雲龍を統べる君主、
魔素探知に長けた僧兵の一人によると、この霊廟域は最近できたばかりのいわば産まれたての状態であり、現在は休眠状態であるという。
霊廟域は魔素溜まりを中心として周囲を侵食するため、規模や頻度が極めて予測しにくい。それは暗に不確定要素の温床とも捉えられる。
沈静化の手順としては、霊廟域中央深部にある魔素溜まりを物理的に破壊、もしくは同量の魔素による攻撃で発散させることによって沈静化することができる。問題はそこまでの道のりである。
霊廟域になる前はただの小規模な森だったのだろう。山々に囲まれて人の手に染まることなく育った木々は魔素にあてられてあらぬ方向へ湾曲しているものが散見された。
ぱきっ!と枝を踏みしめる音。背の低い草をくしゃと踏み潰す音。現在僧兵隊は深部に続く安全な探索ルートを模索していた。
霊廟域が休眠期で活性化していなくとも、まばらにレヴナントは引き寄せられ群がりだす。危険は常に孕んでおり、強引に進むのは得策ではない。
強いて挙げるメリットがあるとすれば、非活性状態であるために相対するレヴナントは、新月級の雑魚ばかりというくらいだろう。
「……しっかし、いつ来ても禍々しいねぇ霊廟域ってのは!」
「膨大な魔素が辺り一帯の彩度を奪って領域化してるからな」
「ひゃー、怖いねぇ……この一切合切がモノクロの視界は。で?この魔素に曝露し続けると俺らにも悪影響があるんだっけか?」
「ああ。だから霊廟域の外郭に休憩地点を設けているんだ。定期的に身体から有害な魔素を取り除いて休むためにな」
「ははっ、いつ聞いても意味わっかんねぇ! 俺らだって元々魔素を多かれ少なかれ持ってんじゃねぇか。どうして霊廟域の魔素はダメなんだ?」
「さあ、俺も知らん。 ただ、隊長が言うには……この魔素に曝されすぎると、
与えられた任務に対する愚痴、霊廟域に蔓延る恐ろしいゴシップ。若くして僧兵隊の一員として編成された彼らは、華々しい出世街道が上手く軌道に乗っているため、気が緩んでいる。
「……おい、そこの二人! 私語を慎め。これより霊廟域深部への道を開拓する! 気を引き締めろ!」
確かに新兵の彼らが浮かれるほど雲龍僧兵は多くの給金が与えられる。それはこうした有事の際、命の保証を約束できかねないことによる職責のもとにあるからで……その命を失う機会は、案外すぐ傍まで近づいていた。
「ぜぇっ……ぜぇっ……! の、喉が……乾いてっ……!」
やらかした。『冥魂』にファストトラベル機能があったものだから、霊廟域にも簡単に移動できるものだと思っていた。ここは現実であってそんな便利な機能などそういえばあるわけが無かった。オープンワールドだからって広ければいいと思ってやがるな、運営どもめ。
ふふん、すぐに着くだろ♪と舐め腐って聖杖しか持たずに歩いた私がバカだった。霊廟域の地点は山一つ分先だぞ。途中休憩も挟むことなく飲まず食わずで行けるはずなかろうが。クソ遠いんじゃボケが。
今なんだか貧弱すぎるだろという声が聞こえた気がするので弁明しておくと、私は今世において何一つ体力を使う事象に携わることが無かったため、筋肉のつきようがないのだ。誰がヒョロガリに産んでくれと頼んだ。
そのクセに身長は175センチほどあるものだから、少しでも動こうものならエネルギーがごっそり持っていかれる。燃費が悪いのだ。誰がデカ女に産んでくれと頼んだ。
「──んぐっ!? ごほっ、げほっ!!」
ここは一つ生唾でも飲み込んで、少しでも脳に何かを飲んでいると誤認させてやろう。そんな情けないカスのライフハックを試みようとした結果、カラカラに乾いて張り付いた喉がなんか凄いことになって噎せ返った。ひどい。私はなにも悪いことしてないのに。
「…………っごほ、はぁ──……! もうこうなったらズルです!」
無闇矢鱈に聖印を用いた魔法を行使するなと聖教の偉い人から禁じられているが、これもう非常事態といって差し支えないだろ。物事は捉えようなのだ。
喉カラカラで死にそう案件ですので。仕方ないね。私は魔素によって生成された白い翼を背に宿して、目的地の霊廟域までひとっ飛びすることにした。
「うん……最初からこうすれば良かったのでは……?」
本当にさっきまでの時間を返してくれないだろうか。なんならもう嫌な気分になったので引き返して狸寝入りでもしてやろうかとさえ思っている。嘘である。私にもメリットがあるので全然やる気で霊廟域をぶっ潰す。
今更だが私の超絶美女ぶりについて話しておこう。先の通り私はヒョロガリデカ女なのだが、しかしフォロス大陸
175センチの身長の人間の腰まで伸びているクッソ長い葡萄酒のような赤毛の髪は、手入れなど殆どしていないというのに綺麗に波打ってふわふわと揺れている。けして寝癖ではない。
髪色に更に深さを増してくれている髪艶も健在だが、風呂キャン聖女なのでテカりの可能性も否めない。長すぎて洗うのがめんどくさい。けして臭くはない。
瞳は淡紫で、『冥魂』公式Wikiによれば「見つめられると嘘をつけなくなる」ような気分になるのだとか。見つめる相手がいないのはさておいて。デカ女なのに大きくて垂れ目だからおっとりした熊みたいである。は?
そして『冥魂』の女性キャラクターは基本的にでっ……のやつらが多い。例に漏れず私も豊満で、何をするにも死ぬほど邪魔である。小一時間祈りを捧げていると肩は凝るわ、真下に落ちたものを拾うには一々屈まねばならんわで、もうどうにかもげてくれないか。
そんな爆美女である私が、グロッキーな顔をして空を縦横無尽に羽ばたいている。乗り物酔いと似たような現象で、普通にこの空飛ぶやつ気持ち悪ぃのだ。この魔法を使うとき三半規管も自動で強化する仕様に変えろ。ばっかみてぇに欠陥魔法なんだが?
ま、兎にも角にも霊廟域の手前、雲龍僧兵隊が仮設したのだろう休憩地点へと降り立つ私。探知魔法を使わんでも不気味なくらいに音沙汰が無い。和気あいあいとピクニックムードであってくれたらどれだけ良かったことか。見事、悪い天啓は大当たりである。
「鼻が曲がるほどに……濃い死臭」
あの自己満ジジイ僧兵の話を振り返れば、まだこの霊廟域は発生したばかりの真新しいものであるはずだ。しかし、深部から漂ってくる濃密な魔素は……フォロス協界が指定したレヴナントの脅威区分、月相にして
「うーん……戦闘は苦手なんですけどね」
やらんとは言っていない。ちょっと人権ヒーラーに全て任せすぎだろとは言いたくなるが、まあ勝てるだろう。そもそも勝てないと思っていたらすぐにでも龍緋の元へカチコミに行っている。
あくまでそっちが
霊廟域の深部、魔素溜まりを卵のように守っているレヴナントの姿は、さながら雲龍に古くから伝わる神龍のような、ある種神々しさを放つ人ならざる龍の
恐らく心臓はそこにあるのだろうと、細長い
晦とは、月の満ち欠けが一周し、また月が隠れた状態のことを指す。“魂”の満ち欠けがそれと同じだとするならば、晦級のレヴナントはすなわち“魂”が
常識に反した、矛盾した状態の存在。有り得るはずのない現象を体現する存在。そういった埒外だからこそ、最大レベルの晦。一つの国家が易々と滅びてもおかしくないほどの異形。
大気を漂い、人や動物の体内にも微量に流れている魔素。魔素には五色によって大まかに定められた属性の種類がある。赤は炎、青は水、黄は力、緑は自然、紫は雷。
人間が行使する魔法は体内に流れる魔素がどの色に偏っているかによって決まる。これはレヴナントと成り果てても同様であり、露出した魔素器官である“魂”の色によって判る。
しかし先も言ったように、晦級とは計り知れない存在の総称を指す言葉である。例外は、存在しうる。
「……なんなんだ。 なんで、五色の魔素全てを扱えるんだっ……うっ、ごぽっ……」
神龍の如きレヴナントが持つ“魂”の魔素の色は、極彩色であった。一際目立つ一筋の単色などではなく、全色を含んだような眩いそれ。
僧兵隊は一瞬にして壊滅に追い込まれた。まず最初に前線に立っていた隊長が殺された。それに激昂した副隊長が切り込んでいき、あしらわれるように爪に引き裂かれて細切れとなった。
二人の一瞬の死に怖気付いた同期の一人が仲間を見捨て逃げ出した。神龍のレヴナントは静かに一瞥して、一拍置いてから粛々と吠えた。咆哮は雷となり、同胞を見捨てた天罰かのようにそいつに降り注いで丸焦げにした。
そして残った自分は、攻めることも身を守ることもままならずに、ただレヴナントが身動いだその余波によって為す術もなく岩肌に打ちつけられたのだった。両脚は曲がってはいけない方へとへし折れ、携帯していた武器は動かねば届かない場所に落ちてしまっている。
「ぐうっ……まだ、ここで終われねぇっ……!」
雲龍僧兵という職は雲龍の市民にとって成り上がるための黄金切符である。名を上げ、雲龍城内の警備を任される上級僧兵になれば、市井の出自でありながら現雲龍君主、龍緋の右腕となった伝説の僧兵
皆がそう思って狭き門を叩き、僧兵科挙を受けるのだ。その数多くいる受験者の中から這い出るため、血反吐を吐いて鍛練し続けやっとの思いで僧兵になったというのに……ここで、俺は終わるのか……?
「いやだ……いやだ! 死にたくっ、死にたくない……!!」
ああ、鋭い爪が目前へと迫ってくる。怖い。死にたくない。俺はまだ……父や母に報いていない……!何も出来ずじまいで一生の幕を下ろすのか……!?
「────その想い、聞き届けました」
花が咲くような、可憐な声色が耳に入った。恐れて閉じていた瞼を震えながら開くと、あのレヴナントの恐ろしい爪を神秘的な意匠の杖で抑えてこちらを心配そうに見やる、美しい女性が間に割って入るようにして現れた。
激しさの増すレヴナントの凶爪なぞ目もくれず、白く細い指先で俺に触れ何かを施した。それから今度は俺以外の……死んでしまった仲間たちにも一つ一つ目を配った。凄惨な現場を見た彼女は、悲痛を宿した淡紫の瞳を閉じて胸に手を当てた。
「遅くなってしまい──彼らを救えずごめんなさい。 せめて、貴方だけでもここから救い出してみせます。 ですから今はどうか、傷だらけのご自分のお身体を自愛なさってください」
こちらを包み込むような、暖かくも優しい白い魔素の光に身体がふわりと軽くなる。少し間を置いて心地よい微睡みに包まれ始めた俺はゆっくりと意識を手放していく。
未だ窮地の只中に居ることは変わりがないというのに、次に目が覚めた頃には彼女が片付けてくれているのだろうと、何故だか不思議とそう信じることができた。