男爵の亡骸を前に、ニニャは静かに立ち尽くしていた。
「……終わった。」
その時だった。
「困ったのう。」
しわがれた老人の声が部屋に響く。
ニニャが振り返る。
そこには一人の老人と、警備兵の制服を着崩した中年の男が立っていた。
老人は亡骸を一瞥すると、小さくため息をつく。
「依頼を受けて来たんじゃが……。」
「この娘さんが先に仕事を済ませてしもうた。」
中年の男が肩をすくめる。
「で、元締め。」
「どうするんだ?」
元締めと呼ばれた老人は、ニニャへ穏やかな視線を向けた。
「まあ、その話はおいおいじゃ。」
そして静かに言う。
「ここにおると、じき騒ぎになる。」
「ついて来るといい。」
不思議な声だった。
命令でもなく、脅しでもない。
それでも逆らえない重みがあった。
ニニャは黙って頷く。
三人は屋敷を後にした。
門を出てしばらく歩いた、その時――
ドォォォン!!
夜空を揺るがす轟音。
男爵邸が炎と煙に包まれた。
屋敷から使用人や警備兵が悲鳴を上げながら飛び出してくる。
「ああっ! 屋敷が!」
「火事だ!」
「旦那様はどこだ!」
中年の警備兵が苦笑する。
「先生の魔法は、相変わらず派手だな。」
老人も肩を竦めた。
「まあ、長年の欲求不満を晴らしておるのだから、仕方あるまい。」
その時、闇の向こうから一つの人影が現れる。
黒いローブ。
骸骨の顔。
静かな足取り。
高位アンデッド――エルダーリッチ。
「仕事は済ませました。」
「戻るとしましょう。」
そしてニニャを見る。
「……その少女は?」
元締めは微笑んだ。
「それを、これから聞くのさ。」
「ついて来なさい。」
ニニャはその場に立ち尽くした。
目の前にいるのは、人間と警備兵、そしてアンデッド。
普通なら逃げ出す相手だ。
それなのに、不思議と恐怖はなかった。
むしろ感じたのは――
「この人たちは、自分を殺さない。」
という確信だった。
ニニャは静かに頷く。
そして、元締めたちの後ろを歩き始めた。
その一歩が、彼女を「喰種人」への道へと導く最初の一歩となった。
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エ・ランテルの片隅。
古びた古道具屋。
昼間は客もまばらな店だが、その地下には喰種人たちの集う部屋があった。
元締めは静かに腰を下ろし、ニニャに向かって口を開く。
「それで、お前さん。」
「……はい。」
「あいつを殺して、胸はすっとしたかの。」
ニニャは少しうつむき、小さく答えた。
「……ええ。」
しかし、その声には迷いがあった。
警備兵の男――モン・ドーが鼻で笑う。
「嘘だな。」
「……。」
「後悔してる顔だ。」
ニニャは思わず顔を上げる。
部屋の隅で本を閉じた"先生"が、静かに言った。
「人を殺して心が晴れる者など、ごく一部だ。」
「そういう者は殺しを愉しむ狂人だけ。」
「君は……そうなのかな。」
「ち、違います!」
ニニャは思わず叫んだ。
「私は!」
「私はあの男が許せなかったんです!」
「姉を妾にして……。」
「飽きたら売り飛ばして……。」
「だから私は!」
言葉があふれる。
これまで胸に押し込めていた怒りが、一気に噴き出した。
元締めは最後まで黙って聞いていた。
そして静かに尋ねる。
「それで。」
「お前さんの姉さんは、今どこにおる。」
「……。」
ニニャは目を伏せる。
「……わかりません。」
部屋に沈黙が落ちた。
モン・ドーが腕を組む。
「じゃあ聞く。」
「姉さんは、お前に仇を討ってくれと頼んだのか。」
「……違います。」
「敵を殺してくれと。」
「……違います。」
先生が静かに眼窩を向ける。
「つまり。」
「その復讐は、君自身が決めたことだ。」
「……。」
「姉の願いではない。」
「君自身の願い。」
「言い方を変えれば――」
「独りよがりだ。」
ニニャの肩が震える。
「そんな……。」
「私は姉のために……。」
元締めが首を横に振る。
「違う。」
「お前さんは、自分の怒りのために技を振るった。」
その言葉は、刃よりも鋭くニニャの胸へ突き刺さった。
彼女は初めて気づく。
自分は姉を救ったのではない。
姉が生きているのか、死んでいるのかさえ知らないまま、自分の憎しみに任せて一人の命を奪ったのだ。
元締めは静かに立ち上がる。
「喰種人は、恨みを晴らす者ではない。」
「救いを求める者のために刃を振るう。」
「その違いを覚えられぬなら、お前さんはただの殺し屋じゃ。」
ニニャは何も言い返せなかった。
ただ、握り締めた拳が小さく震えていた。
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ニニャは深く頭を下げた。
「お願いします!」
「……私を、喰種人に入れてください!」
部屋の空気が静まり返る。
「私は……。」
「人を……。」
ニニャは首を横に振った。
「ううん。」
「救いを求める人を助けたい。」
その声に迷いはなかった。
半喰種となったこの身。
人間でもない。
アンデッドでもない。
この姿を恐れる者の方が多いだろう。
それでも。
それでも誰かの役に立ちたい。
誰かを救いたい。
それが、アインズから託された願いでもあり、自分自身が歩みたい道でもあった。
元締めはしばらく黙ってニニャを見つめていた。
やがて懐から金貨を一枚取り出す。
指で軽く弾く。
金貨は弧を描き、ニニャの前へ飛んだ。
カラン――。
慌てて受け止める。
「これは……。」
「今日の仕事の分じゃ。」
元締めは穏やかに言う。
「救い料じゃよ。」
ニニャは金貨を見つめる。
「救い……料?」
「人を殺すだけなら、外道にもできる。」
元締めの声が低く響く。
「八本指のような連中も、人を殺して金を稼ぐ。」
「だが、喰種人は違う。」
「弱き者の救いの声を聞き、そのためだけに刃を振るう。」
「金を受け取るのは、人の命を売るためではない。」
「救いを求めた者の覚悟と、その願いを預かるためじゃ。」
先生も静かに頷く。
「依頼人は、その金貨一枚に人生を託す。」
モン・ドーは腕を組んだまま笑う。
「だから俺たちは、仕事を間違えちゃならねぇ。」
ニニャは掌の金貨を見つめる。
たった一枚。
ありふれた王国の金貨。
なのに、その重さは赫子よりも重く感じられた。
元締めはゆっくり立ち上がる。
「今日から見習いじゃ。」
「喰種人は、人を裁く者ではない。」
「救いを求める者のために、悪を喰らう者。」
「そのことを忘れるな。」
ニニャは金貨を胸に抱き、力強く頷いた。
「……はい!」
その日、一人の半喰種は復讐者ではなく、人知れず涙を救う「喰種人」としての第一歩を踏み出した。
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人物紹介
喰種人 ニニャ
かつて漆黒の剣に所属していた若き魔法詠唱者。
任務中、クレマンティーヌの襲撃を受け命を落とすが、その亡骸はアインズ・ウール・ゴウンの命により回収される。
デミウルゴスによる蘇生実験で、損傷した身体にグール由来の組織を移植され、一命を取り留めた。
しかし、その代償として人間でもグールでもない新たな存在――**「半喰種」**となる。
左目は異形の赫眼へと変化し、人間だった頃の魔法詠唱能力は失われた。
代わって獲得したのは、腰部から出現する生体器官**「赫子(かぐね)」**。
巨大な百足を思わせる一本の触手は、鋼鉄をも貫く威力と驚異的な速度を持ち、一撃で敵を仕留める喰種人最大の武器である。
普段はエ・ランテルでコーヒーショップ「ツアレ」を営み、人間と異形種の共存を願い静かな日々を送る。
モデル 「東京喰種」金木研 「暗闇仕留人」糸井貢 「必殺仕事人」飾り職人の秀