか?」
クラインが指を鳴らす。
「最初にやっただろ? キャリブレーションとかいうやつ。身体中ベタベタ触らされたじゃん」
その一言で、ユキも思い出した。
ナーヴギアの初期設定で、頭や腕、脚、肩幅まで細かく測定させられたことを。
「……そういうことか」
ユキは低く呟いた。
「最初から、このためだったのか」
現実の容姿を正確に再現し、仮想世界の死が自分自身の死であると認識させる。
「ここで失うのは本物の命だと、俺たちに突き付けるために……」
拳を強く握り、歯を食いしばる。
「……ふざけやがって」
怒りとも悔しさともつかない感情が、胸の奥で静かに燃え上がる。
しかし、その感情を嘲笑うかのように、茅場晶彦の声が再び広場へ響き渡った。
「この世界を作り出し、鑑賞するためにのみ、私はナーヴギアを、《ソードアート・オンライン》を作った。そして今、すべては達成せしめられた」
混乱するプレイヤーたちを見下ろしながら、その声音には一片の迷いもない。
「以上で、《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する」
一拍置き、茅場は静かに締めくくる。
「プレイヤー諸君の……健闘を祈る」
その言葉を最後に、赤い巨人の姿は煙のように崩れ始めた。
空を覆っていた赤い警告表示もゆっくりと消え去り、広場には青空が戻る。
「嘘だろ……おい!」
「ここから出せよ!」
「そんな……」
茅場晶彦の姿が消えると同時に、張り詰めていた広場が堰を切ったように弾けた。
怒号、悲鳴、懇願。
誰かの名前を叫ぶ者。運営へ罵声を浴びせる者。その場へ膝をつき、ただ泣き続ける者。
つい先ほどまで新しい世界への期待に満ちていた《はじまりの街》は、一瞬にして絶望に覆い尽くされていた。
「ああ、そっか……」
傍らから聞こえた力のない声に、ユキは振り向く。
「私たち……帰れないんだ」
コハルのグリーンの瞳から、光が失われていく。
「ここに、閉じ込められたんだ……」
糸が切れたように、その身体が崩れ落ちた。
「ッ……コハル!」
ユキは咄嗟に手を伸ばし、石畳へ座り込んだコハルの前へ膝をつく。
だが、続く言葉が出てこなかった。
大丈夫だと言えばいいのか。
必ず帰れると励ませばいいのか。
そのどちらも、今のユキには無責任な嘘にしか思えなかった。
コハルは目の前にいるはずのユキさえ見えていないように、呆然と虚空を見つめている。
「おい、大丈夫か……って具合じゃねぇな」
クラインが困ったように眉を寄せ、周囲を見回してから声を潜めた。
「ユキ、コハルを立たせられるか? ここじゃ落ち着かねぇだろうし、一旦離れるぞ」
「……そうだな」
ユキは短く息を吐き、コハルへ手を差し出した。
「コハル。一旦ここを離れるぞ。立てるか?」
返事はない。
それでもコハルは差し出された手へゆっくりと視線を落とし、指先を動かした。
ユキはその手を取り、反対の腕を肩へ回して身体を支える。
「無理に歩かなくていい。俺に掴まってろ」
「……はい」
消え入りそうな返事だった。
ユキがコハルを支えて歩き出そうとした時、キリトがクラインへ近づいた。
「クライン。俺は先に町を出る」
「おい、待てよ。どこに行くんだ?」
「西側の村だ。今のうちに少しでも先へ進んで、レベルと装備を整える」
キリトはそれだけを早口で告げると、ユキたちへ一度だけ視線を向けた。
何か言おうとしたようにも見えたが、結局何も口にせず、人混みの向こうへ駆けていく。
「キリト……」
クラインは呼び止めようとしたものの、その背中を追うことはしなかった。
ユキにも、今はコハルを置いて追いかける余裕がない。
キリトの姿が見えなくなった後、ユキはコハルの歩調に合わせ、クラインと共に広場を後にした。
背後からは、なおも無数の叫び声が追いかけてくる。その一つ一つが、茅場の言葉が悪趣味な冗談ではないのだと突き付けてくるようだった。
広場からいくつか通りを抜け、人影の少ない路地へ入る。
石壁に囲まれた静かな場所まで来ると、クラインは足を止めた。
「この辺なら、少しはマシか」
ユキは壁際にコハルを座らせ、自分もその隣へ腰を下ろした。
すぐに声を掛けることはしなかった。今は何を言っても届かない気がしたからだ。
ただ、傍を離れない。
それくらいしか、ユキにもできることはなかった。
数分ほど経った頃、コハルの呼吸が少しずつ落ち着き、強張っていた指先から力が抜けていく。
「コハル、どうだ?」
様子を見守っていたクラインが、気遣うように問い掛けた。
「ちっとは落ち着けたか?」
コハルはゆっくりと顔を上げる。
表情にはまだ色濃い不安が残っていたが、先ほどのように何も見えていない様子ではなかった。
「はい……。ご心配をお掛けしました」
「気にすんな。あんな話を聞かされて、平気な奴の方がおかしいって」
クラインの言葉に、コハルは小さく頭を下げる。
そして周囲を見回した後、何かに気付いたように眉を寄せた。
「そういえば……キリトさんは?」
「町を出ていったよ」
ユキが答えると、コハルは目を瞬かせた。
「町を……?」
「ああ」
クラインは街の外へ続く方角へ目を向ける。
「今のうちに先へ進んで、自分にできることをやるってよ」
その横顔には、キリトを責めるような色はなかった。
ただ、何かを理解しながらも、完全には割り切れていないようにユキには見えた。
「そう……ですよね」
コハルは膝の上で両手を握り締める。
「こんな時だから、しっかりしなきゃいけないのに……迷惑を掛けて、ごめんなさい」
「謝る必要はない」
ユキはすぐに言葉を返した。
「誰だって、あんなことを突然言われたらパニックくらい起こす。俺だって……まだ、まともに頭の整理ができてない」
自分でも思っていた以上に、声が硬かった。
平静を保っているつもりでも、恐怖が消えたわけではない。
コハルだけではない。
少なくともユキには、クラインも普段どおりに振る舞うことで、恐怖を押し隠しているように見えた。
「無理もないヨ。こんなことになるなんて、誰も想像してなかっただろうサ」
突然、聞き覚えのない声が割り込んだ。
「ッ!?」
ユキは弾かれたように顔を上げ、声のした方へ振り向く。
路地の奥。建物の陰から、一人の小柄な女性プレイヤーがこちらを見ていた。
深く被ったフードの隙間から、癖のある金髪が覗いている。頬には三本ずつ、髭のようなペイントが刻まれていた。
そこに誰かがいるなど、まるで気付かなかった。
「うおっ!? どっから出てきた!」
クラインも驚いたらしく、大袈裟に身体を仰け反らせる。
「最初からいたヨ。そっちが後から来たんダロ……野武士サン」
女性は悪びれた様子もなく、クラインの姿を上から下まで眺めた。
「そりゃ悪かったな。つーか、野武士じゃなくてクラインだ」
クラインは不満そうに眉を寄せる。
「アンタは?」
「アルゴだヨ」
アルゴと名乗った女性は口元を吊り上げると、軽く片手を挙げた。
「よろしくナ」
「私はコハルです。よろしくお願いします」
「俺はユキだ。……よろしく」
「ああ、よろしくナ」
「それにしても、こんな時に随分落ち着いてるんだな」
ユキが尋ねると、アルゴは小さく肩を竦めた。
「落ち着いてるように見せてるだけサ。それに、こういう時ほど情報が必要になるからナ」
「情報?」
「そ。混乱したまま突っ走れば、死ななくていい奴まで死ぬ。だから、周りがどんな動きをしているのか見て回ってたってわけサ」
アルゴがこの場にいた理由は納得できた。
短い挨拶が済んだところで、クラインが広場の方角へ目を向ける。
「それじゃ、コハルも大丈夫そうだし、オレはそろそろダチのところに行くぜ。たぶん、まだ広場で待ってるだろうからな」
「えっ……もう行っちゃうんですか?」
コハルが不安そうに問い掛ける。
「ああ。前にやってたゲームからの仲間なんだ」
クラインは頭の後ろを掻きながら、少し困ったように笑った。
「それに、あいつらはここじゃまだ初心者だからな。こんな状況で放っておくわけにゃいかねぇよ」
「そう……ですよね」
理解はしているのだろう。
それでも、コハルの表情には心細さが浮かんでいた。
「んな顔すんなって」
クラインは明るく笑い、胸を張る。
「何かあったら、いつでもオレを呼べ。すぐに駆けつけてやるからよ」
自信満々に親指を立てる。
「こう見えても、オレぁ他のゲームじゃギルドの頭を張ってたんだ。遠慮せず、いつでも頼りにしていいぜ!」
その言葉に、コハルの表情が少し和らいだ。
「はい。あの……いろいろとありがとうございました、クラインさん」
「ああ」
ユキもクラインへ向き直る。
「俺からも礼を言う。ありがとう、クライン」
「おう。気にすんな」
クラインは照れ臭そうに鼻の下を擦った後、メニューウィンドウを開いた。
「そうだ。いつでも呼べっつっても、連絡できなきゃ意味ねぇよな」
ユキとコハルの前に、フレンド申請のウィンドウが表示される。
二人が承認すると、クラインは満足そうに笑った。
「これでよし。何かあったら、遠慮せずメッセージ飛ばしてくれ」
「はい」
「分かった」
「んじゃ、またな!」
クラインは片手を大きく振ると、仲間たちが待つ広場へ向かって駆け出した。
その背中が路地の向こうへ消えていくまで、コハルは黙って見送っていた。
やがて姿が完全に見えなくなると、アルゴがユキへ視線を戻す。
「さて……仲間との別れも済んだところで、一つ聞かせてもらってもいいカ?」
「何だ?」
アルゴはフードの奥で目を細めた。
「アンタたち、これからどうするつもりダ?」
「正直、まだ分からない……」
ユキは迷った末、そう答えた。
「私もです……。あの、外から助けは来ないんでしょうか」
「その可能性は低いナ」
アルゴは静かに首を振る。
「ログアウトできなくなってから、もうかなり時間が経ってるダロ? 外から簡単に解除できるなら、とっくに解決してるはずサ」
「でも、今も助ける方法を探してくれているかもしれません」
「もちろん、その可能性はあるヨ。ただ、ナーヴギアを無理に外せば命に関わる。外の人間も、迂闊には手を出せないだろうナ」
「……そうですよね」
俯くコハルを見ながら、ユキは一瞬だけ父――徹大の姿を思い浮かべた。
父なら、今も自分を助けるために動いているはずだ。
だが、徹大の専門はナーヴギアやSAOとは違う。
(……すぐに助けてもらえるとは限らない)
「外からの救助を待つだけじゃ駄目ってことか」
「そういうことだナ」
アルゴは頷いた。
「まずは、この世界の中で生き残る方法を考えるしかないヨ」
「それで、ダ。改めてどうすル? どうしたイ?」
アルゴはユキとコハルを交互に見つめる。
「街に閉じこもったまま、来るかも分からない助けを待つカ。それとも、脱出するために動くカ……二つに一つだヨ」
安全圏である《はじまりの街》に残れば、モンスターに襲われることはない。
だが、いつ来るかも分からない救助を待ち続けることなど、ユキにはできなかった。
朝、悠那と交わした約束が脳裏に蘇る。
「……俺は進むよ」
ユキは顔を上げ、アルゴを真っ直ぐに見た。
「誰かが助けてくれるのを、ただ待つだけにはしたくない。俺は俺にできることをする」
「攻略に参加するってことカ?」
「ああ。この世界を攻略して、必ず現実へ帰る」
「即決か。思ったより肝が据わってるネ」
「そんなことない。怖いよ」
ユキは小さく首を振った。
「でも、帰るって約束した相手がいる。だから、何もしないまま待っていることだけはできない」
「約束した相手……」
コハルが小さく呟く。
アルゴはそんな彼女へ視線を移した。
「それじゃ、コハルはどうすル?」
「私は……」
コハルは膝の上で両手を握り締めた。
「外へ出るのは怖いです。今は、一度でも失敗したら本当に死んでしまうんですよね……?」
「失敗の仕方によってはな。一度の判断ミスが、そのまま死に繋がることもある」
ユキは否定しなかった。
「だから、無理に俺と同じ道を選ぶ必要はない。街に残るのも間違いじゃない」
「でも……ユキさんは一人で行くんですか?」
「そのつもりだ」
コハルは俯いたまま、しばらく黙り込む。
やがて意を決したように顔を上げた。
「私も行きます」
「コハル」
「怖いです。でも、ここに残って待っているだけなのは、もっと怖いです」
声はまだ震えていたが、その瞳には先ほどまで失われていた光が戻っていた。
「せめて、自分の命くらいは自分で守れるようになりたいんです。もう一度、私に戦い方を教えてくれませんか?」
ユキは真剣な表情でコハルを見つめる。
「危険だと判断したら、すぐに退く。戦闘中は俺の指示に従ってもらう。それが守れないなら連れてはいけない」
「はい、必ず守ります」
「それでもいいなら――一緒に行こう」
「……はい!」
二人の答えを聞いたアルゴは、満足そうに口元を吊り上げた。
「決まりだナ。なら、まずは生き残るための準備から始めるヨ」
それからアルゴは、コルの稼ぎ方や初期クエスト、安全な狩り場について二人へ説明した。
中には、ベータテスターであるユキさえ知らない情報も混じっている。
「そんなクエスト、ベータにはなかったはずだ」
「正式サービスで追加されたみたいだナ。さっき見つけたんダ」
正式サービスが始まって間もないというのに、すでに新規クエストまで見つけている。その情報収集の速さに、ユキは素直に感心した。
「あの、アルゴさん」
コハルがおずおずと尋ねる。
「どうして、こんなに親身になってくれるんですか? 私たち、たまたま会っただけなのに……」
「関係なら大ありだヨ」
アルゴは得意げに人差し指を立てた。
「オレっちは情報屋ダ。人脈と信用が第一の商売なのサ」
そして、ユキとコハルを交互に見る。
「現実を受け入れられず、街から出られない奴も多い。そんな中ですぐに動ける奴を、放っておく理由はないダロ?」
「つまり、今のうちに恩を売っておくってことか」
「ご名答」
アルゴは楽しげに笑った。
「後で大きく回収するための、未来への投資ってところだナ。ニャハハ」
「結局、金は取るんだな」
「当然ダロ。無料じゃ商売にならないヨ」
善意だけを並べられるより、その方がユキには信用できた。
「さて、オレっちは他の連中の様子も見てくるヨ」
「じゃあ、またナ。コーちゃん、ユー坊」
「コーちゃん……?」
「ユー坊って、俺のことか?」
二人が聞き返すより早く、アルゴは楽しそうに手を振った。
「呼びやすくていいダロ? 気にするナ」
「いや、気にするだろ」
「ニャハハ。それじゃ、死なないように頑張るんだナ」
そう言い残すと、アルゴは路地の向こうへ駆けていった。
小柄な背中は人混みの中へ紛れ、瞬く間に見えなくなる。
「……不思議な人でしたね」
「ああ。勝手に変な呼び名まで付けられたしな」
ユキは呆れながらも、アルゴから教えられた情報を改めて頭の中で整理する。
立ち止まっているだけでは何も変わらない。
「コハル。俺たちも行こう」
「はい」
二人は顔を見合わせると、今度こそ自分たちの意思で歩き出した。