巨大な円形闘技場。
観客席は静まり返り、中央にはニニャだけが立っていた。
「ここは……?」
ニニャが辺りを見回す。
隣に立つデミウルゴスが静かに答えた。
「ナザリック闘技場です。」
「ここで、あなたの現在の戦闘能力を測定します。」
「わ、わたしは……マジックキャスターです。」
震える声でそう言う。
デミウルゴスは小さく首を振った。
「本当にそうでしょうか。」
「答えはすぐに出ます。」
彼は観客席へ向かって声を上げた。
「アウラ。」
「はーい!」
軽やかな返事とともに、アウラ・ベラ・フィオーラが姿を現す。
「どのくらいの相手にする?」
「そうですね。」
「ドラゴン・キンなら測定にはちょうどよいでしょう。」
「了解!」
アウラが指を鳴らす。
「出てきて! ドラゴン・キン!」
地響きとともに魔獣が姿を現した。
三メートルを超える巨体。
竜の頭部と人型の体を持つ異形。
手には巨大な剣。
その瞳は獲物だけを見据えている。
ニニャの全身から血の気が引いた。
「こ、怖い……。」
ドラゴン・キンはためらいなく突進する。
「マジックアロー!」
反射的に詠唱する。
だが。
何も起こらない。
「え……?」
もう一度。
「マジックアロー!」
沈黙。
魔法陣は現れない。
「ど、どうして!?」
デミウルゴスは冷静に告げる。
「どうやら。」
「マジックキャスターとしての能力は失われたようですね。」
その一言がニニャの心を折る。
「そんな……。」
「じゃあ、わたしは……。」
ドラゴン・キンが剣を振り上げる。
巨大な影が覆いかぶさる。
「た、助けて!」
死を覚悟した、その瞬間だった。
左目が激しく脈打つ。
紅い光。
全身を駆け巡る熱。
腰の辺りから激痛が走る。
「きゃあああっ!」
次の瞬間。
背中から一本の巨大な触手が飛び出した。
硬質な甲殻に覆われ、節ごとに鋭い棘を持つ、まるで巨大な百足のような器官。
触手はニニャの意思とは無関係に動く。
一瞬。
音すら置き去りにする速度で伸びた。
ズドン――!
ドラゴン・キンの胸部を正面から貫く。
巨体が宙に浮く。
そのまま数メートル吹き飛び、地面へ叩きつけられた。
闘技場が静まり返る。
ニニャ自身も、自分の背後を振り返る。
「……なに、これ。」
百足のような触手はゆっくりと揺れ、やがて音もなく体内へ戻っていく。
デミウルゴスは眼鏡を押し上げながら、興味深そうに観察していた。
「なるほど。」
「やはり魔法能力は失われ、その代わりに新たな戦闘器官を獲得しましたか。」
彼は手帳へ素早く書き込む。
半喰種。
魔法行使能力……消失。
代替として、生体武装を確認。
高い貫通力と瞬発力を有する。
アウラも思わず口笛を吹く。
「へぇ~。」
「見た目以上にやるじゃん。」
ニニャは震える手で自分の腰に触れた。
そこにはもう何もない。
しかし、さっき確かに自分の身体から現れた異形の武器の感触だけが、はっきりと残っていた。
「わたし……。」
「本当に、人間じゃなくなっちゃったんだ……。」
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玉座の間。
巨大な赤い絨毯の先。
玉座には、アインズ・ウール・ゴウンが静かに腰掛けていた。
左右には守護者たち。
玉座の間の重苦しい空気に、ニニャは思わず息をのむ。
デミウルゴスに促され、ゆっくりと跪いた。
「……アインズ様。」
「蘇らせていただき、ありがとうございます。」
その声は震えていた。
頭を下げたまま、心の中では別の思いが渦巻いている。
(でも……。)
(わたしはもう、人間じゃない。)
(アンデッドでもない。)
(わたしは……一体何なんだろう。)
沈黙が流れる。
やがてアインズは静かに口を開いた。
「顔を上げなさい。」
ニニャは恐る恐る顔を上げる。
骸骨の王と目が合う。
その赤い光を宿した眼窩からは、威圧よりも静かな視線が向けられていた。
「君は、自分が人間でもアンデッドでもないことを気にしているようだ。」
「……はい。」
ニニャはうつむく。
アインズは続ける。
「確かに、君は人間ではない。」
「しかし、アンデッドでもない。」
「君は両者の間に立つ、新しい存在だ。」
その言葉に、ニニャは息を呑む。
「我々異形種と、人間種。」
「その間には、長い歴史の中で積み重なった恐れや憎しみがある。」
「互いを知る前に敵だと決めつける者も少なくない。」
玉座の間は静まり返っていた。
守護者たちも、誰一人として口を挟まない。
「君には。」
「その両者を繋ぐ者になってほしい。」
アインズの声は穏やかだった。
「異形種が必ずしも人類の敵ではないこと。」
「人間にも理解しようとする者がいること。」
「その可能性を示してほしい。」
ニニャは目を見開く。
そんな役目を、自分が。
「……わたしに。」
「そんなことができるでしょうか。」
小さな声だった。
アインズは少し考え、静かに答えた。
「できるかどうかは、私にも分からない。」
「だが、君には人間として生きた記憶がある。」
「そして今は、人間とは異なる身体を持っている。」
「その両方を知る者は、この場にはほとんどいない。」
ニニャは自分の左目へ手を当てる。
異形となった証。
失ったものの象徴だと思っていた。
しかしアインズは、それを別の見方で語った。
「だからこそ、君にしか見えない景色がある。」
「それが、君の強みになるかもしれない。」
ニニャはしばらく黙っていた。
やがてゆっくりと頭を下げる。
「……分かりました。」
「すぐにうまくできる自信はありません。」
「でも。」
「人間だったわたしと、今のわたし、その両方を無駄にしないように生きてみます。」
アインズは静かに頷いた。
「焦る必要はない。」
「まずは、自分自身を知ることだ。」
その言葉に、ニニャの表情から少しだけ迷いが薄れる。
彼女の新しい人生は、人間でも異形でもない「半喰種」として、ここから始まろうとしていた。
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エ・ランテルの街外れ。
大通りから一本入った石畳の路地に、小さなコーヒーショップがあった。
看板には手書きで、
「ツアレ」
とだけ書かれている。
店内は木の温もりにあふれ、香ばしいコーヒーの香りが漂う。
店主は一人の若い女性。
ニニャ。
かつて冒険者パーティー「漆黒の剣」の魔法詠唱者だった少女。
一度命を落とし、デミウルゴスの手によって「半喰種」として蘇った存在である。
普段は左目を眼帯で隠し、穏やかな笑顔で客を迎えていた。
「ご注文は?」
「いつものブレンドを。」
「はい。」
丁寧に豆を挽き、湯を注ぐ。
異形の身体になっても、コーヒーだけは変わらず好きだった。
その香りは、彼女に「まだ自分らしさが残っている」と思わせてくれる数少ないものだった。
昼下がり。
店のベルが静かに鳴る。
カラン――。
入ってきたのは、一人の若い女性だった。
服はところどころ破れ、顔には殴られた痕。
椅子へ座るなり、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「だ、大丈夫ですか?」
ニニャは慌てて水を差し出す。
女性は震える声で言った。
「お願いします……。」
「助けてください……。」
「主人が……。」
「毎日、私を殴るんです……。」
ニニャは黙って最後まで話を聞く。
やがて女性は小さく頭を下げた。
「役人へ相談しても証拠がないと言われました。」
「近所の人も怖がって誰も助けてくれません。」
「もう……どうしたらいいか……。」
店内に静かな時間が流れる。
ニニャはカップへ新しいコーヒーを注ぎ、女性の前へ置いた。
「温かいうちにどうぞ。」
女性は小さく頷く。
ニニャは窓の外を見る。
夕日が街を赤く染めていた。
その赤は、時折左目に宿る色を思い出させる。
(私は、人間と異形の間に立つ者。)
(でも。)
(苦しんでいる人を見過ごしたくない。)
彼女はゆっくりと眼帯へ手を添えた。
「お話は分かりました。」
「今夜、その人に会いに行きます。」
女性が顔を上げる。
「え……?」
ニニャは穏やかに微笑む。
だが、その左目だけは眼帯の下で静かに紅く輝いていた。
夜のエ・ランテルには、表の冒険者とは別に、誰にも知られぬ"もう一人の守り手"がいた。
昼はコーヒーショップ「ツアレ」の店主。
夜は、人知れず弱き者を救う半喰種。
それが――
**「喰種人ニニャ」**
「喰種人の存在を証明する公的な記録は、いまは何一つ残っていない。
しかし、エ・ランテルの庶民たちは、彼らを『義賊』と呼び、あるいは『世直し』と呼び、密かに語り継いだという。
弱きを助け、強きをくじき、闇に生き、闇に消えた者たち。
その名は――喰種人。
伝承に残る喰種人の総数、二十六人。