28話
両手を広げて、歓迎するように手を差し伸べる【世界】。それを拒絶するように、剣を軽く振って睨みつけるエレオノーラ。かつて生を共にした両者が相対する。
「ずっと、ずっと視てたよ。私との思い出、忘れちゃって……ちょっぴり残念だけど。でも、あの時と変わらない……私の大好きなお姉ちゃんのままだね」
「……わたしのむかしを、知ってるの? それにわたしを
おどろおどろしい無数の手が蠢く地面から、ずるずると冒涜的な擬音を奏でて身体を
質素なワンピースから覗く生脚の先、レヴナントに成った影響からか、未知数の見たことの無いなにかへと変質しかけている。
【世界】がエレオノーラの理解を得ず一方的に思い出の中に耽っていて、人の成り
「あの時は辛かったよね。
飢えに苦しんで、飼育小屋の端っこで目立たず死んだ子もいた。
毛布も与えられない小屋の寒さに耐えれずに
挙げ句、失敗作として殺されたくない!って発狂して……兄弟姉妹を
そのときは、生き延びなきゃだからって……泣き腫らした目をこすって、二人でその子の首を絞め返したんだっけ……?
…………今では、もう懐かしいね」
「……し、しらないっ。なにそれ……なに、それっっ……!」
カルナを庇う目の前の少女が、理性があって対話が可能な人物であるとは毛頭思っていない。だが、エレオノーラには彼女の話すことが耳にこびり付いて離れない。
どこに逃げたか分からないカルナを追いかけなければ。なのに、なのに……!この得体の知れない
どうして、胸が締め付けられるような悲劇を暖かな表情で語ることができるのだ……!?
「そうして最後に残った実験体の二人として……互いの手を握りながら死を悟ったとき、どんなことがあっても私たちは一緒だよって、約束したね」
「私は覚えてるよ。ずっとずっと……覚えてる。
その為には……古臭い殻に閉じ込められている、愚かな人類は邪魔なんだ。だって、この世界には悲劇が多すぎるから」
街の真っ只中で、被害を考慮せず行ったナルシアとカルナの戦闘。それから逃れるために当然、ここを避難経路として選択する住民もいた。
根源的恐怖がその顔に浮かび上がっているエレオノーラと、暖かい眼差しでエレオノーラへと微笑み返している【世界】の間を通り過ぎるように、ごった返しの人々が割って入る。
否、そもそも順序が逆で……忙しない往来の只中に彼女たちが居たのかもしれない。
その喧騒に、お互いのシルエットが隠された。
瞬き一つ、顔も覚えることのないケリュドアナの住民の幾人かが、ぼこぼこと
膨れ上がる彼ら彼女らの首筋に、【世界】が触れたと思われる青白い手形が不気味に発光している。
それらの原理を突き詰めることが叶わないが、【世界】の異能によって人々が次々にレヴナントと成り果てたのは間違いがなかった。
「過去に囚われて生きる旧人類は、もう要らない。
代わりにさ、この腐りきった大地に……私の子どもをいっぱい産み落としてぇっ……。
レヴナントだけの世界を創ったら、争いのない平和な世界になると思わない?」
無数に出没した、等級にすれば新月程度の弱いレヴナント。だが、小国ながら数多くの人が住まうここ、ケリュドアナにおいて、最も等級が低いということはなんの意味も為さなかった。
付け加えて、ここは霊廟域。初めは新月級のレヴナントも、霊廟域に充満した魔素によってどのような変貌を遂げるかは未知数。迅速な対応が求められる。足踏みは、被害の拡大と同義と知れ。
モノクロの空を仰ぎ見て、胸に抱いた絵空事を打ち明けたかのような気恥しさが、【世界】の頬に浮かんでいる。
容姿にそぐわぬ
「────呑まれんなよ、エレオノーラ。
【世界】は頭のおかしい
「失くした記憶を知りたい気持ち、痛いほど理解できるけれど。……アレの口から語られる言葉から知ろうとするのはよしなさい。
無邪気で、無垢で、それでいて残酷なまでに無慈悲なのが【世界】と呼ばれ畏怖されるレヴナント。あなたへ向ける親愛の眼差しも、真実かどうか信じ難いわ」
「…………ぁ。ふ、ふたりとも……」
【世界】の支配下にあるのか、レヴナントと化しても危害を加えることのない元人間たち。深く
気丈にも脱力することなく、震えた両手で剣を握りしめて剣先を向け続けてはいるエレオノーラ。表情に余裕は無く、思い詰めれば詰めるほど呼吸は荒くなっていた。
エレオノーラの肩に、剥がれかけた黒色のマニキュアが目立つ見慣れた手が優しく置かれた。
放り投げられたことへの文句の一つや二つ言いたいだろうに、恐怖に呑まれかけているエレオノーラを引き戻すように発破をかけにきたカンタレラ。
続いて、完全に新人類から袂を分かつ覚悟をしたナルシアが横に並んだ。震える手を包み込むようにそっと触れ、不安を取り除こうとしていた。
「───嗚呼、貴殿らの言う通りだ。全く以て度し難い。……なにが『争いの無い世界』だと?
お前たちから撒いた火種を、さも我々の愚から生まれた悪因だと
エレオノーラの恐慌状態を解かす追い討ちに、天空から数本の雷槍が降り注いだ。
それは逃げ惑うか立ち竦むかしか手段の無い民草を避け、現状救う術がないレヴナントのみを狙って寂滅せしめた。
「みんな、情けないところを見せてごめんね〜! 小粒は瑛璻に任せて〜?」
ラウラが強引な着地点を確保したことで、もう一人小柄な少女の影が降り立った。特徴的なアホ毛をぴょこんと跳ねさせ、地面に足が着いたと思うと、半径数メートル、青い魔素による円形の領域を展開させた瑛璻。
「先ほどのお話ですけど〜。瑛璻もラウラちゃんとおんなじ意見です〜! 心優しいレヴナントもいるって、カンタレラちゃんとおはなしして理解しましたけどね〜?
……でも瑛璻、実はね〜?レヴナントが大っっっっ嫌いなんですよ〜〜!!」
領域に、青の魔素からなる刀が無数に刺し
激しい濁流によって攪拌するように、レヴナントのみを徹底的に切り刻んでいく瑛璻。後手の対応に回った自分へ怒っているようにも、ただレヴナントの隠しきれない憎悪を発散しているようにも見えた。
「おおっと。さすがに……多勢に無勢ってやつかな?
ほんとうはお姉ちゃんと帰りたかったけど……しかたない。独りでおうちに帰るよ。
────じゃあ、あとはよろしくね。デュオニスくん、ルシーラちゃん」
妖艶にも薄ら笑い浮かべた【世界】は、何も無い空間に『青白い手』を輪のように出現させた。
なにかの
彼らの首筋に、害意なく【世界】は優しく手形と口付けを残した。二人の“魂”がドクンッ……!と拍動する。【世界】の魔の手により、二人は別々のレヴナントととなるはずだった。
ここに二つ、予想だにしなかった異分子が混ざる。ルシーラの“魂”の強度が常人のそれとは大きくかけ離れるほど強く、レヴナントに成り果てることを無意識下で拒んだこと。
そして、死してもなおデュオニスがしがみつき、執着するものが『ルシーラ』であったことから、彼女とは違い順当にレヴナントに成ったデュオニスの心臓にある空洞に四肢の無いルシーラが融合する形で混ざりあった。
「……クソが。ボクはどうカルナに不意打ちを仕掛けるかに気を取られて、ルシーラの行方に意識が向かなかった」
「私はデュオニスと呼ばれた青年とカルナの会話を盗み聞くことができた。……戦線離脱をするフリをして、デュオニスの命を摘みに行ったのね、あの最悪の求道者は」
ルシーラを助けるチャンスを有していたのはあの状況においてカンタレラとナルシアのみだった。カルナの襲撃時、エレオノーラほどルシーラの容態を確認できる地点に居なかったのもあり、目下脅威であるカルナの対応に追われていた。
全てがカルナと【世界】の手の平だった。カルナは帰属意識など欠片も有していないというのに、【世界】の宣うレヴナントだけの世界という最悪のため、最も忠実な駒として働いた。
「踊り子と貴公子が手を握りあって一つの存在に……わあ、なんてロマンチックなんだろう! 彼らこそまさに新たな【
────ばいばい!お姉ちゃん!」
心臓の代替品のように、ルシーラが化け物と成ったデュオニスの左胸に収まっている。大事そうに彼女をかき抱く腕は、安易に契約した
人間のような具体的な貌から、その存在は抽象的ものへと置き換わっていく。なぜなら、どこまでも大切な『ルシーラ』と溶け合って、幸せを享受するためにデュオニスはケリュドアナを壊そうとしたのだから。
具体性はそこにはいらなかった。
その望みは最悪の方法で叶えられた。キュビズム的相貌。正面から見た顔のようなものは涙を流した男性のように。横から見た顔のようなものは男性のような顔に口付けをし、慰める女性のように。
彼女の愛を独占して、それを理解するのは自分だけでよかった。
言葉は喪われた。なにしろ、愛する者は溶けて混ざりあっている。コミュニケーションはどうしたって他者であるから必要なのだ。今や二人で一人。比翼連理の【
新たな生命体の誕生に、どうか祝福と喝采を────!
巨大な石膏の像のような【
理性の伴わない者どもの拍手喝采に包まれたエレオノーラ一同は、各々違ったリアクションを取っている。
瑛璻は穏和な雰囲気がその背から消え、ラウラはレヴナントの冒涜的な成り立ちに心底眉を顰め。
「……だから瑛璻はレヴナントが嫌いなんですよ。本っ当に胸糞悪い」
「エレオノーラ殿。幼い貴殿にはやや惨たらしい景色かもしれぬ。……辛かったら、目を瞑っていても良いのだぞ」
エレオノーラは、やはりあの
「だいじょうぶ。 なんの為に生きて……なんの為に剣を振るうのか。
記憶が無いわたしにはずっと分からなかったけど、今ようやく理解した。
わたしの生は、新人類を否定するためにある。……人を殺して弄んで、挙げ句人を化け物に変えるあいつらを……絶対に生かしておくものか」
この時から、エレオノーラと【世界】の運命は決定的に分かたれた。これから先、どれだけ相対することがあろうと彼女たちは剣を交え、命を奪い合う他に心を通わせることは不可能だろう。
エレオノーラは【月蝕】を発動して、巨大な【恋人】との戦闘を覚悟する。彼女に呼応するように、四人もまた各々の魔素を強く輝かせたのだった。
「────みんな、ルシーラさんを助けるよ」