スリザリンの継承者と虚飾に満ちた英雄 作:魔法史編纂委員会
本が後頭部に当たる硬い感触でセラフィーナ・ゴーントは目を覚ました。
書庫の床に敷かれた分厚い絨毯に座って本棚に寄りかかっている。
伸びをすると背中からバキボキとおよそ乙女からしてはいけない音がして彼女は顔をしかめた。
(またやっちゃった……)
体を起こし小さくため息をついてから、こめかみを押さえた。頭痛はそれほど酷いものではない。
そして立ち上がって窓を少しだけ開く。
冷たい夜風が室内を通り抜け、烏の濡れ羽のような黒い髪を揺らした。
セラフィーナの両親は死喰い人だった。
10年前に闇の帝王が倒された後もその思想は変わらず、当主としての務めの傍ら、娘に熱心な教育を施した。
いや、傍から見たらそれは熱心を通り越した
凡庸な娘なら心が折れていたかもしれないが、セラフィーナは生まれ持った膨大な魔力と類い稀なる才能でそれを乗り越え、11歳を迎えた昨日、父であるギャレットからこう告げられた。
「教えるべきものは全て教えた。世間的にはまだ早いが、お前のことは1人前の魔女として扱う」
「ありがとうございます、父上」
「来月からはホグワーツだ。自分で考え、行動しろ。スリザリンの末裔であることを誇りに思え。
……つまり、これからは好きにやれ。」
「はい」
そして父は封筒を手渡した。宛名にはセラフィーナ・ゴーントとある。ホグワーツの入学許可証である。
「学用品は適当に揃えておけ。」
「はい、父上」
セラフィーナは深々と頭を下げ、部屋を出るとそのまま書庫に直行し、そして寝落ちして今に至る。
入学式まであと1ヶ月。
◆ ◇ ◆
そして翌日。
セラフィーナにとって少し久しぶりの外出だった。その歳で引きこもり……?うるさい!
両親は忙しい上に今更わざわざ買い物に付いてくるようなタイプでもないし、セラフィーナ自身としても正直ついてこられても
まず最初に訪れたのは『マダムマルキンの洋装店』。制服を扱っている店だ。
特に何事もなく採寸を済ませ、制服を5着注文する。手紙には3着とあったが、着回しを考えて多めに買っておいた。
さいあく洗濯魔法でどうとでもなるが、ホグワーツの談話室でローブを洗濯する絵面は優雅からあまりに程遠い。
それから夏用のレースのアームカバー、日傘も良い機会なので新しいものを買った。あとは冬は寒いと母から聞いていたのでタイツ、緑色のロングマフラーまで抜かりはない。あ、このブーツ可愛い。買っちゃお。
魔法でフィッティングしてもらい、綺麗に畳んで梱包してくれたものをポーチに詰め込んで、店を出た。
◆ ◇ ◆
続いて、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店を訪れた。天井までうず高く積まれた本屋という空間はセラフィーナにとってまさに天国である。が、大半の本は彼女にとっては知っている内容でもある。専門書でも高度なものとなると思った以上に掘り出し物はない。最近はもっぱら情報源は論文である。
しかし、未習分野なら本から入門するのがいい。面白い本を探して右往左往し、まあいいか、と
『魔法使いとマグルの血について』
抜き取ると蜘蛛の糸が引いた。思わず咳き込み、息を止めてから本を叩くと埃がそこら中に舞い散らかす。
(棚卸し……してないんでしょうね)
中をぱらぱらとめくってみると純血とは何か、穢れた血がなぜ穢れているのか、など興味深い記述が並んでいるのが目に留まる。最近は
教科書は入口近くに積まれている。ご丁寧に各学年ごとのセット販売である。
セラフィーナは全学年ぶんを
鍋や薬瓶などは今までずっと家で使っていたもので十分すぎる。よくしばいて手に馴染んでいるので買う理由が見当たらない。当然にしてスルーである。
(次は杖でも買いに行きましょうかね)
今まで杖は屋敷にあった先祖のものを使っていたが、"11歳を迎えたら自分専用の杖を手にする"というのが魔法界の慣わしである。……実技は盛大にフライングしていたが。
◆ ◇ ◆
ダイアゴン横丁をやや進んだところにその店はある。"オリバンダーの店"……店名がド直球すぎる。
ドアを開けると埃っぽい空気が漂い、セラフィーナは顔を顰めた。
「いらっしゃいませ」
柔らかい声がした。
「杖を求めにきました」
「ふむ、名前を伺ってもよろしいかな?」
「セラフィーナ・ゴーントです」
「これはこれは、ギャレット・ゴーントさんの娘さんでいらっしゃいますな?あなたの父上がここで杖をお求めになったのがつい昨日のようだ。マツの木にドラゴンの心臓の琴線、28センチ。頑固で気難しい」
「はあ……」
「母君の杖はリンボクに不死鳥の尾羽、25センチ。硬質で強力な杖じゃった。杖はどれ一つとして同じものはなく、杖が所有者を選ぶ。あなたに相応しい杖は…ふむ、杖腕はどちらかな?」
個人情報?そんな概念、この老翁の手にかかれば即座に
「杖腕……って、ああ、強いて言うなら右利きですね」
どっちの腕でも振れるけどね。
オリバンダー翁は聞いているのかいないのか、巻き尺を取り出して体をあちこち測りながら続けた。
「オリバンダーの杖は一本一本選び抜いた魔法生物を杖に使っております。一角獣の鬣、ドラゴンの心臓の琴線、そして不死鳥の尾羽。他にもいくつかは違うものもありますが……」
「え、他には何を使うんですか?」
即座に突っ込むと、オリバンダーはとても嫌そうな顔をしながら付け加えた。
「……私の父はケルピーの毛やニーズルのひげなども使っておった。品質については碌なものではないが。さて……」
言いながら彼は奥に引っ込んだ。
待って、どこ測ってんのよ。うざい。
セラフィーナは巻尺を叩き落としてから店の奥に蹴り飛ばした。見てないわね?よし。
しばらくしてオリバンダーは箱を一つ持って来て差し出した。
「これをお試し下さい。レッドオークにドラゴンの琴線。29センチ、硬いが柔軟性がある。どうぞ」
セラフィーナは杖を握り、振ってみる。
すると杖先から爆発が起こり、手から杖が吹き飛んだ。
「いかん、いかん。それでは……ヤマナラシに一角獣の鬣、31センチ。軽くて振りやすい」
しかしセラフィーナが受け取った瞬間にもぎ取るように回収されてしまった。いや、うん、ユニコーンは多分違う気がする。……なんで出した?
「違うのう。ではこれを。黒檀に不死鳥の尾羽。23センチ、振りごたえがある」
しかし振ってみたが何も起こらなかった。杖が"あんたとは仲良くなれそうにないですわ"と呟いた気がした。……気がしただけだが。
「なかなか難しいの。なに、必ず合うのを見つけますぞ。ううむ……」
◆ ◇ ◆
セラフィーナが試すたびに机に杖が並び、10本を超えたときオリバンダーがふと思い出したように別の杖を取りに行った。
「私はドラゴンか不死鳥か一角獣しか芯に使わないのですが、実験でいくつか他の芯も試したものがある。これはいかがかの。アイアンウッドにバジリスクの牙、27センチ、非常に頑固」
セラフィーナが杖を握るとピリピリした感触が手に伝わり、杖が震えるのを感じた。上に振り上げ切るように振り下ろすと緑色の閃光が溢れ、手が暖かくなるのを感じた。これだわね。
「素晴らしい!この杖が人の手に渡るとは。これは
でしょうね、とセラフィーナは内心で相槌を打ちつつ、素直に頷いた。
そして半ば独り言のようにオリバンダーの言葉は続く。
「──あのサラザール・スリザリンもバジリスクの牙を芯にしておったと言われておる。杖は持ち主を選ぶ。持ち主となったあなたもまた、この杖を選んだ。
きっとあなたは何か偉大なことを成し遂げるに違いない」
(それが善行であれば良いのじゃが……)
"とある"イチイの杖のことを考えているオリバンダーに対し、セラフィーナはスカートの裾をつまんで軽く頭を下げた。
「よき出会いに、感謝を」
セラフィーナは300ガリオンを支払って店を出た。バジリスクの牙はきわめて希少な上に加工は命懸け一歩手前だったと聞けば価格に違和感など全くない。
入学へ向けた買い物は済んだといえば済んだが、もう少し見て回りたい気分である。
◆ ◇ ◆
横道に入ってしばらく歩くと街の雰囲気は一変する。
薄暗く危険な空気の中、誰もいない道を歩いていると向こう側からローブを深く被った男が通りがかった。セラフィーナは普通にすれ違おうとしたが、男は立ち止まり、彼女に杖を突きつけた。
「こんなところで一人かい、嬢ちゃん」
男は口元を歪ませてそう言ったが、セラフィーナは動じる様子もなく、ただ静かに答える。
「はあ、何か?」
「金出しな」
「……ほう」
「ん?何だァその顔は?」
男はニヤニヤ笑っている。簡単に言えばチンピラ、ゴロツキ、その類いだ。
セラフィーナは、はぁ……、とため息をついて無意識に懐の古い杖に手を伸ばしかけ、それから買ったばかりの杖のことを思い出した。ま、試し撃ちにはちょうどいいか。
「恐喝なら相手はもう少し選んだ方がいいと思いますがね」
セラフィーナは鷹揚な脱力から突然最速で杖を抜き放って、唱えた。……唱える必要はないが。
「
新しい杖は素晴らしい性能を発揮した。今までのお古と違い、魔力は迸るように流れ、まるで自分の手と一体化したようだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
男はその場でのたうち回って悶え苦しんだ。目は焦点が定まっておらず、涙と涎と鼻水がだらだらと流れ、やがて泡を吹いて失神した。うっさいなあ。
セラフィーナはしばらく杖の握り方を微調整しつつ、まぁいいか、と呟いてから杖をしまう。
今までのお古では羊の腸に素手で挽肉を詰めるような難易度でさんざん苦労したが、この新しい杖ではまるで蛇口をひねるだけでホースから水が出るような……、
「まったく治安の悪いこと」
彼女はそう呟いてため息をついて立ち去った。
治安が悪いのはどっちなのだろうか。知らん。あたしは
◆ ◇ ◆
やがてセラフィーナは通りに出た。まともな魔法使いなら絶対に寄りつかない場所、ノクターン横丁である。
皆ローブを目深に被り、足早に歩いている。それはそうだ。変なのに絡まれたくはないからである。
セラフィーナは慣れた様子で一軒の店に向かった。店の名前はテネブリス・キュリオ。闇の書籍を扱う胡散臭い店である。
軋んだ音のするドアを開けて中に入ると店主がちらりと顔を上げ、そしてすぐに手元の何かに視線を落とした。
ここの店主はいつもこんなである。が、品揃えは優秀。
(面白い本入荷してるかしら……?)
薄暗い店内、棚を往復して、抜き取ってはぱらぱらめくって戻す。たまに手元に抱える。一般人が見たら正気度が削られるようなタイトルばかりだが、セラフィーナは顔色ひとつ変えない。
やがて彼女は3冊の本を手にしてカウンターに立った。
「11ガリオン8シックル」
店主が呟き、セラフィーナは無言でお金を置いて本をポーチに放り込んだ。
貴重な書籍だ。それくらいは妥当である。
◆ ◇ ◆
続いて魔法薬の材料を扱う店、エボン・ヴォルトに足を向けた。ここでは表ではまず出てこない貴重な試料がたくさん取り扱われている。
「ゴーント様、何かお探しで?」
店主が揉み手で現れた。
「えーっと。エルンペントの毒液を2パイントとドクシーの牙を四分の三ポンド。それからドラゴンの血液を1パイントほど。ジョバーノールの羽とディリコールの尾羽を十枚ずつ、それからデミガイズの毛皮を十二、いや補修もいるか。十五枚もらいたく」
「すぐご用意いたします」
用意してもらっている間、店の中を見て回る。
「ロバラグの毒液!?あるだけ全部くださいな」
「お目が高くていらっしゃいますね。それは昨日入荷したばかりの貴重な品でございます」
「ええ、今日来れてよかったわ」
「毎度ありがとうございます、66ガリオン7シックルと11クヌート……クヌートは割り引かせていただきます」
「あら、足りるかしら。足りなかったらグリンゴッツに──あ、足りそう」
セラフィーナはだいぶ軽くなった皮袋から支払い、品物を受け取ってポーチに詰め込んだ。
「ではまた。……あ、来月から学校に通うから、通販がメインになると思うわ」
「かしこまりました。今後ともご贔屓に!ありがとうございました」
その後もぶらぶらと店を見て回り、見えないインクと杖の手入れキットを購入してセラフィーナは家に帰った。
今までは夜まで魔法の訓練があったが、今日からは暇である。
夕食は書庫で済ませ、立て籠もり気味にさっそく買った本を読み進めた。