「ふふふ……。」
ニニャの口元から唾液が垂れる。
赫眼が妖しく輝く。
「おいしそう。」
その視線は獲物を見る肉食獣そのものだった。
モン・ドーが剣を構える。
「来るぞ!」
次の瞬間。
「アハッ!」
ニニャの姿が消える。
ドン!
地面が砕ける。
同時に十本の赫子が四方八方から襲い掛かった。
「ぐうっ!」
モン・ドーが剣で受け流す。
だが一本を弾けば二本、三本と続く。
完全に捌き切れない。
「ぐわあ!」
ついに直撃を受け、吹き飛ばされる。
先生も杖を振るう。
「拘束魔法!」
魔法陣が浮かぶ。
だが赫子が瞬時に砕く。
「くっ……!」
先生は防御に徹するしかない。
元締めもまた紙一重で避け続ける。
だが。
ズブリ。
「ぐうっ!」
一本の赫子が腕を貫いた。
元締めの身体が揺れる。
モン・ドーが叫ぶ。
「元締め!」
炎の中。
ニニャは笑う。
「もっと。」
「もっと遊ぼう?」
彼女の声は幼い。
だがそこに理性は感じられなかった。
先生が歯噛みする。
「まずい。」
「完全に暴走状態です。」
元締めも苦しそうにうなずく。
「このままでは……。」
その時だった。
「困りますね。」
静かな声。
全員が振り向く。
炎の向こう。
スーツ姿の男がゆっくり歩いてくる。
眼鏡を押し上げながら。
まるで夜の散歩でもしているかのように。
「きさまは、」
先生が呟く。
ナザリック守護者。
悪魔。
そして。
半喰種ニニャを生み出した張本人。
デミウルゴスは暴走するニニャを見て小さくため息をついた。
「やはりでしたか。」
「精神的負荷が限界を超えれば暴走するとは予測していましたが。」
ニニャが赫眼で彼を見る。
「おいしそう。」
十本の赫子が一斉にデミウルゴスへ襲い掛かる。
モン・ドーが叫ぶ。
「危ねえ!」
だが。
デミウルゴスは動かない。
ニコリと微笑む。
次の瞬間。
赫子が彼の目の前で停止した。
まるで見えない壁に阻まれたように。
「なっ!」
モン・ドーが目を見開く。
デミウルゴスは眼鏡を直した。
「ニニャ君。」
「少々、おいたが過ぎますね。」
その声には怒りも殺意もない。
教師が問題児を叱るような穏やかな響きだけがあった。
しかし。
それを聞いた元締めは冷や汗を流す。
「……まずい。」
先生も頷く。
「ええ。」
「今夜一番危険なのは、暴走したニニャではありません。」
炎の中。
微笑む悪魔こそが、この場で最も恐ろしい存在だった
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「おいたには、罰を与えないといけませんね。」
デミウルゴスは穏やかな笑みを浮かべたまま、左腕をゆっくりと前へ出した。
その瞬間。
筋肉が異様な音を立てて膨れ上がる。
スーツの袖がはち切れそうになり、悪魔のような巨大な腕へと変貌した。
「――悪魔の諸相《剛腕》。」
ニニャは咆哮を上げ、十本の赫子を一斉に伸ばす。
しかしデミウルゴスは避けない。
「遅いですね。」
ブンッ!
振り抜かれた剛腕が空気を裂く。
衝撃だけで赫子が弾き飛ばされ、そのまま拳がニニャの腹部をとらえた。
「――っ!」
ニニャの身体は宙を舞い、燃え落ちた屋敷の壁を突き破って地面へ転がる。
土煙が上がる。
しばらく静寂が続いた。
やがて。
ニニャの赫眼から赤い光が消えていく。
十本あった赫子も一本、また一本と縮み、腰の中へ吸い込まれるように消えていった。
意識を失ったニニャは、その場に静かに横たわる。
「ふむ。」
デミウルゴスは懐から小さな革張りの手帳を取り出した。
さらさら、と羽根ペンを走らせる。
『極度の精神的・肉体的負荷により赫子が異常増殖。理性を喪失するも、戦闘能力は飛躍的に上昇。』
さらに数行を書き加える。
「興味深い。」
眼鏡を指で押し上げ、眠るニニャを見下ろえる。
「彼女の成長には、実に目を見張るものがあります。」
「まだ不安定ではありますが……。」
「この先も、楽しみですね。」
くすり、と満足そうに笑う。
その笑みは、部下の成長を喜ぶ上司のようでもあり、新たな実験結果に胸を躍らせる研究者のようでもあった。
元締めたちは黙ってその様子を見ていた。
モン・ドーが小さく息を吐く。
「……あの嬢ちゃん、助かったのか?」
デミウルゴスは手帳を閉じると、穏やかに答えた。
「ええ。」
「命に別状はありません。」
「少し眠れば目を覚ますでしょう。」
そして三人を見回し、静かに続けた。
「彼女をお願いします。」
そう言い残すと、デミウルゴスの足元に黒い魔法陣が広がる。
一瞬で、その姿は夜の闇へと消えた。
残されたのは、静かに眠るニニャと、燃え尽きつつある屋敷の炎だけだった。
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元締め
かつてリ・エスティーゼ王国全土にその名を知られた伝説の義賊。
貴族や悪徳商人から財を奪い、貧しい者へ分け与えるその手口から、庶民には英雄と称えられ、権力者には「決して捕らえられぬ影」と恐れられた。
しかし歳月は誰にも等しく訪れる。
老境に入り、自ら前線で戦うことを退いた彼は、一つの決意をする。
「一人の義賊では救える者に限りがある。」
法の届かぬ悪。
権力に守られた悪人。
泣き寝入りするしかない弱者。
そうした者たちを救うため、裏社会の情報網と人脈を結集し、闇の制裁者集団を組織した。
それが――喰種人である。
元締めは依頼人の話を聞き、本当に裁くべき相手なのかを厳しく見極める。
恨みや私怨だけの依頼は決して受けず、弱き者を苦しめる悪人のみを標的とすることを掟とした。
表向きは年老いた古道具屋の主人として静かに暮らしているが、夜になると裏稼業の顔を見せる。
喰種人たちは皆、彼を敬意を込めてただ一言――
「元締め」
と呼ぶ。
その本名を知る者は、喰種人の中にもほとんどいない。
モデル 【助け人走る】清兵衛