「わたしの……この腕と脚を治してほしい」
肘の付け根。乱暴に引きちぎったことによって伸びた皮から固形じみた血がどろっと流れている。
エレオノーラはその付け根を地面に突き立てるようにして身体を引き摺って、カンタレラへと歩み寄った。
エレオノーラはカンタレラが今どれほど重体なのかをしっかりと視界に収めている。数秒、血によって荒れた金糸のような髪の動きが固まる。
「治して、くれる?」
燃えたぎる怒りの火種の所以は、カルナという悪魔に目の前で仲間を傷つけられ、ゴミのように扱われたからであった。ならば、カンタレラのこの容態にだって、心配や怒りが先にくるはずである。
しかしエレオノーラは復讐心に囚われ、生き急いでいた。一刻も早くこの役立たない四肢を治さねばならない。さもなければ、カルナを満足のゆくまで殺すことができないから。
悲しいかな、今のエレオノーラはカンタレラのそれに、なんの感慨も抱いていなかった。抱けてなど……いなかった。
いつものお子ちゃまではないと、興奮で開ききった彼女の瞳孔と彼女が背に纏う雰囲気から、カンタレラは異常を悟る。
(こーいうとき、その道に行っちゃダメだって言われて……素直に踏みとどまれるヤツなんて、いないよなぁ)
そのことは【隠者】として、雲龍の人間を使って『毒殺チキンレース』をしてた性悪時代の自分がそうであったから、誰よりも痛く理解をしている。世話の焼ける……そう内心独りごちて、カンタレラはため息をついた。
そして、節々が痛む腕をあげて……治せ、治せと瞳から強く訴え続けているエレオノーラの額めがけて、現状、力いっぱいのデコピンをお見舞いした。
「……あうっ!? い、いたい……!」
「……ったく。一人で抱え込むな、っていつも言ってんだろー? あー……そーだなぁ、何を話そっかな……」
それからもうボサボサだしいいだろ、と言い訳を置いてから、エレオノーラの髪をわしゃわしゃと乱雑に撫でたカンタレラは、真面目に説教を始めるわけでもなく、エレオノーラの危うさに全く関係のない身の上を語り出した。
「みんながさ……ボクのことを『カンタレラ』って呼ぶけど。あれ、本名じゃないんだぜ」
「……いきなり、なに?」
カンタレラは這っているエレオノーラに見やすいよう、かわいらしくデフォルメされた【隠者】のタロットカードを地面の砂ぼこりを使って描いた。
「この【隠者】の絵ってさ……カンテラを片手に持った賢人なのさ。ボクさ、レヴナントに成ってから……人間だった頃の名前が思い出せないんだ。だから、【
「カン、テラ……カンタ、レラ……って?」
「そ。……実はけっこー気に入ってるんだぜ、この名前。
エレオノーラもさ、今でこそ馴染んでるその名前……そーいえば誰に付けてもらったんだっけ?」
「それ、は……レア……さん、に」
「ぴんぽーん、せいかぁ〜い。 ……じゃ、そんなレアがどういう意味を込めてキミに『エレオノーラ』って名前、付けたんだろーね」
「……わ。わかん、ない」
カルナを殺すため、急がなければならないという焦燥感と、カンタレラの話を蔑ろにしたくないという純心がせめぎ合っていて、ないまぜになった感情がエレオノーラの顔にそっくり浮かんでいた。
彼女の二面相にケラケラと笑うカンタレラ。笑われたことに不服そうなエレオノーラ。
エレオノーラの持つ危うさはまだ潮引いていないが、その内面にはまだ善性があることが確かめられた。カンタレラは笑いつつも、心の奥で安堵していた。
カンタレラは自らの治癒を停止して、【被虐者の愛】による血液操作にリソースを集中することにした。エレオノーラの千切れた先に、大量の血によって象られた腕と脚ができた。
腹にある孔はまだ、空いている。人でなくても、そのままであることは苦痛を伴うだろう。
「あくまでボクの異能は毒の性質を人体に有益な良毒にするのが精々。レアみたいに無い腕を生やすとかいう、馬鹿げた治療は無理なのさ。……だから、ボクの血で代わりになる腕と脚をプレゼントしてあげるよ」
続けて、カンタレラは言う。
「そうそう、エレオノーラって言葉はねぇ……『慈悲』とか『光』とか、そーいう意味があるんだぜ。ハハッ、ボクってば意外と博識だろ?
……そんなステキな名前のキミが、今にも人殺しをしますよ〜!って顔してちゃあ、レアに顔合わせできないだろ?」
「────ぅ、あ」
カンタレラの何気ない指摘に、なにも言い返せずにいる。雷に打たれたかのように、表情豊かだったエレオノーラの顔から一切のものが抜け落ち、頭の中が真っ白になっているようだった。
「ま〜……ンなこと言ったけど、ボク個人としてはモヤモヤを抱えたまんまより、スパッ!と殺ること殺っちゃえばいいと思うよ」
「……もぉ〜〜っ、じゃあなにが、いいたいの!?
……むずかしいよ、むずかしいっ……! もっと、わかりやすく、いって!!」
ぷんすこと腹を立てだしたエレオノーラを無視して、這いずってないで腕と脚を動かしてみな、と顎で指示をしたカンタレラ。
言われるがまま、不服そうな顔はそのままに、おずおずと立ち上がって神経の通っていないはずの血の両腕と両脚を動かしつつ、その感覚に不思議そうに首を傾げた。
「……で、何が言いたいか……だっけ? ん〜……うーんとねぇ……とりまヤバかったらボクが止めるからさぁ、キミの肩貸してよ」
「……わけ、わかんない。それでわたしは、あのクズを殺していいの?」
「アハハ! ボクも何が言いたいのかわかんないから安心してよ! ……でも、なんだろうな。
容姿も性格も似ても似つかない二人。カンタレラの腕を自らの肩に回して支えているエレオノーラ。互いに既にボロボロの状態で、ゆっくりとナルシアの元へと向かう二つの背は、もはや『家族』と呼んでもいいほどに、近しかった。
覚醒したナルシアの
「ごほっ────!!」
苦し紛れに炎の弾幕を放って、接近を許さないカルナ。しかし相手は魔造人形であるがゆえ、無数の魔法の波に身体をぶつけることを厭わない。
加えて、カルナの魔法を吸収していく黒鳥はそのしなやかな腕に赤い魔素を纏って威力を増し、彼のみぞおちに鋭く拳をめり込ませた。
「がはっ────!?」
ナルシアはただ淡々と歩いている。歩調を聴くに慢心がそこにはありそうだが、その隙に付け入る余裕などカルナには無い。
(こいつがなんで俺の異能を強奪できてるのかの見当はついてんだけどナァ……。問題は、見当がついたから何だって話なんだケド……)
口内に溜まった血を吐き出して、【背教者】を解除するカルナ。このまま異能を展開していても黒鳥に奪われていくだけだと判断した彼は、突貫してくる黒鳥に敢えて自ら走り寄っていった。
(黄の魔素。力を司る魔素。考えてみりゃ、魔素からなる異能だって厳密にゃあ純粋な力だよナ! でもさぁ……そんなずっとパクりっぱなしなんて都合のいい話、無いんじゃないノ?)
魔造人形に人の感情は無い。ナルシアの起伏に呼応して、それらしい振る舞いをすることはあるが、基本的に無機質である。
合理的と言っても良い。最短距離で放たれる攻撃は、寸分の狂いもなくカルナに向かう。黒鳥の背に、擬似的な【背教者】の太陽が浮かぶ。
四つの手が、カルナの逃げ場を無くしていた。普通の人間であれば、逃げられない。だがどうだろうか。カルナは、人間ではない。為すがまま、鉱物的な冷たさの四腕に穿たれたカルナ。
「……ゴホッ、ゲホッ! あ゛ぁー……
ここまでの連戦での消耗、一か八かで黒鳥へと異能無しで立ち向かった愚策。魔素が底をついたカルナは、簡単に降参のジェスチャーをしくだらない軽口を叩いた。ただどうしても、本質的な深手とは言えないような感触で、心底気持ち悪そうにしているナルシアであった。
「薄々気付いているわ。あなたって、まるで私と踊り子の同化に乗り気じゃないわよね」
「うん。俺が元々キョーミ無いってのもあるけどネ……実際、【世界】がセンパイのどこに魅力を感じてるか、っていったら
スケールの広がった二人の戦闘の余波。ペルセイア領内のみに留まらないパニックは、既にケリュドアナ全体に伝播していた。
悪戯が成功した、そんな喜悦を顔にするカルナ。頭上の夜空が、モノクロに染まっていく様子に気付いたナルシアは目を見開いて驚愕している。
「あなた、まさかっ!?」
「じゃあ……じゃあだヨ? うじゃうじゃいる人間どもをネ? レヴナントにしちゃっても、まあ集めるのは苦労するだろうケド……センパイ分くらいの魔素は手に入りそうだと思わない? ……ギャハハハハハ!!!」
趣味の悪い高笑いを響かせ、倒れ込んだ地面が歪んでいく。未発達な少女のような、無数の腕に引き込まれてカルナは地面へと沈んでいった。
逃げさせるものかと黒鳥で追撃を放とうとするが、各地から響くレヴナントの雄叫びを耳にして踏みとどまってしまったナルシア。同時に、強奪したカルナの異能も霧散していく。
霊廟域の発生。全てがブラフだった。【
「あー!! やっぱ時間制限があるんだネェ!? ……今回は負けちゃったけどサ、次戦う時は俺が勝つからぁ……覚えておいてよ。セ・ン・パ・イ♡」
阿鼻叫喚に包まれながら、歯噛みしてカルナを睨む。殺意たっぷりなナルシアの瞳に嬉しそうに微笑むカルナは、手首を軽く振ってお別れを告げていた。
「────逃げられると、思うな」
そこに極彩色が一閃を描く。
とりわけ強く色づいていたのは、紫と緑。
ラウラの紫電と、カンタレラの血毒。
なんの華美な装飾もない、無骨な片手剣を握りしめてエレオノーラの【月蝕】がカルナの逃亡を阻止しようとしていた。
「────だめだよぉ。私の大事なこどもに手を出しちゃ……ね? あぁ……でも。逢いたかったよ……
しかし渾身の一閃は無為に終わる。防いだのは、憎しみに満ちたエレオノーラを愛おしそうに見つめる死人のような肌の少女……【
「……あんのお子ちゃまぁ! まだ治ってないのにボクを放り投げて突っ込むやつがいるか!?」
「……カンタレラ、あなただけよ。ここまで深刻な状況でコミカルなお笑いを繰り広げてるのは」
「これがお笑いなわけがあるかぁ!! 今でもボクの土手っ腹、穴が空いてんだからなぁ!?」