コーヒーショップ「ツアレ」。
昼下がり。
「よかったね、リリアちゃん。結婚おめでとう。」
ニニャが笑顔で祝福する。
リリアは少し照れながら頭を下げた。
「ありがとうございます。」
隣には職人である父親。
「でも、お父さん一人になっちゃう……。」
娘は申し訳なさそうに言う。
父親は豪快に笑った。
「なあに、一人でも何とかなるさ。」
カウンターの向こうで、おばさんもにこりと笑う。
「私も顔を見に来るからね。」
「ありがとうございます。」
リリアは深く頭を下げた。
「父をお願いします。」
穏やかな時間が流れる。
だが、その頃――
エ・ランテルの町では、ある男の噂でもちきりだった。
ローワン・ヴァイセルフ。
リ・エスティーゼ王国国王ランポッサ三世の庶子。
母は王宮付きの侍女。
その低い身分ゆえ、王都から遠ざけられ、エ・ランテル郊外の屋敷で育てられた。
もし彼に才能がなければ、それで終わっていただろう。
しかし、現実は逆だった。
剣の才は天賦。
若くして王国戦士長ガゼフをも上回ると言われるほど。
その力ゆえに、誰も止められない。
王族であるという事実が、さらに彼を無敵にしていた。
彼の心は、いつしか虚無に染まる。
王族でありながら王族ではない。
王都へ行くことも許されず、誰からも認められない。
やがて、その鬱屈は暴力へ変わった。
町で乱暴狼藉を繰り返し、気に入らない者を斬り伏せる。
警備隊は見ていることしかできない。
「……王家の血を引く者を斬れるのか。」
その一線を越えられないのだ。
ある日。
モン・ドーのもとへ要請が届く。
「冒険者訓練所で暴れている男を止めてほしい。」
現場へ駆けつけたモン・ドーが見たのは、木剣とは思えない一撃で冒険者たちを次々となぎ倒していく一人の青年だった。
その剣筋には、一切の迷いがない。
「まだ立つか。」
「弱い。」
「全員まとめて来い。」
訓練場には倒れ伏す冒険者たち。
モン・ドーは青年の構えを見た瞬間、悟る。
(……これは。)
(俺でも勝てない。)
その剣は、まるで獣。
技も、速さも、力も、一級品だった。
そしてモン・ドーの脳裏に、一つの問いが浮かぶ。
「もし依頼が来たら――俺は王家を斬れるのか。」
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先生は珍しく外へ出ていた。
「……今日は、あの本の発売日だったな。」
普段は古道具屋の地下にこもり、魔法や歴史の研究に没頭している。
そんな先生にも、楽しみにしていることがあった。
町外れの小さな本屋。
店は狭い。
だが主人夫婦が集める本は質が高く、珍しい魔導書や歴史書も時折入荷する。
先生にとって数少ない"お気に入り"の場所だった。
「今日は入っているといいのだが。」
静かに扉へ手を掛ける。
……返事がない。
「失礼する。」
扉を開けた瞬間、
先生は足を止めた。
本棚は倒れ、
紙片が雪のように床へ散っている。
破られた本。
踏みつけられた羊皮紙。
棚は剣で叩き割られ、
長年集められた蔵書が無残に踏みにじられていた。
そして――。
店の奥。
主人と妻が倒れていた。
血だまりの中で。
すでに息はない。
先生は何も言わず、その場へ歩み寄る。
そっと主人の瞼を閉じる。
続いて妻も。
床に落ちていた一冊の本を拾い上げる。
表紙は切り裂かれ、
泥の足跡が残っていた。
先生はその本の埃を払う。
「……。」
沈黙。
やがて店の外から声が聞こえる。
「犯人はローワン様だ。」
「王族の……。」
「誰も止められなかった。」
先生は静かに本を棚へ戻した。
「本は。」
小さくつぶやく。
「人が生きた証だ。」
「その証を踏みにじる者は……。」
その声には怒気も殺気もない。
だが、
先生を知る者なら誰もが分かる。
それが先生の最も深い怒りであることを。
静かに店を出た先生は、古道具屋への帰り道を一人歩く。
その足取りは、いつもより少しだけ速かった。