世界平和監視機構コンパス特務顧問「クライ・アンドリヒ」 作:isizu8
その日は、あまりにも唐突に訪れました。ファウンデーションの残党も完全に鎮圧され、C.E.(コズミック・イラ)に束の間の平穏が訪れたある朝。特務顧問室の扉を開けたシン・アスカが見つけたのは、もぬけの殻となった部屋と、机の上にぽつんと残された一筆のメモだけでした。『なんか部屋のクローゼットが急に光りだしたから、ちょっと覗いてくるね。あ、冷蔵庫の中のプリンはシンくんにあげる。バイバイ。 クライより』謎の宝具の暴走が終わり、彼は元いた世界へと帰還したのです。ただプリンの処分だけを気にしながら、何の未練もなく。
シンの報告を受け、コンパスの面々は騒然となりました。しかし、シンとアスランが最も危惧していた「キラの精神崩壊」は、予想に反して全く起きませんでした。それどころか、報告を聞いたキラ・ヤマトは、まるで長い休暇を終えて、心にかかっていた全ての霧が晴れたかのような、実に晴れやかで力強い微笑みを浮かべていたのです。
「……そうか。クライさんは、もう行ってしまったんだね。本当に、嵐のように現れて、僕たちの世界の歪みを正して……風のように去ってしまった」
「あ、あの、キラさん……? 大丈夫、っすか……?」
「うん。大丈夫だよ、シン。クライさんは、僕に『答え』を教えるために来てくれたんだ。僕がアコードの言葉に迷い、一人で全てを背負おうとしていた時、彼はその『空白の思考』で、運命に縛られない人間の自由な可能性を示してくれた。そして、僕たちが自分の足で歩き出せるのを見届けて、役目を終えたから去ったんだ。……最初から、僕たちを導くためだけに現れた、高潔な人だったんだね」
「(ち、違う……! あの人、マジでただ『お茶漬け食べたい』だの『アイス食べたい』だの『家に帰りたい』だの色々喚き散らして引きこもってただけで、クローゼットが光ったから喜んで飛び込んだだけなんだって……!!)」
ってすごく言いたい、伝えたい……! シンはそんな激しい衝動を必死に抑えこむのでした。余談ですが最近、SEEDの無駄遣いが増えたようです。そんな彼の心労を知らずにもう一人のボケキャラと化した我らがコンパス初代総裁ラクス・クラインも後に続きます。
「ええ。地位も名誉も求めず、ただ世界に平和の種を撒き、芽吹いた瞬間に姿を消す……。クライ殿は、真の意味でこの世界を救いに来た『観測者』だったのでしょう。コンパスの歴史に、彼の名を永劫に刻み続けます」
「(……ラクス、頼むからもうやめてくれ。その設定で歴史書を編纂したら、後世の歴史学者たちが頭を抱えることになるぞ……)」
キラ(ついでにラクス)のメンタルは、クライという「絶対的な存在(実際はただの凡人)」に肯定され、全幅の信頼を寄せられた(実際は丸投げされただけ)という強烈な成功体験により、かつてないほど強固に完成されていました。もはやアコードの残党がどんな精神攻撃を仕掛けようとも、今のキラとラクスを揺るがすことは不可能なほどに……。
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その日の夜、例の居酒屋。シンとアスランは、いつも通りジャミング装置を起動し、静かにグラスを傾けていました。
「……結局、最後まで神格化されちゃいましたね、クライさん」
「ああ。だが……結果オーライ、というやつだ。キラの精神は完全に回復し、ラクスとも上手くいっているようだ。そしてコンパスの結束はこれまで以上に強くなり、ファウンデーションの脅威も去った。全てはあの男の『無能と強運』がもたらした奇跡だ」
「ですね。俺、あの人が残していったプリン、めちゃくちゃ美味しくいただきました。……なんか、ちょっとだけ寂しいっすけど」
「……ふっ、そうだな。あいつの的外れな泣き言に、心の中でツッコミを入れる奴が誰もいなくなるのは、少し退屈かもしれない」
アスランはそう言って苦笑いを浮かべ、ジョッキを掲げました。
「シン。改めて、誓い合おう。クライ・アンドリヒがただの一般人であり、いつも適当なことしか言っていなかったという真実……」
「はい。何があっても、誰が相手でも、絶対に口にしちゃダメっすね」
「ああ。この秘密は——」
「「墓場まで、持っていこう」」
カチン、と静かにジョッキが合わさります。異世界を勘違いだけで救い、お茶漬けの記憶と共に去っていった一人の青年。その正体を知る二人の苦労人は、世界を救った真の英雄(?)に、心からの(ツッコミ混じりの)敬意を表しながら、夜更けの街で静かに乾杯を交わすのでした。
おしまい