夕方のエ・ランテル。
コーヒーショップ「ツアレ」の扉が静かに開く。
カラン――。
「いらっしゃいませ。」
いつものようにニニャが迎える。
入ってきたのは、やつれ果てた男だった。
服は泥だらけ。
目は赤く腫れ、何日も眠っていないように見える。
男は席にも座らず、ニニャの前で頭を下げた。
「お願いです……。」
「喰種人を……。」
「喰種人を探してください。」
ニニャの表情が変わる。
「どうしたんですか。」
男は震えながら話し始める。
「妻が……。」
「悪徳高利貸しに借金のかたとして連れて行かれました。」
「金は返したんです。」
「それでも足りないと言われ……。」
「妻を返してくれない。」
男は涙を流す。
「お願いします……。」
「私には、もう喰種人しか頼れないんです。」
その姿に、ニニャは姉・ツアレの面影を重ねた。
妾として連れ去られ、売られていった姉。
あの日の怒りが胸によみがえる。
その夜。
古道具屋の地下。
元締めに依頼を報告する。
元締めは黙って最後まで聞き終えると、小さく首を振った。
「断る。」
「え?」
ニニャは驚く。
「どうしてです!」
「奥さんがさらわれたんですよ!」
元締めは静かに煙管を置く。
「……話が出来すぎとる。」
「出来すぎ?」
「喰種人を名指しで探しに来る。」
「しかも、泣きながら。」
「わしの勘が言っとる。」
「胡散臭い。」
モン・ドーも頷く。
「俺も嫌な匂いがする。」
先生も静かに言った。
「少なくとも、もう少し調べるべきだ。」
しかしニニャは納得できなかった。
「もし本当だったら!」
「助けを待っている人がいるんですよ!」
元締めは静かに答える。
「だからこそ、急ぐな。」
「急ぐ者ほど、罠にはまる。」
だが、その夜。
ニニャは一人で古道具屋を抜け出した。
「あの人を……。」
「助けなきゃ。」
月明かりの下、高利貸しの屋敷へ向かう。
塀を越え、音もなく庭へ降り立つ。
屋敷の中は、不気味なほど静かだった。
「……誰もいない?」
ニニャが警戒しながら奥へ進んだ、その瞬間。
ガシャン!
鉄格子が一斉に落ちる。
「なっ!」
四方を塞がれた。
屋根の上。
庭の周囲。
無数の人影が現れる。
「かかったな。」
黒装束の男が笑う。
「喰種人。」
ニニャは赫眼を見開いた。
その依頼は、助けを求める者の叫びではなかった。
喰種人を誘い出すために仕組まれた罠だった。
-------------------------------------------------------------------
赫子が一閃する。
「はあっ!」
だが、その瞬間だった。
「――今だ!」
バチィッ!!
青白い雷がニニャの身体を包む。
「きゃああっ!」
赫子が痙攣し、制御を失う。
半喰種となった身体は再生力こそ高いが、神経を焼く雷撃には弱かった。
二発、三発と雷撃が撃ち込まれる。
「ぐっ……!」
視界が白く染まり、そのまま意識が途切れた。
-------------------------------------------------------------------
どれほど時間が経ったのか。
ニニャはゆっくりと目を開ける。
「……ここは。」
身体が動かない。
見下ろすと、両手両足を革の拘束具で固定され、石造りの台へ縛り付けられていた。
赫子を出そうとしても、身体に力が入らない。
周囲には魔法陣が刻まれ、封印の術式が淡く光っている。
「目が覚めたか。」
聞き覚えのある声。
依頼人を装っていた男だった。
「やはり、お前が喰種人だったか。」
男は薄く笑う。
「お前が喰種人と接触していることは調べがついていた。」
「だが、お前自身が喰種人だったとは予想外だった。」
ニニャは男を睨みつける。
「……。」
男は机に置かれた紙を取り上げる。
「さて。」
「仲間の名前を教えてもらおう。」
「元締めは誰だ。」
「ほかの喰種人は何人いる。」
ニニャは静かに答える。
「……わたし一人よ。」
男はため息をついた。
「そうか。」
「なら、口が軽くなるまで待つだけだ。」
彼はニニャの手を見つめる。
「痛みは、人を正直にする。」
ニニャは歯を食いしばった。
「何をされても……言わない。」
男は冷たく笑う。
「その強情さが、いつまで続くかな。」
部屋には重苦しい沈黙が流れる。
ニニャは心の中で、自分の軽率な判断を悔いていた。
(元締め……。)
(先生……。)
(モン・ドーさん……。)
(ごめんなさい。)
自分は、まんまと敵の罠にはまってしまったのだ