人権ヒーラー(︎︎♀)に転生おじさん   作:春に木漏れ日

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23話

 暖かい毛布に(くる)まれて、どこまでも深い微睡みに身が沈んでいくような感覚にある。

 

 心地良くあるが、どこまでいっても地に足が付かないのは、一抹の不安を胸に宿らせた。

 

 息を、しなければ。瞼を、開かなければ。

 

 しかし、どうやって?生きるのに必要な、息のしかたを、瞼のあけかたを、忘れてしまった。

 

「────ア。おいっ、レア!」

 

 戻ってきた。その言葉が適切であると、そう言わざるを得ないほどに鮮明な現実に引き戻された感触があった。

 

 それは私の頬に添えられた、細く白い指によるものでもあり、私を強く呼ぶ目の前の女性の声によるものでもあった。

 

「…………お、かあさま?」

 

「おっ、やっと反応した! はぁー……よかったぁ……! こんな非常事態に上の空でさぁ、私の言葉が届かねーから焦っちまったじゃねぇか」

 

 わしゃわしゃと私の頭を乱雑に撫でて、それから手櫛でたわんだ髪を整えるは、私の母。

 私に似た葡萄酒のような髪。私と違うまだ熟れていない青林檎のような瞳。

 

 言葉遣いこそ荒いが、しかしテイルムンドでは知らない人はいない高位の聖女。ドロテア・オルテンシア。

 その首にかけられた、どの国の貨幣とも一致しない、母曰く「寵愛であり、呪いでもある」──正体不明の金貨が括られたネックレス。

 

 それこそがドロテアが茨の聖女と言われる所以。見紛うはずもあるまい。

 だって私はずっと、その金貨を両の手で握って祈りを捧げるところを見てきたのだから。

 

「……ひじょう、じたい?」

 

「おうよ。そりゃあもう銭ゲバ僧侶どもが大慌てするくらいの非常事態。……だからさ、レア。ちょーっとだけ、ここで待っててくれないか?」

 

 意識を取り戻してから、あらゆる情報に忙殺される。

 私自身のこの(つたな)く舌っ足らずな喋り方はなんなのだ、とか。

 なぜ、昏睡状態にあるはずの母が意識も明瞭に()()にいるのか、とか。

 

 外部から私の頭になだれ込む情報とは別に、私の感情というのだろうか、または思い出というのだろうか、つまり内側からなんとも言えぬ懐かしさが去来した。

 

 両親共に強制したわけではない。だが私は生まれついてより抑圧的な性格だった。泣きもせず、怒りもせず、年頃ならば一つ二つはあるようなわがままも言わない。

 

 抑圧的、と表したのは感情が()()ということではなかったからだ。泣きたい時に泣けず、怒りたいときに怒れず、わがままを言ったら迷惑をかけると知っていたから、言わなかったのだ。

 

 その度、母ドロテアが代わりに泣いて、怒って、地団駄を踏んでくれていた。その度、父ローグレディアスが宥め、呆れ、母に説教をしていた。

 

 私は私をかってに殺して、それを無理に矯正するでもなく、あるがままの私を許してくれた二人の家族を愛していた。

 

 懐かしさの去来から、無くしていたパズルのピースが見つかって、どんどんとはまっていくような気がした。

 奇妙なほどに感触のある手触りも、視界に広がる懐かしい風景も、私のこの幼い口調も。

 

 嗚呼、これはある一つの契機(シーン)だ。わがままを言わなかった私が、唯一その感情のなすがままに動き出した、その出来事の。

 

「……わたしは、そのついたいけんをしているのですね」

 

「……んぁ? 追体験?」

 

「いえ、なんでもないです。わかりました、おかあさま。レアはここにいればいいんですよね?」

 

「……っと。そーだった……おう、待っててくれ。私はぜったいに帰ってくるからよ! ほーら、いつもの指約束だ」

 

 そう言うと、母は小指を差し出して私の小さな小指と折り重ねた。屈託のない笑みをこちらに向けて、努めて不安を拭おうとしてくれる姿に、込み上げるものがある。

 

「じゃ、行ってくるよ! 帰ったら……そうだ! レアの好物、シチューでも食べようぜ!」

 

 玄関が閉じていき、次第に光が遮られる。その光を見つめて、決められた運命の(ページ)を一つ(めく)ることにする。

 

 ここから母は帰ってこない。幼子にとっては気が狂いそうになるほどの長い間。時間にして、四時間。

 そして、決意する。幼いながら、賢しいレアは「母に危機が訪れたのだ」と理解して。

 

 愛する母と約束した、「ここで信じて待つ」という言葉を、破るのだった。

 

 

 

 俯瞰と主観が交互に入れ替わり、幼い私の可動域の不自由さに悩まされながらも、他人事のようにも思えている自分がいた。

 

 ドロテアがなぜ私を外に出したがらなかったのか。逃げ惑う大人たちを見れば明白だ。テイルムンド全体が、機能不全に陥っているからだった。

 

「……っちくしょう!! メトロが封鎖されてやがる!!」

 

「おいおい……じゃあ俺たち、いったいどうやって()()から逃げればっ……!」

 

「いやっ、いやよ! 死にたくないっ……! ……どうして、どうして聖騎士が街中で人を殺してぇっ……!?」

 

 頼みの綱であった移動手段、メトロの封鎖を知り、その場に頭を抱えて(うずくま)る人。

 

 その様子から、置かれている現状の恐ろしさに足が竦みだしてしまっている人。

 

 惨状の一部始終を目撃してしまったのか、光景を思い出して顔を青くして吐き気を抑えている人。

 

 それだけではない。方々(ほうぼう)から耳に届く数多(あまた)の怒号や悲鳴が、どれだけ恐ろしい事態なのかを幼い私に知らしめた。

 

「せいきしの、むほん……いいえ。わたしはこのできごとに、こうけいに。なじみがある」

 

 この騒ぎは……世紀の大虐殺。その下手人。私の父、ローグレディアスによるもの。この時の私は知る由もないこと。

 しかし当時の私の知性は悪い方向に働き、もしやすると父が関係しているのではと頭の片隅に浮かびかけていた。

 

 でもその考えを信じたくはなかったのだ。信じるわけにはいかなかったのだ。そうであるならば、母ドロテアは父の蛮行を止めるために……愛する夫に手を下してしまっているということではないか。

 

 だからこそ、大人たちが逃げてきた方向、彼ら彼女らが背を向けている先、私は真逆に走っていく。テイルムンドの高層建築物がひしめく雑踏の(すさ)みように、目もくれずに。

 

 

 頭に()ぎる、悪い天啓を真っ向から否定するために。

 

 

 我が家からどれくらい走った?かなりの距離を、休憩もなしに駆け抜けた。成熟もしていない少女の肺が、痛い痛いと悲鳴をあげている。

 

「はぁっ……はぁっ……! いそ、がなきゃ……!うあっ……!?」

 

 呼吸の乱れから、足がもつれ、前傾した身体を支えきれずに地面へと転ぶ。膝を擦りむいて、(やわ)い肌から鮮血が覗いている。

 

「……つぅ、たちどまるなっ。おかあさまと、おとうさまに、あうんだからっ」

 

 足を伝う血が気持ち悪い。こんな事態の最中に、ハンカチなんて持ってきていないから、手の付け根を当てて、強く擦る。痛い。痛いが、それが逃げたくなる幼さを殺してくれた。

 

 顔を見上げて、気付けばもう逃げ惑う人々もいなくなった道をもう一度見やる。その際、視界の端にチラと写った公園に、意識が向いた。

 

「あ……ここ、おとうさまによく、かたぐるまをしてもらったところだ……」

 

 抑圧的な性格になったのは私自身の根底がそうであるというのには違いないが、それを更に助長させている要素に、父に似た表情の硬さが相まっていた。

 

 後に聞いた話だが、父は私を目の前にして、自分の無愛想、仏頂面はここまで酷いのかと我がふりを直すきっかけとして内省したという。そんな彼が、彼なりに私と向き合う(すべ)としてよくしてくれていたのが、肩車であった。

 

 200センチは優に超える巨躯、鍛え上げられた筋肉。テイルムンドでは普遍的な金髪を短く切り揃えて、私の瞳の由来となった淡紫の瞳で、私を傷つけまいと割れ物のように注視していた。

 

 子供らしくない賢さと、子供らしくない態度の私でも、流石に嬉しかった。肩車をしてもらったことにではない。一緒に公園で遊んでくれたことにではない。

 

 父にとって数少ない出来ることの中から、私に喜んで欲しいと悩み抜き、一つ、深く考えてくれたことに。私は心底この人の娘として産まれて良かったと思ったのだ。

 

「すぅー……はぁー……。だいじょうぶ。おちついた」

 

 肺もまだズキズキと痛みを訴えている。足にもとめどなく血は滴り流れている。それでも、会いたい。今会わなくては、私は後悔してしまう。

 

 たとえ、これが悪夢でも。父にもう一度会いたい。

 

「めざすは、聖者フリオがよみがえったとされる聖地……! アフロートルディア大聖堂……!」

 

 再び、迷いに揺らいで失われかけていた決意が満ちた。最後まで見届ける覚悟はある。父の外套を掴むんだ。行かないでと、初めてわがままを言ってやるのだ。

 

 

 

 大聖堂に辿り着いてすぐ、直面したのは死屍累々の聖騎士たちの無惨な死体だった。彼らの顔は命が絶たれる寸前でさえ納得の及ばないままといった状態にあった。

 

 ともすれば、「どうして」と訴えかけているようにも見える。ああ、嫌だ。こういう時、どうして馬鹿ではないのだろうか。

 

「…………おとう、さま」

 

 進む他ない。物言わぬ骸が、雄弁に答え合わせを示してくれていようとも。この目で確かめるまでは……それを答えとしてはいけない。

 

 大聖堂の鉄の大扉が、軽く開いている。誰かが引き摺られたのだろう、血の道がその中へと続いている。その誰かとやらは、もう中で用済みと見捨てられて、死んでしまっていそうだが。

 

 大聖堂の広間、その奥にある女神像。そこに、特徴的な赤が見えた。もう少し詳しく言えば、柱に重なる形で、覚えのある赤が見え隠れしている。

 

「────ぁ! おかあさま!」

 

 ここまでの道のり、どれだけ決意に満ちただの、行かねばならないだの取り繕っていても、やはり心細さに蝕まれていた。それこそ、そう。母の姿が欠片でも見えさえすれば、走り寄ってしまうくらいに。

 

「……レア……待ってろって言ったのに……。 まったくよぉ、ばっかな子だなぁ……? あーあ。そーいうところは……ばかな私に似ちまった……ん……だな……」

 

 柱を視界から外す様にして、母の全貌を視界に収めようとした結果、そこに現れたのは地獄だった。

 正面から胸を刺し貫かれ、乱れた髪が口許に付着した血によって張りついて、一房()んでいるようだ。

 

 (なま)めかしくも、美しいその姿。しかして命の灯火が失われつつある。そんな時でも自らの生命より、娘のことを心配して後ろを振り向くのは、やはり母だからなのだろうか。

 

 胸から背にかけて剣身が深々と。誰に許可を得るわけでもなく、下手人が無慈悲にそれを抜いたことで、ある種凶器に支えられていた彼女は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 

 ポタポタと剣先から落ちていく血の雫。恐る恐る、辿るようにその先を見ていくと……無感情に佇んでいる、父がいた。

 

 淡々と、そして効率的な無駄のない動作で剣についた血を払い落とし鞘に収める。そして、ようやく観客(オーディエンス)がいたことに気付き、一言。

 

「……ああ、レアか。 (むご)いところを、見せてしまったな」

 

「あ、ああ……! あぁっ……! ぅ……うえっ……うぷっ」

 

 母を待って四時間。ここに来るまでに、一時間前後。それまで飲まず食わずでたどり着いた。もう胃の中に吐くものなどなにも残っていないというのに、胃液が逆流し、喉元まで出かかっていた。

 

 綺麗な大聖堂の床に俯いて、半ば現実逃避ぎみに私は目を瞑った。身体を震わせながら、神に祈りながら、この信じ難い光景がどうか都合の良いものに変わりますようにと。

 

 どうかあくむよ覚めてくれ覚めてくれさめてくれさめてくれさめてくれさめてくれさめてくれ──────!!!!

 

「レア……愚かな俺を赦せとは言わぬ。だが、こうするしかなかった。こうやって……司教どもを(みなごろし)にするしか……なかったのだ」

 

 だまれ。おまえは父じゃないおとうさまなんかじゃない母を殺したおまえを父などとよぶものか返せ、かえせよわたしのおかあさまをおとうさまはこんなことするわけない嫌だ、独りにしないで…………!

 

 ミシミシと何かが軋む音がする。それは内側から響いて、まるで蛹から蝶が羽化するときのような、解き放たれてはいけないものが蠢き出す音にも聴こえた。

 

 絶望が心を染めて、目の前が真っ暗になっていく。ふと脳裏に焼き付いた母の胸から垂れる血が鮮やかで綺麗だったと思い出した。その赤毛と鮮血が混ざりあってどこまでも私と溶けていけるようだった。

 

 ──────“魂”が(ひび)割れていくような、不吉を運ぶ音が鳴り響く。

 

「─────ぁ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!!」

 

 

 

 そこで、目が覚めた。

 

「…………っは。私は結局また……父の外套を掴むこともできなかったのか……」

 

 顔を上げ、溢れ出そうになる涙を押さえつつ、自嘲気味に漏れた私の独り言に。まだじくじくと痛む心がそれが忌むべきお前自身の本質だと突きつけてきたような気がした。

 

 追体験で得た肺の痛み……などではなく。無意識下で行われた治癒によるリコリッタの傷が、中途半端に残っているからこその痛みだった。

 

 内罰は体裁の良い自慰行為でしかない。現実を見ろ、レア・オルテンシア。私は【太陽】と、その眷属と名乗る男を今すぐにでも制圧しに行かなければならない。

 

「して、ここはどこなんでしょうか。……うっ、腐敗臭がして鼻が曲がりそう……」

 

 臭いもさることながら、ずっと目ぇかっ開いてるっていうのに真っ暗なのはなぜなのか。身動きもとれないし……あれか?また物臭(物理)聖女なのか?これは。

 

「んぐぐ……! ぬ、抜けろぉぉぉ……」

 

 だーめだこれ。両腕も両脚も、うんともすんとも言わないでやんの。こういうときは……便利なぱわー、魔法に頼ろう!うんうん。

 

「よい……しょっ!!っと〜〜」

 

 白魔法をぶっぱなして、手足の重りになってるものを吹き飛ばした。ラッキー!ついでの副産物で真っ暗闇もさっぱり解消!

 

「……ん? ゴミ溜め……みたいな、ところでしょうか? ……あいたっ」

 

 大分力任せに吹き飛ばしたから、ゴミ?の雨が私の頭上に降ってきた。それは食べ終わった空の缶詰のよう。落下速度が乗っててかなり痛かったです、まる。

 

 後頭部にたんこぶを添えたまま、私はゴミ溜めの上をふらふらと歩き続けた。ガラクタが積み重なった、お世辞にも環境に良いとは言えない空間。

 

「ここはケリュドアナのどこにあたる場所なのでしょう。というかそもそも、ケリュドアナなのかも怪しいですよね……」

 

 しっかたねぇ、さっきからずぅーっと鼻息荒くゴミ溜めに手をつっこんで漁りに夢中そうな、デカいバックパックを背負ったそこの女に道案内でもしてもらうとするか。

 

「そうですよね、見知らぬ人? 道案内、してくれますよね?」

 

「────へへ!お宝お宝……って、ほぁっ?」

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