『風というのはね、暖かな春風と共に種子を運んで芽吹きをもたらすものなんだ。……だからどうか自分のことを、独りぼっちの役立たず、なんて卑下しないでおくれ』
────僕には君が必要だから。だいじょうぶ、君は独りじゃないよ。
「デュオ……ニス……さま……、ああっ……ウ゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!!」
鼓膜を
ヒトに近い形状のレヴナントと成ったからか、ぶつぶつと人間の頃の名残で何かを喋り続けている。
「熱烈なあなたへのラブコールですよっ! 駆け付けてあげたらどうでしょう!?」
「すぐに目を覚まさせてやりたいところだけどね、この吹き荒れる風を横断するのは至難の業かなっ……!!」
私の白属性は中和が主な性質だ。効果の発動は単純で、私の魔素を中和したい魔素にぶつければいいだけ。
問題は中和といってもぶつかったところからじわじわと……って感じなので、風という現象はたちまち勢いを取り戻してしまう。
空色の魔素。モノクロの世界でも輝かしく色めきたつ新たな属性。世界単位で周知のなされていない希少な色持ちとは本当に面倒だ。
白の魔素では到底中和しきれない……ならば『転化』で得た力を使うッ……!
空いた心の
「…………これなら、どうだっ!?」
「……! 道が、拓かれた?」
善行の押し付け、レヴナントから人へと手当り次第に『転化』で戻していた時のこと。霊廟域の中から外へと出てきてしまった満月級のレヴナントが有していた異能。
直接的に他者への暴力を振るわないが、レヴナントの通った道にあるものは例外なく腐敗し、それから数刻と経たず魔物の発生源になった。
そのレヴナントは森で遭難して腐乱死体となった少女だった。死に際、強く願ったのは『家路』だったのだろう。レヴナントの通った道と生前少女が住んでいた家は一直線の線で結ぶことができた。
この異能はルシーラほどではないが多少の不可侵性を持つ。魔物の発生源を生むというデメリットもあるっちゃあるが、私が消し飛ばせばいい話だ。
「今のうちに、行ってください! デュオニスッ!」
「……ああ。僕がつけるべき悪禍を僕に摘ませてくれることに……多大なる感謝を」
苦し紛れに絞り出した言葉を最後に、身体を支える力が抜け落ちて崩れ落ちそうになる。が、咄嗟に駆け寄ったアンナが、私を背中で受け止めるようにして崩れ落ちるのを防いだ。
「……うおっ!?っとと、顔が疲れてるけど大丈夫ぅ? そーいや、くそでっかい霊廟域の対処と並行してんだったね、レア」
「……ありがとうございます。ええ、中断はせず同時並行で進めています。……にしたって、先ほどの異能行使……私の“魂”がレヴナントに堕ちかけそうな気配を感じた。どうして……?」
おかしい。何が原因だ? 私自身の白い魔素が使えなくなったわけでもない。『転化』の恩恵による異能行使も、これまでだって数度行ってきてなんの反動もなかった。
まさか不安定な精神が……影響しているのか?
私はこの状態に陥るまで、前世の冴えないおっさんとして生きてきた記憶と、それまでこの世界で生きてきたレアとしての記憶……厳密にどう混ざりあったのかを見つめようとせずにいた。
「これまでも度々あったことでしたが……本来の私の精神が、直面してきた様々な悲劇に耐えきれなくなってしまっている」
そろそろここらで明らかにするべきなのだろう。おっさんの自意識たる「私」と、本来の「私」は全部が全部混ざりきったわけじゃなかったのか。
前者の私は様々な悲劇に思うことがあれど、上手く折り合いをつけてなんとか平常を保っていられている。
後者の私は逆に、もう駄目なのだろう。そもそも雲龍の一件がある前からずっと。
『転化』で救った人々から直接感謝されることは「どうして人間に戻した」と非難されることよりも少なかった。それでも、彼らを待っていた家族や親友から涙ながらに告げられる感謝に「これでよかったのだ」と納得をつけた。
そんなのはまだマシな方で、例えば今回行使した異能の持ち主の少女は、『転化』をしても生き返りはしなかった。異形から戻った先は少女の髪飾りだけが頼りの腐乱死体だった。
必ずしもレヴナントから人に戻れたとて、五体満足に蘇るわけではないのだ。なぜなら、レヴナントは人が死んでから成るものが多いのだから。私は少女の母に頬を
この世に善なるところを見つけるのは、くるしい。人は純粋であるからこそ、善だ悪だと二元論で語り尽くせるものではなかった。その純粋に、傷つけられた心はどうしたらいい?
嗚呼、かの【戦車】の父が引き起こした行為になんの意味を当てはめればよいのか。善でもなく、悪でもないのならば、私のこの悲劇をどう受容すれば?
あの出来事から十余年。私は人を助け続けることの意義を曖昧にしたまま、狂うに狂えずにここまで来てしまった。
本当はちょっと前くらいに私の心は壊れるはずだったのだろう。そうでなくなったのは、エレオノーラという少女と出会ったから。
彼女は記憶がなかった。私の理想を詰め込める容れ物だった。レア・オルテンシアが面倒事はごめんだなんだと言いながら、ずっと彼女のそばにいるのは……自己満足のためではないか。
「翳らせてはならないと、そう思ったのは……私自身の信じるものが崩れ去るのを見たくないからだった……?」
なし崩しに、なあなあでエレオノーラと離れられないと思っていた。そうじゃなかった。深層に眠る本来の私が彼女に縋っていた結果、ここまで来たのだ。
半分人間で半分レヴナントであるこの状態がおかしいのだ。それを無意識に忘れていた。なぜ前世の記憶があるなどというおかしな精神がインストールされたかなんてこれで明白だろう。
本来のレアはもうレヴナント側に堕ちたから。代わりに私というおっさんの精神を人間側としてすげ替えることで均衡を保ったのだ。
そんな悪趣味、誰が仕掛けた?
この世の無常に嫌気の差した私自身か?
それとも、私が敬虔に信じ続けた女神なのか?
「……はあ。なんか私ってめんどくせー人たちと友達になっちゃったなぁ〜。でも、ケリュドアナ人でもないのにケリュドアナのことで必死になってくれてるし、なにより私がレアのこと嫌いじゃないからなぁ……うし!」
「……アンナ……?」
「レアもちょっとだけ馬鹿にしてたけどさ……がらくた集めって意外に役に立つもんなんだよ? 魔素回路によって推進力を強めたよく分かんない板とか……火力ミスっちゃって火事が起きちゃうレベルの花火とかさ!」
アンナが板に飛び乗って、手を差し伸べてきた。その顔は私の事情なぞ知ったことかと、寄り添う優しさではなく絶望の水面から陸へと引き上げる、強引な優しさだった。
「レアが使った能力?ってさ、魔物が生まれちゃうんでしょ。レヴナントはデュオニス様に任せて、疲れてるレアは私にアドバイスちょーだい!大商人アンナさまが魔物なんかちょちょいのちょいでやっつけたげる!」
「ア゛……ア゛タ゛い゛ヲ゛ッ……! 独りに、しないでッ!!!!」
「くっ……! なんとか近付けたけど、火力不足で押し負ける!!」
リコリッタがどうしてレヴナントになったのか。彼女は協界員として霊廟域へ足を運ぶこともあったくらいだ。ちょっとやそっとで“魂”が欠けるなんてことはないはず。
……いいや、そんなことを考えたってしょうがない。幸い、生前の彼女のような用心深さは薄れている。押し合いに勝てるはずの魔法勝負に乗って出てくるあたりがそうだ。
ならばやりようはある。人間に持ちうる魔素の限界はあれど、レヴナントには無い。博打に出るべきだ。
空色に濃く影響されて、元来の金髪から変色してしまっている。眼光は人のそれではないし、彼女は本当に化け物になってしまった。
「僕のわがままに付き合わせてしまったから、君がこうなってしまっている。けじめを……つけなきゃね!」
彼女が風を放つとき、どの地点にどの程度の規模感で放つのかという大まかな指標を持たせるための予備動作が挟まれる。
僕とレアを阻んだあの暴風を発生させたときは目線を向けた。今は僕の放つ【太陽】の火球に合わせるように腕を振っている。
つまり彼女は予備動作中、重複して魔法を撃つことはできない!対してこっちは予備動作は要らない。なぜなら僕には背後に浮かぶ……!
「……この【偽・背教者】があるっ! オリジナルのあいつとは効果が違うみたいでね。効果は
威力も規模も【太陽】には遠く及ばない僕の魔法の才能だけど。君の風を相殺して、発動後の隙を突くことくらいはできるよ!
「グゥ……ル゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!」
「ははっ、腕に風を纏って削り取るつもりかな? それなら射出する形の魔法でもないし、近付いてくる僕を迎え撃てるね」
だけど借り物の力をそのまま使うばかりの僕じゃないさ。魔が差して、余計なことをして……ケリュドアナをぐちゃぐちゃにした僕だけど。
傍迷惑な人間なりに努力をしたんだ。この【太陽】の権能を僕が使いやすいようにカスタマイズできないかとかね。
「────『
「…………ァ゛ァ゛ッ!?」
「君のその風の魔素……とっても着火しやすそうなくらいべったり腕に付いてるね。大怪我程度で済むといいけど、後で感想を教えておくれよ」
僕を殺そうと思えば思うほど、付着した【太陽】の魔法は大きく膨れ上がる。解除しても僕の多重展開した火球に袋叩きにあうだけだ。何をしたってもう遅い。
「ッ! ────ヴァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”!!!!」
時を待たずに『偽・灼放』が炸裂し、風精霊のレヴナントの腕が吹き飛んだ。火力不足だとは言ったが、伊達に晦級のその上澄みにいる【太陽】の権能だけある。
近くにいた僕もその熱波を防ぎきれず、肌を爛れさせながら後ろに弾き飛んだ。“魂”を直接叩くことはできなかったけれど、あれだけの範囲の爆発ならば巻き込まれているはずだ。
「……この一件が終わったら、しっかりと裁かれないとね。それまでに僕の焚べた命が燃え尽きないといいけれど……ごめんよ、くだらない悪事で地獄に誘ってしまって。全部終わったらすぐそっちに行くから。……リコリッタ」
「────いやッ!! まだだデュオニス!! まだリコリッタを救う方法がある!!」
「なっ……レア!? まさか『転化』をするつもりなのかい!?」
爆風により大きく後退する僕と代わるようにして、アンナとレアが大きな謎の板に乗ってリコリッタへと突っ込んでいった。
「おまえのその特異な魔素は我ら花の民には無用の物だ。代々緑の魔素に恵まれる一族で、何故おまえのような出来損ないが産まれたのか、理解に苦しむのう」
物心ついたときから、アタイは出来損ないで、役立たずだった。
アタイが産まれた一族は花の民といって、ある特別な咲き方をする花を好んで食べる草食の魔物と共にケリュドアナの果てを移動する民族だった。
生物の環境適応による進化が魔物であるように、アタイたちも遊牧に適応するように暮らしやすい魔素が定まっていった。
花の民にとってはそれが緑の魔素であっただけ。緑は自然を司る。だから、魔物が好んで
この魔物は花の蜜を分解して綺麗な飲み水にする魔法を持っていた。蜜に含まれる甘味は肉に染み込み、老衰で肉が固くなってしまう前に命を貰って食糧にするという理想的な共生状態にあった。
アタイだけなんだ。アタイだけ、誰も見たことのない空色の魔素を持って産まれて……この花の民でなんの役にも立たない。風の噂でケリュドアナという国があることは耳にしてた。
ケリュドアナに行って、花の民から離れようとも思ったよ。だけど、ただ飯食らいのアタイに餞別代わりにくれてやる肉も水も無いってことだろう。一族たちの表情は協力的じゃなかった。
「どうしたの? 温厚な花の民の皆さんと比べて、君だけずいぶん暗い顔をしているね」
明らかに、一族では見たことの無い顔だった。身なりも小綺麗で、羽織ってるものだって獣の革を縫って仕立てた服じゃない。
「なあ、アンタはさ。……役立たずなアタイでも、ケリュドアナってとこに連れて行ってくれるかい」
胡散臭いやつだと思った。その白い歯から出る一つ一つの言葉が浮いて気持ち悪かった。
「いいよ」
でも、その言葉だけはなんの飾り気もなかった。さっきまでの軟派な雰囲気なんてなくて、アタイの語らない出来事の裏を汲んでの真摯な一言だった。
「でも、いつか対価を貰うよ。これから僕は君に恩を売る。だから強くなって僕に恩返しをしてほしい」
────いつか返してくれるって、君を信じるよ。
アタイは人生で初めて力を求められた。嬉しかった。
誰かの役に立てるんだって、涙が出るくらい嬉しかったんだ…………。
「……この景色は?」
「ああ、特異点……いいや、レア・オルテンシアだったかい。見ての通りさ。アタイの心象風景……“魂”の深部だよ」
え、なんかレア弱くね?この体たらくで人権ヒーラーなん?と思ってるそこの読者諸君!
分かる(分かる)